みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

縁側の塗装

2015-05-28 22:02:04 | 暮らし
縁側の塗装を朝の内に済ませてホッとした。ささやかなスペースの縁側だけれど重宝している。布団を干したり切干を並べたり、立ち寄ってくれた友人と共に腰かけてお喋りしたり、外昼寝したり。


軒庇が掛かっているが、それでも雨風に曝される。植物系の塗装は飛びやすいし、水平面の木部は汚れやすいから、年に1回は塗装し直すことにしている。

当庵の施工時、内外の木部塗装のほぼ全てを施主の自分が担当した。そして移住当初の数年間は庵の外回りの木部全てを年1回塗装し直した。塗装作業自体はスムーズに出来て楽しいけれど、大変なのは塗装前の洗浄だ。水を掛けながら真鍮タワシで染みついた汚れを落としていくのは、私には重労働だ。加齢とともに体力気力が衰えて、この数年間は縁側周辺のみに絞っている。

最近は体調不良の日が多くて、縁側周辺の洗浄にずいぶん日数が掛かった。それだけに塗装が終わった安堵感が大きい。


センダン(栴檀)の木

2015-05-24 13:02:16 | 暮らし
当庭の栴檀の木が初めて花を咲かせた。実生の芽に気付いてから8年余りだろうか。最初は唯の草かと思って抜こうとしたが、どうも普通の草とは様子が違う。その芽はグングン伸びていく。庭師さんに尋ねたら「センダンの木だよ、これは大切にした方がいいよ。」と言われた。

センダンの木と云えば、秋が深まっても冬になっても、茶色に枯れた実が鈴生りの房を幾つも付けたままにしているのが目立つ、あの木だ。この幼木があんな大きな木になるのだろうか、と半信半疑だった。ところがその後も勢いよく伸びると同時に枝を四方へ大きく伸ばすようになった。春になると明るい緑色の複葉を鳥の羽のように軽やかに広げて風にそよぐ。冬はバッサリと葉を落して丸坊主になる。

この木の花が、目立たないけれども美しいことを知ってからは、何歳になったら咲いてくれるのだろう・・と心待ちにしていた。

樹高は目測で7メートルぐらいになっただろうか。今朝、大きく伸びて隣地へ越境している枝を剪り落とした。その枝に咲いている花を庵内に飾った。小さなコップにも挿した。



栴檀の木はオウチ(旧仮名では「アフチ」)ともいう。オウチの漢字は楝とも樗とも書く。ちなみに「栴檀は双葉より芳し」と云われる「栴檀」は実はビャクダン(白檀)のことだそうで、この栴檀の木とは別種というからヤヤコシイ。



若葉風の中で

2015-05-22 17:30:18 | 暮らし
先週末から数日間、体調不良で倦怠感がひどかった。こんなときは身体に合わせるしかないと思い、昼間も寝たり起きたりしていた。昨日から持ち直し、今日は完璧ではないものの、かなり復調。お天気も本来の5月らしい日和で爽やかな風が吹き渡り、ホオジロもウグイスも気持よさそうに囀っている。

久しぶりに菜園の手入れをした。ナスは若苗ながら一番花を付けている。キュウリとカボチャは勢いよく生長し始めている。ビニールの行灯を未だ外さないのは、天敵のウリバエ避けのため。
    

キャベツは大きく葉を広げて、中心部はそろそろ球を巻き始めそう。タマネギは葉茎が傾き始めて、本格収穫も間近い。ソラマメもサヤが下向きになってそろそろ収穫できそう。
      

イチゴは次々に熟れて、ほぼ毎日賞味中。


草取りしたり、インゲン畝に篠竹の支柱を立てたり、久しぶりに野良仕事が出来て良い気分になりました。
門標を兼ねたポストも、プロのアーティストにお色直しをしてもらいました。

 「昭和天皇の終戦史」 (吉田裕著 1992 岩波新書) 

