みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

有難うございました

2023-07-26 14:15:25 | ブログ
私は、このブログ上で自分の思いを幾人になりともお届けしたいと、長い間、折々に発信してまいりました。
しかし、世の中は思わぬ方向へ様変わりし、私の思いも言葉に表わし難いことが多くなってまいりました。
そんな次第で、ブログの更新が数カ月間途絶えた次第です。
そして、今に至るも再開の気力を失ったままですので、このブログを一旦、閉じることに致しました。
これまで拙い記事を覗いて下さった皆様に、深く御礼申し上げます。

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2 コメント

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御礼 (守拙)
2023-08-03 19:05:49
ご無沙汰しております。最後の投稿が2019年でしたから4年ぶりになります。
この間毎日「たより」を開いていたわけではないのですが、たまたま今日、先月26日付の休筆記事を読み取り急ぎ今回の投稿に至った次第です。
こちらこそ、有り難うございました。深く御礼申しあげます。

「たより」の23年2月4日付の「内面と外面」と題された記事の中にこういう文章があります。

「この20余年の間に、私自身の考え方ないし感じ方がいつの間にか変わってきていることに改めて気付かされた」

私も同様です。人生観と歴史観について「考え方ないし感じ方がいつの間にか変わってきていること」をそれぞれ一点、ほんの思いつきですが書き留めておきます。

まず人生について。
昨年、市役所から介護保険証が届き制度的にも高齢者となりました。
この世に生を受けた全ての人が老いるわけではありません。しかし、現代の日本で平均寿命は男性81歳、女性87歳、〈老い〉を迎えることが少数者に許された僥倖というわけでは決してありません。
私は、いつのころからか、〈老い〉をどう生きるかは人生で決定的に重要であると考えるようになりました。〈老い〉という賜物をどのように享受するか、それは人生の質を静かに、しかし大きく変えることは間違いない。〈老い〉の日々をそう考えて生きるように努めています。
もちろん、こうした考えは心の深いところでの認識の問題であり、実生活上は、天涯孤独と酔生夢死を信条に、力むことなくのんべんだらりと暮らしています。

次に歴史については、安楽椅子ならぬ(我が陋屋に安楽椅子はないので)掘り炬燵の座椅子に腰掛けながら次のような感慨を持つに至りました。
考古学の知見によると、青森県の三内丸山遺跡は紀元前の縄文時代に一定規模の集落、すなわち定住的な社会が約1,700年もの期間にわたり存続したことを示しているそうです。この事実は本来現代人が常識的に身につけるべき歴史の時間感覚を整えるのにいくばくか役立つような気がします。
世界史的には産業革命が始まってから現代まで高々300年にすぎません。そしてその期間、やりたいほうだいに環境を破壊し化石燃料による温室効果ガスをまき散らし、さらには2回の原爆投下を含む戦争を繰り返しました。近現代文明がそう遠くはない将来に滅亡、少なくとも衰退し、人類史の愚かな一エピソードとなっても驚くにはあたらないのかもしれません。いや人類史そのものが地球上の生物進化史の徒花であるのかもしれない・・・。もちろん、この青い惑星の生滅もそのうえの生物の進化も全自然史の中では刹那の出来事にすぎません。しかし、人生の時間(実存的時間)、社会の時間(歴史的時間)、自然の時間(宇宙の時間、地球の時間、生物進化の時間等)はスケールを区別すべきであるのは言うまでもないにせよ、前二者の時間については、自分の人生において、パンデミックと戦争の時代が到来するとは、愚かにも予想していませんでした。歴史が蛇行する中で自分が生きてきた時代が大きなうねりになって流れてゆくのを感じます。その流れの行き先は誰にも見通せない。、

tautologyになりますが、お互い死ぬまで生き続けましょう。
どれだけ科学技術が進歩しても、AIは私の代わりに文章を書くことはできても私の代わりに死んではくれません。
くれぐれも御身おいたわりください。
ごきげんよう。
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事実関係の訂正と補足 (守拙)
2023-08-04 11:51:25
昨日のコメントの中で記載した事実関係について正確でない点があったので訂正し補足します。
青森県の三内丸山遺跡は縄文時代前期から中期(B.C.約3900~2200年)にかけての遺跡であり、当地の定住社会は少なくとも数百年間は存続したと推測されるそうですが正確なところはわかっていないようです。
いずれにせよコメントの主旨は修正するつもりはありません。
申し訳ありませんでした。
お達者で!
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