みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

紫蘇ジュース

2014-07-28 14:29:41 | 

Dscn0765_2 梅雨明け後の猛暑を受けて、あちらの田んぼもこちらの田んぼも穂が出てきました。早稲の田は早くも穂を垂れ始めています。

当菜園の紫蘇も勢いが増して生長したので、恒例の紫蘇ジュースを作りました。

Dscn0774 作り方は畏友からの伝授。材料は、紫蘇の葉300g に対して砂糖1㎏・リンゴ酢500㏄・水1800㏄。

①先ず、晴れた昼間に菜園の赤紫蘇を株ごと引き抜き、日陰で葉を摘みます。虫害などで傷んでいる葉は除きます。
②積んだ葉をビニール袋に詰めて、計量します。雨や夜露で濡れている葉は計量に適しません。葉は埃を被っているので、洗ってからよく乾して後に測るという方がいますが、手間の掛け過ぎでしょう。
③計量後に葉をよく洗って、埃などを洗い流します。
④大鍋に紫蘇の葉と砂糖と水を入れ、強火に掛けます。沸騰したら弱火にして20分位ことこと煮ます。
⑤火を切ると同時にリンゴ酢をドドドッと入れます。リンゴ酢ではなくてクエン酸を使う方が多いようですが、リンゴ酢の方が香りがいいような気がします。
⑥大鍋に出来上がった紫蘇ジュースの元を、濾したら完成。私は、空瓶等にジョウゴを乗せ、そのジョウゴにガーゼを掛けて、お玉で一杯ずつ注ぎます。
⑦大鍋底に残った紫蘇の葉は、まだ沢山のジュースを含んでいるので、一握りずつ絞って利用します。まだ高熱を孕んでいると火傷の危険があるのでご注意ください。
⑧粗熱が取れたら、冷蔵保存します。
⑨好みに合わせて3~5倍くらいに薄めて供します。夏は冷やして夏バテ快復の一助に。冬は温めても美味しいです。

不器用で料理が大苦手の私ですが、この紫蘇ジュースは簡単に作れて、透明なワインカラーが見た目も綺麗で、お裾分けすると喜ばれます。

砂糖は、上記の分量ではやや多めかも知れません。私は1割引きぐらいで作っています。

赤紫蘇を使うのが一般的ですが、青紫蘇でも作れますし、香りは青紫蘇の方が上、という評価もあります。ただ色が淋しいので、赤紫蘇を混ぜて作るという方法もお勧めです。


穂を孕む頃

2014-07-23 13:48:55 | 八郷の自然と風景

長雨にウンザリしていたが、梅雨が明けたら今度はムッとするような猛暑。日中の屋外作業は、老痩躯の私には危険な季節だ。

朝4時過ぎに起きる頃、ヒグラシが鳴きだす。着替えたり板戸を開けたりしている内に、明るさが広がってくる。

ホトトギスやホオジロ等々、野鳥たちの歌声を聞きながら飼犬のユキと散歩する頃には、すっかり明るくなって、ヒグラシの声は鎮まる。今朝はオオタカとサシバも鳴いていた。

鶏舎にも お早う! と声を掛けて給餌。気温はまだ22~3度だろうか。野良仕事はこの時間帯と夕方しか私には出来ない。

菜園の苺の株分けと植え付けを先日無事に終えたので、残った古株を片付けた。しっかり根を張った株の片付けは、それなりに一苦労だけれど、終わってさっぱりした跡を見ると気持がいい。小豆と人参の発芽を確認し、胡瓜とツルムラサキを少々収穫。

庵前の草取りもしたら6時半を過ぎた。愛車を駆って田んぼ用水ポンプ機場へ。途中あちこちで人影が動いている。畔の草刈り等に精出しているのだ。

Dscn0761 ポンプ運転操作をし、大きな唸り声を上げてポンプが動きだし、周りの田んぼへ送水を開始したのを確認すると、何だか嬉しくなる。田んぼは出穂期だ。これから1ヶ月近く、田んぼが一番水が必要な時期だ。

Dscn0757 鮮やかな青田だった田んぼが、穂を孕むようになると、その色が少し変わってくる。穏やかな色になってきたような気がする。母の色になるのだ。稲に近付いて見ると、茎の外皮を突き破るように穂が覗き出している株を見つけた。

機場を囲うフェンスに蔓を絡ませてヒルガオが咲いていた。退治するには厄介な草だけれど、園芸種の花にはない清らかな美しさに見入ってしまう。

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中島義道著「生き生きした過去~大森荘蔵の時間論、その批判的解読~」