2015-05-17 08:33:41 | 
昭和天皇といえば、異様に間延びした声でスピーチを読み上げ、何か言われれば「あ、そう、」とだけ答える、いかにも無能な木偶の坊で、ただ操り人形として飾られているのだ、と若い頃の私は思っていた。

そんな昭和天皇のイメージがグシャッと歪んだときの記憶は、今でも生々しく思い出す。1975年(昭和50年)10月31日、米国訪問の後、昭和天皇が初めての公式記者会見に臨んだときのことだ。タイムズの記者から、天皇の戦争責任についてどう思うか?という質問が出た。昭和天皇はどう応えたか。

 そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます。

開いた口がふさがらないような奇想天外な理由を捏造して、巧妙かつ完璧に質問者の意図をはぐらかしたのだ。質問者、ひいては記者会見の報道を見守る国民を冒涜し、愚弄して澄まし顔でいるのだ。



本書は、膨大な資料の克明な調査研究に基いて、15年戦争とその終結に至る間の昭和天皇の言動とその周辺の動向を読者に開いて見せてくれる労作。それにしても、昭和天皇がこんなにも生臭い保身者で、周到な計略家だったとは!

栄枯盛衰

2015-05-12 22:59:14 | 俳句
俳句の会で、太田の善光寺へ行きました。この善光寺は、小田氏(現在のつくば市から土浦市の一帯を支配していた)12代当主の小田成治が1501年に創建した、と伝えられています。




茅葺の楼門はなかなかの趣きがあり、室町時代中期の建立です。国指定の重要文化財です。平成6年から3か年計画で解体修理されましたが、屋根の茅葺は既に傷んでいる様子で、気にかかります。

楼門を潜り抜け、右手の池の「姫の松」や、左手の公民館を眺めながら正面の石段を上りました。石段の左脇に、浦島草が幾つも花を咲かせていました。花と言っても、葉の下に暗い地味な色で控えていますから、見過ごしやすいのですが。浦島太郎の釣糸に譬えられる糸のようなものを長く伸ばしているのは、受粉をしてくれる虫を誘う工夫だと聞いています。



奥の伽藍は荒れ放題! 長老の話によれば、40年位前までは盛大な万灯会が夜を徹して催されて、近隣の若者たちが娘たちとの出会いを求めて集まったのだそうです。そう語る長老自身も、八郷の南端に近い家から北端に近いこの地まで、わらじ履きで歩いて毎年参加していたとか。



40年位前、裏山の入会権を巡って村人たちが真っ二つに分かれて裁判沙汰になり、この寺は放置されてしまい、その後、裁判が決着して落ち着いた頃には、既に手の付けようがない荒れ方になってしまっていたそうです。

          破れ寺の昔しのぶや浦島草






サンショウクイ

2015-05-09 15:49:27 | 野鳥
朝、裏山から高音の澄んだ声が繰り返し聞こえる。 ヒリヒリヒリリン ヒリヒリン   姿は見えないけれど、鳴き声が山椒の辛味に喩えられて命名された サンショウクイ だ。図鑑で見ると、なかなかスマートな体型をしている。 東南アジアで越冬し、日本へは夏鳥として本州以南に渡ってくる。

八郷で出会った野鳥は、これで61種となりました。 

幼苗たち

2015-05-07 08:18:37 | 自分史
連休の間に、村の田んぼの大半は田植えを済ませています。用水ポンプ運転管理は相棒と私とで1週間交代を基本に担当。今週は私です。朝夕、田んぼの風景を眺めながら往復します。まだ代田のままの田んぼを見ると、今度の日曜に植えるのだろうか?などと推測したり。植えて数日を経た田んぼでは、幼苗が活着したかなあ・・と思ったり。

       

