みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

清沢満之 その1

2011-12-31 13:44:04 | 仏教

大震災での多くの不慮の死を想い、また自分の心身の老化が急坂となって、死を間近に感ずることが多い年でした。しかし未だに生死を超える心境=信仰心には程遠い私です。

初老の頃から仏教関係の本を読み漁ったり、僧侶や宗教学者の話を聞いたり、仏教の勉強会に参加したりもしましたが、所詮、「勉強」では信仰心は得られないという分かり切ったことを再認識しただけのように思います。

ただ「歎異抄」だけは親鸞聖人の精神が息づいているようで、私の心の一番大事なところから手放したことはありません。

禁書扱いだった歎異抄の存在と意義を世の中に知らしめたのが、清沢満之(1863~1903)だということを、知ってはいましたが、その満之(まんし)が著わしたものを今まで手に取ったことがありませんでした。

Dscn2151 「日本の名著 43 清沢満之 鈴木大拙」は初版が昭和45年で、昭和53年版を図書館から借りました。橋本峰雄(責任編集)と司馬遼太郎の対談が付録にあります。お嫁ちゃんが送ってくれた丹波の黒大豆を煮ながら読んDscn2149_2 でいます。

以下は満之の「宗教哲学骸骨」からの引用です。文中の「道理心」は、学問な いしは科学(哲学を含む)する心、と読み直した方が現代人の私たちには合うようです。

無限に対向するものは宗教心だけにかぎらず、道理心もまた無限に対向しうるのではないか。そのとおりであって、道理心も無限に関係ないのではない。

しかし道理心が無限に関係するのと、宗教心が無限に関係するのとは、大いに異なる。道理心が関係するのは、これを追求するにある。宗教心が関係するのは、これを受用するにある。

直指(じきし)といい、横超といって、無限の実存を認めて、これを信仰することができる人においては、どうして哲学の論議の必要があろうか。これが古来、哲学は道理により、宗教は信仰によるというゆえんである。

哲学用語の「無限」が、満之にとっては「仏」に相当しています。編者の橋本峰雄の解説から、清沢満之と鈴木大拙との比較の一部分を以下に引用しましょう。

仏教近代化の作業において、清沢は西洋哲学の論理を仏教に媒介させて、いわば哲学から仏教に到達しようとした。鈴木は伝統的仏教たる禅体験そのものの中から論理を発掘して、いわば宗教から哲学の方向において、仏教を近代的思惟の理解にもたらそうとした。

実家が真宗門徒だったという司馬遼太郎は、編者との対談の中で、以下のように発言しています。

兵隊にとられたときも「歎異抄」で死ねるかもしれないという感じでしたね。この感じの源をつくった人は、というより「歎異抄」を我々に受けわたした人は親鸞というよりも清沢満之で、しかも哲学になって受け渡されている。つまり宗教に至らずして哲学で死ねる感じで、これは、清沢満之のおかげじゃないか。

哲学で死ねるかどうかは別として、清沢満之は鈴木大拙ほどには巷間に知られていないけれども、その功績は大拙を凌ぐ深さと広さがあったことを、司馬遼太郎は分かりやすく語っていると思います。司馬は、満之と親鸞聖人との比較についても興味深い発言をしています。

親鸞という人はどう考えてもいま生きていたら宗教者にならずに、哲学者になっていると思います。ところが鎌倉時代に生き、あわれにも西洋哲学も知らず、しかも哲学的体質がそれを欲求するという状態に親鸞は置かれたわけで、その苦痛のプロセスが、結局絶対他力に転換するんでしょうけれども、まったく清沢満之と同じように思いますね。

親鸞聖人が哲学者になっていたかどうかは別として、聖人と満之とを身近に感ずることが出来そうな、そんな気持にさせてくれる発言です。

清沢満之に真向うことをこれまで怠っていたことに反省しきりの私です。


高価な茶道具

2011-12-26 17:37:08 | 茶道

茶の湯の道具というのは、どうしてああも高価なのであろうか。

上記は、山本兼一(作家)の「戦国バブル」(「淡交」11月号より)の書き出しです。

茶道も所詮はこの俗界で営まれていることですから、色々と矛盾を感じることがあります。いやむしろ、壮大な矛盾の世界、と言ってよいかも知れません。私にはそれがまた興味深くも思われるのですが。

「侘び茶」などと言って、質素を旨とするかのようでありながら、実際には高価な道具が尊重されているのは、今の時代だけではなく、利休の時代も既にそうであったようです。

茶入れ(抹茶の容器)は、たかが掌に載る程度の大きさです。ところが豊臣秀吉は、この茶入れ2つ(「似茄子」と「新田肩衝」と名付けられたもの)を1万貫で買い取ったそうです。銭1貫が現在の百万円と仮定すると、百億円になります。

