みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ノゴマとの出会い

2013-02-27 18:24:03 | 八郷の自然と風景

夜来の雨が降り続く中、公民館同好会の読書会に参加しました。自ら手に取ろうとはしなさそうな本も、会の仲間から教えてもらうと関心を持つことが出来たり、同じ本でも人によって感想がこんなにも違うのか、と驚いたり。良い刺激を得ることが出来ます。ただ、日程の都合が合わなくて、たまにしか参加出来ないのは残念です。

昼過ぎに帰庵した頃には雨も上がり、気温も緩んできました。庭の合歓・柿・姫林檎などの裸木に、10数羽のシジュウカラの群れがやってきて、賑やかにお喋りしながら樹皮をつついたりして採餌に懸命です。

夕方、飼犬ユキとの散歩の途中、針葉樹林内で見慣れぬ鳥を見つけました。大きさはシジュウカラぐらい、喉の鮮やかな紅色に目を奪われました。紅色は喉だけなので、お腹がオレンジ色のヤマガラとは違います。ヒッ ヒッ ヒッ と細い声で鳴きながら林内の中空を横切るように飛んで、やや高い枝に止まりました。それから何処へか飛び去っていきました。

図鑑とインターネットで調べた結果、ノゴマ(野駒)と判定しました。北海道へ夏鳥として渡る鳥なので、当地には渡りの途中に立ち寄って(飛び寄って)くれたのでしょう。

この季節は落葉樹がまだ裸のままで見通しが良く、一方、野鳥の動きが活発になるので、観察に適しているようです。

これまで八郷で出会った野鳥たちの種類はどのくらいになるのだろう? と思って、数えてみることにしました。

スズメ ホオジロ アオジ カシラダカ クロジ ノゴマ ルリビタキ ジョウビタキ  サンコウチョウ エナガ カワラヒワ ムクドリ シジュウカラ ヤマガラ メジロ ツグミ シロハラ トラツグミ ウグイス センダイムシクイ セッカ キクイタダキ モズ ヒヨドリ ハクセキレイ セグロセキレイ ツバメ ヒバリ コゲラ アカゲラ アオゲラ カワセミ ツツドリ ホトトギス カッコウ フクロウ キジバト カケス ハシボソガラス ハシブトガラス タシギ ヒクイナ カルガモ ハシボソミズナギドリ コサギ  アマサギ アオサギ ゴイサギ コジュケイ キジ サシバ オオタカ

以上、眼も耳もあまりよくない私が気付いたのだけで 52種。まだまだこれからも、野鳥たちとの新しい出会いがあると思いたいです。

 


石岡の雛祭

2013-02-24 19:45:32 | 俳句

俳句の会の吟行で、石岡駅近くの商店街の雛祭を訪ねました。この種の雛祭は今や全国各地で催されていて、茨城県内で特に人気の真壁は、多くの見物客で賑わっています。でも石岡は閑散として北風が吹き抜けるばかり・・ とはいえ拝見させてもらったお雛様たちは、なかなか味わい深いものでした。

Dscn3190「まちかど情報センター」には、源氏物語の浮舟にちなんで創作された雛人形たちが飾られていました。浮舟は幼少時代から娘時代を常陸國で過ごした、とか。なかなかの力作です。Dscn3193
にもかかわらず、心を動かされる雰囲気に乏しく、鼻白む感じがする原因は、公共的な事業の体臭のようなものでしょうか。

駄菓子屋さんのお雛様は、深々とお辞儀する福助人形の隣に並べられていました。多種多様の安価な駄菓子がぎっしり陳列されている棚上の壁面には、ガガーリン(人類初の宇宙飛行士)の名が記された額や、祭の「年番」を証する棒状の木札?や、マリリンモンローの写真まで飾ってあります。餡入りの「さくら菓子」350円を一袋買ったら、鉄砲玉(飴)を5個もサービスしてくれました。

