みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

懺悔道-Metanoetik-  (田辺元哲学選Ⅱ その2)

2013-03-29 13:31:15 | 仏教

「懺悔道-Metanoetik-」は、1944年すなわち敗戦の前年の10月、京都哲学会公開講演会での記録です。

敗戦後の一時期「一億総ざんげ」という言葉が流行しましたが、田辺の「懺悔」には、まやかしを許さない厳しさがあります。

・・自己の安逸のために無力を告白する事もあろう。・・自己には懺悔をする能力があると言う自己満足や誇りに転落する事さえある。・・懺悔と自ら言う時、不純になり、煩悩に纏いつかれ、窒息せしめられながら懺悔以前の状態に戻る事がある。従って懺悔は不断に繰返されねばならず、そこに懺悔の無限性がある。

懺悔道に至った契機として、田辺は近代科学の行詰り(数学や物理学における二律背反等)と時局の行詰りを挙げています。そして科学の行詰りも、理性の本質に由来する必然と見ています。

 ・・理性の要求の行詰り、理性自身の破綻が見出されるのであり、これは私個人とか時局一般に関するのみならず、凡そ歴史の中における人間の知識に関する理性の自己矛盾である。 理性は理性自身を批判せねばならぬ。理性には絶対批判が課せられて居る。

Noetikとは希臘以来の西洋哲学全体を特色附ける・・理観の立場である。・・私は理観に対する行道(Metanoetik)が哲学の道であり、それは懺悔の働きであると申したい。

田辺の哲学は超理観の学です

哲学は理性に依拠すべきであるならば、理性を超える学はもはや哲学の名に値いしないものとして斥けられるべきかも知れません。しかし田辺には、理性の境界を超えることに必然性はあっても躊躇する理由はなかったのでしょう。そこに私は、田辺の精神の真摯な自由を感じます。

田辺は現実における行詰りとして、勝つべき戦争に勝てぬと言う無力感を指摘しています。勝つべきであったかどうかは別としても、あの戦時下において、公の場で勝てぬと明言した精神のただならぬ強さを思わずにはいられません。

この時局の行詰りは、田辺にとって重い責めを負うべきものでした。

 私は・・自己の無力を厭々ながら正直に認める外はなかった。しかし全く自己には何もできぬと言って頭を下げた時私には不思議な事が起こった。・・今まで焦り続けて居た不安・焦慮から救い出されて、非常に開かれた所に出た。

頭を下げ切った時、非常に開かれた所に出る不思議・・自己の本質的な転換です。中途半端ながら求めてはいますが、私には得られない転換です。

・・無力を徹底的に知らしめられたものをなお有力なものの如くに取扱う存在の原理は理観の立場のものではなく、理に対して言えば基督教的には愛、仏教的には大悲とか絶対の慈悲と言うものであり、私はかかるものに出会わしめられたと感ずる。

 これに気付くと・・浄土真宗の教え、親鸞の教えが私の中で特別な働きをして来る事を感じた。・・懺悔は親鸞更に法然・善導の踏んだ道であり、真宗は懺悔の上に成立したものである。

 ヘーゲルにては現実の特殊は止揚されねばならなかった。止揚とは否定すなわち破壊を含むのであるが、仏教にてはかかる否定は含まず、個が徹底的に救い取られるのである。・・宗教・形而上学はかかるものでなければならぬ。

・・自己が何もできぬと言う無力の自覚に立つ事に依って、理を超えた愛の立場に移さしめられた。・・この道こそ、私の如き凡夫の行く道である。

田辺は親鸞に倣い、皆様がこの懺悔道に対して如何様に御考えになろうとも、また如何なる御決定をなさろうとも、御自由であると申したいのであります。」と語ってこの講演を閉じています。

Dscn3297_5自己の無力の自覚に立つ偉大な精神の人、戦後は冬も厳寒の山荘に住み、一度の例外を除いて山を下りなかったという田辺元を、私の心の師にしたいと思います。


静かな日

2013-03-25 19:40:03 | 暮らし

Dscn3292気温がやや低めで曇り空ながら風は穏やかで静かな今日、友人が来庵してくれました。持ってきてくださったお土産のお菓子群を見て、思わずニッコリしてしまいました。とてもとても可愛いお菓子たち! 

Dscn3290お互いの人生の悲喜こもごもの思い出を、そして今現在の思いを語り合いました。笑ったり、しんみりしたり・・ 

友人が帰る時間にちょうど雨が降ってきました。心が潤うような静かな雨です。

吉田拓郎が既に病床を離れて復帰していることも、この友人のおかげで知ることが出来ました。早速、ネットで拓郎の近影を見ました。沢田研二と一緒の画像です。二人ともいい齢のとり方をしていますね!


