裏千家淡交会茨城支部の初茶会に行ってきました。梅花の扇と松葉模様の帯を締めました。近所の農家の御婦人が譲って下さったものです。半世紀以上前のお嫁入りの際に親御様が支度なさった帯だそうです。手触りが何ともいえず優しく懐かしい感じがします。
数百人(たぶん7百人以上)が集まる茶会ですが、運営がしっかりしていて、会場のホテル側との連携も良いのでしょう、他の大寄せの茶会のようにザワザワした感じやイライラするようなことも少ないですし、会場全体に連帯感のようなものも醸し出されています。亭主役の方々のお点前ももちろん素晴らしくて、見ているだけでウットリしてしまいます。
茶道は矛盾だらけの世界でもあります。清貧を貴ぶかのように言いながら、惜しみなく資財を投入した茶室で高価な道具を用いて、立派な着物を身に付けることが実際には貴ばれたり・・ どちらがホンネで、どちらがタテマエか、分からないような・・・
初茶会では「清貧」はもはや影を潜めたかのようです。お正月ですから、めでたく豪華に!という基調です。それを良しとするか悪しとするかは議論の余地があるかも知れません。ただし、この初茶会の券代(参加料)は、私の財布でも一応買えるぐらいの額ですから、この額でこの内容というのは大変お得!と思います。小扇子と小杯のお土産付です。
客はみな訪問着などの華やかな装いなのですが、何しろ私を含めて高齢女性が大半なので、ウーン・・・ それでも着慣れた方の凛とした姿は見応えがあります。数少ない若い女性の振袖姿は本当に可愛らしかったです! あ、それから、貴重な存在である殿方の袴姿はもちろん恰好良かったですよ
濃茶席、薄茶席、立礼席でそれぞれお抹茶を戴きましたが、お茶席で写真を撮るのは憚れたので、 点心席で運ばれてきた昼食を撮りました。これに御飯とお吸い物が付きました。色とりどりの品々が見栄えよく盛り付けられていて、ホテルの厨房関係の皆様の御苦労が偲ばれます。でも正直に言いますと、色も形も味もどこか嘘っぽいような・・・ ごめんなさい、お得!な茶会でこんな我儘を言ってはいけませんね。
当庵から水戸の会場までは車で1時間近く掛かります。この道のりを、高齢かつ未熟な運転者の私が時速60キロ前後で往復するのは、かなりのストレスです。
途中の路面に赤黒い1尺余りの模様がありました。犬か猫か、イタチかハクビシンか、轢死した小獣の血糊の跡のようでした。
帰り道では、2度も肝を冷やしました。一度目は、高齢の男性が自転車で、歩道から突然ふらふらと車道に入ってきたのです。タイミングが数秒ずれていたら、その男性と私はどうなっていたか・・ ゾッとしました。
2度目は、私が右折車線に入った途端、本線の前車の影から車線を横切ろうとする車の鼻が出てきたのです。慌ててブレーキを踏みながらハンドルを切りました。その車もかろうじてブレーキを掛けてくれたので、危機を回避することが出来ました。冷や汗が出ました。
めでたい初茶会への参加も、実は死と隣り合わせであることを思わずにはいられませんでした。3・11大震災では2万人近くの方が犠牲(死者・行方不明者)になられましたし、福島第1原発は今も予断を許さない危機が続いています。本震に次ぐような強い余震が今後起こったら、4号機の燃料プールが崩壊して、昨3月の事故をはるかに上回る大惨事に至るのではないか、と懸念されています。小出裕章氏が言うように、今は「戦争中」と同様の時代なのかも知れません。
戦国時代を生きた千利休は、信長や秀吉の戦地にも茶道具を担いで赴いて、茶を点てたそうです。一種の奇行のように私は思っていましたが、考えてみれば、死と隣り合わせという意味では、現代も戦国時代と同じなのかも知れません。しかし、当時の人々は、死を覚悟し、或いは死と隣り合わせの生であることを自覚していたのではないでしょうか。それに引きかえ現代に生きる私たち、いえ、私は・・・
何とか無事故で帰庵したら、ユキが尾を大きく振って出迎えてくれました。ジュンのときと同様に、飼犬に迎えられると私は反射的に笑顔になってしまいます。今を生きているもの同士の連帯感でしょうか