みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

平井さち子さん

2021-01-22 07:31:53 | 俳句
正月明けに県独自の緊急事態宣言が発令され、車で10分弱の公民館も再閉鎖された。この公民館の一隅の図書室で市立中央図書館や県立図書館等の蔵書を取り寄せてもらう楽しみを失った。

やむなく、小さな当庵内の小さな本棚の僅かな蔵書へ改めて目を注いだ。背表紙の懐かしい名前に目が止まった。

平井さち子さん(1925~)に初めてお会いしたのは30年ぐらい前のことだ。職場の俳句同好会の席だった。全国規模の大きな俳句結社でトップクラスの同人のさち子さんだが、こんな10人足らずの小さな句会にも笑顔で足を運んでご指導下さっていた。その有難みが、当時の私には十分には理解できていなかった。

本来はさち子先生、と呼ぶべきなのだが、あの分け隔てしないお人柄に甘えさせてもらって、さん付けを赦してもらうことにする。




『背中』は平成二年より平成十一年末までの三五二句を収めた。『鷹日和』につづく第四句集に当たる。 この間五十年近くを共に過した夫を見送り、いつの間にか既に十年の歳月を経ようとしている。  (『背中』花神社2000年初版 あとがき抜粋)

特に心に残る句を私なりに以下に引く。

          ボート部の音なき力漕霞みけり
          曼殊沙華孤立がゆゑの炎となれり
          伐りつめし欅のトルソー鳥雲に
          助走なく遺すものなく鴨帰る
          囀の一樹至福にふくらめり

爽やかで鋭くて明るくて暗くて・・・多様で囚われない感性の世界、そして広く深い知性の裏付け。さち子さんの俳句とお人柄の魅力にあらためて心酔した。

句集名の「背中」とは亡夫の背中を指している。

   昭和二十年七月十四日、海軍特務艦豊国丸、東北・北海道大空襲により津軽海峡大間岬沖に撃沈さる。生存者十二名。
   後、大間岬に忠霊碑の建立をみしが、いまだ艦は戦死者一三五柱とともに海底に眠る。
   かって亡夫は豊国丸の軍医長なりき。

         被爆忌や水平帽に似し海月
         秋嶺に佇つ背ナが好き今病めど
         死へ赴(つ)くも新しきこと秋夕焼
         ボロ市を抜け底なしの独りかな
         連嶺に汝がザイル投げ逢ひたかり
         逢へぬ日々おもかげ色に花びら餅

文学にしても死を度外視しては成り立たない。すぐ隣で息をひそめる死によって詩歌も小説もいよいよ照り輝くという残酷な仕掛けを備えている。(長谷川櫂)

さち子さん・・・ この大変な世相の中で、ご高齢の御身をどう過ごされているのだろう・・・









変異の幹を撃て

2021-01-18 07:40:29 | 社会
新型コロナウィルスが益々猛威を振るっている。

一方、このウィルスについての科学的知見も蓄積されて、取るべき対策も明らかになってきた、と児玉龍彦先生が説いてくださっている。(「コロナオーバーシュートに立ち向かう」デモクラシータイムス20210107) 以下、私なりに要点を箇条書きする。

新型コロナウィルスは変異しやすい。年に40箇所以上、感染者一人の体の中で4種類の変異が見られることも。
多種類の変異ウィルスの中で、増殖の速いウィルスが優勢となり感染を広げてゆく。

変異の系統樹で言えば、枝葉に当たる優勢な変異しやすいウィルスは、自壊もしやすい。

枝葉に惑わされず、幹を撃つことが重要。

幹に当たるウィルスが無症状者に増え続けると、根絶しにくくなる。
街の中の無症状者の 発見・隔離・治療 が主戦場!

先ず、エッセンシャルワーカーの希望者全員への大規模検査を!
検査は大学や民間企業と連動し、保健所や病院への過大な負担を避ける。

大規模な検査を拡げていけば、みんなが自分の問題と考えるようになり、助け合うようになる。


児玉龍彦先生、今回も大切なことを教えて下さって、有難うございます!
先生の問題提起と対策の提案が、一刻も早くこの国の政策に反映されますように!




蘇ってもらいたい 緒方貞子さん

2021-01-15 10:03:15 | 
緒方貞子(1927~2019)、この名前を時折ニュースで小耳にはさんで、素敵な人のようだ、とは思っていた。しかし、こんなにも素晴らしい人だったとは知らなかった。こんなにも凄い人だったとは知らなかった。


(岩波書店 2015年 第1刷)



国連難民高等弁務官として難民キャンプの現地を視察したり、防弾チョッキを着て内戦の地へ降り立つこともして、生命の危機に晒された人々への国際支援を精力的に先導した、その原動力は何だったのか?

