正月明けに県独自の緊急事態宣言が発令され、車で10分弱の公民館も再閉鎖された。この公民館の一隅の図書室で市立中央図書館や県立図書館等の蔵書を取り寄せてもらう楽しみを失った。
やむなく、小さな当庵内の小さな本棚の僅かな蔵書へ改めて目を注いだ。背表紙の懐かしい名前に目が止まった。
平井さち子さん(1925~)に初めてお会いしたのは30年ぐらい前のことだ。職場の俳句同好会の席だった。全国規模の大きな俳句結社でトップクラスの同人のさち子さんだが、こんな10人足らずの小さな句会にも笑顔で足を運んでご指導下さっていた。その有難みが、当時の私には十分には理解できていなかった。
本来はさち子先生、と呼ぶべきなのだが、あの分け隔てしないお人柄に甘えさせてもらって、さん付けを赦してもらうことにする。
『背中』は平成二年より平成十一年末までの三五二句を収めた。『鷹日和』につづく第四句集に当たる。 この間五十年近くを共に過した夫を見送り、いつの間にか既に十年の歳月を経ようとしている。 (『背中』花神社2000年初版 あとがき抜粋)
特に心に残る句を私なりに以下に引く。
ボート部の音なき力漕霞みけり
曼殊沙華孤立がゆゑの炎となれり
伐りつめし欅のトルソー鳥雲に
助走なく遺すものなく鴨帰る
囀の一樹至福にふくらめり
爽やかで鋭くて明るくて暗くて・・・多様で囚われない感性の世界、そして広く深い知性の裏付け。さち子さんの俳句とお人柄の魅力にあらためて心酔した。
句集名の「背中」とは亡夫の背中を指している。
昭和二十年七月十四日、海軍特務艦豊国丸、東北・北海道大空襲により津軽海峡大間岬沖に撃沈さる。生存者十二名。
後、大間岬に忠霊碑の建立をみしが、いまだ艦は戦死者一三五柱とともに海底に眠る。
かって亡夫は豊国丸の軍医長なりき。
被爆忌や水平帽に似し海月
秋嶺に佇つ背ナが好き今病めど
死へ赴(つ)くも新しきこと秋夕焼
ボロ市を抜け底なしの独りかな
連嶺に汝がザイル投げ逢ひたかり
逢へぬ日々おもかげ色に花びら餅
文学にしても死を度外視しては成り立たない。すぐ隣で息をひそめる死によって詩歌も小説もいよいよ照り輝くという残酷な仕掛けを備えている。(長谷川櫂)
さち子さん・・・ この大変な世相の中で、ご高齢の御身をどう過ごされているのだろう・・・
やむなく、小さな当庵内の小さな本棚の僅かな蔵書へ改めて目を注いだ。背表紙の懐かしい名前に目が止まった。
平井さち子さん(1925~)に初めてお会いしたのは30年ぐらい前のことだ。職場の俳句同好会の席だった。全国規模の大きな俳句結社でトップクラスの同人のさち子さんだが、こんな10人足らずの小さな句会にも笑顔で足を運んでご指導下さっていた。その有難みが、当時の私には十分には理解できていなかった。
本来はさち子先生、と呼ぶべきなのだが、あの分け隔てしないお人柄に甘えさせてもらって、さん付けを赦してもらうことにする。
『背中』は平成二年より平成十一年末までの三五二句を収めた。『鷹日和』につづく第四句集に当たる。 この間五十年近くを共に過した夫を見送り、いつの間にか既に十年の歳月を経ようとしている。 (『背中』花神社2000年初版 あとがき抜粋)
特に心に残る句を私なりに以下に引く。
ボート部の音なき力漕霞みけり
曼殊沙華孤立がゆゑの炎となれり
伐りつめし欅のトルソー鳥雲に
助走なく遺すものなく鴨帰る
囀の一樹至福にふくらめり
爽やかで鋭くて明るくて暗くて・・・多様で囚われない感性の世界、そして広く深い知性の裏付け。さち子さんの俳句とお人柄の魅力にあらためて心酔した。
句集名の「背中」とは亡夫の背中を指している。
昭和二十年七月十四日、海軍特務艦豊国丸、東北・北海道大空襲により津軽海峡大間岬沖に撃沈さる。生存者十二名。
後、大間岬に忠霊碑の建立をみしが、いまだ艦は戦死者一三五柱とともに海底に眠る。
かって亡夫は豊国丸の軍医長なりき。
被爆忌や水平帽に似し海月
秋嶺に佇つ背ナが好き今病めど
死へ赴(つ)くも新しきこと秋夕焼
ボロ市を抜け底なしの独りかな
連嶺に汝がザイル投げ逢ひたかり
逢へぬ日々おもかげ色に花びら餅
文学にしても死を度外視しては成り立たない。すぐ隣で息をひそめる死によって詩歌も小説もいよいよ照り輝くという残酷な仕掛けを備えている。(長谷川櫂)
さち子さん・・・ この大変な世相の中で、ご高齢の御身をどう過ごされているのだろう・・・