みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

筒鳥

2011-04-30 14:13:20 | 八郷の自然と風景

自家用菜園に小松菜の種を蒔いていたら、新緑の林から筒鳥の声が聞こえた。ポポッ ポポッと聞きなされているけれど、普通の人声より低くて、くぐもっている。

筒鳥の声は、どこか遠いところからやってきて、人間世界の有様に深い嘆息を漏らしているような感じがする。

Dscn1914 小佐古敏荘氏(東大大学院教授 原子力専攻)が、内閣官房参与を辞任した。

辞任にあたって氏が配付した文書から、以下、抜粋する。

1 原子力災害の対策は「法と正義」に則ってやっていただきたい。

2 「国際常識とヒューマニズム」に則ってやっていただきたい。

つまり、政府の原発事故対応は、「法と正義」および「国際常識とヒューマニズム」に則っていない、という内容だ。

則っていない重大事実を、氏は列挙しており、その一部を以下、抜粋する。

今回、福島県の小学校等の校庭利用の線量基準が 20mSv/年 の被曝を基礎として算出、誘導され、3.8μSv/時 と決定され、文部科学省から通達が出されている。これらの学校では、通常の授業を行おうとしているわけで、(中略)全くの間違いであります。

20mSv/年 近い被曝をする人は、約8万4千人の原子力発電所の放射線業務従事者でも、極めて少ないのです。この数値を、乳児、幼児、小学生に求めることは、学問上からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたいものです。

10mSv/年 の数値も、ウラン鉱山の残土処分場の覆土上でも中々見ることの出来ない数値で(せいぜい数mSv/年 です)、この数値の使用は慎重であるべきであります。

小学校等の校庭の利用基準に対して、この20mSv/年 の数値の使用には強く抗議するとともに、再度の見直しを求めます。

権力に迎合し、自己の識見を曲げて恥じない御用学者の世界の中に、ぎりぎりのところで良心を守る決断をした勇気の人がいたのだ。

 


怖ろしい国

2011-04-25 20:30:14 | 原発

病院等でレントゲン写真を撮ってもらう部屋の扉には、「放射線管理区域」と書かれた黄色い三角印がある。「関係者以外は立入り禁止」とか、「指示があるまで入室しないで下さい」などとも書かれていて、厳重に管理されなければならない場所だ。

放射線管理区域の指定基準は、0.6マイクロシーベルト/時 で、こうした場所では18歳未満の少年少女の作業が労働基準法で禁止されている。

文部科学省は4月19日、福島の各学校を利用出来るかどうか判断するときの放射線量の目安として、20ミリシーベルト/年 を示した。また、この20ミリシーベルト/年 は、屋外で 3.8マイクロシーベルト/時 に相当する、としている。

3.8マイクロシーベルト/時 は放射線管理区域の指定基準の6倍以上だ。そんな怖ろしいところに子供たちを通わせようというのだ・・・

20ミリシーベルト/年 は、一般人について国内法上許容されている放射線量 1ミリシーベルト/年 の20倍だ。子供は一般の大人よりも、放射線の影響を強く受けやすいというのに!

子供たちに、こんなひどい被曝をさせる怖ろしい国に、日本はいつの間になったのか。


花の昼

2011-04-22 19:44:33 | 俳句

Dscn1902_2 久しぶりの俳句の会だった。顔を合わせて最初の話題は、やはり大震災。皆それぞれに直接或いは間接の多少の被害を受けている。そして恐るべき原発のことを語り合った。

吟行先は筑波山東麓の牧場。満開の山桜と様々な樹々の芽吹が山容を彩り、林縁には野苺や菫の花が咲き、山家の庭先には枝垂れ桃が白と紅に咲き分けて、見事なあでやかさだった。

牧場の馬たちは温容で、オッカナビックリの私も撫でてあげることが出来た。よく言われることだけれど、馬の瞳は本当に優しい。春草を食べるときの口や鼻孔まわりの動きも可愛い。

    母馬の背のなだらかや花の昼        小零

牧場の中を蝶が舞い、雉が横切り、近くの森から鶯の声が聞こえる。憂鬱な出来事を暫し忘れさせてくれた。

Dscn1909


芽吹きの季節

2011-04-17 21:58:17 | 八郷の自然と風景

朝8時前に田んぼ用水ポンプ機場へ行った。霞ヶ浦からの導水の今季スタートに備えて、機場の取水口付近の泥浚いの日。ポンプ運転担当の私と相棒は下準備。やがて各の機場担当者が10名ほど集まり、大きなスコップや泥水排水ポンプなどを用いて、堆積していた泥を排出した。

