みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

譲って頂いた紬

2013-12-04 19:21:00 | 着物

着物に着替えて、茶道の稽古に行きました。私の着物の大半は、人様から譲って頂いたものです。今日の着物も、近所の御高齢の方が「(足腰が不自由になって)もう着れないから」と、先日譲ってくださったものです。

Dscn0115お迎えくださった大先生が、私の着物を見て目を丸くされました。着物にお詳しい大先輩も、嘆声を上げられました。大変に上等の着物なのだと教えられて、着物に無知な私はキョトン。紬のようだとは思っていましたが、黒っぽくて地味な、お稽古に気軽に着てよさそうな、ぐらいのつもりでした。譲ってくださった方も、普段と変わらない御様子で、特別の御説明もなかったのです。

Dscn0118_2「ちょっと立って見せて」とか、「生地を触らせて」とか、稽古のお茶室は、私の着物のことで暫し大賑わい。 豚に真珠 とはこのことか、と思いました。イヤ、可愛くて綺麗好きの豚さんには申し訳ない表現ですね。

肝心の稽古の方は間違ってばかり、苦笑するばかり・・ でも皆様から優しい御指導を頂いて、楽しかったです。


結び帛紗花月

2013-08-21 20:16:30 | 着物

Dscn3674暑い毎日ですが、先週からツクツクボウシが鳴き始めています。夜の虫の声も少しずつ増えてきました。

昨夜は久しぶりの降雨があり、人も田畑もホッと一息。気温もちょっと下がりましたが、それでもやはり蒸し暑い今日、扇風機の風を受けながら紗(シャ 盛夏向きの透けるような生地)の幾何学模様の着物(近所の御婦人から譲ってもらったもの)に着替えて、茶道の稽古へ出掛けました。

稽古は 結び帛紗花月(ふすびふくさかげつ)。私は初体験です。花月では通常は全員が各自の帛紗を用いますが、結び帛紗花月では当初の亭主役の帛紗のみを使います。今日は私が当初の亭主役に当たったので、あまり綺麗には手入れしていない帛紗を他の方に使われる・・ということで、ちょっと冷や汗?!でした。

Dscn3670_2当初の亭主役は、最初に道具(茶碗など)を運び入れてから、帛紗を結び文のような形にして、畳上(写真は帰庵後に板の間で撮影)に置きます。帛紗をいつもと違う形にしただけで、茶室の雰囲気がかなり変わるのが不思議なくらいです。

硝子の水指が納まっていたのは溜精棚(りゅうせいだな)でした。裏千家今日庵にある溜精軒の下地窓に、使い古しの柄杓の柄が用いられており、これに因んで、同様の材が用いられている棚です。

使い古しの柄杓の柄を格子代わりに使うなんて、地味なようでいて実は結構奇抜なアイデアですね。


愛着と廃棄

2012-10-03 18:43:42 | 着物

充分な睡眠時間だったのに、朝の体の芯に理由のない疲労感が取り付いているようでした。胃腸の具合も変です。体調が悪いと、考えることも暗くなりがち。犬の散歩、犬と鶏への給餌、菜園の見回りなどの必要最低限のことは済ませましたが、今日は茶道の稽古日。行こうという意思を定めるのに時間を要しました。

Dscn2745のろのろと着物への着替えを始めました。今日の着物も、近所の方から譲ってもらったものです。帯を締め終わったころには、心身とも少し持ち直しました。

先生宅の茶室に入り、この季節ならではの破れ風炉(錆びて縁が欠けた形状の鉄製の風炉)の中置(炭火が入っている風炉は、夏季は客から遠ざける趣旨で畳幅の片側に寄せて置かれますが、季節の変わり目の今月は、火を客に近付ける趣旨で畳幅の真中に置かれます。)などを拝見したら、心が浮き立ってきて「やっぱり来て良かったわ!」と私。すると若先生が、美しいお顔を茶目っ気で満たして「そうよ、やっぱり来なくちゃね!」

大先生が、私の着物の模様を「なかなかいいわねぇ」と言ってくださいました。かって着物を日常的に着ていた人々は、もう着る機会が無くても着物には愛着があるので、手離さないことが多いそうです。しかし、そのご本人が亡くなられると、娘たちもお嫁さんも着ないし、たとえ着物を着るとしても寸法が合わないので、廃棄されてしまうようです。そんな話を、先生や諸先輩が嘆かわしげに暫し語り合われました。