2014-07-18 19:36:45 | 哲学

本書の構成は以下の通りです。

   まえがき

 1 立ち現われ一元論

 2 過去がじかに立ち現われる

 3 過去透視・脳透視

 4 「思い」の立ち現われ

 5 過去の制作

 6 生と死

   あとがき

 それなりの期待感をもって開いた本なのに、読み始めてまもなくから、何だかつまらないなぁ・・となった。(自分の理解力不足を棚に上げて!) 大森荘蔵って、竹を割るようにスッキリ明快な論理の人と思っていたのに、立ち現われ だなんて曖昧な語を鬼の首でも取ったかのように振り回していたのか・・ そういう考え方(?)を選んだのは貴方(大森)の勝手でしょ・・と言いたくなるほどに。

中島義道は、少なくともこの本では平易な言葉遣いを守っているけれど、揺れたり、捻じれたり、先走ったり、逆行したりする文脈を追っていると、イライラし、ウンザリしてくる。

それでも何故か、どんどん読み進んでいった。靄の向こうから私を引き込む深淵のようなものが感じられたからだろうか。

事態が急展開したのは「5 過去の制作」。倦んでいた私の姿勢が正された。こういう経緯だったのか・・大森荘蔵の哲学は。

~「過去の制作」後の一連の論文(その思索の集大成『時間と自我』が1992年に刊行されます)によって、大森哲学は大転回を遂げます。~過去の出来事は「実在的過去から立ち現れる」というのではなく、「<いま・ここ>で言語的に制作される」という転回です。

不勉強な私は、大森荘蔵の著書としては「時間と自我」(2013.2.12記事)しか読んでいないのだ。お恥ずかしい限り。

まず「私]がすでに成立していて、それが世界を制作するのではなく、が~世界を制作すると同時に、(いわば反対側に)自分自身を「私」として制作するのです。

「6 生と死」で、大森荘蔵という師に対する著者の、切々たる情愛が一挙に膨らみ、爆ぜんばかりに感じられました。

実在的過去が崩れること、それは、先生にとって~この宇宙がまったく「空無」になることであり、まさにそこに見えてきたのは「奈落」以外の何ものでもないのです。

~たとえ生きるために「程々の実在論」にすがらざるをえないとしても、その底には「空無の実在論」がぽっかり穴をあけていること、先生はこのことを恐ろしいほど実感していたのではないか、と思われます。

~「立ち現われ一元論」とは、世界を自分の「うち」に呑み込んでしまう試みなのではなく、逆に、「自分を世界へ解放してしまう」試みなのです。~しかし、こうした試みが完成したかと思われた瞬間に、先生は足元をすくわれる。~過去は、もしかしたら空無なのではないか? いや、この~現在すら、もしかしたら空無なのではないか?

ツマラナイと思い、ウンザリしていた 立ち現われ が、私にとって懐かしいもののように思えてきました。

~先生は~空無に身をゆだね、「まったく新しい哲学的言語を作成する」道が開かれていることを知りながら、その道を歩むことを断固として拒んだようなところがある。~俗衆とともに(?)、最後まで苦しみ抜こうとする覚悟のようなものがある。その意味で先生は~殉教者であろうとした。

南木佳士の書評(6/8東京新聞)は魅力的だったけれど、・・心情を表に出さぬ著者の姿勢 云々のくだりは当たらない。抑え切れるものではなかっただろう。

しかし・・空無の「奈落」を突き抜けて「向こう側」に至る道をたどること が、哲学によって果たして可能でしょうか? 中島義道は、自らがその道をたどるのだ・・と言いたいのでしょうか? 人は、宗教に拠らずに救われることが可能なのでしょうか?


泰寧寺の夏日陰

2014-07-15 21:19:00 | 俳句

俳句の会で根小屋(石岡市八郷地区)の泰寧寺を吟行しました。梅雨が明けたかと思われるような暑い日差ですが、空の半ば以上に浮かぶ白雲と眼前に広がる大青田からの風のおかげで、凌ぐことが出来ました。

ほっそりとして麗しい御容姿の大黒さんが、新たに設えられた水子地蔵などを案内して下さいました。

    ただ笑みし水子地蔵や夏日影

Dscn0753 小高い境内の中腹部の木陰にひっそりと佇む山県大弐(1725~1767)の墓には、訪れる度に胸を打たれます。大弐は医術を業とし、儒学、兵学などを修め、その著書は医学をはじめ天文学、音楽など幅広い分野に及んでいるそうです。いわゆる「勤皇の志士」という一般的なイメージには納まらない大人物の感がします。

