みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

真冬の花と蕾たち

2014-01-27 19:17:13 | 暮らし

Dscn0270_3今日も厳しい寒さでしたが、日脚は着実に延びてきています。庭の水仙が先日から咲き始めました。

Dscn0276クリスマスローズの根元に溜まった落葉を掻き分けたら、花芽がもうふっくらと育っていました

裏庭のウグイスカグラは、かぼそい枯木にしか見えませんが、近づいてよく見ると、細枝の先に薄紅色の蕾を付けていました。この木の小さな花と実が私は大好き!
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死や死者とともにある文化

2014-01-25 19:31:22 | 仏教

末木文美士(すえきふみひこ 1949~)という珍しい名前の方を、私は存じ上げていませんでしたが、今日の東京新聞に「浄土という問題系」と題する一文を寄せられています。「上」の字が添えられていますから、続きを後日掲載予定なのでしょう。

Dscn0268僕は十数年前から、死者という問題を取り上げ、さまざまな形で論じてきたが、はじめの頃は、そんな話題を出しただけで、その場の雰囲気が冷たくなり、いやな顔をされるばかりであった。

そういう周りの雰囲気、分かる、分かる・・・ しかし、

決定的に大きく変わったのは、やはり2011年の東日本大震災以後である。(中略)死者との関わりが、否応なく対処しなければならない現実問題となったのである。

福島の事故は、単に事故を起こしたから原発反対で済む問題ではなく、もっと根本的に僕たちの生のあり方そのものが問われ、その転換が求められているのだ。

私が昨年来その著書を、遅々としたペースながら読み続けている 田辺元 が引用されている箇所に目を引かれました。

哲学者の 田辺元 は、1954年のビキニ環礁水爆実験を受けて、いち早く、これからの時代は生の哲学ではなく、死の哲学 こそ必要だと主張した。あまりに時代に先んじたその説は、長い間ほとんど顧みられることがなかったが、ようやく今日、現実味を帯びて呼び起されるようになってきた。

末木氏は、死や死者とともにある文化は、決して暗い文化ではない と言います。なぜなら、目に見えないものたちを含めたもっと大きな世界へと広がっていくことができるのだから と。

文意には共感を覚えつつも、その文脈には少し安易な流れがあるようにも思います。続きの次号「下」に注目するつもりです。


冬の野良仕事のことなど

2014-01-21 18:11:23 | 暮らし

厳しい寒さが続いていますが、枯梢の上の碧空の美しさには思わず見入ってしまいます。
Dscn0261Dscn0258菜園の大根も葱も人参も、地上の葉は低温禍で無惨ですが、Dscn0259引き抜けば、地中から艶々した姿を現わします。里芋も未だ地中に残っています。

昨季のジャガイモや南瓜も貯蔵分が残っているし、Dscn0257_3
ターサイは地面にへばり付き、先日の雪にも耐えて濃い緑を誇っています。冬季の野菜は意外に豊かです。

Dscn0250草取りに追われることもないし、冬の野良仕事は少ないのですが、収穫が途切れる春季に備えて、切干作りに精出しています。不器用なので、手間が省ける銀杏切り。1週間近く干すと、小さく縮んでカラカラに。

冬季の大事な仕事の一つは剪定。敷地の西側が崖で、自生のコナラなどがぐんぐん伸びて菜園が影になってしまうので。樹の根は崖崩れを防いでくれるという面もあるので、殺さぬ程度の強剪定です。
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Dscn0246昨日、長柄付きの剪定鋸で高い枝を切っていたら、木屑が目に入ってしまいました。違和感が強いので、洗面所の槽にぬるま湯を貯めて、顔を突っ込み、目をパチパチ。これでかなり楽になりました。でも目は真っ赤。

一晩寝たら、だいぶ納まっていましたが、まだ少し赤く、違和感も残っています。ヤレヤレ。今日の剪定作業は保護メガネを掛けて行いました。齢をとると、何でも治りにくくなるし、注意を怠ってはいけませんね。

Dscn0244庭の水仙の蕾はかなりふっくらとして、薄衣を脱ぎ始めました。もうすぐ咲きそう!


レストラン「紫峰」

2014-01-17 20:24:06 | 八郷の自然と風景

午前5時46分、神戸からのラジオ実況放送に合わせて黙祷しました。19年前、あの阪神淡路大震災で亡くなった方は6434人。被災地域の広さは限られていたけれど、犠牲者があまりにも多かった。人口が密集した大都市が中心だったから。

早大の濱田政則教授の話では、あのとき、沿岸のコンビナートの石油タンクが傾いたけれど、地震動が10秒ほどで終わったから、倒壊→油の流失→海上火災に到らずに済んだという。

東京湾岸には、石油や天然ガスのタンクがずらりと並んでいる。東日本大震災のときは、千葉のコスモ石油で火災が発生した。首都圏直下型地震等で大規模な液状化と大津波に襲われたら・・・東京湾は火の海となる!