風を感じないときも、幼苗の幼い葉の幾枚かが微かにそよぎます。機械で植えられても、一株ごとに葉数も形姿も、そよぎ方もそれぞれ違う・・ それぞれの命が風の中で息づいているようです。こんな命と向き合い、こんな命を育て、こんな命に囲まれて生きてきた人は、自らの命とも正面から向き合って確かな人生を築き、本当の知恵を身に付けることが出来るのではないだろうか・・  

私の誕生地も、こんな田園地帯の真っ只中だったのですが、ものごころつく前に引越してしまいました。母らしからぬ母による強引な引越しは、その後も幾度も繰り返されました。学齢前の頃の私は、生来引っ込み思案だった上に母の異様な他人嫌いの影響もあって外遊びの機会が少なく、親戚の子のお古の絵本や、姉兄の小学校の教科書をむさぼり読んでいたのを思い出します。自然の命とのふれあいが少なかったなあ・・・と。

時々私は、人生を逆に歩んでいるような気がすることがあります。幼い頃に存分に触れ合うべきだった自然の命たちと、今この歳になって日々出会っているのだ、と。
 
      


野鳥 60種

2015-05-03 14:32:39 | 野鳥
村は田植えの真っ盛りです。機械で植えるといっても、夏のような日差しの下でドロドロの田土へ規則正しく植えていく作業はやはり大変です。田植機と共に一家が引き上げた後、幼い苗が田水に守られながら、風を受けて心もとなげに揺れています。



森の緑の中からセンダイムシクイの 焼酎一杯グイーッ と聞きなされる囀りがよく聞かれる季節です。聞きなしのセリフ全部ではなくて、 焼酎グィーッ とか、 一杯グィーッ で済ますことが多いようですが。

今朝は聞き慣れない囀りと出会いました。何と聞きなしたらいいものか・・ ビッ キョロッキョロキョロキッ かなあ・・ とても勢いのある元気な声です。落葉樹ももう葉を広げているので、声の主の姿は全く見えません。手元の図鑑やネット検索の結果、メボソムシクイ と判断しました。 チョチョリチョチョリ と聞きなされたり、 銭取り銭取り と聞きなされたりしているようです。聞きなし って面白いですね。

八郷で出会った(不可視で声のみの出会いを含む)野鳥は、これで60種となりました。

スズメ ホオジロ カシラダカ ミヤマホオジロ ヒバリ アオジ クロジ ノゴマ ルリビタキ ジョウビタキ サンコウチョウ カワラヒア ウソ イカル ムクドリ エナガ シジュウカラ ヤマガラ メジロ ツグミ シロハラ アカハラ トラツグミ ウグイス センダイムシクイ エゾムシクイ メボソムシクイ セッカ キクイタダキ モズ ヒヨドリ ハクセキレイ セグロセキレイ ツバメ コゲラ アカゲラ アオゲラ カワセミ ツツドリ ホトトギス カッコウ キジバト カケス ハシボソガラス ハジブトガラス タシギ ヒクイナ ケリ カルガモ ハシボソミズナギドリ コサギ アマサギ アオサギ ゴイサギ コジュケイ キジ フクロウ オオタカ ノスリ サシバ









育ってほしい小さい命

2015-05-02 13:24:43 | 
ヒヨコが生まれて4週間近くになった。烏骨鶏と矮鶏との混血系だ。



3月に雌鶏が巣籠りを始めたとき、卵を3個抱かせた。近親相姦の有精卵だから孵化率が低い。3個のうち2個が孵化したけれど、2羽目のヒヨコは未熟児だったのか、か細い感じで、5日目にあっけなく死んでしまった。小さい命の儚さに茫然としてしまう。

写真のヒヨコは生まれたときから体格がしっかりしていた。それでも最初はヨチヨチ歩き。やがて敏捷に動きまわるようになったが、まだまだ小さくて母親役のギン(写真の右側の白い烏骨鶏)が付きっきりだ。幼いものは本当に可愛くて、ヒヨコを見ていると思わず頬が緩んでしまう。どうか無事に大きく育ってほしい。蛇の襲来などありませんように。