みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ウンコの話

2010-11-28 10:08:11 | 文化

自称「糞土師」の伊沢正名(まさな)さんの話を聞きに行った。場所は近くの「こんこんギャラリー」。昨夕の、5時から7時という中途半端な時間で、結構寒い。人里離れた小さな山小屋風展示空間の隙間が30人ほどの老若で埋まった。

「生れること生きることは良いこと、死ぬこと腐ることは悪いこと、とされている。そうでしょ? でも本当に死ぬこと腐ることは悪いことでしょうか?」という問いかけで、伊沢さんの歯切れ良い話は始まった。

生態系の循環を簡略に書くと、土(&光合成)→植物→動物(含:ヒト)→土。人は死んで屍となって、まさに「土に還る」。ところが伊沢さんは、ヒト(他の動物も)が土に還るのは死んだときだけではない、と語る。ウンコこそ、土に還る主役なのだ、と。人は一生に数トンから十トンほどのウンコをしているそうだ。

人は生きるために食べる。食は他の命を奪って自分のものにすること。それは動物としての人の宿命であり権利でもある。ならば、戴いた命に感謝し、自然にお返しをするのは義務であり責任ではないか。

水洗トイレは大量の紙と水を消費し、屎尿処理場では残泥焼却に大量の重油を使用するなど、資源とエネルギーを浪費している。伊沢さんは、2000年6月からは一度もトイレにウンコを流さず、信念を持ってウンコを大地に還し(いわゆる「野糞」を)続けている。その行為が、現代社会に無用の混乱を招かないよう、「正しい野糞のマナー」を守ることも訴えている。

ウンコは菌類(カビ・キノコ)の働きなどにより分解されて、土に還る。その土から植物が誕生し、命の循環が成立する。伊沢さん(茨城出身)は、元々はプロの写真家。彼が撮ったキノコやカビの美しさには誰もが魅了されるだろう。

聴衆の中から火葬の慣行についての質疑があった。老いて病んで野糞が出来なくなったとき、伊沢さんは自ら土の中に入って即身仏になる、と断言した。柔らかな静けさが会場を満たした、ように思う。

日本人は輪廻転生の思想によって癒される(=死の恐怖から救われる?)ことが多いようだ。伊沢さんは、思想だけでなく自ら果敢に実践かつ啓蒙に尽力されている。

輪廻転生の思想と仏教思想とは相容れない。ブッダは、輪廻転生からの解脱を求めて悟りを得た。私自身は、輪廻転生の思想によって癒されるのは束の間の感情だけ。一方のブッダの教えによっても、心の平安は得られそうにない。まさに凡愚の最たる者


ポーツマスの旗

2010-11-26 10:24:56 | 国際・政治

吉村昭ならではの徹底した取材調査・資料収集に基づいて、歴史的事実が丹念に呈示される頁が続く。読み進むにつれて、事実の集積の力が読む側の心を揺り動かし、やがて名状しがたい感慨の渦中でこの本を閉じることになる。

Dscn1689 1904~1905年(明治37~38年)の日露戦争の主たる舞台が、日本でもロシアでもなく、中国大陸であったことにあらためて呆然とする。ボストン北方のポーツマスは、アメリカの斡旋による日露講和条約締結交渉の地である。

欧米列強が、大国ロシアの勝利を当然視する中、日本軍は、難攻不落と称された旅順を占領することに成功、奉天の大会戦でもロシア軍を敗走させた。対馬海峡では、日本艦隊の巧妙な作戦によりロシア艦隊(バルチック艦隊)に壊滅的な打撃を与えた。 

人々は、日露両国陸軍の決戦ともいうべき奉天大会戦に続いて、日本海軍がロシア艦隊を壊滅させたことに熱狂した。

しかし、日本側の戦死者も4万6423人にのぼり、戦争で失ったものは莫大だった。戦争が長期化すれば、物資、人員、財力の差が表面化する。軍部も政府中枢も天皇も、ロシアとの講和を急いだ。

