野良仕事は忙しくなったが、まさに春爛漫、コロナと愚政が無ければ最高の季節だ。
八郷盆地を囲む筑波連山は春霞を纏い、里山は芽吹き色と桜色に染まって膨らんでいる。
近所の友人と一緒に八郷運動公園へ花見に行った。
待ち合せた駐車場の大樹、ケヤキの姿が美しい。この方向で見ると、ソメイヨシノは脇役だ。
駐車場はいつも通りのがら空き。花見で密集というコロナ感染の不安はない。
それでも、もちろんマスクを着用し、飲食はしないという約束での花見だ。
垣間見える筑波連山の一角がぼんやりとしているのは、霞に加えて黄砂の影響もあるのだろう。
友人はソメイヨシノが大好きだと言う。
友人のみならず、世間の大多数の人々がソメイヨシノを愛でているようだ。
確かに、一斉に咲き一斉に散るソメイヨシノの風景は綺麗だと私も思う。
しかし・・・
ソメイヨシノの樹肌は、若木のうちは艶があるが、それほど年数を経ないうちに煤けたような黒ずんだ色になってしまう。
寿命が短くて、大樹になることが出来ない。
幹の分れ方や枝ぶりに伸び伸びした感じが乏しく、いじけたような不自然さを感じる。
花の色は綺麗だけれども、その白っぽさに陰りがあって、大げさに言えば世紀末的だ。
花が終わった後に葉が出てくるが、満開のこの季節に、根元に近い幹から不規則に出ている小枝には、花が無くて若葉が出ている。奇異な印象を受ける。
まとめて言えば、ソメイヨシノの美は病的な美だと言えるのではないかと思う。
衆知の通り、ソメイヨシノはクローンで、子孫を残せない品種だ。
また、クローンゆえに個体差が無く、一斉に咲き一斉に散ることから、「お国のために潔く散ろう」という軍国主義の風潮下で、全国的な植樹が推進されたという歴史がある。
そんな歴史を、たとえ振り返らないとしても、ソメイヨシノの美は病的な美、手放しで賞賛できる美だとは、私はどうしても感じられない。
それに引き換え山桜は、空に向かって伸び伸びと枝を伸ばし、その生き生きとした姿に豊かな生命力を感じる。
八郷運動公園の駐車場の脇裏に、白い花をいっぱいに咲かせた桜があった。何という品種なのだろうか?
八郷盆地を囲む筑波連山は春霞を纏い、里山は芽吹き色と桜色に染まって膨らんでいる。
近所の友人と一緒に八郷運動公園へ花見に行った。
待ち合せた駐車場の大樹、ケヤキの姿が美しい。この方向で見ると、ソメイヨシノは脇役だ。
駐車場はいつも通りのがら空き。花見で密集というコロナ感染の不安はない。
それでも、もちろんマスクを着用し、飲食はしないという約束での花見だ。
垣間見える筑波連山の一角がぼんやりとしているのは、霞に加えて黄砂の影響もあるのだろう。
友人はソメイヨシノが大好きだと言う。
友人のみならず、世間の大多数の人々がソメイヨシノを愛でているようだ。
確かに、一斉に咲き一斉に散るソメイヨシノの風景は綺麗だと私も思う。
しかし・・・
ソメイヨシノの樹肌は、若木のうちは艶があるが、それほど年数を経ないうちに煤けたような黒ずんだ色になってしまう。
寿命が短くて、大樹になることが出来ない。
幹の分れ方や枝ぶりに伸び伸びした感じが乏しく、いじけたような不自然さを感じる。
花の色は綺麗だけれども、その白っぽさに陰りがあって、大げさに言えば世紀末的だ。
花が終わった後に葉が出てくるが、満開のこの季節に、根元に近い幹から不規則に出ている小枝には、花が無くて若葉が出ている。奇異な印象を受ける。
まとめて言えば、ソメイヨシノの美は病的な美だと言えるのではないかと思う。
衆知の通り、ソメイヨシノはクローンで、子孫を残せない品種だ。
また、クローンゆえに個体差が無く、一斉に咲き一斉に散ることから、「お国のために潔く散ろう」という軍国主義の風潮下で、全国的な植樹が推進されたという歴史がある。
そんな歴史を、たとえ振り返らないとしても、ソメイヨシノの美は病的な美、手放しで賞賛できる美だとは、私はどうしても感じられない。
それに引き換え山桜は、空に向かって伸び伸びと枝を伸ばし、その生き生きとした姿に豊かな生命力を感じる。
八郷運動公園の駐車場の脇裏に、白い花をいっぱいに咲かせた桜があった。何という品種なのだろうか?