笠間の出雲大社

2013-03-24 19:21:56 | 俳句

Dscn3282_2俳句の会で、笠間の出雲大社へ行きました。島根の本社から平成4年12月に大国主大神を分霊したとのことで、神域ならではの情趣を醸し出すには、もっと年月を要するようです。

大社というだけあって全体がおおがかりで、特に拝殿の大しめ縄には度胆を抜かれました。その重さは6トンにもなるそうです。

Dscn3289本殿の裏側に「樹木葬霊園」がありました。樹木葬とは、近年になって少しずつ普及し始めているらしい「(散骨による)自然葬」の一種ですね。表の国道側とは別世界のように静かな林です。

    樹木葬てふ丘ひそと鳥曇


木曜日の春

2013-03-21 18:24:30 | 健康・病気

Dscn3268庭の木瓜の花が満開です。梅や桜に比べるとボリューム感があり、今季は特に花数が多いので、観ていると疲れを感じるほどです。

Dscn3267冬枯れで骨のようだった紫陽花の枝茎にも、ふっくらした葉芽が開き始めました。

今日は恒例の買物デーです。木曜日はショッピングセンターの全商品が1割引きなのです! 近所のお二人と一緒に愛車で行きました。お互いに齢をとり、愚痴をこぼし合ったり励まし合ったりしながらの買物です。

Dscn3281午後は予約していた漢方医を訪ねました。背ろの里山も春らしい色模様です。Dscn3274_2
途中の農道の脇に辛夷と白木蓮が並んで咲いていました。

漢方医のその先生は、かっては西洋医学系の研究所に勤めていたそうです。でも2千年以上にわたって人々が服用し、治癒してきた漢方薬こそ信頼できる、と考えて転身したそうです。勇気と信念があればこその転身ですね。私もすっかりお世話になって、有難いです。


懺悔道としての哲学 (田辺元哲学選Ⅱ   その1)

2013-03-18 19:47:28 | 仏教

Dscn3263_3まだ読み始めて間もないのに大袈裟な言い方をするようですが、この本に運命的な出会いを感じさせられています。

不勉強な私には難解な箇所もあり、独特の言い回しに躓いたりしていますが、それでも、田辺元(1885~1962)の言葉を掴みたい、掴むのだ、掴かまなければ、という気持に押し進められるように読んでいます。

藤田正勝(1949~)の解説によれば、巻初に収められた「懺悔道-Metanoetiku-」は、1944年10月21日の京都哲学会公開講演会での講演記録です。戦後ではない、戦時の中での思索であること、その一事に既に驚異を感じる内容です。

同解説によれば、主著「懺悔道としての哲学」は、戦後まもない1945年10月に書き上げられ、翌年4月に刊行されています。

巻末近くに収められた「『懺悔道としての哲学』梗概」は、日本学術会議の依頼により執筆されたものと考えられています。底知れぬ深さを感じる内容が実に簡潔明瞭に示されていて、一読して目が覚める思いが致しました。(実際にどこまで覚めることが出来たかは別としてですが。)

「『実存と愛と実践』(1947年)序」も巻末近くに収められています。

「懺悔道」という言葉に、当初は違和感がありましたが、私が不信心ながらも尊崇の念を抱く親鸞聖人と偉大な哲学者との出会いの真実に、心揺さぶられています。


雲照寺の梅

2013-03-15 18:34:52 | 俳句

久しぶりに冷え込んだ朝、外はうっすらと遅霜でした。でも日が昇るにつれて春光が輝き、薄霞の筑波連山が穏やかに見える中、俳句の会で瓦谷の雲照寺を吟行しました。

Dscn3257お目当ては境内の梅林です。数日前に台風並みの強風が吹き荒れたので、花が傷んだり散ったりしたのではないかと懸念していましたが、凛と美しい八分咲きでした。丹念な剪定で樹高が低く抑えられ、幹や枝々が太いので風に強いのだ、とは仲間の弁。

    確固たる意志の如くに梅の枝

毎日通ってきているという御婦人が、大きな竹箒で力強く掃いていらっしゃいます。作業着姿の御住職が、その御婦人や私たちに声を掛けながら、リアカーを牽いてゆかれました。このお寺がいつも綺麗な理由が分かりました。

身内の御不幸や病気のために欠席の仲間がいて、悲しい話もしながらの吟行です。自分たちも明日はどうなるか分からない身ですが、「今日こうやって皆と会えたことを幸せだと思いましょうね」との先輩の言葉に頷き合いました。