宮崎県日南の小藩の下級武士だった小村寿太郎が政府の要職に就くようになったのは、好運もあったろうが、鋭い洞察力、深い判断力、果敢な実行力があったからこそ、だろう。英語も仏語も流暢に話せた。彼は、誰もが嫌がった全権を引受けた。

身長180センチほどのロシア全権ウイッテを相手に、小村寿太郎は身長143センチながら終始泰然自若として、決死の覚悟を秘めつつ堂々と渡り合った。

8月29日、ポーツマスで小村全権とウイッテの間で全条件の妥協が成ったことは、30日夜の号外で東京その他各地に伝えられた。講和条件そのものに不満をいだいていた人々は、抑留艦艇引渡し、ロシア極東海軍力制限、償金支払いの3要求を放棄し、さらに樺太北部もロシアへ返還したという報に、激昂した。 

人々がそのような感情をいだいたのは、政府が戦争の実情をかたく秘していたことに原因のすべてがあった。海軍は完全に制海権を支配していたが、陸軍は大増強されたロシア軍と戦闘を続ければ勝利の確率が少なく、またそれによる軍費の膨張で日本の財政が崩壊せざるを得ないことを知らせることはしなかった。

その理由は、ただ一つであった。もしも、憂うべき実情を公表すれば、ロシアの主戦派は勢いを強め、講和会議に応ずるはずがない。たとえ講和会議が開催されたとしても、ロシア側は日本の要求を拒否し、逆に不当な提案を押し付けてくるに違いなかった。

そうした内情を知らぬ国民は、講和条約を締結した小村全権とそれを支持した元老、閣僚に怒りをいだいたのだ。

新聞各紙は、9月1日、日露講和条約の成立を大きく報ずると同時に、一斉にそれに対する激しい非難の論説を掲載した。「斯の屈辱」「敢て閣臣元老の責任を問ふ」「遣る瀬なき悲憤・国民黙し得ず」などの見出しのもとに、ロシアに屈した日本の軟弱外交を責め、中には国民が一斉に立ち上り暴動をひき起すのも時間の問題だ、と説く新聞もあった。新聞の論調は日増しに激越なものになっていったが、徳富蘇峰の主催する「国民新聞」のみが条約の成立を容認する社説をくりかえし掲載していた。

9月5日、講和反対の群集の暴動により、東京市の派出所の7割以上は焼失し、 9月6日には、各地のキリスト教会が(ロシアはキリスト教国という理由で)放火、破壊された。 電車16台も焼かれた。日比谷公園での集会から始まったこの暴動は、「日比谷焼き討ち事件」と称された。国民新聞社も小村寿太郎の家も襲われた。

政府は東京市周辺に戒厳令の一部を施行した。東京に次いで、横浜、神戸でも騒擾が起こった。その後も、小村寿太郎は批判され続けた。 

著者の吉村昭は「あとがき」で、戦争と民衆との係わり合いの異様さに関心を抱き、また、講和成立が、後の太平洋戦争への起点になっていることにも気付いた。つまり、明治維新と太平洋戦争を結ぶ歴史の分水嶺であることを知ったと述べている。

ポーツマスから帰国後の小村は、結核性の持病を抱えながら、講和内容の具体化に奔走した。欧米露を相手に堂々かつ紳士的に渡り合った小村だが、韓国と清国に対しては威圧的で、韓国併合(日本による植民地化)推進の主役でもあった。政治家として極めて有能な人物だったが、その足跡の歴史的評価は複雑にならざるをえない、と思う。

昨今の日本を取り巻く不穏な情勢と国内世論の昂ぶり、そしてマスコミの一面的報道の中で、吉村昭の言う「戦争と民衆との係わり合いの異様さ」を考えると、心が暗くなる。

小村には妻と3人の子がいたが、家庭の幸福には恵まれない人だった。また自ら家庭を顧みることもしない人だった。外相辞任後まもなく、持病の悪化により死去した。56歳だった。


