自分の腕の長さが左右で違うことには、成人後まもなく気が付いたけれど、体全体の左右がひどく歪つで、特に腰部が大きくゆがんでいるのを知ったのは、着物を着るようになった6年前のころです。
あるとき突然、茶道を学びたくなり、お茶をやるなら着物は必須と言われて、キモノのキも知らず腰紐1本も持たない私が、着物と格闘することになりました。見るも無残なほど不恰好な着方しか出来なかったのは当然ですが、帯のゆがみがどうにも直らないのは、体の形の方に根本的な問題があることを知ったのです。
自分の体の外形的な問題に気付くのに、人生60年を要したのだ・・と呆然たる思いでした。見れば分かる筈の外形でさえこうなのですから、ましてや「自己を知る」なんて、私には到底及ぶことの出来ない境地なのだ、と。
着物を着るときは、ゆがんだ腰のあたりにタオルを何枚も当てて、体型補正をしなければなりません。着物は思っていたよりもずっと、冬は暖かく、夏は涼しいのですが、私の場合はタオル補正のため、どうしても暑苦しくなります。
今日は茶道の稽古日。でもあまりにも蒸し暑いので、タオル補正して着物を着るのが億劫で躊躇しましたが、稽古に行こうと思えば行ける幸せを顧みて、やはり行くことにしました。
歪つな体に不器用に着た着物姿を、姿見で斜めに撮ったので、益々歪つに写っています 着物も帯も、近所の方から譲っていただいた夏ものです。有難いことです。
愛車で30分、先生宅の露地に入り、蹲の水を使うと、もう茶道の世界です。
お茶室の床の間の掛軸は、沢庵和尚(1573~1646)の自画賛の墨跡でした。37歳で大徳寺の住持となったものの、わずか3日で寺を去ったほど名利を避けた沢庵ですが、後に3代将軍家光の顧問役となります。権力に取り込まれたのだ、という評価もあるそうです。真偽のほどは私なぞには分かりません。ただ、拝見した掛軸の画も書にも、衒いのない味わいを感じました。
大先生と弟子仲間二人とともに、伝統の世界の時間をゆっくり過ごすことが出来ました。最近の私は足腰が弱ってきていますし、あと何年続けられるか分かりませんが、だからこそ、出来る今を大事にしたいと思います。