まずは実態を知ることが重要です。それに合わせて必要なことを考える。制度や法よりも前に、まずは人間を大事にしないといけない。耐えられない状況に人間を放置しておくということに、どうして耐えられるのでしょうか。 そうした感覚をヒューマニズムと呼ぶならそれはそれで一向に構いません。でも、そんな大それたものではない、人間としての普通の感覚なのではないでしょうか。
 
見てしまったからには、何かをしないとならないでしょう? したくなるでしょう? 理屈ではないのです。自分に何ができるのか。できることに限りはあるけれど、できることから始めよう。そう思ってずっと対応を試みてきました。


理屈ではないこの心情があって、かつ深い学識に基づく理論を駆使した人だった。犬養毅を曽祖父とする才智と実行力の血筋にも恵まれた人だった。編者の言葉を借りれば、「人道主義と政治的リアリズムが共存あるいは融合するところに緒方氏の真骨頂がある。」

終章「日本のこれからのために」にも、貴重な示唆がある。

(編者)緒方さんの眼から見て、いまの日本の対外関係が抱える最も重要な課題とは何でしょうか。

(緒方)やはり中国だと思いますね。「中国とどう向き合うのか」。このことは、実は「日本が自分の国とどう向き合うか」ということと同じ問いではないかと思うのです。日本は近代以前から、中国と深い関係を持っていましたし、中国を通して世界を見てきました。中国の文明圏の中に日本もあったと言っていいのではないですか。

そうした日中の政治、経済、文化にまでわたる重層的な関係は、アメリカと日本との関係以上のものとも言えます。その中国との関係が日本の対外関係において最も気になることのひとつです。

(編者)領土問題や歴史問題をめぐって、日本と中国は緊張関係にありますが、どうしたらよいのでしょう。

(緒方)いたずらに緊張を煽るようなことを、指導者がしてはならないのはもちろんです。ナショナリズムというのは、一度過激になると、手が付けられなくなるものです。

一般民衆の間でナショナリズムが燃え盛ると、外交で処理するのが難しい時代になります。日本と中国は、いろいろ問題を抱えながらも、冷戦期ですら政府から少し距離を置く形で「日中友好」を掲げて一緒にやってきた経験があることを、もう一度よく振り返ることです。

たとえ両国関係が一時的に危機的な状況に陥ることがあったとしても、深い信頼に裏打ちされた人間関係の層が厚く存在していれば、心配する必要はないと思います。日本は中国と一緒にやっていけるとはっきり言うほうがいいのです。今の日本は中国に警戒心を持ちすぎなのではないかと思うときもあります。

いろいろ言い合うより「協働」の経験が大事なのです。


もし緒方貞子さんに蘇ってもらうことが出来るのであれば、今のこの国のリーダーになってもらって、メルケル首相にも匹敵するだろう指導力を発揮してもらいたいものだが・・・

遡る人生

2021-01-11 14:53:51 | 自分史
年明けの先日、押入の中の手が届きにくいところに仕舞っていた古い手紙や写真などを、思い立って整理した。

今となってはもう用がないものでも、未練?多々のものは廃棄出来ない。当時を思い出して心和むものもあったが、胸の底が深く沈み込むようなものも多い。整理を終えるのに日数を要した。

端正な字の一通の手紙が出てきた。私の心は一挙に30年ほど遡った。この手紙によって、当時の私の精神がどんなに救われたか・・・今更のように痛感する。それなのに今まで感謝の一言も伝えないままだ。

30年ほども無沙汰を続けておいて、今頃になって突然に御礼を言うなんて、非常識かも知れない。でもこのまま無沙汰を続けたままにするのは申し訳なさ過ぎる。感謝の気持を伝えるなら、まだ何とか元気が残っている今のうちだ。

手紙を書いた。投函するか否か、数日間迷った。思い切って、今日投函した。

この国

2021-01-08 10:59:03 | 社会
愚策のノコリカスみたいな緊急事態宣言、呆れかえって嗤いたくなるが、嗤って済まされないのだ。人の命の問題に直結しているのだ。

