みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

田起し

2008-12-30 21:07:22 | 八郷の自然と風景

Dscn0320当庵から愛車で約10分、有機無農薬農業の先駆者たちが20余年前から米作りを手掛けている田んぼへ行った。冬田の向うに筑波嶺が見える。

都会の有志30名余が、この田んぼの作業等に関わっている。しかし都会人が時折通うだけでの米作りは至難だ。2年ほど前に八郷へ移住したmnOさんが、08期から地元責任者とも云うべき役を引受けた。

Dscn0316 今日はmnOさんがトラクターで田起し。荒起しを済ませた後、「トラクターにこびり付いた泥塊を、帰りの道路上に沢山落としてしまうと迷惑を掛けるから」と、小鎌と素手で懸命にこそぎ落としていた。

Dscn0327 田んぼの近くの神木の前に、新しい藁縄が張られていた。土地の古老の手によって新年を迎える準備がなされたのだろう。

小さな石碑には「香取神社跡」と刻まれていた。社も鳥居も無くなっているが、人知を超越したものへの畏敬の精神が素直に感じられた。


B&Gで気功

2008-12-27 17:54:47 | 化学物質過敏症

今日の気功の会場は「B&G海洋センター」だった。B&Gという財団の施設らしい。財団会長には「全国モーターボート競走施行者(競艇をやっている市等)協議会」の会長歴がある。競艇の収益の一部を社会に還元しようという趣旨か・・ 

Bはボート、Gはギャンブルの意味かと思ったが、さにあらず、ブルーシー(青い海)・とグリーンランド(緑の大地)の略だった。競艇の是非はともかく、広い柔剣道場を半日105円で貸してくれるのは有難い。

Dscn0315_sh02 師走も押し詰まっているが、特別に今日の稽古を追加設定して下さったmM師(お姿は左写真)と7名の会員が集まった。先生の優しい心の籠もった御指導には、私のゆがんだ身も心も素直になっていく感じがする。

同好会代表のK子さんは、「気」のコントロールで化学物質過敏症(CS)が軽快した。CSの辛い体験を経て、K子さんは気の波動を音として感知出来るようになった。

皆の気の流れを感知出来るK子さんは、その感動を皆に語る。それを聞いて皆も感動する。私のように確かな感知を実感出来ない者の身体も、気を授受しているそうだ。そして気は、宇宙全体に充ちているらしい。


生命の律動

2008-12-24 11:18:36 | 

久しぶりに会った人と、互いの老化に気付きながらも「お変わりありませんね」などと言うことがあるが、1年も会わずにいれば、我々の正体はすっかり入れ替わって「お変わりありまくり」なのだそうだ。

Dscn0312_sh01 図書館で借りたこの本、科学入門書ではあるが、探偵小説的構成と文学的な文章表現のおかげで、楽しく読めた。

食事で体内に入った分子は瞬く間に全身に散らばり、一時的に緩く其処に留まり、次の瞬間には体外へ抜け出ていくそうだ。シェーンハイマーというユダヤ人科学者が、これを最初に証明した。「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」と。

「エントロピー増大の法則に抗して秩序を維持しうることが生命の特質である」ことが、シュレーディンガーによって指摘されていた。では生命体の秩序はどうやって維持されているのか? シェーンハイマーに拠れば「その秩序を絶え間なく壊し絶え間なく再構築することによって」だった。

生命とは何か、を定義する論争は未だに決着していないらしい。分子生物学的な生命観に立つと、生命体とはミクロなパーツからなるプラモデルのような、デカルトが考えた機械的生命観の究極的な姿となる。「生命とは自己複製するシステムである」と定義すれば、一切の代謝を行っていないウィルスも生物となる。

この本の著者、福岡伸一は「生命とは動的平衡にある流れである」と定義する。私たちがこの世界を見て、そこに生物と無生物とを識別出来るのは、そのダイナミズム(=動的平衡の律動)を感得しているからではないだろうか、と。


命日

2008-12-21 19:33:11 | 仏教

Dscn0310 父の祥月命日。少し迷ったが、やはり御参りに行った。某市営の霊堂(納骨堂)である。先客が供えた線香がまだ燃え続けていた。その脇に私も焼香し合掌し南無阿弥陀仏を幾度か唱えた。

若い頃、私は唯物論を崇拝していた。「宗教は阿片だ」と思った。今でも「霊」の存在を信じている訳ではない。確たる信仰心も無い。だが齢を取るにつれて、死者たちとの語らいが大切に思われてきた。

公営の霊堂には、宗教的な施設でありながら非宗教施設という微妙な建前がある。御参りをする心が、確かな宗教的対象を求めて揺らぐような不安定感がある。止むを得ないことではある。

か細い線香だが、その煙は激しく渦巻く。死者たちから生者たちへ、何かを訴えているかのように・・


京極茄子

2008-12-18 11:21:07 | 文化

唐物(古い中国製の茶器)の点前を12/17稽古した。正客役が「お茶入の御由緒は?」と問い、亭主役の大先輩が「徳川家伝来の京極茄子でございます」と答えた。下膨れの茶器を「茄子」と云うが、「京極」の名が冠せられている由来を調べてみた。

「婆娑羅(バサラ)大名」の異名のある佐々木道誉(佐々木京極家に出生)が愛蔵した茶器だった。幾人かの手を経て、播磨の英賀衆の手に渡った。英賀(現在の姫路市内)は、本願寺の蓮如の意を受けて西国向けの宗門拠点となり、また交易の盛んな自治都市、環濠化された軍事都市でもあった。

