みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

腰痛の軽快

2014-08-29 20:22:18 | 健康・病気

愛車で25分ほどの整復院へ行って、柔道整復師の施術を受けました。初めて受けた1月14日から数えて28回目です。

若い頃は時折だった腰痛が、加齢とともに頻度を増してきました。野良仕事のときはもちろん、車の運転をしているときも、犬の散歩のときも、ひどいときは就床の時も、痛みを生じるようになりました。

数年前、公民館の気功同好会で「腰痛に効く気功」を教えてもらってからは、この気功でそれなりに痛みを緩和させることが出来ました。でも昨年頃から、気功の効果だけでは収まらなくなりました。腰だけでなく、背中や、股関節も痛むようになりました。そんなとき、畏友から整復院を教えてもらったのです。

Dscn0817 私の(そしてたぶん多くの人々の)腰痛の原因は背骨の彎曲。彎曲を完全に治すことが出来るのは20代初めまでなんだそうです。柔道整復師の施術は「骨格矯正」ですが、私の年齢でどこまで矯正できるやら・・と、内心で苦笑しつつも通いました。

他の整復院には行ったことがないけれど、この整復院で用いている機器は独創的です。

この1~2ヶ月、めっきり軽快してきたのを感じます。老化で堅くなった骨も、上手に施術してもらえば僅かずつかも知れないが矯正されるもののようです。

屈んだ姿勢で野良作業をするときは、どうしても腰に重い鈍痛が来るけれど、朝の犬の散歩のときなどは、ほとんど痛みを感じなくなりました。心も軽くなります。

保険が利かないので財布は涙・・ですが、払う代金以上の値打がある施術だと思います。

気功も整復も、若い頃の私は「マユツバ」だと思っていましたが、私の考えも変われば変わったものです。そして気功の先生にも整復師にも、「人間愛」がバックボーンとしてあるように感じます。感謝!

 


南木佳士著「冬への順応」

2014-08-25 09:51:44 | 

初出誌は1983年「文學界」。短編集「ダイヤモンドダスト」に収められている。これも僅か59頁の短編だけれど、味わい深さは並大抵ではありません。

主人公は著者と同じく医師。或る日、入院してきた重症患者は、青春時代の短い恋の思い出の人だった。

東京と地方、総合病院と過疎地の診療所、現在と過去、日常と非日常、現実の自分と本来(この「本来」という言葉の正体は、なかなか掴めないのですが。)の自分、豊かな文明社会の人間の歪と貧しい国々の人々の真摯な姿、そして生と死・・ これらの対比と交錯とが静かな筆致で鮮やかに語られていく。

近付く死は描かれていますが、未来は語られていないようです。

死に価値があるとすれば、それを決めるのは、残された者の内に生まれる喪失感の深さの度合だけなのではないか、とぼく(主人公)は思っている。 ぼくは今、初めて残される者になろうとしている。

終りのページで、主人公は天ぷらを手づかみで次々に食べる。それは、本来の自分、本来の人間の姿を掴もうとする烈しさだろうか。
 


南木佳士著「ダイヤモンドダスト」

2014-08-24 14:03:55 | 

南木佳士(1951~)の著書を初めて読みました。

Dscn0816 初出誌は1988年「文學界」。わずか64頁の短篇だけれど、読後の充実感を得られた。真摯なメッセージが込められているけれど、物語はテンポよく展開して読者を引き込む。

描かれている個々の出来事は何処にでもありそうでいて、物語全体としては現実的ではない、寓話めいた印象もある。大人のための上質の童話、と言えなくもない。

物語の後半で、二人の男の死が、死に方(=生き方)が描かれている。態様の異なる生死だが、二人とも死を畏れる気配がない。一人は死を安らかに受け入れ、もう一人は存分に生き尽して死ぬ。どちらの死も美しく描かれている。