人間は生まれたからには必ず死ななければならない、それは仕方がないけれど、災害で死ぬのはイヤ、せめて畳の上で、というか、穏やかな場所で、穏やかに死んでいきたいね・・等々、近所の方と話しました。毎年1月の中頃に「新年会」と称して、この方とお昼を外食することにしています。

Dscn0236今回は愛車で20分ほど、筑波山麓の「ゆりの郷」(JAの温泉施設)のレストラン「紫峰」で、天ざるそばを戴きました。本来は温泉利用者のみが利用できるレストランなのですが、平日の昼間のみ、レストランだけの利用もできるのです。

Dscn0235外食はめったにしない私たちにとって、千円の天ざるそばは少々贅沢感がありましたが、新年会だもの、いいわよね!と言いつつ注文しました。天麩羅は海老と鱚と舞茸とシシトウ。カラリと揚がっていて、衣も脂っこくなくて上品な味。お蕎麦も堅からず軟らかでもなく、量も適当。

自分のこと、家族のこと、知人のこと、病気のこと、生き方のこと、宗教のこと、等々、沢山お喋りしました。幼い頃は「喋らない子」と言われていた私ですが、齢と共に喋るようになり、特に八郷に移住してから、本当によく喋るようになり、自分でも時々呆れることがあります。もちろん、相手にもよりますが。

Dscn0237レストラン「紫峰」は、大きな窓の向こうに筑波嶺を仰ぐことが出来るのも魅力です。だからなのか、平日でもかなりのお客さんが利用しています。こんな穏やかな日が、これからも続きますように。


厳しい寒さの中で

2014-01-16 19:40:21 | 暮らし

厳しい寒さが続いています。朝のユキ(飼犬)の散歩は、強霜に日差が届き始める7時半過ぎ頃から、二重の手袋の間にミニカイロを入れて。それでも冷え症の私の指先は凍りそう。

枯木立の枝から枝へ、小鳥たちは貴重な餌を求めて敏捷に飛び回っています。常連は、ホオジロ エナガ シジュウカラ メジロ 等。小さな野鳥たちは、不器用な私のカメラのレンズにはなかなか納まってくれません。

Dscn0218_2中型?の野鳥は、何とか撮影出来ました。まづは、煩い声で嫌われもののヒヨドリ。見た目もあまり綺麗ではない野鳥という既成概念がありますが、逆さまになって餌(虫?)を啄んでいる姿は、なかなかスマート。下腹の羽根模様もなかなか結構ですね。

Dscn0221次も逆光で下手な写真ですが、シロハラ。慎ましい羽色です。樹上では採餌しないようで、黙って周りを見渡しでからサッと飛び立つときに キョロッ と強く発声。その声で初めてこの鳥がいることに気付くことが多いですね。

昼間は雲一つない冬晴れ。午前中は近所の方と一緒に愛車でショッピングセンターへ。木曜日は全商品1割引きのサービスがあるので。

Dscn0228午後は別の近所の方と一緒に郵便局へ。「辺野古の埋立てを許さない! オスプレイNO!」の沖縄意見広告運動(本年5~6月頃に新聞掲載をめざす)へ、賛同金2千円を振り込みました。心身ともに弱い私でも、こんなささやかなことなら出来るのです。


21歳との隔たり

2014-01-14 18:25:40 | 健康・病気

腰痛には以前から時々悩まされていたのですが、公民館の同好会で習っている気功によって軽快していました。しかし最近は、気功の効果も及ばなくなり、痛みが日常的になってきたので、意を決して愛車で20分ほどの整復院へ行きました。昨年末に先輩の婦人から、この整復院の評判が良いことを教えて頂いて、予約しておいたのです。

整復院とか接骨院とかで診てもらうのは生まれて初めて。分厚い防寒ズボンを脱がなくてよいと言われたのは意外でした。厚着の上からの触診でも、骨格は十分判るらしい。

頭蓋骨も触診されたのには驚きました。私の腰痛は、背骨が彎曲していることに関係があるだろう、とは思っていましたが、頭蓋骨の左右がずれていることが、背骨の彎曲の言わば発端らしいのです。

頭蓋骨と背骨の数ヵ所について矯正の施術をしてもらいました。マッサージは少しだけで、電気機器を含めた種々の道具による施術が中心だったのも意外でした。

「(矯正の施術で)性格も真っ直ぐに治るでしょうか?」と冗談のつもりで問うたら、「頭は箱=頭蓋骨が大事。中身=脳味噌は誰でも同じようなものだから。」と笑いもせずに応えられました。質問と噛み合わない答?  イヤイヤ、脳味噌というのは、知恵だけではなく性格も司っているのだ、という認識が前提の答えだったのかも?

