みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

手作りマスク&春

2020-02-29 09:49:39 | 暮らし
マスクが買えない事態になっている。当庵のマスクの在庫も残り少なくなってきた。

私は日頃からマスクを愛用している。理由は二つ。

第一の理由。老化等のため睡眠時の口内乾燥が酷い。口内乾燥は不快であるばかりでなく、口内の細菌・ウィルスが増殖しやすくなる。そこで、就寝時は(特に寒くて乾燥した季節は)マスクをして就寝している。マスクは、口内乾燥の防止に非常に有効だ。

第二の理由。アレルギー性鼻炎のため、厳冬期以外は薬が手放せない。花粉が飛ぶ季節は服薬しても症状が酷い日が多く、マスクは必需品だ。

その上、新型コロナウィルスの感染拡大の脅威に直面している。マスクはウィルス感染の予防には役立たないと言われるが、クシャミなどの飛沫は防げるし、自分が感染している場合に人へ移しにくくしてくれる。

マスクが買えないなら、自分で作ればいいではないか!

警視庁の災害対策課が、臨時的に代用できる手作りマスクを3年ほど前にアップしていたことを、ラジオ番組で知った。

材料は、キッチンペーパーと輪ゴム、そしてホッチキスを用意すればよい。


この警視庁タイプを私が手作りしたマスクが下の写真です。


なかなかのアイデアで有難く思ったけれど、着用してみると・・・ふくらみが強過ぎて、よほどの鼻高かつ小顔でなければ顔面になじみにくい。鼻ぺちゃの私にはイマイチだったので、少し改良(というほどおおげさではないが)を工夫してみた。


まずキッチンペーパーを蛇腹折りにする際、警視庁タイプでは全面を蛇腹にするけれども、私タイプは上写真のように中央部のみ(私の独創?はここだけ)を折る。

     
蛇腹部分の両端に輪ゴムをホッチキス止めする。


蛇腹部分を緩く広げる。これで一応出来上がり、なのだけれど・・・

     
上辺(着用するとき上側にする方)を、内側に1~2回少し折り曲げると、フィット感が良くなります。

今朝、この手作りマスクを着用して犬の散歩に出かけたら、近くの林から ホー ケキョケキョ 鶯の初音です!
裏庭のクリスマスローズは早や花盛り。小っちゃなウグイスカグラの花も咲き始めました。
     

葬送墓制の変容

2020-02-18 13:49:37 | 生死
先年、私は当地の山寺に散骨葬を予約した。
死期を自覚したからではない。自分の死を受容できたからでもない。

自骨が土へ直接に撒かれるというイメージは悪くはないが、是非ともそうでなければ困るというほどでもない。
私の場合、家族関係がやや複雑なので(しかし、複雑でない家族関係の人がどれだけいるだろうか?)、後に遺された関係者が気を煩わせることの少ない方が私自身にとっても、生きている今、気を安んじられるからだ。

『あんじゃり』(編集・発行:親鸞仏教センター)第38号に、山田慎也(国立歴史民俗博物館教授)氏が「社会に適合した葬送墓制の構築へ」と題した一文を寄せている。


1990年代以降の葬送墓制の変容は、まず墓制から生じており、継承の必要のない合葬式共同墓や散骨、樹木葬などの新たな葬法が登場した。さらに墓じまいという言葉も生まれ、墓の承継者がいない人だけでなく、いる人でも子孫に負担をかけたくないということで、墓を廃止する人が出てきている。

つまり祖先との繋がりを絶ち、子孫との関係性も切れていくことから、いうなれば通時的紐帯の断絶であり、縦の個人化ということができよう。

また葬制も、家族葬や一日葬、直葬といった葬儀の小規模化、簡略化が進んでいった。
このような同時代の人々との関係の切断や消滅は、共時的紐帯の断絶であり、横の個人化ということができる。


人々の意識において、縦方向と横方向の両方において個人化が進んでいるが、にも拘わらず、戦後の日本社会は・・・

社会構造の歪みを抱えながらも、従来の家的葬儀と墓を継続してきたのである。

1980年代までは、その歪みを人々があまり意識せずに済んだのは、地域共同体に代わって職場など会社共同体がそれを補完し、経済的に成長していたため実務は葬儀産業に依存し、また近隣寺院や霊園で新規に墓地を購入することができたからであり、戦後の成長の中で家的葬儀が当たり前のものとして肥大化していったからである。