死を畏れずに死んだ二人。ウェーバーがいうところの擬似的救済なのかも知れない。

たとえ擬似的であっても、救済は無いよりは有った方がずっとずっといいのではないか・・・と、ふと思った私です。

著者の分身と思われる主人公は二人の死に感嘆するが、結びの一文からも、あくまでも観察者の立場を崩していない(崩すことが出来ない)ようにも感ずる。


風景の多様性

2014-08-22 22:08:00 | 八郷の自然と風景

八郷の風景は多様だ。移住して12年経つけれど、行く場所それぞれに「こんな風景も八郷にあったのだ・・」と意外に感じることが未だに多い。多様と言ってもダイナミックではない。細やかな差異。心に優しい差異だ。

この多様性の主因は、八郷の地理的特性にある。筑波連山がアルファベットの の字のように八郷を囲んでいて、南東側は石岡地区つまり太平洋の方向に開いている。ほぼ盆地状だけれど、盆地に当たる部分が真っ平ではない。お臍の辺りに富士山(ふじやま 古名:鼓ヶ峰)という低山があるほか、各所に台地状の起伏がある。

地理の多様性に応じて、土地利用も多様。田や畑や村々の風景も、同じようでいて微妙に差異がある。そうした風土の伝統が、の字の筑波連山に囲まれているためか、比較的よく守られている。初めて訪れた人にも懐かしさを感じさせる風景だと思う。

Dscn0813 雲の姿が多様なのは八郷に限らないけれど、このところの不安定な気象の為なのか、雲の造形に目を引かれることが多い。

Dscn0811 上の写真は南方向の風景。右の写真は北東方向。夕日に照らされて、雲はほんのり染まったり、頬を輝かせたり。

下の写真は。田んぼ用水ポンプ機場の空(西方向)です。当地はカラカラの旱で、田んぼへの送水も細々状態。他地域では大雨洪水で悲惨な状況。 大自然にとって、人間の営みとは何なのでしょう・・

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笹井芳樹と擬似的救済

2014-08-18 15:15:13 | 哲学

STAP細胞捏造に係る事件は、この社会の歪んだ構図を劇的な形で露呈するものとなっている。科学研究の世界の歪み、その科学研究と政治経済との癒着、個々の人間関係の歪み、事件を報道するメディアの世界の歪み、そして情報を受取る側の感性の歪み等々。

ブログ「世に倦む日日」(左下リンク集欄でクリックして検索できます)は、この事件について鋭く深い記事を数回掲載している。特に8/13付「笹井芳樹への視角~ウェーバー『中間考察』における『エロスによる救済』」の記事は、笹井芳樹の内面を論じたもので、読んでいて自分自身の生死をも問わせられる感慨を覚えました。

ウェーバーによれば、「神なく預言者なき時代」においては、神による救済の代替としての擬似的救済が求められる、と。

上記ブログ記事の案内に従って、雀部幸隆(ささべゆきたか 1936~2013)の論考「ウェーバー 現代への精神史的診断 ~ひとつのスケッチ~1997」をPDFで読みました。

現代人の多くは「神」から遠ざかり、「神」に背を向けているけれども、結局は「理論的・実践的合理主義の増大する抑圧」に耐えかねてあらぬところに「神々」を求めている。その「神々」は、「政治」の神(小文字)、「美」の神、「性愛」の神、「知性」ないし「文化」の神と、それぞれの好みに合わせて様々だが、その「神々」も固有の「ディレンマ」を抱えており、そうした(諸)領域に神を求めるなら~(中略)~期待を裏切られること必定である、そんなところに現代人の安住の地はないのだ(いや、現代人にとってどこにも「安住」の地はない)。これがウェーバーの言おうとした事柄であった。

「知」のディレンマを徹底的に追求した田辺元を想起しました。

なおウェーバー自身は、神(大文字)の存在を否定したことはなく、「神なく」と和訳されている言葉も、原語では「神から遠い」とか「神から離れた」という趣旨なのだそうです。

救済への希望を諦めることが出来ない私にとって、心に迫る記事であり、論考です。笹井芳樹の罪と悲劇は、現代に生きる多くの人間にとっての問題でもある・・


愛車でケーズ電気へ

2014-08-17 14:45:21 | 暮らし

一昨日からツクツクボウシが鳴きだした。裏庭の水引草の糸のように細い花茎にいる小さな虫は、花の蜜を貰っているのだろうか。
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当庵ダイニングコーナーの照明が点灯しなくなった。 点滅頻度が高い箇所だから、12年の寿命には感謝すべきかも知れない。