3/11大震災で屋根が崩れていても、職人さんの人手不足と材料不足で修理が出来ずブルーシート掛けのままの農屋敷が多い。兼業農家の勤務先の会社が、大震災や原発事故の影響で経営危機に陥っているという話も多い。それでもこの季節になれば、「やんなきゃしょうがDscn1899_2 あんめえ」と、皆そろって代掻・田植の準備に入っている。

生きていれば息をする。息をすれば放射性物質を吸う。これも「しょうがあんめえ」と笑い飛ばす人々と一緒にいると、私も釣られて笑ってしまう。

Dscn1900 ら蕾を膨らませていた。メジロが チルチルミチル、チルミチルミチル  と囀っている。

鳴滝の不動堂の上に芽吹色が広がっていた。岩を伝い落ち森の底を往く水の音の、何と清浄なことか・・ 久しぶりに、心なごむ時間を過ごした。


幻想と現実

2011-04-14 20:15:40 | 原発

岩波書店発行の「図書」3月号に、内山節がレヴィ・ストロースなどを引用しながら、「現実の奥底」という一文を寄せている。(3/11大震災より前に書かれたもの)

自分の力の限界を認識しなくなったときから、人間は自分自身を破壊するようになるのです。

現代人は幻想の中で幸せを演じながら生きている。たとえば大学に入学したときに幸せを感じる幻想。仕事のなかでの達成感という幻想。幸せな家庭という幻想・・・ この幻想を引きはがしてしまえば、つまり赤裸々な自己を見詰めてしまえば、そこには悲惨に生きている人間しかいない。

大震災と放射能汚染は、容赦なく幻想を引きはがした。高濃度放射能汚染地域の人々へ、小出裕章氏はもちろん避難を勧める。しかし、と氏は言う。せっかく避難しても避難所で亡くなる高齢者もいる、家族バラバラに避難せざるをえない場合は家庭崩壊の恐れもある、そうでなくとも、住み慣れた故郷を離れるということはとてつもない困難を背負うことになるだろう・・

避難しなければ、悲惨な運命が待っている。避難しても悲惨な生活が続くかも知れないのだ。

それを考えると、私は(一律に避難を勧めていいのか)分からなくなってしまうのです・・・おそらく、高濃度汚染地域であっても住み続ける人がいるのではないか・・と、小出裕章氏は苦渋の声で語っている。


学者の良心

2011-04-10 11:51:32 | 原発

庭のゆすらうめが咲き、菜の花も木瓜も満開となった。 当菜園のホウレンソウは艶やかな葉を広げて美味しそう・・でも放射性物質を吸着しやすいとか、自家用とはいえ収穫を躊っている。

Dscn1894_2 You Tube で、小出裕章氏(京都大学原子炉実験所)の講演「大切な人に伝えて下さい」を視聴した。氏は40年間、原発反対を主張し続けてきた。40年前、日本には3基の原発があった。それが現在は54基。「私の人生は敗北の人生」と言う。「それでも私は希望を捨てない」と言う。

原発が無ければ電気に依存した私たちの暮らしは成り立たないというプロパガンダを私も信じていた。だが小出裕章氏によれば、原発が全く無くても、真夏時の消費電力量でさえ賄えるのが実態だ、という。

「40年間、東京電力は私の敵だった。しかし今このとき、東京電力にはとにかく踏ん張って、事故がこれ以上大きくならぬように抑え込んでほしい、とエールを送りたい。」と語る氏の、祈るような言葉に心を打たれた。

福島原発について氏は、「1号機は再臨界の恐れがある。核爆発のようなことにはならないだろうが、水蒸気爆発で多量の放射線放出の危険がある。そうならないことを願っている。」と語っている。深刻な危機が継起している。

4/7夜の余震では、女川原発の1・2・3号機の電源が途絶えて、冷却機能を1時間前後にわたり失った。もしこの原発が運転中だったら、大変な事態になっていた。「今すぐ、全国全ての原発を止めてほしい」と小出裕章氏は訴える。学者の良心を貫いてきた氏の言葉は重い。


被爆地の子供たち

2011-04-09 19:24:13 | 原発

共同通信の報道によれば、福島原発から北西約30キロ(浪江町)の4/9現在の放射線量は、26.1マイクロシーベルト/時。この数値は外部被爆のみの量だから、内部被爆も含めると、少なくとも 26.1×3倍=78.3マイクロシーベルト/時 

1日当たりでは 78.3×24時間=1879.2マイクロシーベルト/日=1.8792ミリシーベルト/日 となって、国際基準および国内法による被爆限度の 1ミリシーベルト/年 をわずか半日余りで超えてしまう。恐るべき放射線量だ。

それなのに報道は、レントゲン写真で受ける放射線量は 50マイクロシーベルト と言い添えて、26.1は50の半分位だから安全だ、と言わんばかりだ。何と犯罪的な!