しかし、1990年代になるとその歪みがさらに増大して顕在化し、また経済的にも停滞してくると、従来の葬送墓制が負担となって現在のような状況を迎えることとなった。

確かに、新聞・テレビ・ラジオでも、身の回りの世間話でも、家族葬や樹木葬や散骨、そして墓じまいなどが普通に語られるようになった昨今だ。

さて、人は死後、死への対処を自らが行うことはできない。よって他者の存在は不可欠なのである。そもそも自己の死を認識することができたのも、他者の死を通して概念化されたものであり、高度なコミュニケーションと抽象的思考をもっていたゆえのことである。つまり、死を社会として受け止めてゆくことは人間ゆえに行われてきたことであり、非常時は別としてあらゆる時代、また、あらゆる文化において一定の葬送墓制が形成されてきたのも、このような背景があったからである。

自己の死をおろそかにすることは他者の死をおろそかにすることにつながり、他者の死をおろそかにすることは自己の死をおろそかにすることにつながるだろう。そして死をおろそかにすることは生をおろそかにすることにつながるだろう。

社会の一員として生きてきた人が尊厳をもって死を迎え、それを関わりをもった人によって送り出され、追悼されていく仕組みを、現在の社会に適合したかたちで構築していく時期に来ていると考えられる。

と著者は言うが、はたしてどのような葬送墓制の構築が考えられ得るのだろうか?





漱石の『こころ』

2020-02-02 13:36:02 | 
長谷川櫂が、岩波書店の「図書」2月号に再び夏目漱石について述べている。



やはり俳人らしく?簡潔にして要旨明快だ。明快過ぎて、返って「これでいいんだろうか・・・」と不安になるぐらいだ。以下、一部抜粋する。

人間の根源にあって人間を衝き動かす二つの欲望、お金と性こそが文学の永遠のテーマなのだ。
この文学の基本的な性格がぴたりとあてはまるのが夏目漱石の『こころ』(大正3年、1914年)なのである。

お金の争いで敗れて深刻な人間不信に陥ってしまった先生は、恋の争いでは勝ったものの生涯、自己不信に苦しめられることになった。

漱石の小説にはしばしば「高等遊民」が登場する。仕事をせず、親の財産で遊んで暮らすインテリのことである。

『こころ』の先生もまた高等遊民である。

明治の国家主義は天皇から庶民まで国家の役に立つ「有為の人」となることを求めた。そこからみれば職業をもたず国の役に立とうとは思わない、むしろ職業を軽蔑する代助(漱石著『それから』の登場人物)や先生のような高等遊民は反国家主義的な存在である。

立派な大人ではあるが、親の経済的支援を受けているから自立した人間でもなく永続もしない。しかし国家のためではなく自分のために生きる、新しい生き方にもっとも近いところにいたのが高等遊民ではなかったか。
 
ところが自由の光に目のくらんだ動物が檻へ後退りするように先生は明治の国家主義へ逆戻りしてしまうのである。

   すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。其時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。
   
   私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死する積りだと答へました。



自分の生と死は自分の責任で完結させる。それが高等遊民というものだろう。それなのに、なぜ明治の精神に殉じるのか。自分で自分を支えるという孤独な営みに耐えきれなかったのか、明治の国家主義の亡霊にひれ伏す先生の最期は、やがて訪れる国粋主義時代の大衆の姿を予見しているかのようである。

ずいぶんと分かりやすい解説だ。正直なところ「目からウロコ」が落ちたかと思わせられる。しかしまたあまりにも分かりやす過ぎて、それでいいの?と反問したくなる。文学も歴史も、もっともっと複雑で混沌としていて、その解説は少なくとも重層的、多面的でなければならないのではないか。長谷川櫂の解説では「深層」どころか「表層」ではなかろうか、と疑ってしまう。もっとも、「表層」を暴いただけでも手柄ではあるとも思う。