当時の一国よりも値打ちがある、と言われた茶入れ(「珠光小茄子」と名付けられたもの)もあります。

秀吉が銭1万貫の値をつけて実際に払ったのは、払っても困らないだけの資産があったからだろう。

織田信長や豊臣秀吉時代の日本は、銀のバブル経済に沸いていた。

石見銀山が開発され、天文年間に新しい精錬技術である灰吹法が導入されてから、日本の銀の産出量が大いに増えた。

ポルトガル人たちは、インドで香辛料を買い込んで、まずは明に行く。

明で香辛料を売り、絹を買い込んだポルトガル船は、九州にやってきて絹を売り、銀を手に入れる。

ただし、恩恵をこうむったのは、交易を奨励した大友宗麟などの西国の大名と、堺、博多の豪商たちだけで、一般の庶民層には、まるで無縁であった。

織田信長と豊臣秀吉は、豪商たちと結びつくことで、銀によるバブル経済をわがものとして取り込み、その財力をバネにして鉄砲などの軍備を整えて、天下人にのし上がった。

経済的視点だけで文化を論じ尽くすことはもちろん出来ませんが、茶道も経済があってこそ成り立っているのは確かでしょう。

私自身は高価な茶道具を買う資力などもちろんありませんし、一般的な茶道具さえ、めったに買うことは出来ません。「数寄者」と呼ばれるような、資力があって茶道の造詣があり、高価な茶道具を収集して、かつ公衆の閲覧にも供してくださる方々の存在は貴重だと思います。

昨今は財力があっても、茶道等の文化面でその財力を生かしてくださる方が少なくなったと聞きます。寂しいことですね・・・


ユキ

2011-12-23 18:01:20 | 

Dscn2147 当庵の犬が白くなりました。黒かったジュンを白く毛染めしたわけではありません。

近所で飼われていた2頭の雌犬同士が、相性が悪いのか、激しい喧嘩をするようになったので、その1頭のユキと雄のジュンとのトレードを昨日から試みているのです。

ユキと私とは以前から面識がありましたし、ジュンも近所の方々によく可愛がられていましたから、トレードは順調に成立しそうです。ジュンは先方の雌犬と早速ラブラブの様子ですが、去勢済の雄と避妊済の雌ですから、幸か不幸か懐胎の可能性はありません。でもラブラブって微笑ましくていいですね

Dscn2142 ユキもジュンと同様、小さいときに捨てられていたところを拾われた犬です。体格はジュンより少し大きいので、私の力で引綱をコントロールできるか心配でしたが、ユキは賢くて優しくて、無茶な動きをしないので、大丈夫そうです。

ジュンとは9年間付き合った仲ですが、会いたくなったらいつでも会える近所なので寂しくはありません。

このまま順調でしたら、年明けに正式に登録変えをしようかな、と考えています。


親しまれる事務所に

2011-12-18 16:56:42 | 家族

関西の息子が忙しい時間の隙間を縫って立ち寄ってくれました。息子は今、大先輩が経営する事務所に勤めていますが、独立した事務所を立ち上げて開業する予定です。

数か月前からの開業準備も大詰めとなり、新事務所は年明けにオープン予定。目の前の仕事をしながらの開業準備はさぞ大変だったろうと思います。お嫁ちゃんをはじめ、周りの人々に支えられて、何とか整ってきたようです。地域の人々に親しまれる事務所にしたい、と息子の弁。

気のせいか、最近の息子は体格がガッチリしてきた感じがします。?十年前に私の乳を飲んでいた息子のホッペ・・その後の紆余曲折の人生を想うと、感無量です。


放射線量の測定

2011-12-15 14:05:38 | 原発

市役所の放射線測定器貸出制度を利用して、当庵周辺を調べました。測定器は「ラディ」といDscn2140 う簡易型で(株)堀場製作所製、指示誤差±10%以内だそうです。一昨日に申し込んで、今日午前中に借りることが出来ました。

当庵には雨樋が無いので、屋根に降った雨は軒先から直接地面へ落ちます。その軒先下の放射線が最も高く、地上約1mで0.144、地表付近で0.242(単位はいずれも マイクロシーベルト/時)でした。

そのほかのところは、地上約1mで概ね 0.1マイクロシーベルト/時 ぐらいでした。近くの公共施設では 0.14~0.15マイクロシーベルト/時 と公表されているので、当庵周辺は、この地域ではやや低め、と言えます。測定器が簡易型ですから、この程度の相違が有意かどうか分かりませんが、北側に茂る雑木林が遮蔽効果をもたらしているのかも知れません。

現時点の当庵周辺での外部被曝線量については、神経質になる必要は無さそうです。ただ、小さい子供達の外遊びには、雨樋付近を避けるなどの注意をすべきと思います。


巧匠会「初冬の会」

2011-12-11 20:46:16 | 

Dscn2138 茶道の先生と社中の皆様と共に東京の茶道会館へ行き、功匠会「初冬の会」という茶会に出席しました。

Dscn2139 茶道会館の敷地に入ると、良く手入れされた茶庭が続き、幾つかの茶室が静かに佇むように配置されています。大都会の真っ只中であることを暫し忘れました。

