みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

夏の終わり

2013-08-30 14:39:25 | 健康・病気

村の空を、あれほど縦横自在に突っ切っていた燕たちの姿が、すっかり見られなくなりました。今頃は南の国をめざして、長い旅を続けているのでしょう。

山路を歩いていると、頭上から墜ちてきた油蝉が地上で仰向けになり、最後の力を振り絞るように両羽根を激しく震わせ、六肢を宙に向けてあがいています。そしてやがて・・静かになります。

ヒグラシの声はめっきり少なくなり、ツクツクボウシが生き急ぐかのように忙しく輪唱しています。

Dscn3688村の田んぼは、次々に黄金色に染まってきました。早稲の田んぼでは、もう収穫が始まっています。コンバイン(走行しながら稲の刈取・脱穀・藁裁断を自動処理する乗用型農機)を老農が運転し、その後ろから老妻が付いていって、コンバインが処理し損なった稲を選り分けたり。

都会暮らしの息子さんが里帰りしてコンバインに乗っていらっしゃる田んぼもあります。夫婦や家族で一緒に労働するって、大変でしょうけれども、人間的な感情に沿うというか、その光景には心安らぐものがあります。

機械化で農作業は合理化されますが、コンバインは非常に高価だと聞きますし、真っ赤に塗装されているのは、その取扱いに危険が伴う証しでもあります。高齢化した農家にとっては厳しい時代です。

コンバインは重機ですから、田んぼにのめり込んで動けなくなったりしないよう、収獲期までに田土を乾かしておかなければなりません。

Dscn3686Dscn3683田んぼ用水ポンプの稼働も明日が最終日です。機場内のコンクリート舗装の隙間から生えていたヘクソカズラが、沢山の花を付けていました。

今日は漢方医のところで、思い出深い方の訃報が辛かったことや、夏バテがひどかったことなど、愚痴をタップリこぼし、聞いてもらいました。お薬だけでなく、こうした愚痴こぼしも、養生の一環になるのかも?


改修後の鳴滝

2013-08-25 15:44:20 | 俳句

驚くほど涼しくなった今日、俳句の会で鳴滝へ行きました。行く途中の黄金色に変り始めた田んぼの風景の中で、同乗の長老が語りだしました。「ここには昔、水車があって、うどんの粉を挽いていた。子供だった私は、小麦を持って行って、替わりにうどんを受け取っていた。」

昭和30年代の頃までのことだそうです。水車で挽いた粉で作ったうどん・・さぞかし美味しかったことでしょうね!

Dscn3676_2鳴滝には、新しい注連縄が張られていました。旱が長かったためか、滝の水量が少なくて物足りないのですが、その分、静かで優しい感じがしました。

    注連縄の細きに滝の静かなる

Dscn3677_2滝の足元に渡してある橋は、以前は木製の可愛らしい太鼓橋だったのですが、朽ちて危険になったので改修し、石の橋に替わっていました。太鼓橋でなくなったのはちょっと残念ですが、でも心配していたような、無味乾燥な感じではなく、天然石風に仕上げてあったので、安堵しました。

石橋の袂には、木製のベンチが新しく設えられていて、早速腰かけて句作を始めた仲間もいます。

    里滝へ壱畳ほどの石の橋

滝の脇の石段は急峻で、夏バテの私は上るのを躊躇していましたが、長老や大先輩の方々が上るのを見て、私も頑張ることにしました。鉄製のしっかりした手摺が設置してあるのが有難いです。

    滝上で聞く滝の音やはらかに

下りるときは、勾配がやや緩やかな・・と言っても結構厳しい足元でしたが・・脇道を選びました。

    女坂険しきに咲く杜鵑草(ほととぎす)

 


結び帛紗花月

2013-08-21 20:16:30 | 着物

Dscn3674暑い毎日ですが、先週からツクツクボウシが鳴き始めています。夜の虫の声も少しずつ増えてきました。

昨夜は久しぶりの降雨があり、人も田畑もホッと一息。気温もちょっと下がりましたが、それでもやはり蒸し暑い今日、扇風機の風を受けながら紗(シャ 盛夏向きの透けるような生地)の幾何学模様の着物(近所の御婦人から譲ってもらったもの)に着替えて、茶道の稽古へ出掛けました。

稽古は 結び帛紗花月(ふすびふくさかげつ)。私は初体験です。花月では通常は全員が各自の帛紗を用いますが、結び帛紗花月では当初の亭主役の帛紗のみを使います。今日は私が当初の亭主役に当たったので、あまり綺麗には手入れしていない帛紗を他の方に使われる・・ということで、ちょっと冷や汗?!でした。

Dscn3670_2当初の亭主役は、最初に道具(茶碗など)を運び入れてから、帛紗を結び文のような形にして、畳上(写真は帰庵後に板の間で撮影)に置きます。帛紗をいつもと違う形にしただけで、茶室の雰囲気がかなり変わるのが不思議なくらいです。

