みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

自然の花

2015-10-27 17:53:50 | 八郷の自然と風景
今日も素晴らしい秋日和で、野良仕事が捗りました。堆肥を菜園に埋めて畝を起こしたり、大豆を株ごと抜いて、篠竹で作っておいた棚に吊るしたり。衣替えもしました。朝夕は冷え込むようになり、先日は初霜が降りたので。と言っても少ない衣服の収納場所を入れ替えただけですが。

落葉期に入る季節でもあります。当庵の茶庭にもセンダンの複葉や柿紅葉などが散り敷いていましたので、少し取り除こうと屈んだとき、蹲踞の脇に一輪の竜胆の花が咲いているのを発見!



私が知らぬ間にひっそりと生まれ育っていたのですね。こんな慎ましやかな自然の花を見ていると、都会の花屋さんで売られている園芸品種の花は、リンドウという名は付いていても竜胆に非ず! と思ってしまいます。


団子石峠

2015-10-25 17:26:46 | 俳句
俳句の会で団子石峠へ行きました。雲一つない素晴らしい秋晴れです。



団子石峠はハイキングコースの途中に位置しています。高齢者が多い私たちは八郷(石岡市内)側の里から直接、車に乗り合わせて行きました。長くはない距離ですが、ヘアピンカーブの連続。峠の名前の由来である団子石は、小柄な象さんのよう。

   

団子石からほんの少し登ると水戸方面を見晴らすことが出来ます。写真の右手中景の稜線は愛宕山です。



団子石からほんの少し下ると、山桜の大樹や紅い実を付けた檀の木に出会いました。ハイキングコースを闊歩していく若い人々も数組。女性の方が断然多かったですね。

   

ふと見上げたら、ひらりふうわり 蝶が飛んでいました。揚羽蝶の仲間のようだけれど、見慣れた揚羽蝶とは違う。前羽根が透き通るような薄い水色で、羽根の中程は微かに紅を差しているような。真青な空の下、日差しを受けながらゆっくりと舞う姿のあまりの美しさに、思わず声を上げてしまいました。

                 秋蝶の妖しく美しく淋しとも

逆説性不眠症の苦悩

2015-10-24 19:44:41 | 生死
本当は寝ているのに、「数年来、一睡もしていない」と深刻に悩んでいる男性の話を、先日の東京新聞の記事で読んだ。読み捨てることが出来なかった。筆者は中山明峰という名古屋市立大病院睡眠医療センター長。

この男性はバブル景気で生涯暮らしていけるだけの財産を得た。それから彼は家族と別れ、友人たちとの交際も絶った。以来、一睡も出来ず、時計の刻む音だけが脳裏に残るのだと言う。逆説性不眠症 という疾患だそうだ。

生活の目的が生活費を得ることならば、十分な生活費が得られたとき、もはや 生活 の意味が無くなる。生活の軸は人間関係。自己とは関係性だから、人間関係を絶てば自己が崩壊する蓋然性が高くなるだろう。自己が崩壊すれば、睡眠と覚醒との区別の意味も無くなるだろう。

では私自身の生活の目的は何?

若かった頃、私の生活には確かに目的があったと思う。生活費を得ること、仕事の業績を上げること、自分の能力を上げること、良き家庭を築くこと等々。

今の私の生活には「目的」らしいものが見当たらないような気がする。「生活」そのものを享受している、と言えるだろうか。老いた証かも知れないが、不都合は感じない。

筑波の双峰

2015-10-20 22:10:45 | 俳句
俳句の会で風返峠へ行きました。峠の名前の通りに涼風が吹き渡り、小鳥たちの声が四方八方から聞こえて、心ゆくまで秋を堪能しました。

             男峰から女峰へ淡く霧流れ



         


村の伝統

2015-10-16 15:17:20 | 暮らし
村の道普請が始まりました。当庵アプローチの山路の舗装工事です。初年度の昨年は当庵前面を含めて50メートル弱、今年はその延長の90メートル位です。「舗装」には抵抗感もありましたが、土のままですと雨のたびにぬかるんだり、山の篠竹が道路へ進出したり。愛車が不可欠の暮らしでは、舗装はやはり現実的な解決策だと痛感してきました。