Dscn0803 この間接照明用の小型の電球は、最寄りの店では売られていない。

Dscn0801 プリンターのインクもそろそろ使い尽くしそう。やはり最寄りの店では買えない。意を決して!?石岡のケーズ電気まで愛車を駆った。同じ市内ではあるけれど、八郷のこの辺の山路や農道とは交通状況が違う。国道6号線も、ほんの短い距離ながら走らなければならないから、運転が下手な私は少々気が重い。

Dscn0800 片道20分ほどで無事?着いたケーズ電気店には、眩暈がしそうなほど沢山の商品がならんでいる。自分で探したら何日かかっても見つけられそうにない。店員さんに相談したら、テキパキと案内してくれた。

レジの若い女性の受け答えと手の動きの速さに目を奪われる。素晴らしい能力だけれど、これを何時間も続けていると、いくら若くでも、心と体が辛くなるのではないか・・と思ったり。

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夏と秋の交錯

2014-08-12 14:23:53 | 八郷の自然と風景

Dscn0787田んぼの色が日に日に黄色っぽくなってきました。稲穂のお辞儀も始まっています。

燕たちは、数日前まで田んぼの上を滑空していたのですが、今朝はもう全く見掛けません。台風11号が来る前に南の国をめざして出発したのですね。田んぼ用水ポンプ機場の天井の巣で生まれ育った燕たちも、今頃、海の上を飛んでいるのでかしら。

Dscn0791 早々と稲刈りが進められているのは、注連縄作り用の稲です。普通の稲より背が高いですね。穂が少し出た頃に刈るようです。

菜園で草取りをしていたら、近くの木立で鵙が高鳴き!今季初めて耳にしました。

初夏の頃はひっきりなしに囀っていた鶯は、まだ時折鳴きますが、声がすっかり弱くなり、短いメロディーをやっとという感じです。

Dscn0792 夏季にキャベツを栽培するのは初体験。青虫やカタツムリなどの食害で穴だらけながら、球を膨らませてきました。

花オクラは今が花盛り。普通のオクラの花も綺麗だけれど、花オクラの花は大きくて華麗。花びらを食べます。レタスのように。気分だけは贅沢になれます。

Dscn0794夜になると虫の音が聞かれるようになりました。ソリストが数匹程度です。賑やかな合奏になるのも、もうすぐかな?


笹井芳樹の死

2014-08-07 14:27:38 | 生死

メディアの情報に対しては根本から疑ってみる必要がある。笹井芳樹の死は他殺ではないのか? 遺書は公表された通りの宛先なのか? 遺書のごく一部のみが公表されたが、その内容は本当なのか? 本当だとしても何故、誰の判断で、その部分のみが公表されたのか?

今回の報道がすべて事実だとしても、笹井芳樹に何の関係も無い筈の私にとってさえ衝撃の死だった。それはSTAP細胞に係る一連の事件の衝撃性の象徴となった。

笹井の死に最も悲痛な衝撃を受けているだろう・・と、世間に想われている人物がいる。その人物こそ、笹井の死とメディア情報に自らの身の安堵の効果を見てとり、声なき声で高笑いしているのではないか。そんな、おぞましい人物が横行する時代なのだ。


開拓村

2014-08-05 13:49:00 | 俳句

かねて長老から聞いていた「中山の開拓村」を、俳句の会で吟行することになりました。中山は八郷地区の南西部、筑波連山の懐に分け入ったところです。

落ち着いた佇まいの集落は、江戸時代に小幡村の人々が開拓・入植したのだそうです。集落の中ほどの小松崎家の五葉松は見事。

私たちは乗合タクシーで五葉松の前の山道を南へ。道は簡易舗装されていますが、両側は鬱蒼とした森林や竹林や藪が続きます。この辺りは昭和の戦後の開拓村だったとのこと。各地から30人ほどが開拓・入植したものの、離散・・・ブラジルや長野方面に再移住して、今なお此処に住む家は一軒のみ。

