みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

中島みゆきの’誕生’

2010-09-28 09:04:19 | 生死

1人でも私は生きられるけど でも誰かとならば人生ははるかに違う 強気で強気で生きている人ほど 些細な淋しさで躓くものよ 呼んでも呼んでも届かぬ恋でも むなしい恋なんてある筈がないと言ってよ 待っても待っても戻らぬ恋でも 無駄な月日なんてないと言ってよ 

巡り来る季節を数えながら 巡り会う命を数えながら 畏れながら 憎みながら いつか愛を知ってゆく 泣きながら生れる子供のように もう一度生きるため泣いてきたのね

リメンバー 生れたとき 誰でも言われたはず 耳を澄まして想い出して 最初に聞いたウエルカム リメンバー 生れたこと リメンバー 出会ったこと リメンバー 一緒に生きてたこと そして憶えていること

振り返るひまもなく時は流れて 帰りたい場所からまた一つずつ消えてゆく 縋りたい誰かを失うたびに 誰かを守りたい私になるの 別れゆく命を数えながら 別れゆく季節を数えながら 祈りながら 嘆きながら 共に愛を知ってゆく 忘れない言葉は誰でも一つ たとえサヨナラでも愛してる意味   

リメンバー 生れたとき リメンバー 言われたはず 耳を澄まして想い出して 最初に聞いたウエルカム リメンバー けれどもしも 想い出せないなら私いつでも貴方に言うわ 生れてくれてウエルカム リメンバー 生れたこと リメンバー 出会ったこと リメンバー 一緒に生きてたこと そして憶えていること

音楽に疎い私は、この’誕生’を最近になって知った。YouTubeで繰り返し聴いた。「泣きながら生れる子供のように もう一度生きるため泣いてきた・・」や、「想い出せないなら私いつでも貴方に言うわ 生れてくれてウエルカム」などのフレーズには、胸を衝かれる。祝福を与えてくれる中島みゆきの背後に、大いなる存在の源泉を見る思いがする。


いきなり深秋

2010-09-24 11:42:36 | 八郷の自然と風景

猛暑一転、深秋の気配。空模様もうすら寒い。Dscn1538_3

さしもの苦瓜(ゴーヤ)にも盛者必衰の理あり、葉が黄変してきた。葉隠れの実を採ってから株を片付けたら蟷螂が出てきた。Dscn1568 お腹が膨らんでいるのは卵を抱えているためか。(写真上でクリックすれば拡大できます)

茄子は名残りの実。

Dscn1548 Dscn1555 苗木から育てたブルーベリーは私の背丈をはるかに越えた。今季の摘果も最終段階。

Dscn1551 Dscn1552 22日に開いた花とまだ蕾(小さいながら力を溜めた拳のよう!)の彼岸花。殖えたら、菜園のモグラ被害を防いでくれるのでは・・という期待も。落葉堆肥を主肥としているため蚯蚓が増えたのは土壌にとって良いが、蚯蚓が好物のモグラも増えてしまって

Dscn1556Dscn1557 裏庭に、私の大好きな杜鵑草(ホトトギス)と秋海棠の花。

この秋は、自らの老いの深まりを否応なく実感することになりそうだ。盛者でなくとも、命あるものはみな必衰。そのことから、どれだけ目を離さずにいられるか・・

      この秋は何で年寄る雲に鳥    芭蕉


月と木星

2010-09-22 19:19:49 | 八郷の自然と風景

宵空は既に厚い雲に覆われて、中秋の名月は想像するしかない。昨夜は「きっこのブログ」(左欄のリンク集を参照)のお勧めを受けて、十四夜=待宵(まつよひ)を見上げた。空気が湿っぽくて水蒸気が月光を反射するからだろう、夜空全体に淡暗いミルク色が満ちて、まだ欠けている月は縁を潤ませながら少し伏せ目がちに見えた。

私の視力では、ミルク色の夜空の中に星たちを見出すことは出来なかった。ただ一つ木星だけが、月から少し離れたところで小さく煌めいていた。他の星が見えないから、私は木星の光を見詰めることになった。地球から宇宙の果てまでは約465億光年だから、木星は宇宙的スケールからすれば地球とくっ付いているようなものらしいけれど、人間的スケールではやはり遠い。その煌めきは、宇宙の永遠的世界を覗かせてくれる窓口のような錯覚を覚える。人間が人間である限り永遠を得ることも知ることも出来ない筈なのに、なお永遠を求める愚かな眼差を、木星は静かに見返しながら煌めいていたのだろうか。