2010 やさとクラフトフェア

2010-11-21 18:29:26 | 文化

小春日和の中、遠来の友人夫婦&近所の御夫婦と共に「2010 やさとクラフトフェア」へ行った。田園風景の中に色とりどりのテントが並び、陶芸、木工、革細工、ガラス作品、篆刻、染織、金工、竹工芸、有機野菜などなどが展示販売されている。沢山の人出で賑わっていた。

Dscn1676 青空にはハンググライダーが舞い、無料体験の看板も出ている。70代の知Dscn1679_2 Dscn1680_2 人が挑戦!

見ている方がハラハラドキドキ。10mほどの高さまで舞い上がり、無事、地上に帰還されて、見物の輪から大きな拍手が挙がった。

Dscn1687 仮設舞台ではウクレレ演奏をバックに素敵な女性がフラダンス

普段の私には考えられないほど食欲が増進して、目の前で調理、販売の焼蕎麦、焼鳥、唐揚などを食べ、更に恒例の飯田陶房ご夫人御手製の百円ドーナツも美味しくお腹に納めた。

お祭りと言いながら実は行政主導のものが多い昨今だが、このやさとクラフトフェアは正真正銘の民間人の結集の力で開催運営されて、今年で第17回目だという。素晴らしいことだと思う。明日22日と明後日23日(2時半まで)も開催される。


ずいずいずっころばし

2010-11-19 20:33:04 | 八郷の自然と風景

Dscn1667_2 黄葉も紅葉も、そして雑木褐葉も、空の青も、澄んだ空気も、枯田の風景も美しい。八郷が一番美しい季節と思う。

Dscn1672 茶道では炉開と口切(茶壷の口の封を開く)の季節である。先日の稽古は「壷荘付花月」(つぼかざりつきかげつ)だった。床の間に網で包まれて飾られている茶壷が下ろされ、網が外され、連客が茶壷を拝見した後で、茶壷は赤い緒で荘られる。(上写真は「淡交」誌掲載の写)

子供の頃、皆が和になって坐り、「ずいずいずっころばし、ごまみそずい、ちゃつぼにおわれてとっぴんしゃん、ぬけたーらどんどこしょ、たわらのねずみがこめくってちゅー、ちゅーちゅーちゅー、おっとさんがよんでもおっかさんがよんでも、いきいっこなーあーしーよ、いどのまわりでおちゃわんかいたの、だーれ」と意味も分からないままに(今でもよくは分からない)歌いながら手を次々に動かす遊びに興じていた。

千利休の時代までは、茶壷は茶道具の中でも最高の主役とされていた。後に「御茶壷道中」は大名行列並みとされた。赤い緒が複雑に結ばれるのは、茶壷の中に毒が盛られたりしないよう、「鍵」の役を果たすため、という。それが実に美的な型に昇華されているのだ。

花月の席で、先輩が緒を知恵の輪のように結ばれるのが興味深かった。帰庵してから、私も緒を結んでみたくなったが、茶壷も緒も私の手には到底届かない価格だろうし・・ 庵内を見渡して目に止まったのは、小耳が付いた花瓶とロープ。

Dscn1662 Dscn1663 Dscn1660 苦心惨憺、何度もやり直して、一応「真の結び」「行の結び」「草の結び」らしきものが出来たつもり・・・ 少々?ゆがんでいるけれど

自分で結んでみて分かったのは、たとえ結び方が決まっていても、人によってそれぞれの人らしさが結び方に出るだろうということ。そしてたとえ同じ人が結んでも、その時その時で微妙に形が変わるだろうということ。

だから結んだ緒の形は、いわば千差万別。悪事を働いて緒を結び直す輩がいたとしたら、その緒の形が悪事の証拠となるだろう。優れた「鍵」であることを実感。


遠い日の教室

2010-11-16 10:52:17 | 国際・政治

遠い日の教室での出来事を思い出した。高校の「日本史」の時間だった。その教師~仮にS教師としておく~はいつも前のめりで勢いよく教室へ入ってきて、口元に笑みを浮かべ目を輝かせながら次々に言葉を繰り出した。自らの授業を自ら楽しんでいるかのようだった。私はS教師の授業が好きだった。興味津々で心を集中させていた。