   駄菓子屋にモンローポスター山笑ふ

Dscn3207荒物屋さんのお雛様は、明治時代初期に製作された江戸雛。女雛の冠は特に迫力があります。1929年(昭和4年)の石岡大火をも潜り抜けて、石倉の奥に10センチほどの埃を被っていた長持の中に何が入っているのか、店主も知らなかったそうです。7年前に商店街で雛祭が企画されたとき、世話役に勧められて開けてみたら、このお雛様たちが現れた、とのこと。それ以来、店主は商売そっちのけで? お雛様にぞっこん惚れ込んでしまった御様子。店のかっての「奉公人」を訪ねて当時の様子を聞いたり、「吉徳」や「久月」の学芸員に教えを乞うたり、お雛様の美術書を購入したり。次から次に展開する興味深いお話は、悲哀と諧謔の香りも纏っているようでした。

           商はず古雛自慢三代目


大炉&茶碗に思うこと

2013-02-20 20:18:42 | 茶道

Dscn3185茶道の稽古で、大炉の炭手前を初体験しました。「大炉」は、北国の囲炉裏から創案された逆勝手の点前です。(稽古中の撮影は憚られたので、掲載の写真はテキスト=淡交社刊のものです。あしからずお許しください。)

Dscn3181逆勝手は手足が縺れそうで難しい、大炉の点前は所作が複雑で難しい、ましてや、その炭手前は通常の手前とはかなり異なる所作が多くて難しい という訳で、これまでは諸先輩の御手前を拝見したり、テキストの説明を読むだけでした。

ところが今日は、やりなさいとの先生の御指示にビックリ。同席の先輩からも、やった方がいいわよ、と勧められ、意を決して取り組みました。

Dscn3183テキストを読んだりしての勉強は、言わば「言葉」の世界。実際にやってみるのは、体感の世界。言葉が体感となり、体感から新たな言葉が生まれてくるような。勉強だけとの決定的な違いを、今更ながら実感しました。

先生と先輩から丁寧な御指導を賜り、なんとか無事に 初炭手前を終えた後は、仲間の御点前での濃茶を、赤楽の茶碗で美味しく喫みました。

濃茶の茶碗は無地が決まりです。模様が描かれているのはタブーなのです。模様は「言葉」に通じるからでしょうか? 濃茶の点前のときは、限られた問答以外は、発語しないことが決まりでもあります。

Dscn3172濃茶には、黒または赤の楽茶碗(千利休が楽長次郎に作らせたのに始まる)を用いるのが一般的ですが、若先生のお話では、(唐物=中国大陸から伝来したものは別格として、)唐津焼や萩焼を用いることも出来るそうです。唐津焼も萩焼も、秀吉時代の朝鮮出兵の際に朝鮮半島から連れてこられた朝鮮陶工によって作られたのが始まりです。

唐津焼や萩焼で濃茶を呈するときは、茶碗の下に古帛紗を添えるのが決まりです。楽茶碗のように分厚くないため、熱が伝わりやすいからという理由で布を当てるのかしら・・と思っていましたが、朝鮮半島に由来するものへの敬意の表現という意味もあるのかも・・と考えました。

茶道は日本の伝統文化として世界的にも認められていますが、その茶道において、中国大陸や朝鮮半島に由来するものに対し、特別の敬意が払われていることを思い返しました。

中国大陸や朝鮮半島の国と人々に対して、蔑視と憎悪と攻撃の言説が巷間に増幅している昨今ですが、この風潮が行き着くところまで行ってしまったら、日本の伝統文化である茶道の世界さえ、安泰でいられなくなるのではないか・・まさか、そこまでは、と思いつつも、不安を否定することが出来ない私です。


遠い国から来た人

2013-02-18 19:26:12 | 暮らし

都会に住んでいるけれど、八郷に移住したくて土地を探している、という御夫婦に遭遇しました。よくあることではありますが、大抵は老年か、せいぜい初老という年代が普通なのに、今回のこの御夫婦はお若い! しかも男性は西洋の人!

欧州のお国から10余年前に日本へ来られたというその西洋の人は、ごく自然に日本語を話し、茶道にもいそしんで、時には茶杓をご自分で削りもする、というではありませんか! 

