みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

中島義道著 「観念的生活」 その5

2017-09-29 13:15:46 | 哲学
~ 私はデカルトが現在形のコギトから出発したことに反対したい。 ~ 人間的自我は、むしろ「私は思惟した」ことをいま確認するところから導出されるのだから、「私は思惟した、よって私は存在する」あるいは「私は無であった、よって私は存在する」こそ哲学の第1原理と成るべきである。 (P.76)

確かに、コギトを過去形にすることによって、確認する主体と確認されるものとの関係性が明らかになるけれど、「思惟」は意識作用であって、「存在」と同義ではないから、「私は思惟した、よって私は存在する」という著者の言説を即座に了解することは出来ない。

逆説的だけれど、「私は無であった、よって私は存在する」の方に、私は着目する。

私は何を思惟していたのだろうか? 私ではない「他」を思惟していた。「私」について思惟していたときでさえ、その「私」は、思惟の主体である私ではない「他」だ。私とは、他者系の要に位置しているものだ。その要は、限りなくゼロに近付く。そこには、「他」から独立した何かは無い。


穭田

2017-09-27 13:48:29 | 八郷の自然と風景
犬の散歩道の風景も、日々移ろう季節です。

大きな田んぼの稲刈も、今はコンバインですから、あれよあれよと見る間に終わってしまいます。刈ると同時に、茎や葉などは細断して田んぼに戻し入れ、土の肥やしにします。昔ながらの稲架や藁束が並ぶ風景は、めったに見れなくなりました。

珍しく藁束を並べた田んぼがあって、その束の整然と並んだ風景が美しかったので、今日はその田んぼの写真も撮るつもりだったのですが、もう既に取り集められてしまっていました。今夜は雨が降る予報なので、十分に乾燥し終わった藁をまた濡らさないうちに・・と、作業を急がれたのでしょう。
収納された藁は、来夏の畑の草抑えや土の乾燥防止などに役立てられると思います。

稲刈が終わった田んぼが枯れ色になった、と思うまもなく、再び青田のような色に。刈株から出た2番手の稲たち・・穭(ひつじ)たちです。



8月が雨ばかりでしたので、お米の出来を心配していましたが、7月が暑かったためか、それほど悪くない、と聞いてホッとしています。

足元には、秋草たちが慎ましいながらも百花繚乱です。ツユクサ アキノメヒシバ アキノエノコログサ イヌタデ ヌカキビ ユウガギク etc.




中島義道著 「観念的生活」 その4

2017-09-26 14:26:44 | 哲学
私も、御多分にもれず権威に弱い、と思う。「我思う、ゆえに我あり。」という名言に初めて出会ったのは、中学生の頃だったか・・ そう言われてみれば確かにそうだ、私が存在していなかったら、私は「思う」ことは出来ないのだから・・と、納得させられていた。なにしろ、デカルト(1596~1650)という偉い天才が言ったことに対して、疑うということを知らなかった。あるようなないようなぼんやりした違和感は、放置したまま、気にもしていなかった。

「私は思惟する」という命題から「私は存在する」という命題に移行することは、ちっとも明晰かつ判明ではない。(P.36)

実は私が思惟するたびに(「私」が存在するのではなく)「私は思惟するという作用」が存在することを、明晰かつ判明に直覚するのだということがわかる。 ~ われわれは一人称意識存在しか手に入れておらず、いかにしてもその内から抜け出すことはできない。 (P.37)

中島義道に「権威」のレッテルは似合わないし、誰よりも中島義道自身が最も嫌がるだろう。しかし、中島義道に、上記のように言われてみると、確かにそうだ! もっとも、こうしたデカルト批判は、中島義道独自の論考ではなくて、カント等から引き継いだものかも知れないが。

それでは、「私」という存在と一人称意識存在との違いは何か? 哲学音痴の私は、「私」って、意識だけではなくて、身体があるじゃない! なーんて言いたくなるけれど、そうは問屋がおろさない。ちなみに、下記冒頭の「延長する実体」には、当然に身体も含まれるだろう。

延長する実体は、そう私が思惟する限りで存在するに過ぎず(デカルトの言葉を使えば、「表象的実在性」に留まる)、思惟の外にそれ自体として存在することを保証しはしない。 (P.41)

次の一文にはハッとさせられた。目からウロコだった。

「私がいる」という事実は「私がいない」という事実との関係で初めて登場してくるのであって、言い換えれば不在を確認する視点と確認された不在との関係が「私」なのである。 (P.76)








