みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

柄谷行人著「哲学の起源」

2012-05-25 10:19:41 | 哲学

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月刊誌「新潮」に連載されていた「哲学の起源」を、畏友に教示されて手に取りました。

柄谷行人は、前著「世界史の構造」において、社会構成体の歴史を「交換様式」から見ています。現代社会は、交換様式C(商Dscn2375_2
品交換)が支配的な、資本=ネーション=国家という接合体である、と。私には目から鱗が落ちるように説得的でした。

交換様式Dは、A(互酬=贈与・返礼)を高度なレベルで回復することであり、先ず普遍宗教(キリスト教や仏教など)において開示された、としています。

互酬=贈与・返礼による経済社会なんて、以前の私だったら「信じられない!」と一蹴していたでしょう。しかし八郷に移住後は、各人の菜園で採れた野菜や手料理の惣菜等々の贈与の交換が、暮らしの中で根付いている社会を経験していますから、そんな交換様式が主流の時代があるとしたら、どんなにか穏やかで豊かな心になれるだろう、と思うのです。

だが、交換様式Dは宗教というかたちでしかあらわれないだろうか。それが「世界史の構造」を書いていたとき、私の心に引っ掛かっていた問題であった。

読者の私の心にも引っ掛かっていた問題でした。宗教という形をとらずに交換様式Dが実現された例を、柄谷行人は古代のイオニア諸都市に見出しました。そして、イオニアにあったのはデモクラシー(多数派支配)ではなくて、イソノミア(無支配)である と。

イオニア・・・ 遠い昔の遠い町。イソノミアなんて初耳。正直なところ身を引く構えで、頁を開いていきました。ところが、やはり柄谷行人の精神の牽引力に魅せられて、今回も読み進むことが出来ました。

現代の民主主義とは、自由主義と民主主義の結合、つまり自由ー民主主義である。それは相克する自由と平等の結合である。自由を指向すれば不平等になり、平等を指向すれば自由が損なわれる。

現在、自由ー民主主義は人類が到達した最終的な形態(歴史の終焉)であり、その限界に耐えつつ漸進していくしかない、と考えられている。しかし、当然ながら、自由ー民主主義は最後の形態などではない。それを超える道はあるのだ。そして、そのための鍵を古代ギリシャに見出すことが可能である。が、それは決してアテネではない。

弁論が他人を支配する手段となるのは、デモクラシー(多数派支配)の下においてである。しかし、弁論が発展したイオニアでは、それは他人を支配する手段ではなかった。法廷であれ、民会であれ、弁論は不可欠であったが、それは共同的な吟味(エレンコス)の手段であった。それはまた、自然探究の方法でもあった。

イオニアの流れを汲む哲学と社会の歴史が、アテネとの対比によって鮮明に提示されています。

アテネの民主主義は成員の「同質性」に基づいている。それは異質な者を排除する。その象徴的な例が民主派によるソクラテスの処刑である。

イオニアでは、交換様式Aおよび交換様式Bは交換様式Cによって越えられたが、それと同時に、交換様式Aを高次元で回復することが実現された。それが交換様式D、すなわち、自由であることが平等であるようなイソノミアである。

アテネのデモクラシーが現代の自由民主主義(議会制民主主義)につながっているとすれば、イオニアのイソノミアは、前者を越えるようなシステムへの鍵となるはずである。

ソクラテスを告訴し有罪にしたのは(アテネの)民主政であった。

ソクラテスが人々の目に、アテネの社会規範に対して最も挑戦的な存在として映ったのは、告訴にあった理由(ポリスの神々をみとめないこと等)からではない。根本的な理由は、彼がアテネにおいて、公人として生きることの価値を否定したことである。

ソクラテスはイオニアの思想と政治を回復しようとした最後の人である。

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読みながら思ったのは、柄谷行人の文章の美しさです。美辞麗句で修飾されているわけではありません。言葉は極めて簡潔です。知性というよりも、もっと根本的な、精神の美しさというべきでしょうか。そして、こんな時代にあっても決して希望を失わずに、探究と啓発を真摯に進めていらっしゃることに、改めて感動を深くしました。


浮かれさせて、そして・・

2012-05-20 20:44:20 | 社会

スカイツリー騒ぎが始まった当初は、微笑ましさを感じないでもなかった私だけれど、やがてあまりの騒ぎに呆れるようになり、マスコミの異様な煽りかたが気味悪くなってきました。

人々をスカイツリーに浮かれさせておいて、大震災と原発事故の被災者が「棄民」ともいうべき状態に苦しんでいることを、忘れさせようというのでしょうか。

福島の事故原発の4号機燃料プールが強い余震の被害を受ければ、東日本全体が、日本全体が、そして世界が破局に至る事態となる危険があることを、気が付かないようにさせているのでしょうか。

