みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

生きる「よすが」

2018-08-27 09:52:25 | 俳句
当地の俳句の会も、御多分に漏れず高齢化、否、超高齢化が進んでいる。平均年齢は80歳ぐらい。60歳台で若手?だ。90歳を超えてなお元気に吟行し作句を楽しむ人が何人もいる。苦難の時代を乗り越えてきた人々は、元来丈夫だったのか、身体も心も鍛えられてきたからか。好きな俳句のおかげで、精神が活性化しているからか、とも思う。

それでも命あるものの必然で、加齢とともに心身は衰えてゆく。句会の欠席が続いている・・と思っていたら訃報が届いたり。死は誰しも避けられないものとはいえ、共に俳句を楽しんできた年月を振り返り、悄然となってしまう。

会の最長老は90歳台後半になる。最近まで矍鑠として吟行にも参加されていた。杖1本を携えて、若手よりも行動力があった。皺は刻まれているが顔立ちは端正で、鼻梁が高く太い。俳句の内容も威風堂々としていて、全てが古武士のようだ。その人が衰えてきた。

頑強だった足腰が衰えて、外歩きが難しくなった。もう句会には参加できないという。それでも俳句は続けたいという。だから投句だけはしたいし、俳友も失いたくない、という。句会報を見れば、あのひと、このひとの様子が分かる、それが楽しみだから、という。

俳句が、まさに生きる「よすが」になっている。

投句をしたいが、郵便ポストまで歩いてゆくことが出来ないという。(最長老に、今さらパソコンやスマホでのメールを勧めることは出来ない。) 若手?の仲間が運び役として手を挙げてくださった。

黄金の秋

2018-08-19 20:09:22 | 田んぼ
息もたえだえになった猛暑も、ようやく収まり始めた。村の田んぼはみるみる黄金色に染まっていく。揚水機場のポンプの運転は休みの日が増えて、今週は今日と水、金の3日間だけ。送水バルブを止めている田んぼも多い。収穫のときに田土がぬかるんでいると、重機(コンバイン)が入っていけないからだ。



早苗田も青田も、そして黄金田も、田んぼの風景は本当に美しいと思う。もしかしたら、村の人々は風景を美しくするために田んぼの仕事をしてらっしゃるのではないか、と思いそうになる。

燕たちの秋は早い。もうみんな南の国へ旅立ったらしく、田んぼの空を切るように飛び交っていた姿も見られなくなった。夜になると、虫の声が賑やかになってきた。私は脊柱管狭窄症等で歩くのも辛くなってきたけれど、この夏を乗り切れたようだ。有難いような、不思議なような。

究極の退廃

2018-08-09 09:37:49 | 社会
先月、オウム全死刑囚の死刑が執行された。これについて、辺見庸(1944~)が今日の東京新聞紙上で持論を述べている。死刑執行に関する私自身の思いを代弁してくれる言説に初めて出会った感があるので、以下(黄色字部分)に抜粋引用しておく。



報道は実に無機質に「死刑が執行された」とのみいう。処刑の実行主体がだれであり、死刑囚がどのように死にいたらしめられ、そのときどんな声と音とにおいが生じたか。刑場の空気はどう変わったか、苦悶のはてに何分で絶命したか・・・伝えはしない。

しかし、刑務官は知っている。死刑執行とは、ノーバディではなく、特定の生きた人間身体が、同じく生きた人間身体を、どんなにはげしい抵抗をも実力で制圧して、絞縄を首にかけ、重力を利用して刑場の階下の宙に落下させ、頚骨を砕き、縊死せしめること。すなわち、他者身体にたいする自己身体による堪え難いほどに具象的な殺人行為であることを・・・

そのような行為を、わたしたちはそれぞれの実存を賭して、わが手を汚してやっているのではない。刑務官にやらせているのである。われわれはもっと狼狽し、傷つき、苦悩すべきなのだ。

七月六日の第一回大量処刑の前夜、首相や法相、防衛相らが「赤坂自民亭」と称して衆議院議員宿舎内でにぎやかな宴会を開いていた。法相はすでに死刑執行命令書に署名しており、翌朝には死刑が執行されることを知っていながら、万歳三唱の音頭とりをしたとも伝えられている。

豪雨被害がでているのになにごとか。非難の声があがった。当然である。わたしはさらに、翌朝に七人の処刑をひかえながら笑いさんざめく大臣たちの心性がわからない。というより、おさえてもおさえても、軽蔑の念が去らない。

人はここまで荒むことができるものか。

(オウム真理教の)「ポア」の思想は、国家による死刑のそれと劃然とことなるようでいて、非人間性においてかさなるところがある。上からの指示の忠実な実行、組織妄信、個人の摩滅、指導者崇拝という点でも、オウムは脱俗ではなく、むしろ世俗的だったのであり、われわれの”分身”であったともいえる。


マインドコントロールされている点でも、私たちはオウム真理教の信徒と同類だ。

被害者感情と死刑制度は、ひとつの風景にすんなりおさまるようにみえて、そのじつ異次元の問題である。前者の魂は、後者の殺人によって本質的に救われはしない。私は死刑制度に反対である。それは究極の退廃だからだ。

真夏の花

2018-08-02 09:32:42 | 八郷の自然と風景
夏ズイセンという花を知ったのは、当地に移住してから。農家の人々は田んぼで稲を育て、畑で麦や野菜や果樹を育てているけれど、花々も熱心に育てている。もちろん出荷のために栽培している人もいるが、多くは自分や周りの人々が鑑賞し楽しむために。

少し前から開花しているヒマワリやノウゼンカズラは、まさに夏の花の代表格だろうけれど、今頃になると既に咲き疲れしてきたりする。

近所の人から夏ズイセンの球根を分けてもらって、当庭のヤマボウシの傍らに植えてから10年近くなるだろうか。春から茂っていた葉がすっかり枯れて、その存在さえ忘れてしまう今頃になって、突然、花茎が伸びて幾日も経たないうちに開花する。

       

この酷く蒸し暑い真夏に開花しているのが不思議な感じがするほど清楚な雰囲気を湛えている花だ。同じく真夏に開花するサルスベリの花も、よく見ると繊細なレースのようだ。