私には着物のこともサッパリ分かりませんが、皆様がおっしゃるには、昔の着物には今の着物には無い良さがあるそうです。伝統文化の急速な衰退は、本当に残念だと思います。


行ける幸せ

2012-08-23 21:32:14 | 着物

自分の腕の長さが左右で違うことには、成人後まもなく気が付いたけれど、体全体の左右がひどく歪つで、特に腰部が大きくゆがんでいるのを知ったのは、着物を着るようになった6年前のころです。

あるとき突然、茶道を学びたくなり、お茶をやるなら着物は必須と言われて、キモノのキも知らず腰紐1本も持たない私が、着物と格闘することになりました。見るも無残なほど不恰好な着方しか出来なかったのは当然ですが、帯のゆがみがどうにも直らないのは、体の形の方に根本的な問題があることを知ったのです。

自分の体の外形的な問題に気付くのに、人生60年を要したのだ・・と呆然たる思いでした。見れば分かる筈の外形でさえこうなのですから、ましてや「自己を知る」なんて、私には到底及ぶことの出来ない境地なのだ、と。

着物を着るときは、ゆがんだ腰のあたりにタオルを何枚も当てて、体型補正をしなければなりません。着物は思っていたよりもずっと、冬は暖かく、夏は涼しいのですが、私の場合はタオル補正のため、どうしても暑苦しくなります。

今日は茶道の稽古日。でもあまりにも蒸し暑いので、タオル補正して着物を着るのが億劫で躊躇しましたが、稽古に行こうと思えば行ける幸せを顧みて、やはり行くことにしました。

Dscn2536歪つな体に不器用に着た着物姿を、姿見で斜めに撮ったので、益々歪つに写っています 着物も帯も、近所の方から譲っていただいた夏ものです。有難いことです。

Dscn2538愛車で30分、先生宅の露地に入り、蹲の水を使うと、もう茶道の世界です。

お茶室の床の間の掛軸は、沢庵和尚(1573~1646)の自画賛の墨跡でした。37歳で大徳寺の住持となったものの、わずか3日で寺を去ったほど名利を避けた沢庵ですが、後に3代将軍家光の顧問役となります。権力に取り込まれたのだ、という評価もあるそうです。真偽のほどは私なぞには分かりません。ただ、拝見した掛軸の画も書にも、衒いのない味わいを感じました。

大先生と弟子仲間二人とともに、伝統の世界の時間をゆっくり過ごすことが出来ました。最近の私は足腰が弱ってきていますし、あと何年続けられるか分かりませんが、だからこそ、出来る今を大事にしたいと思います。


ユスラウメ

2011-06-04 20:32:50 | 着物

Dscn1948庭のユスラウメの実が色づいてきた。何とも可愛らしい実で、憂鬱なことを忘れさせてくれる。

古着(和服)を商う友人宅へ、昨朝、久しぶりに出掛けた。話はやっぱり大震災と原発のことが中心。友人も色々と大変だったと思うけれど、でもお元気。私を見て、元気そうで良かった、と言って下さった。3/11以降は商品の流通が激減している、という。その上、私が取り寄せを依頼していたのは紋付の単衣。ただでさえ品数が少ないであろう種類だ。しかし友人はとても色合いの良い品を取り寄せてDscn1944_3 下さっていて、私は一目で気に入ってしまった。価格も割安で、申し訳ないぐらいだった。これがあれば、6月や9月の改まったお茶会へも出席することが出来る。取り寄せにご苦労されたに違いない友人に感謝!