その著書には、「士農工商は階級ではなく、職務上の分担」という記述もあるとのこと。封建社会の真っ只中での凄い知見ですよね。また真に勇気ある人柄も偲ばれます。

幕府への謀反の疑いで処刑されるときの辞世の歌は以前(2012.12.7)の記事にも紹介しましたが、あまりにも胸に迫る歌ですので、再度掲げます。

   曇るとも何かうらみむ月こよひ
       はれを待つべき身にしあらねば


モモタが今朝・・

2014-07-11 10:17:43 | 

モモタが死んだ。呆気なく死んだ。台風が近付いた昨夕は、強風が吹き込む鶏舎内ですっくと頭を上げ、警戒心を強めた歩を運んでいたのに。

今朝、給餌のため鶏舎に入ったら、同居の雌鶏たちがオロオロしている。舎奥へ視線をずらしたら・・巣箱から半ば乗り出すような姿で絶命していた。一瞬、信じられなかった。

首元に小さな傷があった。膚が露出していたが出血もなく、傷自体が致命傷でない。毒を注されたのか・・ ムカデ? それとも私が知らない毒虫? 周りを見渡したが、それらしいものは既に無い。

雌鶏たちを守ろうと、率先して闘う中で殺られたのか・・

モモタは、今は亡き烏骨鶏のピィとシロウの息子だ。7歳ぐらいだ。赤に近いピンク色の鶏冠が鮮やかだった。少々不器用で、止まり木に飛び上がるのが苦手だった。でもオットリとして穏やかな雄鶏だった。

死後硬直のモモタを胸に抱いたら、まだ残っていた体温がほのぼのと伝わってきた。


群生海の中で

2014-07-10 15:51:56 | 暮らし

今季の長雨にはホトホト困った。日照不足と加湿で、菜園の野菜たちが参っている。茄子もピーマンもひょろひょろ。カボチャは病気。馬鈴薯は早々に地上部が腐って、先日収穫したものの、例年より二回りぐらい小さい薯だった。丈夫な苦瓜さえ伸び方が今一つ。

その上に台風が近づいてきた。風に弱い茄子などの枝を支柱に結わえる箇所を追加した。まあまあ元気な胡瓜も、支柱ぐるみで風害を受けるのではないか・・等々心配だが、もうなるようになれ!

雨続きでも草たちの勢いは猛烈。特にヤブカラシとスギナは凄い。あっちを抜けばこっちから伸び、こっちを抜けばあっちから伸びる。篠竹も、瞬きの間に伸びているのではないか、と思ってしまう。

Dscn0749シダも少しなら風情があるけれど、ワンサカ繁殖するとうんざりする。根が結構しぶとくて、退治しにくい難物。

でも足元の藪柑子は、私にとってイイ子。大きくならないし、もうじき咲く小さな花は可憐で、初冬の真っ赤な実は美しい。艶のある葉も綺麗。

群生海の中でその一員として生きている私なのに、なんとまあ、我儘な自己中心の眼差で他者たち、草たちを見ていることか・・


大森荘蔵&中島義道&南木佳士

2014-07-06 13:19:51 | 哲学

Dscn0745携帯電話が鳴って、「公民館図書室です。購入希望された本が入りました。」と聞いたときは少々意外だった。

東京新聞に、中島義道著「生き生きした過去~大森荘蔵の時間論、その批判的解読」(河出書房新社 2014年4月発行)の書評が掲載されたのは先月8日。

中島義道が大森荘蔵を語る旨のタイトルに先ず目を引かれた私は、その書評の濃厚な味わいにも心魅かれました。

Dscn0747 本はよほどのことがないかぎり買わない主義の私は、石岡市の公民館図書室に購入希望書を出したのだけれど、あまり一般向きとは言い難い本だから、却下されてもやむを得ない、と思っていた。

それから1ヶ月近く音沙汰ないので、半ば諦めていたのです。市の予算で買っていただいたのだから、しっかり読まなくちゃ!

改めて紙上の書評を読んで、その充実感を再確認。

Dscn0746 師が永遠の不在になったからこそ、彼の論の不整合を情実抜きに批判できるのだが、その優位性には、もはや師の進化が見られず、反論を聴けない、生き遺った者としての寂しさがつきまろう。そんな心情を表に出さぬ著者の姿勢が好著を生んだ。

評者は南木佳士(なぎけいし 1951~)。 この人の本も読みたくなりました。


忌まわしい日

2014-07-01 15:47:53 | 社会

2014年7月1日は忌まわしい日となった。日本が平和国家から軍事国家へ化した日。金のための人殺しを決めた日。

自衛とか正義とか、戦争はいつもそんな大義を掲げて始まる。軍需産業と、それに連なる者どもの金儲けのために。

他国で人殺しをすれば、自国が攻撃される。海外での武力行使は、自国を戦場にする。対馬丸等々、戦争の悲劇を悼む両陛下のお心は如何ばかりか・・