みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

梅雨晴れ間の風景

2016-06-27 12:58:14 | 暮らし

4時前に起床して早朝食を済ませ、朝5時。緑の海のように田んぼが広がる中、愛車を用水機場へ駆った。途中で、野良作業に勤しんでいる篤農家に「おはようございます!」と声を掛けたら、「水神(みずがみ)様! お世話になっております!」と、いつものおふざけを返された。おふざけと分かっていても「みずがみさま」なんて言われると、悪い気はしない。

昨夕は、用水路へ流入したゴミを流すためにゲートを上げておいたので、今朝は、取水口付近に引っ掛かったゴミを取り除いてからゲートを降ろした。いったん帰庵し、飼犬ユキの散歩や給餌などの後、再び機場へ愛車を駆って用水ポンプを稼働させた。村の田んぼの稲たちの立派な生長ぶりを見ると嬉しくなる。そして梅雨晴れ間の青空が美しい。

再び帰庵して、自家用菜園の草取り。稲や野菜たちの生長が著しいこの季節は、草たちの生長も凄い。しかし私の体は1時間近い野良作業には耐えられない。でも体のあちこちの種々の病状はようやく軽快してきている。

外縁に横たわって暫く休んだ。縁側の前に植えた色々な落葉樹が大きくなって、木陰を作ってくれている。横たわったまま見上げると、青空を背景に夏椿の葉たちが陽光を半ば遮り半ば通して風に揺れている。


小曲集

2016-06-23 09:19:31 | 文化
便りが届くというのは嬉しいものです。体や心が弱っているときには特に嬉しい、ましてや、その便りが故郷の旧友からのものであれば、本当にしみじみと嬉しいものです。そんな便りが続いて届いて、私の心を潤してくれています。

そんな便りと共に送ってもらったコーラスのCDに耳を傾けました。コーラスを聴く習慣が無い私ですが、木下牧子さんの作曲という小曲集に心洗われる思いがしました。下記の2曲には、(詩の趣きは違うのです)特に心引かれました。


          さびしいカシの木    やなせたかし 詩

山の上の一本の  さびしいさびしい  カシの木が  とおくの国へいきたいと  空ゆく雲にたのんだが  雲は流れて  きえてしまった

やまの上のいっぽんの  さびしいさびしい  カシの木が  私といっしょにくらしてと  やさしい風にたのんだが  風はどこかへ  きえてしまった

山の上のいっぽんの  さびしいさびしい  カシの木は  今ではとても年をとり  ほほえみながらたっている  さびしいことに  なれてしまった


          サッカーによせて   谷川俊太郎 詩

けっとばされてきたものは  けり返せばいいのだ

ける一瞬に  きみが自分にたしかめるもの  ける一瞬に  きみが誰かにゆだねるもの  それはすでに言葉ではない  泥にまみれろ  汗にまみれろ  そこにしか  憎しみが愛へと変わる奇跡はない  一瞬が歴史へとつながる奇跡はない  からだがからだとぶつかりあい  大地が空とまざりあう  そこでしか  ほんとの心は育たない  希望はいつも  泥まみれなものだ  希望はいつも  汗まみれなものだ  そのはずむ力を失わぬために

けっとばされてきたものは  力いっぱいけり返せ
    

蘇ってきた感覚

2016-06-18 13:11:03 | 菜園
天からの貰い水がたっぷりで、かつ気温が上昇するこの季節は、菜園の野菜たちの成長が著しい。成長に伴う間引きや芽摘み等の世話が増える。草たちの成長も著しいから、草取りにも追われる。しかし雨天時は野良仕事に向かないし、晴天の日中の屋外は蒸し暑くて体力も気力も乏しい私には熱中症の危険性がある。梅雨狭間の朝夕の涼しい時間帯に少しずつ作業している。それも、体調不良を庇いながら少し作業しては休み、また少し作業しては休む・・・

                        

春彼岸の頃に種蒔きした人参は、発芽まで日数を要してヤキモキさせられ、発芽後はネキリムシとの闘いが熾烈でしたが、ようやく安定成長期になり、根が太りだしたようです。インゲンは種蒔きが遅れましたが、蔓が勢いよく伸びて篠竹の支柱に巻きはじめました。長ネギは来月初めに植え替え予定。収穫まであと半年くらい。息が長い栽培になります。落花生も勢いが出てきました。里芋は、種芋の埋め方が深過ぎたのか、発芽が遅れましたが、最近の雨で元気が出てきました。茄子はもうすぐ初採り出来そう。