御夫婦とも、日本の伝統文化をこよなく愛しておられる御様子。そして自然の恵みが豊かな八郷の地で、畑を耕しながら暮らすのが念願だそうです。

この素敵なご夫婦の念願が、無事叶えられますように!


俳句のおかげ

2013-02-15 17:45:14 | 俳句

陰気な雲に覆われた朝でしたが、今日は俳句の会。気力もそれなりに出て、皆様と共に「フラワーパーク」を吟行しました。

Dscn3171この時季の入園料は、通常の半額の370円ですが、「県の公共施設なのに、高いわよね。高齢者割引も無いなんて。」などと文句を言いながらも、広い園内に句材を求めて皆それぞれあちこちを散策。

入ってから出るまで、来園者は私たちだけ。貸切り状態でマイペースの吟行が出来ました。Dscn3167
落葉の間から福寿草の花が覗き始めていました。

  日を求め少し傾ぐや福寿草

そのほかに露地で咲いているのは、Dscn3165
白いクリスマスローズぐらいでしたが、種々の冬芽たちが春待ち顔で息づいていました。

温室の中はベゴニアやダリアが色彩豊かに咲き溢れていて、眩暈を覚えそうでした。

    声低く応へ温室守る男

吟行を終えて、乗り合いタクシーで句会場の公民館へ向かう頃には、小雨が間断なく降ってきました。

    筑波峰も末黒野もただ雨の中

<参考>末黒野(すぐろの)とは、野焼の後の、焼けて黒くなった野と、焼かれずに枯れ色のままの野とが混ざっている風景のことです。

午後の句会でも皆さん真剣かつ生き生きと取り組んで、うっとうしい天気でも楽しく過ごせたのは、俳句のおかげ!

 


大森荘蔵著「時間と自我」

2013-02-12 06:02:00 | 哲学

先月の記事に書いた「死を哲学する」の著者=中島義道は、人を尊敬することが苦手ではないかと思うのですが、その師の大森荘蔵(1921~1997)に対しては、同書の中で深い敬意を滲ませています。

Dscn3157県立図書館から大森荘蔵著「時間と自我」(青土社)を地元の公民館図書室に取り寄せてもらい、借りました。(旧八郷町が先年、石岡市に合併して八郷の名が表舞台から消えたのは誠に残念でしたが、ただ一つ良かったのは、こうした図書取り寄せシステムが機能するようになったことです。)

Dscn3154こむずかしいそうなテーマにも拘らず、見事に明快な論理と文章表現力のおかげで、意外に読みやすい本でした。Dscn3155
哲学上の問題が・・過去・現在・未来とは何を意味しているのか、人は他人ではないのに何故他人の気持が分かるのか等が・・いわば現実の俎上に引き据えられて、知の高みから捌かれたような読後感があります。痛快とも言える一方、妙に索漠とした気分にもさせられました。

巻末近くになって、オヤ・・と思わせられる部分(P.246)がありました。(文中の「風情」を、著者は「ふうじょう」と読ませています。)

・・音楽の与える風情を音の空間的抽象運動だとみるならば・・その抽象的運動が何かの形で無限に向っての進行であるとき・・人は崇高とでも呼びたいような感動に捕えられるのである。・・視覚においても・・空間的無限が知覚されたり示唆されたりするとき、音楽の感動に類似した感動が与えられる。

これら空間的無限が与える感動と好一対をなすのは遠い昔、遠い過去の想起の中の風情が時間的無限を示唆することで生じる「懐しさ」の情動であろう。

空間的にせよ、時間的にせよ、人が辛うじて無限と接触するとき、現世には珍しい情感に触れるのではないだろうか。それは一言でいえば、世界の無限性に打たれる、ということである。

無限に触れて感動する、というのは、折々に聞かれることではあります。しかし大森荘蔵がそれを語るとなると、聞き捨てにすることは出来ません。このページで大森荘蔵は、「無限」に対して(不用意な、と言って悪ければ)無条件的な「信」を告白しているように、私には思えます。

大森荘蔵にとって無限とは、どういう意味なのでしょう。 それは、言葉でありながら言葉を超えようとするものであり、語り得ないことなのでしょうか・・・


危機の増幅と緩和

2013-02-10 10:21:25 | 社会

中国や北朝鮮の一党独裁の弊害や偏向報道は、紛れもない事実だと私も思います。しかし翻ってみて私たちの国はどうでしょうか? 