公道でも、道普請の主役は村人です。市からは砂利とコンクリートの材料代が支出されるだけ。手間は村人の奉仕です。昨日と今日は路面の凸凹を均すために土砂やコンクリート屑を搬入して敷く作業でした。普請がプロ並み以上に得意な村人二人と、当該道路を日常的に利用している人が3~4人出動。私もスコップを持って参加し、細腕で可能な作業に従事しました。数日前からの風邪が治ったばかりの私は、体調に少々不安がありましたが、体を動かしているうちに力が蘇ってくるような感じがしました。

作業の合間に沢山の世間話が出ました。話題はほとんど村内の事柄で、日頃は聞けない村の事情を知ることも出来て、私には何よりのひとときでした。農村の伝統ともいえる道普請、やっぱりいいなあ・・

今日の道普請の作業は午前中で終了。18日に砂利敷、23日にコンクリート打ちの予定です。

昼食後、一息入れてから田んぼ用水機場へ行きました。機場では明日17日が「泥吐き」の予定です。田んぼの収穫作業がほぼ終わったこの季節に、配水管内に溜まった泥を排出するのです。泥排出を促すために送水しなければいけないので、送水ポンプが稼働できるよう、用水路のゲートを前もって降ろしておくのです。

取水口付近に引っ掛かっている筈の沢山のゴミも片づけなければ・・と覚悟して行ったのですが、オヤ! 綺麗に片付いています。私の細腕では大変だろうと、片付けを済ませてくださった方がいるんですね。有難うございます! 助け合いの精神、これぞ村の「伝統」ですね。






浜田知明の声

2015-10-11 17:51:09 | 芸術
午前4時過ぎに起床してラジオを付ける。午前5時までが深夜放送番組で、昼間の番組では外圧或いは自粛で聞けないような内容が聞けることも多い。今朝は浜田知明(1917~)へのインタビューだった。美術に疎い私でも、「初年兵哀歌」を中学校の参考書か何かの頁の片隅に見出したときの衝撃的な印象は、半世紀を過ぎても鮮やかだ。

ラジオで人の声を聞いていると、真実を語ろうとしている人なのか、それともゴマカソウとしている人なのか、その声の感じで分かる。浜田知明の声は真実の声だ。知性と感性が澄み渡っているような声だ。これが97歳を過ぎた人の声だとは、奇蹟に近いのではないか。

浜田知明は、こんなことを言った。本土空襲の被害の悲惨を語る人は多いが、中国大陸の重慶を日本軍が爆撃したことは語られない と。シベリア抑留の悲惨を語る人は多いが、日本兵が中国大陸で男を見れば殺し、女を見れば強姦したことを語る人は少ない と。

浜田知明の言葉は自身の体験から発している。今の日本は戦前に似ている とも言った。戦前も、戦争直前まで平和な日常だったが、それが一挙に付和雷同して戦争へなだれ込んでいった と。

光の季節

2015-10-08 17:17:20 | 八郷の自然と風景
秋は、光が美しい季節だと思う。風に吹かれて薄の穂が光を散らす。蜻蛉たちは羽根に光を載せて飛び交ったり棒に止まったり。足元の小さな草たちの穂も、木漏れ日を授けられて珠玉の煌めきを見せる。

未明に目覚めて外縁に出ると、星たちが密かな光を注いでいる。星を見詰めると、その星が私を見詰めているように感じてしまうのは、<世界は私のために在る>という自己中心主義の証で、つまりは我利我利亡者であるということが、この私の正体ということでしょうか・・・

秋の草々

2015-10-03 14:40:20 | 八郷の自然と風景
季節の移ろいは、時に悲しみを誘われることも含めて私たちへの恵みだと思わせられる。この秋の、雑草と言われる草たちの日々の姿を見ていると、その繊細ないのちが格別に愛おしく感じられるのは、私の加齢が齎す恵みでもあるのだろうか。

  

糠の粉のように細やかで柔らかな花穂のヌカキビ。繊細だけれど凜とした趣きのあるチヂミザサ。2種とも今が花盛りだ。
嫌われもののセイタカアワダチソウだって、これから花盛りを迎える姿は愛らしい。