雇用環境の悪化と貧困化によって、自殺者が増え、悲惨な事故が相次いでいることから、目を逸らさせようとしているのでしょうか。

税と社会保障の一体改革などと言いながら、弱者に重く増税し、社会保障を切り捨てている政治を、批判させないようにしているのでしょうか。

ポピュリストの仮面を被ってマスコミに寵愛されている大阪市長が、人々の心を蹴散らかすような人権蹂躙に着手していることを、傍観させようとしているのでしょうか。

スカイツリーだけでは飽き足らなくなったのか、金環日食まで、浮かれ騒ぎのタネにされています。人々を浮かれさせ、この国を漂流させ、そして人々を棄てようとする動きを、私は本当に空恐ろしく感じます。


すかんぽの村

2012-05-18 19:59:32 | 俳句

Dscn2356俳句の会で、太田の善光寺を吟行しました。ゆるやかな棚田の道を上ると、茅葺の楼門があります。

室町時代の建造で、国の重要文化財に指定されています。左右に立つ阿吽の仁王像の表情は、あまり怖くなくて少々人が好さそうな感じです。

     茅楼を潜れば大手鞠散華   小零

長老の話によれば、この善光寺では夏の夜に大勢の人々が集まって、「万灯Dscn2359
会」が、夜を徹して賑やかに営まれていたそうです。本堂の大屋根の威容と軒下の見事な彫りものは、寺格の高さを伝えているのですが・・・

Dscn2360大屋根も回廊も朽ち浦島草   小零

この大寺が荒れ放題になったのは、裏山の利権を巡って村内が真っ二つに割れたときだそうです。

すかんぽの村や抗争ありしとや 小零

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不覚

2012-05-13 20:11:52 | 家族

母の日です。世間では、ほのぼのした人情話が幅をきかせているけれど、母の子としての私も、子の母としての私も、複雑な思いになってしまう日です。そんな私にも、母の日のプレゼントが届きました。

息子名義でお嫁ちゃんが送ってくれたのです。一人暮らしの私を気遣う手紙が添えられています。

     母の日や贈られ涙ぐむ不覚     小零

1月に開業した息子の事務所は、厳しい経済情勢の中で大変だと思いますが、どうやら地域にも根付き始めた様子です。

お嫁ちゃんは従前の職を辞して、先月から息子の事務所を共に担ってくれています。心強い限りです。


塗装、そして原発廃炉の署名

2012-05-11 20:22:13 | 原発

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今朝は、当庵の外回りの壁板や柱や雨戸などを塗装しました。塗装剤は「ワトコオイル」です。化学物質の添加が少ない自然系で、耐候性が低いので、私は毎年1回は塗り直すのを原則としています。(最初の建築時の塗装も自分で作業しました。)

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塗装自体は、比較的軽い作業ですが、塗装の前に、滲みついた汚れをこすり落とし、水で洗い流す作業が必要で、体力の乏しい私には大変です。

昨年は大震災と原発事故で気力が衰えて、この塗装作業に取り組むことが出来ませんでした。今回は2年ぶりの作業で、汚れ落としに苦戦しました。小さな庵ですが、自分の乏しい体力・気力に合わせ、数回に分けて作業を進めています。

作業を進めるにつれて、当庵の外観が生気を取り戻していく感じがします。

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塗装作業が一段落したあと、近所の友人宅へ行って、「東海第二原発の廃炉」を求める署名をお願いしてきました。「広瀬隆講演会」のDVDも持っていきました。このDVDは、脱原発の活動に真摯に取り組んでいる知人のもので、「又貸し」が続くことを知人は願って、「振り出し人」となったのです。

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広瀬隆氏の話は迫力があります。神経が刺激される感じです。小出裕章氏の場合は、心が揺さぶられる感じ・・ 反原発の両雄、それぞれの個性ですね。

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石岡市議会は、東海第二原発廃炉の陳情に対し、継続審議として先送りしていましたが、昨日の委員会で採択されました。原発ゼロへの小さな一歩ですが、重要な一歩だと思います。


ヤマボウシそして雹

2012-05-06 20:17:10 | 

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庭師さんがヤマボウシを2本、植えてくださいました。暑い日が多くなる季節に備えて、ユキの犬小屋の近くに木影を作ってあげなければ・・と思い、過日、庭師さんに相談しておいたのです。犬は暑さが苦手なんですよね。

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御高齢の筈なのに、庭師さんは矍鑠としていて、そのプロの技に、ついつい見とれてしまいました。

ユキは、作業の邪魔にならぬよう、少し離れたところに繋いでいましたが、いつもは見知らぬ人へ煩く吠えるのに、今日は比較的おとなしく待っていました。

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ヤマボウシは、庭師さんが選んで下さいました。この樹種は、花の姿が静かで、実は食べれて、秋の紅葉も楽しめて、樹形は伸びやかです。