体調不良でマイペースの遅々たる動きながら野良仕事をせずにはいられない、そして暫し憂さを忘れられる・・のは何故でしょうか? 新鮮で美味しい野菜を食べたいから? 菜園を草ぼうぼうにしたら人様に恥ずかしいという見栄から? どちらも正解ではある。でももっと大きな本当の理由があることに気付いた。草取りを済ませた畝を見ると、とても綺麗に見えるのである。世話を焼いた後の野菜株を見ると、有難う!と言っているようで、より元気でより綺麗な野菜株に見えるのである。それが実に心地よいのです。菜園が「美しくなった」というほどには高貴な感覚ではないが、菜園が「豊かになった」というほどには世俗的な感覚でもない。「心地よい」というほかない感覚。私の心身に深く刻み込まれていた感覚が、この八郷の地で十余年間暮らしているうちに蘇ってきたかのような感覚なのです。

嬉しい想定外

2016-06-16 14:54:25 | 健康・病気
山王台病院附属眼科・内科クリニックへ行った。先ず視力等の検査を受けてから、後発白内障のレーザー治療の前段として散瞳のため看護士さんに点眼してもらう。瞳孔が十分に開いたところで栗原先生の診察室に招ばれた。レーザーを当ててもらうつもりで先生の膝前の患者用椅子に座ったところ・・・

モナリザよりもっと複雑な?微苦笑を向けて先生がおっしゃるには・・・後発白内障(白内障手術時に残った水晶体後嚢の濁り)は次第に進行することが多いが、今日の検査の結果、ほとんど進行していなかった。視力の低下も僅かなので、レーザー治療は取りやめましょう・・・

私は意外な状況変化に戸惑いながらも、嬉しい想定外を喜んだ。このところの体調は悪いことばかり、落ち込むことばかりだったのに、今日は、病状が進行していない、と言われたのだ! 久しぶりに満面の笑顔になれた。先生の方は・・・せっかく来てもらって瞳孔まで開いたのに、申し訳ないですねぇ、ごめんなさいね・・と、さかんに謝られる。患者に対して、なんて優しくて率直で真面目な先生なんだろう! 私は益々栗原先生の大ファンになっていく。


 





綱渡りのような日々

2016-06-16 07:11:00 | 健康・病気
白内障の手術をしたのが2012年2月。もう4年近く経っているとは・・ 今日は後発白内障を治療してもらうため、これから眼科へ向かう。白内障手術後の後処理のようなもので、簡単なレーザー治療らしい。

しかし体調不良が続いている上に、最近は更に体のあちこちに痛みなどを発症して抗生物質を処方されたりしていたので、今日を後発白内障治療の予約日としていたものの、予定通り治療してもらえるかどうか、不安だった。今夏は車の免許更新期だから、視力が不十分なままだと、免許が切れてしまう恐れがある。運転しない暮らし方も可能だけれど、自由度が大幅に縮小してしまう。

落ち込んでいた体調と気持だが、かろうじて脱することが出来た。全体的な不調は続いているものの、レーザー治療には支障は無い状態にはなれた。私の日々は、まるで綱渡りのようになりました。でもまあ何とか渡れているのだから、有難いことです。


頼りなげな

2016-06-11 19:00:06 | 書道
月1回の書道教室へ行きました。「書道」というより「お習字」といった雰囲気の、それはそれは優しい老先生です。でもお書きになる字は力強く息づいています。先生の揺るぎない生き方、暮らし方があればこそ、の字なのでしょう。

私も精一杯、力強く書こうと思うのですが、どう頑張っても御覧の通り何だか頼りなげな字になってしまいます。





村のアシ原

2016-06-05 11:17:56 | 暮らし
今日は村の一斉清掃日です。早朝にパラついていた雨も上がり、カンカン照りでもない薄曇り。時々は涼しい風も吹いてくれて、清掃作業には最高の日和です。男性陣は道路際に繁茂した雑草等を草刈機で刈り、女性陣は不法投棄された空缶などのゴミを拾い集めます。女性でも、重い草刈機を上手に操って草刈りされた方がお一人いらっしゃいましたよ。男性でも、ゴミ拾いに参加された方がいました。見慣れない方でしたが優しい感じの人です。、聞けば、当地に別荘があるとのこと。10年位前に某会社の研究職を退職されたとか。



道路の片側には田んぼが広がっていますが、放棄された田んぼがアシ原になったところでは、オオヨシキリが ギョギョッ ギョッ ギョギョッシッ と威勢よく鳴いていました。 棄田が増えているのは寂しいけれど、オオヨシキリの声には元気を貰えます。