硝子の水指が納まっていたのは溜精棚(りゅうせいだな)でした。裏千家今日庵にある溜精軒の下地窓に、使い古しの柄杓の柄が用いられており、これに因んで、同様の材が用いられている棚です。

使い古しの柄杓の柄を格子代わりに使うなんて、地味なようでいて実は結構奇抜なアイデアですね。


いつもだったらこんなことしねえんだけど

2013-08-17 10:05:17 | 田んぼ

夏季の草たちの勢いは凄まじいので、腰痛や熱中症などの不安に抗して草取りに精出さざるをえません。「草と闘う」という表現は大袈裟ではないと実感します。人間は、自らの健康と命を危機に曝しながら草たちの命と闘って、人間の命を養う穀物や野菜などを守ろうとする存在なのだ、と。

当庵の菜園と庭は小さいので、草取りは小鎌で何とか対応していますが、広い田畑などを有している方々には草刈機が必要不可欠です。草刈機は重量があるので、私なぞにはとても操作することが出来ません。また鋭い金属製の刃が高速で回転するので、自身や周辺に居る人を傷害する恐れもあり、その操作は体力と神経を使う作業になります。

除草剤が使われているのを見掛けることもあります。私は、地球環境への弊害の恐れがある除草剤を嫌悪していましたが、「草との闘い」の現実を知るにつれて、除草剤を使う人の気持が分かるようになってきました。

除草剤が撒かれて1日ほど経つと、猛々しく繁っていた草たちの緑色が褐色に変わり、一挙に老いさらばえたようになって、饐えた臭いを発しながら地面に突っ伏していきます。草との闘いには勝ちますが、その光景には無惨な印象を否めません。

草刈機では草の根を取ることが出来ませんから、じきにまた草は勢いを増してきます。村の人々は一夏に何度も草刈機を操作しています。刈られた跡は、薄い緑のベールのようになって、綺麗だなぁ と思います。

昨夕のことです。いつものように田んぼ用水ポンプ機場へ行ってポンプを止めてから、帰庵の愛車を駆っている途中の道路脇で、田んぼの作業を仕舞っている方から「毎日お世話さんですねぇ」と、ねぎらいの言葉を戴き、とても嬉しかったです。

「稲の具合は如何ですか?」とお聞きしたら、「イモチが入ってね・・」と浮かぬ顔です。「先だってオクスリ(農薬のことを人々はこう言うので、私も不本意ながら言い習わされて・・)を撒かれていたようですが、それでもイモチに?」と私。

「クスリはもっと早く予防的に撒かなくちゃならないんだよね。色々忙しかったもんだから。会社勤めしながらだから、なかなかねぇ・・」 そして田んぼの脇の除草剤を撒いた跡を指さしながら「いつもだったらこんなことしねえんだけど、今年は草刈りが間に合わなかったもんだから。」 

聞けば、除草剤を撒くと草の根まで退治してしまうので、土が崩れやすくなってしまうから、「いつもだったらこんなことしねえ」のだそうです。ナルホド! 畔や水路脇や路肩の土が崩れやすくなったら困りますものね。


68年を経て

2013-08-15 14:12:45 | 社会

加齢とともに益々忘れっぽさがひどくなっている私。或るものを出そうとして物入れの扉を開けたところ、何を出そうとしていたのか分からなくなって、考え込む・・なんてことも! トホホ。

こんな私も中学生の頃の記憶力はなかなかのものでした・・別に私でなくとも、中学生の頃って、誰しも記憶力抜群の齢頃なんですよね。

その中学生のときだったと思います。日本国憲法を習ったのは。子供心ながら、素晴らしい憲法だと感じました。特に格調高い憲法前文が気に入って、自慢?の記憶力で暗記したものです。前文の中段部分を以下に抜粋します。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

googleによる先般のイベント「政治家と話そう」の中で、この国の総理は上記の憲法前文中段部分を引用しながら何と言ったか。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。」と・・ 敗戦から68年を経て、嘆かわしく怖ろしい時代になったものです。


秋気

2013-08-14 14:07:09 | 八郷の自然と風景

「おあつうございます」が、挨拶の定番のこの頃です。当庵にはエアコンは無くて、扇風機を重宝しています。10余年愛用してきた扇風機が(先週のことですが)、寿命が尽きたらしくて動かなくなりました。

この暑さの中、扇風機なしでは一日も過ごせません。すぐに愛車で10分ほどのコメリへ。中規模ながら品揃えが良い店です。溌剌とした女性店員さんが、忙しい中ながら私の相談に的確に応じて商品説明をして下さり、おかげで気に入った扇風機を買うことが出来ました。