懇ろな作業を終えて下さった庭師さんに御礼を申し上げていたら、雷が鳴り出しました。田んぼ用水ポンプの運転を至急止めなければなりません。庭師さんへの挨拶もそこそこに、愛車でポンプ機場へ駆けつけました。

ポンプを止め、用水路のゲートを上げて全開にし終わったときには、雷鳴がかなり激しくなっていました。愛車を運転しての帰り道、石ころのような雹がぶちまけるように降ってきました。視界も悪く、車に当たる音が衝撃的で、丈夫な筈のフロントガラスも壊れてしまうのではないか、庵まで無事に帰れるだろうか・・不安と恐怖に駆られました。

雹を怖いと感じたのは初体験です。数センチぐらいの大きさでした。後で菜園を見回りましたら、耕しておいた畝土のいたるところに、径5~6センチぐらいの穴ぼこが出来ていました。大きな獣の足跡のようですが、雹が落ちた跡だったのですね。

育てているキャベツ・ブロッコリー・玉葱・小松菜・ジャガイモ等々の葉が無惨に傷付いていました。私の菜園は小さな自家用ですから、被害も小さいのですが、近隣の農家の被害が思いやられます。農業は本当に大変な仕事です。そして本当に大切な仕事だと思います。


生きる基本&原発稼働ゼロの日

2012-05-05 14:44:47 | 八郷の自然と風景

今朝は4時起床。漢方薬の眞武湯合人参湯を温め服用し、身支度してから愛車で田んぼ用水ポンプの機場へ。用水路内に降りて、取水口付近に引っ掛かっている沢山の塵芥を取り払ってから水門のゲート閉鎖の操作をしました。

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いったん庵に戻ってからユキの散歩や7羽の鶏の世話などし、6時頃に再び機場へ。ゲート上流側が満水になっているのを確認してから、ポンプ運転の操作をしました。

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久しぶりに朝から青空が広がっています。家族ぐるみで田植え中の田んぼも見掛けました。村の田んぼの半分くらい田植えが進んでいます。

稲を育て、米を収穫し、御飯を食べ、そして排泄する・・こういうことこそ、人間が生きるということの基本だと思うこの頃です。自身の病気や、天災や、社会の混乱によって、この生きる基本が妨げられるときもあり、それは不可避だとも思います。

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しかし現代文明は、人間の生きる基本をあまりにも奪っているのではないでしょうか。特に、多くの人々の生きる環境を一挙に抹殺しかねない原発を推進し続けるなど、もってのほかです。

泊原発が今日、定期点検のため稼働停止して、日本国内で稼働している原発はゼロとなります。取り敢えずホッとしていますが、正念場はこれからでしょう。国や経済界は、その物欲のために虎視眈々と再稼働を狙っていますから。

小出裕章氏がおっしゃるように、原発安全神話に騙されてきた私たちにも、騙された責任があります。私自身にも、無作為によって結果的に原発を容認してきた責任があります。そのことを、どう償っていけばよいのか・・・


美しい人

2012-05-04 20:47:03 | 暮らし

首都圏から美しい友人が来庵してくれました。彼女が美しいのは、容貌やファッションだけではありません。ダンスを始めとする多彩な趣味のいずれもが、美を享受し創造する世界のものばかりなのです。そして家族を大切にし、仕事に誠意を尽くし、人との関係を大事になさっている・・生き方も美しいのですね。

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昼食は当地の蕎麦店「しげふじ」に案内しました。店主が打つ10割蕎麦の味と歯応えもさることながら、私は店長(接客も担当)手作りのお豆腐が最高に好きなのです。

「しげふじ」の窓外には酒米「渡舟」の代田が広がり、その向こうに穏やかな山並みが見えます。木々の緑はこの数日でずいぶん濃くなってきました。

昨日の大雨の名残りのような小糠雨も、食事を終えて当庵に向う頃には止んでくれました。「晴れ女」の友人のおかげかも。雨が上がるやいなや、あちこちで田植えが始まりました。

友人の心尽くしの手土産も有難かったけれど、彼女の都会的感性が豊かな話題に深く興を惹かれました。私は八郷に移住して10年となり、都会には無い八郷の自然と人情に益々惚れ込んでいます。だからこそ、彼女の話から新鮮な良い刺激を受けることが出来たのではないかと思います。都会暮らしをしていた頃のかっての知人たちの、その後の様子なども色々知ることが出来て、時の流れを思い、しばし感無量となりました。

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庵内でのお茶うけは、当地の菓子店「銅山堂」の練り菓子「藤の花」にしました。

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遠路の帰り支度を友人がする頃には、雲間に青空も覗いてきました。やがて、ふっくらとしたお月様が東の空に上がってきました。