英賀衆の勢力増大は信長に敵対視され、秀吉によって武装解除された。その秀吉へ、英賀衆は「京極茄子」を献上した。ちっぽけな茶器だが、一国の領土にも値する。英賀衆の恭順と秀吉の懐柔の象徴とも云える献上だったのではないか。

浄土真宗の始祖の親鸞聖人は、寺を持たず、弟子1人さえ自ら持とうとはしなかった。権力を持たず、権力に近付かなかった。蓮如は真宗中興の祖と云われるが、その宗門は何と始祖の精神から遠く隔たったことだろう・・

秀吉以後、京極茄子は徳川家のものとなった。稽古に出されたのは、もちろん本物ではない。模して作られた「写し」ではあるが、唐物に纏わる歴史と人々の煩悩を映すかのように、鈍い光を湛えていた。


小野越

2008-12-14 19:46:46 | 仏教

八郷地区内の「小野越」を、俳句同好会で12/11吟行した。季節はずれの温かい日和だったのに、小野越では寒風に震えた。筑波連山の麓に近い谷間で、「筑波おろし」の通り道になっているのだ。

京都から東北へ向かう小野小町が峠を越えて来た、という伝承が地名の由来だ。年老いていたのだろう、小町は病を患ったが、この土地の観音様にお参りして快癒した、という。北を向いているので「北向観音」と呼ばれている。

Dscn0303_2 北向観音の御堂は可愛らしい。先年、土地の人々の寄進で改修された。壁板は頬紅のような色に塗られ、千羽鶴が供えられている。両腕が捥げていた観音像も修復された。

観音経によれば、観音様はどんな苦難からもどんな人をも助けてくれる。「観音経は有難づくめ」だから、「浅いお経のような気がして」いたが、「浅きは深きなり」だった、と岡本かの子は語っている。

「仏像制作で一番難しいのは観音様。人間を離れないで超人的な美人にしなければならないから」とも言われる。

御堂の周辺には冬苺の実(当ブログ11/15に写真あり)が沢山熟れていた。俳句の仲間と共に摘んで口中へ。数ミリ程度の小粒だけれど、美味しさが深かった。

小町伝説の地は全国に多々あるらしいが、小野越はひっそりとしていて、晩年の小町にふさわしく思われる。


「気功」同好会

2008-12-13 17:13:53 | 化学物質過敏症

公民館の「気功」同好会へ行ってきました。mM先生の御指導は分かりやすく和やかで、集まった10余人は真剣かつ和気あいあいです。鈍感な私でも、自分の「気」を少し感じることが出来ました。

化学物質過敏症(CS)のK子さんは、軽快したとはいえ時々心身の不調があり、自分で気をコントロールして対応されています。「気功」同好会で知り合ったkTさん紹介の整体師から「外気功」を週1回受けることにしてからは、CSによる不調がめっきり少なくなったそうです。

K子さんは「気功」同好会の代表として、無くてはならぬ存在感を示されました。mM先生とも、「気」を良く実感出来る人同士ならではの会話を弾ませることが出来て「本当に嬉しい」と、満たされた笑顔のK子さんでした。


落葉

2008-12-10 22:45:26 | 八郷の自然と風景

今日の茶道の稽古は「花月(かげつ)」でした。花月は、すごろく遊びのようなゲームを連想させます。楽しいけれど、心のアンテナを油断なく働かせていないと、座が乱れます。でもこの緊張感、私は嫌いではありません。床の間の花入には、葉が落ちた「榛の木」の小枝が挿してありました。その枝先に、薄緑の冬芽がしっかり付いていました。

Dscn0296 裏山の林床も路上も当庵周りも、落葉、落葉、落葉・・ 例年通り、何度も何度も落葉を掻き集めて自作の木枠に入れ、米ぬかを混ぜ、水を掛けて、踏み込みました。来夏までには、発酵十分の堆肥が出来上がる筈。

米ぬかは農家の方からタダで貰ったり、でしたが、化学肥料の高騰の煽りで、需要が急上昇しているそうです。これからは入手しにくくなるかも・・・

Dscn0298 落葉樹は裸木となり、風景が透けてきました。

仄かな夕焼色は束の間、冬の夕暮の速いこと・・・ 


冬の野菜たち

2008-12-07 19:17:13 | 菜園

Dscn0286 当菜園の大根です。ぐんぐん伸びて土寄せが間に合わず・・順次引き抜いて、大根おろしや煮物に。葉は湯がいて小さく刻み炒めます。箸休めに重宝ですね。

Dscn0285 ブロッコリーも大きくなってきました。年内に収穫できそう。

Dscn0290 初めて栽培を試みた芽キャベツ。大きな葉の下の太茎に取り付くように十数個?育っています。  

Dscn0288 Dscn0289 ほうれん草もターサイも、冬季の貴重な青菜。土にへばり付きながら厳寒を乗り切る構えです。

Dscn0292 玉葱の苗は根が貧弱。或る人に言わせると「鼻毛」程度、なのです。だから定植しても、とろけるように駄目になったりします。でも今季は順調に活着。来年の梅雨晴間に収穫予定の長期戦です。

Dscn0284 遅蒔きのスナック豌豆が、ちっちゃな芽を覗かせました。来春までは、小さいままで我慢してね。今伸びると、真冬の寒風に煽られて痛んでしまうから・・

野菜たちと共に、私も私なりの形で年の瀬を迎えます。