「21歳までに施術を受けていれば、完全に治すことが出来たのだが。(高齢だから)もう完治は難しいだろうが、出来るだけ頑張って治しましょう。」と言われ、21歳との隔たりの大きさを思って、つい苦笑してしまいました。

21歳の頃は、世の中を良くしていこうと正義感を燃やしたり、恋心を揺らしたり。自分の身体には無頓着で、ましてや骨格のことなど、考えたことも殆んどありませんでした。若かったからだけでなく、現実を直視する精神の力が具わっていなかったのでしょう。

保険が利かないから財布は大泣きですが、痛みには変えられません。無駄な動作や言葉が無くて淡々と施術してくださる整復師を、信頼できる、と感じましたので、通うことにしました。


懺悔道としての哲学 第四章 (田辺哲学選 Ⅱ その6)

2014-01-13 10:17:15 | 仏教

第四章 懺悔道と自由論との比較

 ・・自由とは無に媒介せられたる人間意志の自発性である、・・

抑圧に対する反語として、自由という言葉を説明不要のものと受け止めていた私は、自由の本質に遡る著者の定義に出会って、立ち尽くす思いがしました。

無は主体的には自由なる自己として自覚せられ、客観的には空として象徴化せられる。

自己が現実に死し、現実の限定を随順的に肯うに従って、その随順はかえって自己本来の面目たる無一物の実現となり、自己はすなわち無に随順するに依り自然法爾の自在に転ぜられる。これが自由である。

しかしこのような自由は智者のみが与るもので、愚者凡夫にとっては現実とならなず、自力による自由 には限界がある、と著者は続けて 懺悔と他力による自由 へ言及します。

・・現実に身を処する倫理的実践は・・必ず二律背反に直面せしめられ、その極、自己放棄の懺悔に到る外無い。

倫理に縁遠い私には、耳が痛い文脈です。

・・ただ随順的絶望に身を委ねるとき、依然として慚ずべき自己でありながら・・幽遠の寂光が射し来ることを体験せしめられる。

キェルケゴールが美の享楽を本質とするに対し、倫理が懺悔をその窮極的本質とすることを説いた意味において、倫理は自己の根源悪に面して二律背反に逢着し懺悔に窮極する外ない。

夕焼けの山際や野鳥たちの声に、思わず美しいと思う感情、この感情の由来は一体何なのかが、不可思議でならない私です。著者が引用するキェルケゴールに依れば、美の本質は享楽。「享楽」の字が、見てはならないものを見たような当惑で揺らぎました。

生真面目そうなのは、私の上っ面だけ。薄皮を剥げば、煩悩の滓が渦巻いているのです。

私を蹂躙し、或いは欺いた幾人かへの恨みを、私は反芻してきた。しかし翻って考えてみれば、私自身も、幾人か、否もっと多くの人々を蹂躙し、欺いてきたのだ。しかも、あのときはああするしかなかったのだ、と自己弁護を重ねるばかり。懺悔に程遠い自分の実像を渋々認めているのが、今日の私です。

ともあれ、自己の無の自覚に成立すべき自由が、必ずしも聖賢の特有でなく、愚者凡夫には愚者凡夫のままでそれに与らしめられる懺悔の道が開かれて居ることを、私は主張することができる。一度懺悔道を踏む者には大悲に依る自由が享受されるのである。

大悲に依る自由、それが実感できたら、どんなにか幸せでしょう!

自由の具体的に成立する現在の転換的媒介性が、過去の被投性と未来の投企との、・・絶対矛盾の転換的動的統一なること、すなわち行の信証として内的二元をどこまでも内に蔵するものなることは、自由の概念の理解にとり本質的に重要なる意味を有する。

著者は、シェリングの自由論について述べた上で、ハイデッガーと懺悔道を比較します。

ハイデッガーが理性批判の精神を守って超越存在学を排し、どこまでも自覚存在学を徹底しようとするのは、十分に尊敬せらるべき所でなければならぬ。しかしそのために悪の問題に深入することができず、良心の覚醒、責任の自覚に止まって、宗教的信仰の根柢に自覚を進めることができないのは、自覚存在学として不完全なるものといわなければならぬ。・・約言すれば自己の有を固執して無に徹しない結果である。

しかるに懺悔道の絶対無は、これが無の転換媒介に立つのである限り、超越的無の自覚であるから、決して超越的存在学に陥る恐がない。しかも単なる自覚存在学が内在の立場に終始して、超越的否定的悪の原理を問題とすることができないのと異なり、無の行的信証においてこれを媒介的に自覚することができる。

