みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ジャーナリズム精神の喪失

2022-09-22 10:16:29 | 国際・政治
マスコミのニュースや解説等の番組を聞いているとき、話題が国際問題になると、もうウンザリしてしまう。現実は多様で複層的で矛盾に満ちているという当たり前のことが無視され、善玉・悪玉論を振りかざし、単純で一面的で皮相的な見解が横行している。

この日本には言論の自由がある、という。しかし、その言論の拠って立つ事実認識が誤っていたのでは、元も子も無い。

私の「ウンザリ」を解消してくれているのは、遠藤誉の「中国問題グローバル研究所」のサイトだ。
中国問題を始めとした国際問題についての重要な情報を把握し、見事に分析し、分かり易く伝達してくれている素晴らしいサイトだ。
(ただし、国際問題に対する「解決策」の方向については、私は遠藤誉に賛同できない部分があるが。)

「国際問題に関する日本のジャーナリズムは(ごく一部を除き)死んでいる」と、遠藤誉は指摘している。私もそう思う。悲しいことだし、怖ろしいことでもある。

「私」の一句

2022-09-20 06:12:26 | 俳句
毎年、松山で開催されている「俳句甲子園」(審査員長は、高野ムツオ・夏井いつき等の13名)、今年の最優秀句は次の一句だった。
  
          草いきれ吸って私は鬼の裔     阿部なつみ

作者の阿部なつみさんは、岩手県立水沢高校の生徒。高野ムツオの講評に依れば、「鬼」には「いじめられる者」「虐げられる者」など様々なイメージがあるという。

東京新聞の連載(毎月1回)「外山一機の『俳句のまなざし』、9/18付け記事は、「『私』の一句」というタイトルで、この「鬼の裔」の句を取り上げている。


俳句を「作る」意味、「読む」意味を考えさせられる貴重な内容だと思ったので、以下、抜粋引用する。

この句の「草いきれ」は鬼の国の「草いきれ」だ。虐げられた記憶を持つ者たちの一いまなお「中央」から見捨てられがちな者たちの一住まう国の「草いきれ」だ。だからこれは、その国に生きることを全身で引き受ける者一すなわち、誰でもない「私」の一句だ。

一句を読むとき、その句に書かれていること以外の情報を読みに織り込むことに異を唱える者もいる。しかし、作者など誰でもいいのだと言うときの、その「誰」とはそもそも誰なのだろう。俳句は「誰」でも書けるものであるという。けれど、自らの句がそうした言葉によって署名を奪われるとき、一般性だの普遍性だのと呼ばれるものと引き換えに、何か大切なものを明け渡してはいなかったか。


ブログを続ける?

2022-09-19 12:44:51 | ブログ
このブログの更新が、しばしば間遠になってきた。主な原因は、第一に気力体力の衰え。第二には、パソコンの不調。
第二の原因の解決策?として、スマホでの入力を、この記事で初めて試している。予想以上に良さそう! スマホは反応が速く、気持が良い。
第一の原因の解決策?としては、自らを叱咤激励?するのみ。

閲覧して下さってる皆様、もう暫くお付き合い頂ければ嬉しいです。