日本史の試験の日、並ぶ問題を楽しく解いていた私は、或る問題のところにきて呆然とした。「北方領土の問題について述べよ」という設問で、自由に文章が書けるように余白が用意されていた。S教師の授業には夢中だった私だが、北方領土について語られたときだけはチンプンカンプンで、聞き続けて理解しようとする意志を失った授業だったのだ。余白は余白のまま試験の時間は終了した。

また或る日のこと、S教師の授業中に白い大きな犬が教室へ入ってきた。おとなしい犬だったが、追い出してもまた入ってくる。S教師は授業を妨害されたと感じたのだろう、この犬を両手で抱き上げ、教室の窓から外へ放り出した。教室は二階だった。校舎の二階は普通の家の二階よりはるかに高い・・・

授業後、級友が涙を流しながら、S教師の振舞いへの憤りを私に訴えた。S教師の授業をいつも熱心に聞いている私への憤りをも込めて。

日本史の授業の世界で勇躍歓喜するS教師は、現実の世界で犬を高所から落とせばどうなるかへの想像力と感性が欠如していたのだろうか。

昨秋、前原誠司(当時の国交相)は「終戦のどさくさに紛れて(旧ソ連が北方領土を)不法占拠した」と言った。千島列島(国後、択捉から北千島まで)は1975年の樺太・千島交換条約により日本の領土となった。その後、サンフランシスコ平和条約で日本が千島列島放棄を表明したり、紆余曲折はあるものの、国後・択捉と歯舞・色丹をロシアが実効支配していることについては「不法」と私も思う。

しかしモノには「言いよう」ということがある。庶民の一個人の雑談だったら結構な発言内容であっても、閣僚には許されない発言というものがある。外交も人間同士のやりとりで成り立っている。どさくさに紛れて、などと低レベルの言葉で揶揄されれば、相手は挑発されたと感じて対抗措置(メドベージェフ露大統領の国後訪問など)に出るのが人情というものだろう。前原誠司には自らの発言が招く結果への想像力が欠如している。

尖閣諸島での漁船衝突事件についても、田中角栄・周恩来による日中国交正常化以来の暗黙の了解(鄧小平のいう「棚上げ」の智恵)に沿って、従来なら強制退去で済ますところを、前原誠司(当時の海上保安庁を管轄する国交相)は逮捕を強行した。その結果、困難な事態となり、外相となった前原は船長釈放を指示せざるをえなかった。「釈放は地検の判断だった」と責任を他へ押し付けて、である。

11/14の日中外相会談で、前原誠司は尖閣問題に全く言及出来なかった。船長逮捕がもたらす結果への想像力の欠如が、外交を迷走させた。前原誠司の頑なに据えた目付きに、想像力と思考力の欠如、ひいてはこの国の危うい現状を見せ付けられているようで、不快だ。


水を飲む

2010-11-13 18:20:47 | 老病

朝起きたら、まず水を飲む。血流や胃腸機能が向上する、というが、モノグサな私は時折思い出したように試みる程度だ。

コップ1杯半弱の水を飲むのに10分以上掛かる。加齢のため嚥下機能が衰えたようだ。飲んだ水が喉につかえる。その喉がゆっくり少しずつ ゴ、ク、リ と動いてからでないと、次の一口が飲めない。

飲んだ水が自分の体の一部になるのは何処からか?と、何かの会の講師から問われたことがある。コップの中の水は自分にとって他者だ。口に入った水はまだ他者だろうか? 喉をゴクリと通っている水は? 食道を通っている水は? 胃の中に入った水も他者だろうか、それとももう自分の一部だろうか?