これ(懺悔道)こそ単なる超越でも単なる内在でもなくして、超越即内在の絶対媒介的立場に立つものというべきであろう。

懺悔道は、まさに無敵の感がありますね。

 

 


生きる姿が眩しい人

2014-01-10 18:05:24 | 俳句

冷え込んだ朝でしたが、冬晴れ。空気が澄み渡って、空の青が鮮やかです。私が事務局を務めている句会の、新年初めての会を催しました。

小さな会ですが、久しぶりに新しいメンバーを迎えることが出来て、嬉しくてなりません。呼吸器系の難病を患っているため、酸素ボンベが手放せないのに、明るい笑顔が印象的な方です。

吟行先は板敷山大覚寺。坊守が広縁にポットと急須、湯呑み茶碗等を用意して下さいました。すると何と、酸素ボンベの彼が、手際よく皆の分のお茶を淹れてくれたのです。そのお茶の美味しかったこと!

大きな病気は無いのに、体のちょっとした故障にもクヨクヨしがちな私・・ 難病を抱えながらも優しい心配りを絶やさない彼の、生きる姿が眩しくてなりませんでした。

お寺では、86歳の元坊守も広縁に顔を出して下さいました。足腰はさすがに弱ってこられたようですが、話題が豊富で、しっかり者で、愛嬌があり、地元の人々に大変慕われている方です。よそ者の私にも気安く声を掛けて下さり、有難く、心が和みます。この方の生きる姿も、本当に眩しい!


正月らしい日

2014-01-08 20:24:38 | 茶道

赤紫系の鮫小紋に金銀波模様の袋帯を締め、愛車を駆って茶道の先生宅へ行きました。初顔合わせ=初茶会です。独り暮らしの私にとっては、この日が一番正月らしい日、と言えるでしょう。

床の間には(写真では分かりませんが)炭が飾ってあります。茶道ではエネルギー源の炭が大切に扱われていることの証ですね。

Dscn0207掛軸は木村武山の「日の出」。雲が湧いている上に赤い太陽が覗いています。同席の、画家でもある先輩弟子の言によれば、雲を描くというのは、大変難しいのだそうです。掛軸の雲の微妙な濃淡等も、私の写真では分からなくて、お許しを!

大先生お手製の柚子の甘露煮等の点心と、笠間の「松島」製の花びら餅を戴いた後、大先生が濃茶を点てて下さいました。

茶入は古瀬戸の瓢(ひさご)。小さな象牙蓋の変色に歴史が見えるようです。茶杓は煤竹製で、円能斎(1872~1924 裏千家13代家元)作の「春駒」。円能斎は、風前の灯だった裏千家を再興された方。その御苦労を偲びながら、古武士のような趣の茶杓を拝見させて頂きました。

Dscn0212_2濃茶の後の薄茶は、弟子の私達が交代の点前。珍しい六角形の薄茶器の蓋裏には、大亀老師(1899~2005)の花押がありました。主茶碗は道八の「富士」、次茶碗は即全の「老松に日の出」。

若先生は不在でした。お美しい若先生は、御点前はもちろん諸行事の企画・運営等、何でも見事にこなされるからでしょう、お家元に直接係わる御活躍が、最近とても多くなられたようです。先輩の言によれば、「若先生が男だったら、早々に業躰(ぎょうてい=お家元の名代)になられていたでしょうに。」 業躰は男に限る、という不文律?があるようです。

昼の部だけで12名の弟子が押しかけたのですが、大先生は御高齢にも拘らず心身ともに御達者で、私達のためにお心を込めて点心やお道具の数々を御用意下さり、そして大らかなお人柄で私達を楽しませて下さいました。感謝!


無欲

2014-01-04 17:22:13 | 書道

公民館の書道教室へ行きました。今年初めてですので、書初(かきぞめ)ということになります。

Dscn0204月に1回だけの教室なのに、昨年12月の回を欠席したので、筆を執ったのは2ヶ月ぶり。これでもし上達したら不思議というものです。

私が執る筆は、ぎこちない動き方しかしてくれないのに、その同じ筆で先生がお手本に書いてくださると、まるで筆に命が吹き込まれたかのように、自在に動くようになるのです。

上達には練習を重ねるのが不可欠だけれど、では、最初に書いた1枚目が一番駄目かというと、先生がおっしゃるには、そうではないことが多いのだそうです。2枚目が一番駄目なことが多い。何故かというと、2枚目になると、上手に書こうという が出るから、と。

書道においても「無欲」ということが要のようです。でも・・ は難しい!