同窓会名簿

2017-09-24 08:35:34 | 自分史
高校の同窓会名簿が送られてきた。角張った校章が表紙に掲げられている。表紙裏には漢文調の校歌。同窓会には御無沙汰しっ放しの私だけれど、さすがに、こそばゆいような懐かしさを覚える。

ページを捲ると、左ページには当時の1組のメンバーの現況名簿。右ページの上段には、卒業アルバムに掲載されていた、1組の集合写真。下段には、昨秋開催の古希同窓会(出席率は4分の1~3分の1ぐらい)で撮影された、同じ1組のメンバー。以下、8組まで続く。



高校3年生と古希とを対比させた構成は、編集して下さった幹事の皆様の粋な計らいだと思いつつも、上段と下段とのあまりの落差に、愕然とする。

現住所欄の所々が空欄になっていて、「逝去」の記し。古希ともなれば、何ら不思議ではない筈だけれど、心の波が震える。「逝去」は、男性の割合が、女性よりずっと高い。男女の平均寿命が違うとはいえ、差があり過ぎる。その理由は分からない。

高校生の頃の私は、男子生徒と話を交わすことさえ、めったになかった。いわゆる「ウブ」だったのだろう。異性の前では緊張して、顔もまともに見れなかった。その上、近眼なのにメガネを掛けなかったから、よく見えない。という訳で、私が顔を覚えることができた男子生徒は、ごく少数だ。

その少数のうちの一人の欄に「逝去」の記しを見つけたときは、胸を射抜かれたようだった。特に交際していた訳でもない、片恋の対象でさえなかったのだけれど、独特の個性を湛えた表情が想い出されてならない。





中島義道著 「観念的生活」 その4

2017-09-21 10:48:42 | 哲学
われわれが言葉を学ぶとは、観念を学ぶことなのだ。観念を観念以前のXより実在的なものとして学ぶことなのだ。 ~ つまり、言葉というニセモノが交換されている象徴界に生きることである。(P.17)

そしてこのニセモノが、まさに言葉に尽くせないほど有用なのだから、ややこしい。

われわれが言語という唯一の手段をもって思考する限り、感じるままに思考することなどできない。思考するとは、世界を言語によって再現することではなく、世界を言語によってまったく新しく構成することなのだ。 (P.162)

俳句も詩も、対象を写実しようとすればするほど、新たに構成することなのだ。

中島義道著 「観念的生活」 その3

2017-09-18 09:53:56 | 哲学
台風18号の進路は離れていたけれど、昨夜は雨風の音で眠りを妨げられた。菜園の野菜たちも被害を受けた。大豆や小豆やモロヘイヤが倒れ、発芽してまもない大根の葉茎も痛んでいる。苦瓜の支柱が折れたのも、諦めるしかない。

台風一過で、抜けるように青い空が広がっている。

 白い雲が頭上高いところを流れていく。空は抜けるように青い。私が死んでも世界はこのまま「ある」であろう。だが、なぜ私はそのことを知っているのか。なぜ、私が死んだ瞬間に世界も無に帰するということを信じないのか。 (P.226)

素直に誠実に語られている一節に、私も素直に共感したい。

菖蒲沢の薬師堂

2017-09-12 22:00:28 | 俳句
俳句の会で、菖蒲沢へ行きました。背腰脚は相変わらず痛いし、朝から気分がすぐれず、空模様も雨が降ったり止んだり。昼頃には前線が通過するため雨が強くなるかも・・という天気予報でしたので、不安もありました。それでも仲間と一緒に集まれば、お喋りが弾んで、心も弾んできました。

菖蒲沢の集落の入口で乗合タクシーを降りて、集落内の道に入りました。狭く曲がりくねった上り坂で、斜面に張り付く家々の佇まいに歴史の深みを感じます。振り返って見おろすと、集落の南側は広々とした熟れ田、すでに刈田も混じっています。家々の周りや畦のあちこちに、彼岸花が慎ましい炎のように咲いています。
  
          知らぬ地を親しき地とし彼岸花

小さな集落を抜けると、鬱蒼とした山路です。「筑波四面薬師」の一つの薬師堂まで約600メートル。数年前に地元の人々がボランティアで「薬師古道」として整備してくださっており、大した距離ではない筈ですが、猪に荒らされた跡もある山路を上るのは、高齢者には楽ではありません。仲間の一部は集落付近に留まって吟行。私は少し迷いましたが、頑張って上ることにしました。

