みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

石垣りん

2019-06-27 11:01:10 | 芸術
俳句は別として、「詩」を読みたいと思うことはめったにない私だから、「石垣りん」という名前に既視感はあっても、その人と詩には無関心だった。ところが先日、たまたま出会った「この世のなかにある」という詩によって、石垣りん(1920~2004)という存在が、私の目の前に迫ってきた。

        この世のなかにある、たった一つの結び目
        あの地平線のはての
        あの光の
        たったひとつのむすびめ
        あれを解きに 
        私は生まれてきました
        私は地平線に向かって急いでおります
        誰が知っていましょう
        百万人の人が気付かぬちょっとした暇に
        私はきっとなしとげるのです
        -まるで星が飛ぶようにー
        「さよなら人間」
        私はそこから舞い出る一片の蝶
        かろやかな雲、さてはあふれてやまぬ泉
        ふく風
        ああそこから海が、山が、空が
        はてしなくひらけ
        またしてもあの地平線
        ゆけども、ゆけども、ゆけどもー。


青葉の山路

2019-06-22 13:46:51 | 暮らし


当庵へのアクセス路も、濃く深い青葉に包まれる季節になった。公道だが、市は舗装の材料費を提供するだけで、工事は村の人々が4年がかりで作業して下さり、2年前に完了した。

都会から引っ越してきたばかりの頃は、土のままの山路を嬉しく思っていた。しかし、雨が降ればぬかるみになるし、夏になれば篠竹や草木が道の端から真ん中まで茂ってくる。

愛車が不可欠の暮しにあって、舗装の有難みを噛みしめている。最近は足腰の衰えが顕著で、場合によっては車椅子生活になる可能性もある。舗装路であれば、車椅子での散歩もしやすいだろう。自分の価値観がずいぶん変わったと思う。

この舗装は当庵までで終わっている。当庵より先も公道だけれど未舗装だ。でも私は犬の散歩道として重宝しているので、幅1尺余りの通り道を確保すべく、篠竹や夏草を小鎌で刈る。足腰が辛いので、ほんの少しずつだ。



辛い修行のような草刈りだけれど、自然の中で曲がりなりにも体を動かせているのだから幸せだとも思う。今朝は三光鳥がよく鳴いていた。いつもは ホイホイホイ と3回ずつなのに、ホイホイホイホイホイ と5回ずつ鳴いていた。三光鳥もご機嫌がいいらしい。




梅雨寒の中で

2019-06-12 22:01:58 | 俳句
俳句の会で柏原池公園へ行きました。お目当ての睡蓮の花は、三分咲きぐらいだったでしょうか。



雨粒は落ちてこないものの、雲の隙間からの日差しにも恵まれず、風は冷たくて、皆「寒い、寒い」と言い合いました。それでも句材を求めて池の端を回ったり、池の中の鯉や亀たちの様子を覗き込んだまま苦吟?を続けたり。

          水底に空を沈めて睡蓮花



池の横には、よく刈り込まれた丘状の広場があり、足元をよく見ると捩花が立ちならんでいるところがありました。今季初めて見る捩花です。元来、丈が短い捩花ですが、ここのは特に短い。律儀に刈られているためか、土壌の栄養分が乏しいためか。

          捩花の密かな陣や国府跡

(柏原池公園は石岡地区に位置しています。石岡はかっての常陸の國の国府でした。) 

広場の向こうには葦原があり、葭切が ギョギョシ ギョギョシ と元気な声を上げていました。その声に老身を励まされる思いでした。

池の反対側の森からは ホイ ホイ ホイ と、三光鳥の声も。梅雨寒の中、生きものたちは皆、懸命に生きています。      

ゴマダラチョウ

2019-06-05 22:05:43 | 八郷の自然と風景
朝、発熱は無いものの、風邪でだるい体を持て余しつつ、犬の散歩や菜園での一仕事を終えて腰を伸ばしたら、10m余り向こうの草むらの上を飛んでいく蝶がいた。今まで見た覚えがない種類のようだ。

全体的に白っぽいが、モンシロチョウやスジグロシロチョウよりずっと大きい。アゲハチョウぐらいの大きさだ。翅の動きがゆったりしているので、黒い筋模様がよく見えた。翅の先は、アゲハチョウのように鋭角ではなくて丸っこい感じだ。

全体の印象は清楚。手元の図鑑やネット情報で調べた結果、「ゴマダラチョウ(胡麻斑蝶)」と分かった。夏型は地色が黒っぽくて、白っぽいのは春型らしい。

幼虫がエノキの葉を食べる点は、オオムラサキと同じ。成虫はクヌギなどの樹液を摂取する、という。

ゴマダラチョウのおかげで、風邪の憂鬱を暫し忘れることが出来ました。蝶が飛んでいる風景を見ると、人はなぜ嬉しくなるのでしょうね?