トラの蛮行に対しても、トップが何らの苦言も発しない、この国の劣化。

赤い月

2021-01-04 10:59:31 | 
音痴だし、音楽鑑賞が趣味だなんて冗談でも言えないし、流行りの歌にもあまり関心のない私が、何故、なかにし礼(1938~2020.12/24)の訃に胸を突かれたのか・・・ 直木賞とかの文学賞にもほとんど関心が無い私だが、今更ながら なかにし礼 を知りたくて、年末の図書館から「赤い月」(なかにし礼著 2001)を借りた。



たちまちこの本の世界へ引き込まれた。若い時ならいざ知らず、年老いてからはなかなか得られない感覚だ。
凄惨で魅惑的で、歴史と個人が格闘し、熱情と怜悧と悲哀が交錯する世界だ。

物語としては、あの「風と共に去りぬ」に匹敵する、と思った。その満州版だと思った。しかし文学としては「風~」をはるかに凌いでいると思った。

「赤い月」の主人公を一人挙げよ、と言われれば「波子」ということになるのだろうが、エレナも氷室も草太郎も、その他の多くの登場人物も、それぞれが主人公と思える生々しい存在感を示している。

全体を覆っているのは、国家の欺瞞と戦争の悲惨。全体に通底しているのは、人間の醜悪を超えんとする意思。


初詣

2021-01-02 20:16:51 | 野鳥
元日の昨日は、当庵から徒歩数分の小さな祠へ初詣。今日は、石岡市柿岡の高友丘陵にある佐志能神社へ詣でた。

痛い腰と痺れる脚、そして全体的に辛い身を引き摺るように杖で支えながら、のろのろと、でも懸命に歩いて、当庵から片道約40分を要した。空気は冷たいが、冬晴れの澄み切った青空は美しい。あたり一面枯野だが、日当たりの良い路傍には、ホトケノザやオオイヌフグリ、ボロギク、タンポポ、ナズナなどが少しずつ、いじけながらも咲いている。健脚ならば20分足らずだろうが、辿り着いたときは嬉しかった。

神様へ何かお願いごとをするわけでもないし、神様を信じているわけでもないが、最も大切であろう筈の何かに対して、2礼2拍1礼した。

仏教では無とか空とか言って、偶像崇拝とは無縁の筈なのに、お寺には金銀で飾り立てられた御本尊が祀られている。一方、神社の社殿の中は、鏡?があるぐらいで、まさにガランドウに近い。何かを祀るというよりも、その場を「囲む」ことに意味があるのだろう。

拝殿前の傍らに古い石仏が数体並んでいる。「寛政」という江戸時代の年号が刻まれている像もある。嬰児を抱いている女人仏もあった。深い悲しみに呆然としているような顔だ。抱いている嬰児は死産の嬰か、堕胎の嬰か、短命の嬰か・・・

今日1/2は、幼くして逝った娘の命日。今回は墓参を諦めた。新型コロナウィルス感染急拡大の現状で、公共交通機関を利用することに二の足を踏んだ。かといって愛車で長距離を駆るのはもう無理な齢だ。

例年の元日には、本田(ほんでん)のお社へ詣でていたが、これも今回は諦めた。この体で坂道が多い片道1時間以上を歩いて往復するのはもう無理だと判断した。今日の佐志能神社詣では、その代わり、という気持。

佐志能神社と隣り合せの丸山古墳は5世紀初頭に築造された前方後方墳(前方後円墳ではない)。この古墳と神社がある高友丘陵の大方は、カシやシイなどの常緑樹が多めの雑木林で覆われている。

雑木林の中の細道で、小鳥たちに出会った。数羽の小群で地面を突きながら採餌している様子だ。アオジよりも少し小柄でスマート。尾は長くも短くもなく、ミソサザイのように立ったりしてはいない。警戒心の強いアオジとは異なり、1メートル半ほどまで私が近付いても、さして驚かず、私の歩幅に合わせてピョンピョンと前方へ進み、採餌を続けている。昼とはいえ、やや薄暗い林床で、私の視力は弱い。小鳥たちの背側は黒っぽく見える。嘴のすぐ下,喉の辺りがほんの少し白く、その下が少し黄色っぽく見えるが、腹側全体は白っぽく見えた。ジッ ジッ  と地鳴き続けているが、時折 ヒヨ ヒヨ と澄んだ小声も聞こえる。他の種が混ざっているわけでもなさそう。

帰庵して野鳥図鑑で調べたが、この小鳥たちの正体が分からない。どなたか、教えてくださいませんか。