ラジオを聞いていたら、首都圏らしい避難所にいる小学生が取材に応えていた。学校が始まるから、被爆地へ戻ります と言う。福島原発から30数キロの自宅がある地域のことを「被爆地」と級友同士で言い合っているという。悲劇的な呼称だけれども、現実に合った呼称だから、聞いていて辛い。

武田邦彦は、福島県と茨城県北部の子供たちに、出来るだけ早い「疎開」を呼び掛けているのだが・・・

  


4/4の当ブログ記事「放射能汚染」の訂正

2011-04-05 07:36:34 | 原発

4/4の記事で、飲水や食事などによる内部被爆は、外部の放射線による被曝と同程度、と仮定していたが、武田邦彦のブログを読み直したところ、2倍程度と仮定すべきことが分かったので、訂正した。

水戸付近では、現状(4/4現在)の放射線量が4ヶ月(訂正前は5ヶ月)近く続くと、一年間の被爆量限度を超える。(なおこの計算では、水素爆発当時に放出したと思われる高濃度の放射線を考慮していないので、実際にはこの計算結果よりもはるかに深刻な事態と考えられる。)


放射能汚染

2011-04-04 11:43:39 | 原発

予備知識が少なくても、いずれかの情報を選択し参考にして考えざるを得ない。福島原発事故による放射能汚染については、武田邦彦(中部大学)のブログが分かりやすく、誠実な人柄が伝わる書き方なので、以下、氏のブログ内容を参考にして当地付近の放射能汚染を検討する。

国際的基準および国内法によれば、一般の大人が安全と言える放射線量の限度は、1ミリシーベルト/年 となる。(通常の自然からの放射線や医療被曝などを加えると、3.5ミリシーベルト/年)

ネット上に公開されている水戸市(原発から120キロ余)の放射線測定値は、4/4現在で約0.15マイクロシーベルト/時。ただし、これは外部から浴びる放射線のみの値で、このほかに飲水や食事による内部被爆があり、その量を外部からのものの2倍と仮定すると、合計の放射線量は、約0.45マイクロシーベルト/時となる。

この状態が1ヶ月続くとすると、0.45×24時間×30日=324マイクロシーベルト/月。4ヶ月続くとすると、1296マイクロシーベルト=1.296ミリシーベルト となり、1年間の被爆限度量を超えてしまう。

もちろん、今後の放射線量は徐々に減少していくかも知れないし、是非そうあってほしいと思う。しかし、何らかの対応ミスで再び放射線量が増大する危険も無いとは言えない。

さらに某ブログによれば、茨城県南(原発から150キロ余)での3/15の放射線測定値は、19時50分現在で、2711ミリシーベルト/時=0.753ミリシーベルト/秒・・ 2秒間浴びただけで1年間の被爆限度量を超える。

某ブログの情報なんか信用できない、と一蹴する人もいるだろう。しかし、3/12・14・15と相次いだ水素爆発の直後から数日間は桁外れの放射線量が放出したことは、間違いないだろう。

そして凄まじい海洋汚染が進行している。庭のゆすらうめは可愛らしい花びらを開き始めているのだけれど・・


ナージャの村

2011-04-01 19:50:57 | 原発

映画”ナージャの村”(1997年日本・ベラルーシ共同制作 企画・監督:本橋成一)を思い出す。8年ぐらい前だったか、当地の有志による上映会だった。映画の舞台はベラルーシの小さな村。チェルノブイリ原発事故による放射能汚染で立入り禁止区域となったが、国の立ち退き要請を拒んで、6家族が村に残った。この村で生まれ、この村で死んでゆく、当たり前の筈の暮らしを選択した人々・・8歳のナージャとその家族と村人たちの日常生活・・種を蒔き、芋を掘り、山羊の乳を搾り、鶏を飼い、犬と戯れる姿を、美しい映像で捉えてゆくドキュメンタリー。

福島原発から150キロ近い当地の放射能汚染をどう評価し、どう対応するか・・ 風評被害はあっても健康上の問題は無いと思っている人も多い。しかし汚染値は平常値よりも明らかに高いのだから、私は無視出来ない問題だと考えている。200キロ以上離れた東京以西とは違う。

”ナージャの村”の上映に尽力した友人は、「私はこの八郷を逃げ出すようなことは絶対にしない」と断固とした声で言った。私も思わず頷いた。そして、ナージャは村に残ったけれど、八郷の乳幼児、子供、若者には、より安全な地域への一時避難を勧めたいよね・・と、少し淋しい声で語り合った。この八郷はこれからどうなっていくのだろう・・

Dscn1892 裏山の鶯は上手に囀るようになり、山路脇の春蘭が咲き始め、庭のフキノトウも顔を出してきたけれど、嬉しいような、物悲しいような・・