お寺のまわりの空にも境内にも、小鳥たちが飛び交っています。

    囀りに満たされてをり法の庭


悲しい口笛のような

2013-03-13 19:39:06 | 八郷の自然と風景

針葉樹林内の山路をユキと散歩していたら、傍らの草藪から数羽の鳥が飛び立ちました。背側しか見えなかったけれど、羽は黒~灰色系で腰部が白、スズメより少し大きめです。フィ- フィ- と細い声で鳴いていました。

散歩の還りに先程の林の脇を過ぎようとしたら、高い梢の方から フィ- フィ- フィ- フィ- という声が聞こえてきました。とてもとても細い声が心に残ります。

図鑑やネットで調べた結果、ウソ(鷽)と判断しました。判断の決めては、悲しい口笛のよう、と説明されている声です。ウソとは嘘ではなく、口笛の意味だそうです。

八郷で出会った野鳥は、これで53種となりました。


2年間・・・

2013-03-11 15:08:50 | 八郷の自然と風景

Dscn3245_2昨日とは打って変わって空気は冷たいけれど、明るい光が注いで早春のようです。菜の花が咲き始め、蝶々が今季初めて来てくれました。紋白蝶でした。

でも今日は3月11日なのです・・・ 被災地の人々に対して、マスコミはどうして「元気を出して」とか「早く復興を」とかばかり繰り返すのでしょうか。心身を弱めた人々に、まるで鞭打つかのように。

Dscn32502年間、棄てられたままのような人々・・・ 国と東電はこれまでの無策と罪を詫び、人々に対して一刻もはやく償うべきなのに。

かくいう私も罪びとなのです。この国の体制と原発を黙認してきたのですから。そして今も何らの償いも為し得ないのですから。

Dscn3244昨年11月に生まれた2羽の鶏(=ウコッケイとチャボのハーフ)はもうほぼ成鶏に近くなりました。雌ならばもうすぐ卵を産むはずなんですが・・・ ウコッケイもチャボも普通の鶏と異なり、雄でも鶏冠があまり大きくならないので、雌雄の見分けが難しいのです。

写真の止まり木の中2羽が若鶏、向って右が母鶏のチャボのウララ、左は雌ウコッケイのギン、父鶏のウコッケイは写っていません。

文明という凄まじいものを持たない鶏たちの表情が、とても清浄に見えます。第2、第3の大震災や放射能禍がいつ起こるかも知れないこの世ですが・・・

 


陽気に誘われて

2013-03-09 18:15:33 | 八郷の自然と風景

Dscn3231門前の緋寒桜が咲き始めました。厳しい冬でしたが、この数日の急な暖かさで目覚めたのですね。

あちこちの杉林も花盛りで、花粉症の私は悲惨です。午前中は中央公民館で気功の同好会だったのですが、アレグラ錠を服薬していてもクシャミと鼻水しきり。気功は呼吸法が大事なのに。

そんな私と数人の花粉症仲間?を気遣って、気功の先生は花粉対策に効果が期待できる気功法を追加で指導して下さいました。

Dscn3239_2陽気に誘われて、雉の雄もよく野へ出てくるようになりました。飼犬のユキは雉を見つけると極端に興奮するので、散歩の引綱を持つ私は大変です。雉が飛び去った方向へ猛烈な勢いでダッシュする(雉狩りの相棒として調教される犬もいるという理由が実感されます)ので、綱主の私は引き倒されないように、必死で踏ん張らねばなりません。老体には厳しい試練です。

それでも、冬の間に脂肪が取れてスマートで、鮮やかなトサカと艶やかな羽根模様が見事な雉に出会えることを幸せに思います。


政和さま

2013-03-06 20:08:28 | 生死

今日の茶道の稽古は釣釜。天井から長い鎖で吊るされた釜が、炉の上でゆっくり微かに揺れている様子は、優しい春風を想わせます。

濃茶用として先生が用意して下さった茶碗は、飴釉の大樋焼。伊住政和さま(1958~2003)の手捏ねと聞いて驚きました。

政和さまは、裏千家当代家元の弟。家元を支えながら、茶道の伝統を現代生活に活かすべく、新しい試みにも果敢に取り組まれたそうです。しかし10年前、癌を患って44歳で急逝されました。大好きでいらっしゃったという水仙の花が咲く季節に。

若先生は、政和さまの話になると美しいお顔を曇らせて、しみじみと嘆息されながら懐かしがられ、悲しまれます。年代もほぼ同じで御高誼もあった由。

私ごとき初心者が稽古に使わせていただいたこの茶碗は、懐(茶筅ずり~見込み)が深くゆったりとした形。点てながら、そして喫みながら、政和さまのお人柄を偲びました。そしてやはり、死の理不尽を思わずにはいられませんでした。