あすは十六夜・・「いさよひ」、何と素敵なネーミング! 昔の日本人の感性に脱帽する。


沈まぬ太陽

2010-09-20 13:56:38 | 

Dscn1535 山崎豊子著「沈まぬ太陽」を読んだ。1995~1999年に週刊新潮に連載された後、全5巻に編集された長篇。読み出したら止まらなかった。

520名が犠牲となった御巣鷹山のジャンボ機墜落事件・・その前後の日航(小説上は国民航空)経営の内幕を描いている。

優秀な人材でありながら会社側に睨まれて、ケニアなどの海外勤務地をたらい回しされた主人公は、小倉寛太郎という方(2002年御逝去)がモデルだ。

山崎豊子の文体には、女性らしい優しさはあまり感じられない。むしろ粗雑と言ってもよいぐらいだ。登場人物の人格設定も一面的過ぎる印象がある。善玉悪玉等の区分けがやや単純で、読者としては鼻白むところがある一方、分かりやすくて読みやすいのも確かだ。偉大なるB級小説、とでもいうべきか。それに何と言っても背景となっている事実が凄い。恐らく各種の妨害と闘いつつ精力的に取材されたであろう事実の集積の力が圧倒的である。

野上弥生子が「古武士」風の女流ならば、山崎豊子は「前線の兵士」風、と言えそうだ。前線で闘う兵士にとって、武器は武器であれば良い。美醜よりも実力だ。不法、適法は問わない世界だ。山崎豊子には盗作疑惑もある。その疑惑が事実だとしても許される、と感じるほどの迫力が作品に横溢している。

フィクションという形をとっているものの、事実上、日航という国策会社の放漫経営や報復人事等の内実、政官界及びマスコミとの癒着、私益のための権謀術数などを赤裸々に描いているのだから、その筋からのクレームの激しさも想像するに余りある。こんな作家はとうに干されて作家生命を絶たれるのが世の習いだろう。それなのに山崎豊子が健在でいられたのは何故か? それは作品が余りにも面白く、余りにもよく売れたからだろう。業界に利益を齎してくれる作家なのだ。利益こそ、この国の第1基準なのだから。

だから映画「沈まぬ太陽」も、難航しながらも昨年公開することが出来た。日航の怒りは頂点に達しただろうが、経営破綻の露呈でそれどころではなくなった。

本年1/9、日航はついに会社更生法(倒産法の一つ)適用を申請した。

稲盛和夫は京セラや第2電々を創業発展させ、「経営の神様」とも呼ばれたが、65歳で第1線を退いて禅寺で得度を受けた人物。その稲盛が2/1、日航会長に就任した。この困難な大役を無報酬で受けている。小説「沈まぬ太陽」で、経営改革に無報酬で粉骨砕身する国見会長を彷彿とさせる。

日航は2010年3月末現在で9,592億円の債務超過。稲盛は定例会見で「(日航には)商売人の感覚を持った人があまりに少ない。損益ベースで物事を考える人が少ないことは大変残念だ」と語っている。国策会社の役員たちの放漫経営ぶりは稲盛の想像以上だったのだろう。8/31、遅れていた更生計画案が東京地裁へ提出された。社内合理化を前提に、5,215億円の債権放棄と3,500億円の公的資金注入を受ける内容となっている。

公的資金とは私達の税金なのだ。日航の経営をここまで破綻させた旧経営陣とそんな経営を許した当時の政官界の大物たちは、どんな責任を取ったというのだろうか。

格安航空事業への参入も検討されている、と聞く。空の旅が安くなるのは朗報かも知れないが、御巣鷹山で誓われた「空の安全第一」の原点は、どんな時でも守られますように・・


お久しぶりです

2010-09-17 08:17:35 | 八郷の自然と風景

 ブログ更新を再開しました。記事の傾向を多少変えるつもりです。益々呆れられそうですが、マダラボケ庵主の煩悩の為せるワザ・・お嗤い下さい。

 今朝は肌寒さで目が覚めたけれど、つい先日までの猛暑にはホトホト参った。身体も頭も心もボワーッとなり、日頃から頼りない体力・気力が更に衰えた。それでも特に大きな病気もせずに過ごすことが出来たのは幸いだった、と言うべきか。

 夏鷹のサシバは南国から渡ってきて、夏になると当地でも「ピックィー」という独特の声を上げながら上空を飛ぶ勇姿が見られる。ところが今年は梅雨頃に少し声を聞いただけで、その後は全く聞かなかった。あまりの暑さに驚いて、更に北方へ渡りを延ばしたのだろうと思う。

 サルスベリは暑さに強いらしく、例年以上の鮮やかな花色で豊かに揺れていた。他の生きものが青息吐息の中でヒトリ気炎を吐いているかのようだった。

 最近の異常気象の頻発、温暖化、動植物の絶滅危惧種の急増などには、地球環境の激変を実感せざるをえない。地球そのものが危機を迎えているのではない。私たち人間が自ら齎した自らの危機を迎えているのだ。人類絶滅後も、地球には(大彗星衝突などのハプニングが無いかぎり)天文学的なレベルでの寿命が残っているだろう。それに引き換え人類は、現在のような暮らしを続ければ、百年もしないうちに破局へ直面するのではないか。一日も早く、多エネルギー消費の暮らしから少エネルギーの慎ましい暮らしへ、大きく舵を切るべきなのに、世の中は眼前の利益に向かうエネルギー乱費のベクトルばかり・・

 猛暑の中、息子夫婦が久しぶりに遠路を来庵してくれたのは嬉しかった。この二人のためにも、平和で穏やかな地球環境を願わずにはいられない。