心配していた雨は弱くて、樹林の中の山路では気になるほどではありません。持参の傘は専ら杖として使うことが出来ました。上る足元や左右には、様々な茸や野草が息づいていました。虫たちが鳴き、蛙が鳴き、ツクツクボウシが鳴き、遠くで鵙が鳴いていました。山の斜面には、苔むした大きな岩も幾つか目立ちます。注連縄が掛けられ、祠の形が刻まれ、「不動尊」として祀られている岩もありました。

幾たびも立ち止まっては、息を整え、仲間と励まし合ってはまた上り、40分余りで、ついに薬師堂に着きました。日頃は5~6歩ゆくのにも、ため息が出そうなほど辛いのに、吾ながらよく歩いたものです。これも薬師様の御利益か、はたまた俳句のおかげと言うべきか。

この薬師さまの表情は本当に心を打ちます。17世紀のものらしいです。両側を守る仁王さまも凄いです。

          潰れ眼で睨む仁王の冷まじく

薬師堂の手前は、大きな摺鉢状の窪地になっており、上り下りの苔むした石段も見事です。窪地の一角には、湧き水を湛えた「弁天池」があります。

          古池の水輪ふれ合ひ秋時雨

更に手前の山路には、石灯籠が立っていて、この灯篭の窓?を通して薬師様が覗ける、とのことです。実際には、この位置からは、堂内に安置された像を見ることは出来ませんが、方角としては正しいようですね。






「観念的生活」 その2

2017-09-10 13:10:32 | 哲学
二〇〇六年十月×日
 日本国中、北朝鮮の核実験強行で尻に火が点いたような慌て方であるが、どんなに思考を巡らしても、このすべては私にはどうでもいいことである。といって、無関心なわけでもなく、険しい顔で駆けずり回っている中高年の男たちの生態をつぶさに観察して、自分が属する集団を破滅から守ろうとするのは、霊長類の習性に行き着くのではないかと思った。ということは、もしかしたら私は霊長類ではないのかも知れない。それにしても、皆大変だ、大変だと叫びながら、その顔は活き活きしている。眉を顰めながらも眼は輝いている。
(P.82)

著者の中島義道は、もちろん霊長類だ。ただ、偽善者ではなく、偽悪者なのだろう。

二〇一七年の今、この国のトップに位置する男の甲高い声には、日頃から疎ましく思っているけれど、最近の北朝鮮のミサイル発射や核実験を、この男が云々するとき、とりわけ嬉々とした声を弾ませている。聞かされる私は、吐き気と頭痛を覚える。

「観念的生活」 その1

2017-09-10 12:50:01 | 哲学
中島義道(1946~)著、20007年11月。市立図書館本館の蔵書を公民館に取り寄せてもらって読んでいる。



ずいぶん変わった本だ。各章のタイトルは(1章と最終の15章は別として)、2章「物自体」、3章「独我論」、4章「『時の流れ』という錯覚」、5章「不在としての私」、6章「過去と他者の超越」、7章「二重の『いま』」、8章「超越論的観念論」、9章「原因としての意志」、10章「想起モデル」、11章「悪への自由」、12章「共通感覚」、13章「懐疑論」、14章「ニヒリズム」・・・と並んでいるから、これはもう真面目な哲学書としか見えない。

しかしページを開いてみると、「2006年3月×日」から始まる日記の体裁だ。著者の私生活の断片が記されているが、その破天荒な生活がノンフィクションなのか、フィクションなのかは、私には分からない。著者自身は「あとがき」で、「日記風小説」とも言っている。各章のタイトルに相応しい哲学論考の部分も、私生活における思考の内容として書かれている。

変わりもので有名な?著者らしい、変わった本なのだけれど、これが滅法面白い。全239ページだから、私が日常読む本としては分厚い方だし、衰えた視力と気力と知力にとって、正直なところしんどいところもあるのだけれど、それでも何だか愉快な気分で読める本。中島義道を、親しく感じられる本。

意外だったのは、頑固で偏屈で如何にも感受性に乏しそうに見える?中島義道が、繊細で美しいとさえ言える情景描写をやってみせていることだ。

この時期(7月)のウィーンは、晴れると透明な空気に光がきらきら舞う、感受性の絶対的マイノリティである私がどう頑張ってみても、じつに「いい」天気だ。(P.35)