昨午後は首都圏の友人夫婦が来庵して下さった。雑草と言われる草花=ハルタデ、ハルアザミ、ハルジョオンなどの花入れを愛でてもらって、私も嬉しかった。

話題はやっぱり大震災と原発のことになる。憂鬱な話題でも、話したいことを聞いてほしい方々と共に話していると、心が開いていく実感がある。そして気力が出てくる。

今日は公民館で気功の同好会。先生の優しいご指導に身も心も解れていく。そして仲間とのお喋りで笑顔が増えていく。人との絆の有難さが身にしむこの頃である。


名残の雪

2010-02-17 19:12:30 | 着物

Dscn1348 当地の篆刻家aSさんから戴いた紬を着て、愛車で茶道の稽古に行った。姿見は近所のkSさんが譲って下さったもの。縁ある方々の御好意に支えられて「着物で茶道」を続けることが出来ている。

稽古は、まず大炉で逆勝手の薄茶点前だった。正客役の方から「お茶杓の御銘は?」と問われて、今朝の雪景色を想い出し「名残の雪」でございます、と応えた。

利休は「茶の湯とはただ湯を沸かし茶を点てて飲むばかりなる事と知るべし」と言ったそうだけれど、私は肝心のお茶を点てるのが下手だ。今日は私の点てた薄茶を大先生が喫されたので、正直ドキドキした。そんな私を気遣われたのか、大先生は「美味しいわよ」と言って下さったので、ホッ

次は本勝手の濃茶付花月。最初に「正客」役の札が当たり、続いて「初花」役の札が当たった。懸命に務めたけれど、やっぱりミスが多い。大先生と若先生、そして先輩の皆様からいただく御注意は初心の私にとって最上の糧だ。

Dscn1352Dscn1360_2  帰庵して菜園を見回った。初冬に蒔いたエンドウの芽が、厳寒を耐え抜いている。そばの畑土が棒状に引掻かれたようになっているのは、雉の足跡だ。 雉の恋の季節ももうすぐだろう。当庭のサンシュユの蕾(写真上でクリックして御覧くださいませ)も、春の気配を懸命に感じ取ろうとしているように見える。


心置きなく

2010-01-11 18:33:03 | 着物

Dscn1270_sh01_2 付け下げの着物に松や梅の模様の帯を締めて、朝7時過ぎに愛車で出発、裏千家淡交会茨城支部の初茶会へ行った。

Dscn1265 岩間街道と50号線水戸バイパスを経由。バイパスを走るのは初体験で緊張した。水戸駅近くの会場へ8時過ぎに無事到着して、ホッ。開会は8時半からだが、もう沢山の方が参集されていた。

Dscn1264 まず濃茶席へ。受付順に待って第2席目に入室出来た。お点前はいつも御指導を頂いているE師(大先生)だった。お御足の具合を庇われながらも、流れるような美しい所作を拝見できた。

掛軸は「松無古今色」。禅語で「竹有上下節」と対句らしい。松は常に等しく緑ながら古今の別があり、竹は節の上下に別がありながら一本の竹として等しくもある、ということから、前句は時間的、後句は空間的な存在の理を示している、ということか。

続いて薄茶席へ。赤味を帯びた土風呂が目を引いた。「彩雲風炉」との説明があった。ネット検索したら、秀吉時代以来の伝統がある蒲池焼(かまちやき)らしい。秀吉没後は九州の柳川藩の御用窯だったそうだが、その窯は三潴郡(みずまぐん)蒲池村にあった、という記事に驚いた。私が生れた大溝村も三潴郡だから。それはともかく、明治維新で廃窯になったのを、昭和48年に伊藤征隆という方が再興したとのこと。

次に立礼席(椅子式)へ。入室の成り行きで正客と同じテーブルになった。正客席に着かれたのは茨城支部長のNさん。私の背に緊張が走ったが、意外なことに?Nさんは大変気さくなお人柄で、たちまち和気を醸し出されると共に、お茶を深く味わうお姿を示して下さった。

最後に点心席で正月らしいお料理を戴いた。初茶会を心置きなく楽しめたのは、先輩のmHさんと会場で御一緒できて先導してもらったから。

Dscn1276 帰路の岩間街道で前を走る車のナンバーが 9 9 9  窮 窮 窮 ? ウーン・・・そうだ、クッ クッ クッ と読めば、忍び笑いで運転も快調。午後1時過ぎに帰庵。初茶会記念に配られた品を開いたら、虎の縞模様の小扇子(納屋真美子様のデザイン)でした。


あまりの美しさに

2010-01-06 20:32:28 | 着物

Dscn1254 茶道の初稽古へ行きました。身に付けた訪問着と袋帯は近所のhKさんが、防寒コートは近所の農家のkOさんが譲って下さったものです。有難いことです。

Dscn1256 大先生が炭手前をして下さいました。御説明を入れながら、海のようにゆったりと。炉縁の鮮やかな朱がお正月らしく華やかです。金蒔絵が施された輪島塗で、一后一兆の作だそうです。

若先生の手作りの点心を戴きました。大根おろし入りの葛湯にポッカリ浮かべられたシンジョの美味しかったこと 雲丹が載せられたホタテと、金粉がトッピングされた栗きんとんも味わい深かったです。

主菓子は花びら餅。笠間の松島製はやっぱり最高!