国権の最高機関たる国会は、ほぼ大政翼賛会と化しました。NHKはもちろんマスコミ各社の報道は、日ごとに大本営発表の色彩を濃くしています。

にも拘らず、私たちの国は自由で民主的な体制にある、マスコミは事実を報道している、という思い込みに呪縛されている人々が、この国には増えるばかりです。マインドコントロールされて、人々は自らその悲劇性を濃くすることに快感を見出しているかのようです。

Dscn3164中国海軍による自衛隊へのレーダー照射を日本が指摘したことについて、中国が「事実ではない」と否定しました。マスコミは、事実を認めない中国への非難を強めて、世間の多くの人々も反中感情を増幅させているようです。

しかし、レーダー照射の事実を中国が公式に認めた場合、事態はどうなるか、想像してほしいと思います。それは、中国が日本へ軍事的に敵対していることを公式に認めたことになるでしょう。そのことによって、日本国内の反中感情は一段と激化し、中国への軍事的攻撃体制への傾斜を加速させるでしょう。

レーダー照射が事実だとしても(たぶん事実でしょうけれども、疑ってみる必要はあります。また、レーダー照射は異例の事態だけれども、今回が初めての出来事だとは日本側も明言しておらず、これまでも事実としてあったが、外交上の配慮から公表してこなかった可能性もあります。)、嘘も方便です。中国がこの事実を否定したのは、中国にとっても日本にとっても世界にとっても、賢い選択だったと思います。それは戦争の危機の増幅を多少なりとも緩和させたのですから。

そもそも今回の一連の「危機」は、日本側の、石原慎太郎の尖閣都有地化発言と国有化を端緒としていることを、忘れてはなりません。

日本は、世界に誇るべき平和外交の原点を取り戻してほしいと思うのですが、ないものねだり、でしょうか・・・


日差しの恵み

2013-02-09 17:54:27 | 暮らし

凍りつきそうに寒い夜明けでしたが、公民館の気功同好会へ行く頃には、日差しの恵みが感じられてきました。

内気功(自分で自分の気を高め、感じる気功)で、先生が折に触れて指導してくださる基本姿勢の一つは、真っ直ぐ立って全身(心も!)を緊張させない形で、座禅ならぬ立禅という感じです。先生は「いろいろ考えないで、ボーとした感じで。」「心配なことや嫌だったことなどを、どうしても考えてしまう方は、自分が一番いい気持になれる風景を思い出しましょう。」と言ってくださいます。

私が一番いい気持になれる風景・・・それはやっぱり当庵からの風景、と思い、そう思えることを有難いことと受け取りました。

気功と同好の仲間とのお喋りで心穏やかになることが出来て、帰庵。

日の温もりが行き渡ってきて、風も穏やかな昼下がり、親友ご夫婦が愛犬と共に来庵してくれました。このお二人に会うと、話したいことが次々に湧き出てくる私です 

Dscn3159手作りのお菓子もいろいろ戴きました。大変な手間が掛かった筈の、蜜柑の皮の砂糖菓子も 何でも上手に出来て、日差しのように温かな心の親友です。感謝!