人気のある茶会だからでしょう、4箇所の茶席はいずれも大変混み合っていました。でも、お天気に恵まれて風もなく、青空に映える冬紅葉が美しくて、待ち時間もあまり苦になりませんでした。

明々軒の席主を務められた御家流の米満五風先生は、最近大病をされたそうです。そして「お茶でこんなに楽しめるとは思っていませんでした。」と、しみじみ述懐されていました。

Dscn2134 写真の可愛らしい香合は、明々軒の床の間に飾られていたものです。

茶会に併せて、茶道具展も開催されていました。功匠会の作家の皆様の、彫嵌、漆芸、竹芸、袋物、鋳金、陶芸、羽箒、等々、見事な美しさに感嘆の連続でした。

帰庵したとき、日はとっぷりと暮れていました。留守番してくれた犬のジュンに「遅くなってゴメン」と詫び、ヘッドランプを付けて真っ暗な山路を少し散歩しました。オレンジ色の大きな月が林の向こうから顔を出しました。


冬紅葉

2011-12-09 19:23:51 | 俳句

霙まじりの雨の朝でした。あたり一面に降り積もった落葉が冷たく濡れています。

     被災地へ為す術知らず氷雨降る   

午前10時、俳句仲間が集まって近くの丸山古墳へ吟行に行きました。5世紀初めに築かれた前方後方墳(前方後円墳ではありません)という貴重な遺跡です。

     極月や奥津城の森しんしんと

傍らに大きな殉国之碑が立っています。台の4面には戦死した村人の姓名がぎっしりと刻まれています。同行の仲間のお兄様の名前も・・・

     冬もみぢ炎のごと村の殉国碑

     


棄民

2011-12-08 17:09:00 | 原発

真珠湾攻撃の日です。東京新聞が 3・11と日米開戦70年 の特集記事を組んで、坂本義和氏(1927~ 国際政治学)へのインタビューを掲載しています。心に響く氏の言葉を以下に抜粋します。

補給すら保障せずに兵を送るのが、日本軍の方針でした。南方に行った日本兵の多くが餓死しています。これこそ棄民です。

もっと大規模な棄民もありました。1945年2月に近衛文麿らが終戦を天皇に進言しました。あのとき終戦交渉を始めていれば、東京大空襲も原爆投下もソ連参戦もなかったでしょう。国民よりも国体の護持が最優先でした。

沖縄は棄民と同じだと思います。それは沖縄と本土の新聞の違いにも感じます。同様に、震災報道で使われる「がれき処理」という言葉が気になります。

「がれき」の中には、行方不明の人の骨片や、被災者にとってかけがえのない思い出の品があるに違いない。混じっているのは人間で、私は「残骸」だと思います。「骸」とは「なきがら」です。

日本人は上の人間が下の人間の責任を問うことはあっても、下の人間が上の人間の責任を問う文化がない。とにかくこうなっちゃった、ということで諦めてしまうんです。

例えば福島第一原発事故でも「原子力ムラ」という言葉が使われています。ムラは集団です。だから事故が誰の責任なのか分からなくなる、また分からなくするのです。決定権をもつ者の責任を問わない民主主義はあり得ません。

棄民を忘れる感覚は、権力者だけでなく我々の中にもあります。

84歳の言葉の真実に感銘を受けました。東京新聞さん、ありがとう!


非電化工房

2011-12-01 19:41:28 | 文化

「非電化工房」を営んでいる藤村靖之という人がいることを友人に教えてもらいました。藤村靖之氏は発明家で、2000年ごろから非電化製品~非電化の冷蔵庫や除湿機やオーブン等々~の発明と普及に取り組んでいます。自作の箒もあります。

THE FLINTSTONE:発明家・藤村靖之さんの「愉しい非電化」(06.09.24)

電気掃除機はカーペットのために造られたものです。畳とフローリングだったら箒の方が上手く掃けるし、愉しく掃けますよ。 という氏の話に私はハッとしました。電気掃除機を掛けるときの気持は確かに愉しくはありません。何よりも大袈裟なあの音が嫌ですし、機器を引きずりまわしたり、場所によって器具を取り換えなければならないのも億劫です。

Dscn2128 それでも私が電気掃除機を使っていたのは、箒は畳の部屋で使うものという固定観念があり、当庵はフローリングだけだから電気掃除機でやむを得ない、と思い込んでいたからです。

藤村靖之氏のおかげで固定観念を外すことが出来た私は、早速、箒を買いに行きました。大手の物販店にある箒は、箒のフリをした偽物のようなものです。地元の古いお店へ行きました。ありました! 昔ながらの座敷Dscn2129_2 箒です。藤村靖之氏自作の箒も同類です。

掃いてみました。狭くなった隅々も箒の角度を自然に変えれば上手く気持 ちよく掃くことが出来ます。箒の腰がしっかりしていて弾力があり、掃いていると体も心も弾んでくるような感じがします。