Dscn1255 真台子(しんだいす)が設えられていました。若先生の濃茶点前は、澄み切った空のように爽やかです。

茶入の仕服が脱がされた時は、皆、息を呑みました。顕れた茶入のあまりの美しさに、です。形は中次(小さな茶筒のような形)で、白梅と浅葱色の籬の絵模様。背景は濃紫です。永楽即全作の交趾(コーチ)焼写し、とのことでした。

交趾とは、ネット検索してみたら、現在のベトナムの中南部の旧名で、交趾船は鎖国の日本にも南方の品々を齎していたそうです。交趾焼(写しではない本来の品、本歌と呼ばれる)自体は交趾産ではなくて、中国の福建省あたりの産のようです。

薄茶は隣室の立礼席(椅子式)で、弟子の私達が順番に点てたり喫茶したり。床の間の花入の渋い緑青色に心引かれました。秦蔵六(はたぞうろく)作の唐銅製「立鼓」だそうです。水仙だけがひっそりと挿されていました。


お見事

2009-10-11 18:40:45 | 着物

Dscn0964_sh01 ひたちなか市茶道連合会芸術祭茶会へ行った。会場は勝田駅近くの文化会館内。秋晴れのもと、小紋の袷に名古屋帯を締めた。

Dscn0962 袷は近所のhKさんから譲ってもらったもの。帯は骨董市で求めたもの。バッグは近所のkSさんから譲ってもらたもの。長襦袢はibakasumiさんのお世話で入手したもの。皆さんへ感謝!

着物姿で電車に乗ったのは初体験。どうにか無事に勝田駅に着き、茶道の大先輩のMさんと落ち合って、お茶席をご一緒出来たから心強かった。Mさんは御自宅で茶道を教える外、障害者福祉のためのボランティア活動でも大活躍されている。

お茶席の亭主役は、E師のもとでの稽古仲間のHさんだ。Hさん自身も御自宅で茶道を教えていらっしゃる。海外旅行で求められた別用途の品の幾つかを茶道具に見立てられた、斬新なお席だった。

Dscn0969 Hさんの御主人が創作された黒柿製の茶道具をお土産に戴いて、恐縮の限り・・Dscn0970

左写真は、栗のデザインの香合と八角の茶器。

Dscn0975 右写真は、柿のデザインの茶器と、その中に納めることが出来る大きさの香合。

定年退職後に始められたそうだが、見事な彫りは玄人ハダシ、と思う。 茶席の受付を楽しげに務められて、Hさんとの息の合わせ方もお見事、とお見受けした。


感謝!

2009-10-06 19:17:31 | 着物

愛車を1時間余り走らせて、ibakasumiさん宅へ行った。少し改まったお茶会に関わる際に相応しい着物が入用となり、リサイクルの着物を取扱っていらっしゃる彼女を頼ることにしたのだ。

Dscn0952_2 見立てて下さった袷と帯そして帯締はとても落着いた色合いで、改まったお茶会にピッタリ 

袷は無地だけれど、よく見ると星屑のような細やかな地模様が散らしてある。私はすっかり嬉しくなった。ibakasumijさんに感謝!

往復の途上でガソリン残量が乏しくなった。沿道のガソリンスタンドは「セルフ」だった。お恥ずかしいことに私はセルフの作法を知らない。恐るおそる事務所のドアをノックして、御指導を乞うた。

事務所の青年は丁寧に教えてくれた。最後に、給油口の蓋を私が確実に閉めることが出来たかをチェックしてくれた。「助かりました、有難うございました」と頭を下げて感謝!

もうこれからは「セルフ」でも怖くない、と言いたいところだが、うっかり者の私は給油口の蓋をスタンドに置きっ放しで出発しそうな気がする・・大変なことになってしまいますよね