    洗濯物小さく干して夏山家

Dscn0782 昭和の開拓村跡の南端に、ログハウス風の家があります。お顔立ちも声も人柄も実に魅力的な(!)初老の好漢が大きな老犬とともに出てきて、私たちを案内して下さいました。

聞けば20余年前、都会を疎み、碧眼の美しい奥様と御一緒に当地へ移住されたそうです。沢水がとても美味しくて最高、とおっしゃっていました。

広い敷地の一角に沢水が注ぐ池があり、蜻蛉が飛び交っていました。小さな魚も棲んでいます。梅雨期には源氏蛍が舞うそうです。今日は猛暑でしたが、木陰の池の傍らに置かれた大丸太に腰かけていると、風が身も心も涼しくしてくれるようでした。

    奥山や魚影涼しき一ツ池


長谷川櫂著「『奥の細道』をよむ」

2014-08-02 15:21:05 | 俳句

Dscn0775 ちくま新書2007年発行。ちょっとアカデミックな匂いがして読みやすくて、「奥の細道」の手軽な案内書、と言えるかも。

芭蕉の俳諧の魅力もさることながら、例の

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。

で始まる地文の美しさには、つくづく感嘆してしまう。

「奥の細道」解釈の鍵として著者が提示している事柄は、不勉強な私には新鮮だった。構成に歌仙の面影がある、とか。

でも新鮮さも、更なる考察無しに繰り返されると退屈に転ずる。

芭蕉は古池の句で開いた心の世界を、いまだ訪ねたことのないみちのくという土地で思う存分、試みてみようとしたのだ。

というけれど、「心の世界」って、「試み」てみるようなものだろうか? 芭蕉にとっての旅は生きることであり、死ぬことでもあるのに、「試み」てみるような手軽なものだろうか?

古池の句の「蛙飛こむ水のおと」は現実の音を表しているが、「古池」は心の世界を表している。

上記の解釈の根拠として著者は、作句時の芭蕉の眼前に古池は無かったという史実を挙げている。しかし、「奥の細道」という作品が芭蕉の旅の史実とは一致していないように、古池の句においても、作品上の現実が史実に一致していないことも十分に考えられるのではないか。

    古池や蛙飛こむ水のおと

読者は先ず上五で現実の古池を思い描くだろう。中七下五で読者が感じる時空間は深まり広がる。その深まり広がりは読み戻った上五を揺さぶる。上と中下の往復の繰返しによって、この句の内実が出来上がってゆくように私は思う。真っ二つに分けて、一方は心の世界、他方は現実、と解釈するなんて、無茶だ。 

芭蕉は『おくのほそ道』の旅の途上、「かるみ」に気づき、旅を終えたあと、この「かるみ」を積極的に説きはじめる。『おくのほそ道』とは「かるみ」発見の旅だったのである。

人生は初めから悲惨なものである。苦しい、悲しいと嘆くのは当たり前のことをいっているにすぎない。今さらいっても仕方がない。ならば、この悲惨な人生を微笑をもってそっと受け止めれば、この世界はどう見えてくるだろうか。

芭蕉の心の「かるみ」とはこのことだった。「かるみ」の発見とは嘆きから笑いへの人生観の転換だった

著者は人生観をも真っ二つに分けて、一方の「嘆き」から他方の「笑い」への転換が「かるみ」の正体だと説く。芭蕉の精神って、いくらなんでもそんなに単純な構造ではないだろう、と私は思ってしまうのだ。

「奥の細道」最後の一句

   蛤のふたみにわかれ行秋ぞ

について、耐えがたい別れをさらりと詠んでいるだけだ。 と著者は言う。 さながら流れ去る水のように淡々としたこの境地 であり、不易流行と「かるみ」のまぎれもない成果だった。 と。そうだろうか?

慟哭以上の痛切な嘆きを感じ取るのは私だけだろうか・・