3/11のその時、激しく長い揺さぶりに為すすべもなかった。本震が納まらない内から強い余震が次々に来た。
当庵の被害は軽微だった。最初の数日間は精神が高揚して妙に元気だった。ところが、大津波の悲惨な被害や被災者の窮状の報道に触れるごとに胸が潰れるような苦痛が生じてきた。更に福島原発の危機が深刻化するにつれて、食事が喉を通らなくなり、夜は睡眠障害が高じてきた。今にして思えば、急性の鬱症状だったのだ。なんと弱い私であることか・・
心臓が異様な動悸を打ち始めた17日夜、関西の息子へSOS発信。18日未明に庵を出た。向うの駅でお嫁ちゃんが待っていて、その実家に案内してくれた。お母様が優しい笑顔で憔悴の私を労わって下さった。地獄から極楽へ移った思いだった。
気力体力を急速に回復した私は、昨日27日に帰庵した。帰路の交通事情の不安を心配して下さった友人夫婦が、東京駅から当庵まで私を送って下さった。犬のジュンとウコッケイたちは、近所の方が世話して下さっていた。そして、少なからぬ縁ある方々が、私のことを気遣って下さった。人の優しさが身に沁みる・・
2万人をはるかに超えた死者・行方不明者、そして震災と放射能被害で避難生活を強いられている人々のことを思うと、錘のような罪悪感がある。
どんな言葉も軽すぎて虚しい事実の中で、人は、私は、どう変わっていくのだろうか・・