Dscn3666価格は2480円。持ち帰るとき、その意外な軽さに驚きました。従前の機種では金属だった部分もプラスチックに代替されているからなんですね。

Dscn3663当庵内では1台の扇風機を私の居場所が変わるごとに移動させて使っているので、軽いのは大助かり。でもプラスチックは環境を損なうものなので、少々複雑な気分もあります。

当地の暑さは10日(土)がピーク。11日以降も暑いけれど、猛暑というほどの感じはありません。「高齢者は暑さを感じにくくなる」と聞いて、ちょっと不安になり、温度計を購入しました。

午後1時40分現在の庵内気温は30度。昨夜は夏掛け布団を掛けないと寒いぐらいでした。

Dscn3657今朝の空には微かな秋気さえ漂う雲たち。田んぼの稲たちは熟れ色に染まり始めています。用水ポンプ取水口付近の水路には、いつもオハグロトンボ(正式名称にはオが無くて、ハグロトンボだそうです)が1匹、優雅に、そして少し妖しげに舞っていたのに、今朝はいません。漆黒の羽根と対照的なエメラルド色に輝く胴・・たぶん雄だったと思います。交尾の相手を求めて旅に出たのか、それとも天敵にやられてしまったのか・・


お裾分けの色々

2013-08-10 09:07:09 | 社会

当鶏舎の烏骨鶏のギンとリン、矮鶏とのハーフのアサコとユウコが、先週から産卵を再開し、毎日2~4個を採卵。とても一人では食べ切れないので、日頃お世話になっている近隣の方などにお裾分けしています。

日頃お世話になっていることへの御礼の気持を添えてお渡しするのですが、やがて先方からお返しを頂戴することもあります。先日はご近所から、甘く熟れた小玉西瓜を戴き、舌鼓を打ちました。西瓜の栽培は難しくて、私には無理です。

昨日は、ある方からはお庭のブルーベリーの実を沢山。別の方からは良く熟れたトウモロコシを6本も頂きました。いずれも御自分で栽培されたものです。ブルーべリーは当庵にもありますが、今ちょうど端境期。トウモロコシは今年の当菜園には無いので、有難いことです。

柄谷行人氏が言うところの「贈与」による経済システムのミニ版を実感します。幸せ感があります。

今日はこれから中央公民館で気功同好会。自家用菜園で朝採りしたピーマンやシシトウを持っていって、皆様にお裾分けする予定です。私一人では食べ切れないので、貰ってもらえば、野菜たちも本望だと思います。


殺生戒を破る

2013-08-04 14:22:42 | 書道

昨日の午前中は、中央公民館で気功同好会でした。この同好会では、自分の気を自ら整える「内気功」を習っているのですが、「外気功」も、時折ちょっとだけ行います。

「気を当ててもらいたい人は?」との講師の呼び掛けに、私も手を挙げました。野良仕事の負担のためか、左身の腰から背中にかけての痛みが続いていて・・・と愚痴をこぼしましたら、講師と仲間数人が私の背ろから気を当てて下さいました。温かいモヤッとしたものが背ろから来るのを感じました。

おかげさまで痛みが少し緩和されました。まさに「気」のせいかも知れませんが。

Dscn3650帰庵して、急いで昼食を摂ってから、午後は隣地区の公民館の書道教室へ。夏期は参加者が少なくて、今日の生徒は私を含めて三人だけ。それでも老先生は常に変わらぬ優しさで丁寧に教えて下さいます。

夕方のユキの散歩を終え、鶏たちへの給餌のついでに、産んでくれた卵を採ろうと思い、鶏舎の奥の薄暗いところに設置している巣箱の中に手を入れようとしたら、なにやら棒のようなものが巣箱から突き出ています。ん?こんな棒を入れた覚えは無いが・・と見ると、その棒の先から糸のようなものがチョロチョロ・・・ 蛇の舌だ!

蛇は、追い出しただけでは、また必ずやって来ますから、絶対に殺さねばなりません。マムシではなさそうなのを確かめてから、いったん鶏舎を出て、武器にするスコップを持って鶏舎へ戻りました。

すると蛇は、鶏卵を口に咥えていました。蛇の貌幅の数倍の大きさの鶏卵を。

ヒヨコがもし孵化してまもない小さな雛だったら、間違いなく呑まれていたことでしょう。

巣箱の中の蛇に向って、スコップの先で10回、20回、30回 と突きました。突いている私は、必死の形相だったと思います。

身をくねらせていた蛇も、ついに崩れ落ちて動かなくなりました。小さい蛇かと思っていたのですが、巣箱から出してみたら、1メートルほどの成蛇、滑らかな腹側が怪しげに美しい青大将でした。

殺生戒を破って私が殺した蛇は、これで3匹目になったでしょうか。

Dscn3645私と青大将との死闘!の騒ぎに鶏たちはパニックでしたが、6月8日生まれの茶羽のヒヨコも、6月18日生まれの白羽のヒヨコも、無事でした。人間に譬えるならば小学校高学年ぐらいでしょうか。