喉や食道を通っているときには、水の感触がある。感触が消えるのは、どうやら胃の中に入ったあたりのようだ。そのとき「他者」の意識も消失する。しかし胃腸内がゴロゴロしたり痛んだりするときは、胃腸の内容物の感触がある。それははたして自己の一部としての感覚だろうか? 

自己と他者との区別は不可解、と思うのは、自己を独立した閉鎖系と考えがちな現代人ゆえの陥穽かも知れない。


<不都合なもの>への愛

2010-11-07 13:56:05 | 仏教

Dscn1643 庭の菊が咲き揃ってきた。ピンクのモッテノホカと黄菊は食用菊だけれど、実際に食用にするのはほんの少しだけ。

数日前からの深夜、天井裏でゴソゴソと音を立て始めた鼠は、朝晩の冷え込みを避けて僅かな隙間から入り込んだのか。小さな音だが神経が苛立って睡眠を妨げられる。

一昨日、お米を数粒入れたゴキブリホイホイを天井裏に置いた。昨夜、引っ掛かったらしい鼠の鳴き声がした。今朝取り出してみたら、何と、7匹!の小鼠が一個のゴキブリホイホイの中で犇めき合っていた。

Dscn1639 小さな鼠は実に可愛い。黒胡麻のような瞳が艶やかに光って、覗き込む私を見詰めたりする。一抹の葛藤を覚えながらも、私はほとんど無感動に、7匹の鼠の命の始末に掛かる。ゴキブリホイホイをそのまま外に置いておくのだ。半日ほどして見ると、ゴキブリホイホイは噛み破られて、中は空っぽになる。腹を満たしたのは鼬か野良猫か・・・

鼠を可愛いと思う心と、その鼠の命を無感動に始末する心とが同居する私。空腹だった野獣には幸いだったろう、と密かに自讃さえしている私。

Dscn1647 私(辺見庸)がいう愛というのは必ずしもきれいなこと、きれいなもの、きれいな人、きれいな顔、きれいなこころを愛するということではありません。ただしいこと、ただしいもの、ただしい言葉、ただしい行為を愛することでもない。むしろ、その人間の考えや行為がまちがっているかもしれない、あるいはまちがっていたのかもしれないと知りながら、苦しみ悶えながらなおその人間を主体的に愛すること。それが愛なのではないか。ひょっとするとそれこそ愛のふかさなのではないか。

人間というかぎりなく不条理な存在への、不条理であるがゆえの愛というものがあるのではないでしょうか。不合理な、不合理であるがゆえの愛。わかりやすくいえば、<不都合なもの>への愛。それを、私たちではなく、が個として、ひとりとして愛せるのか。

Dscn1645 鼠は私の暮らしにとって不都合なもの。菜園の白菜に喰穴を増やす虫も不都合だから、見つければ摘まみ取り平気で踏み潰す。或る人と親しくするのは私にとって都合がよい人だからかも知れないし、或る人を疎むのは私にとって都合がよくない人だからかも知れない。

「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からもケアされない人のために働く」。私(辺見庸)はあらためてこの言葉を見つめ、マサー・テレサはなんと厳しい人なのだと思いました。

あなたが愛していることはあなたにとって都合のよいことなのではないか。自己愛の片鱗さえ捨て去ったこの問いは私を震撼させました。

マザー・テレサの言葉は私には厳し過ぎる。近付き難いものがある。こんなとき私は、信仰心の無いままに親鸞聖人のいう「悪人正機」へ心が傾く。悪人であっても、いや悪人だからこそ、仏は衆生を救われるという。その仏とは、親鸞聖人に拠れば、色も形もない無形のものだ。偶像崇拝ではない。

辺見庸の「不都合なものへの愛」は、「悪人正機」に繋がるこころのように思われる。著書「愛と痛み」は、死刑廃止を求めるフォーラムでの講演草稿を元に加筆修正されたもの。悪人への厳罰化を求める世間の声が、今、高過ぎると私は思う。