常識を覆す逆勝手

2013-02-07 21:08:29 | 仏教

Dscn3146昨日は天気予報が少し外れて大雪にはならなかったけれど、未明から夕方近くまで霙まじりの冷たい雨。いっそ雪ならば却って明るさが無きにしも非ずなのですが、霙はただただ侘しい・・・裸木の冬芽に滴が宿っては落ちていきます。こんなふうに泣くことも私には出来ません。

今日は一転、寒さが緩みました。午前中は近所のお二人と共に愛車で買物へ。齢を重ねるにつれて三人とも愚痴が増えてきました。出来るだけ助け合って暮らしてゆかねば、と思いつつも、心理的かつ物理的にどうにもならない限界も感じたりして、私はなんと浅ましい人間であることか・・

歎異抄の第四章には

聖道の慈悲といふは、ものを憐れみ、悲しみ、育むなり。しかれども、思ふがごとく助け遂ぐること、極めて有難し。

今生に、いかに愛をし不憫と思ふとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし。

とあり、いわゆる善人の慈悲というのは中途半端で首尾一貫しない、という訳です。善人ヅラは止め、悪人である自分をもっと見据えるべきなのでしょう。

Dscn3152午後は、知人に譲ってもらった着物に山水画風の蠟纈染めの帯(数年前に骨董市で買ったもの。たしか2千円でした。)を締めて、茶道の稽古へ。逆勝手(茶室内の配置も、手足の所作も、いつもとは左右が逆)の点前でした。いわば「常識」を覆す、という感じで面白いですね。

私が所作に迷って、顔の表情や四肢の動きに微かに異変?が生じると、先生は直ぐに察知して、指示を下さったり、何を迷っているのか問うて下さったり。その察知の速さ、的確さには、ただただ脱帽!

夕方が近付いて私が(暗くなってからの運転は苦手なので)ソワソワし始めると、先生や稽古仲間が気遣って、稽古の順番を先にして下さいました。おかげでまだ明るいうちに帰庵できて、着物から野良着へ着替えてのユキの散歩も、薄明かりが残っている間に済ませることが出来ました。散歩と摂餌が終わったユキは、感謝の印に私の鼻や口の周りを温かい舌でペロペロ。これで笑顔になってしまう私は、意外に素直?

 


春立つ日の想起

2013-02-04 18:00:19 | 八郷の自然と風景

菜園でジャガイモの畝の準備を始めました。種藷を埋めるのは来月の予定ですが、元肥に用いる落葉堆肥が未熟なので、早めに耕してから土中で熟成させることにしています。

Dscn31449年前のこの季節にも、私はやはりジャガイモの畝作りのために鍬を振っていました。土の様子を一心に見ながら。そのとき何か、周りの空気が動く気配を感じて、弾んでいた息を吐きながら視線を前方に移しました。

最初に視界に入ったのは、誰かの両足元でした。ハッとして目を上げると・・そこに息子が立っていました。母親の資格に乏しい私には、思うように会うことが出来なかった息子です。息子は、その父親の死を私に告げるために来てくれたのでした。

その人を愛していた、とは言い難い私ですが、その死はやはり衝撃でした。否、今でも衝撃であり続けているのかも知れません。怨みも憎しみも、その感情の様相は愛しみに共通するものがあるようです。

Dscn3133新聞の折り込みチラシに地図の広告がありました。都会の鳥瞰図には「眺めていたい」などと書き込まれていますが、いつ大地震が起きるやもしれぬところに、極度に密集して人々が暮らしていることを、改めて怖ろしく感じます。

Dscn3131横浜の鳥瞰図の中の「山下公園」の名に目が止まりました。

Dscn3134_4早春のころに、二人で山下公園の一角を訪れたことがあります。
手元に残っている写真では、この過去の私はそれなりに幸せそうに見えます。遠い過去の私は、今の私にとっては「他者」、それも不在の他者のように感じられます。

Dscn3127過去とは想起である、という大森荘蔵の著書「時間と自我」(青土社)を読んでいたら、窓辺から小鳥たちの声! エナガの群れ(6羽いました)が口早にお喋りしつつ、庭の木々の樹皮をつつき、枝から枝へ飛び移り、やがて去ってゆきました。

小鳥たちは、時間とか自我とかには無縁で、(いとも簡単に死んでしまいますが・・)生きている間は死とも無縁で、まさに懸命に生きているから、あんなに美しいのでしょうか。