みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

八郷の花見

2021-03-31 22:39:29 | 八郷の自然と風景
野良仕事は忙しくなったが、まさに春爛漫、コロナと愚政が無ければ最高の季節だ。
八郷盆地を囲む筑波連山は春霞を纏い、里山は芽吹き色と桜色に染まって膨らんでいる。

近所の友人と一緒に八郷運動公園へ花見に行った。
待ち合せた駐車場の大樹、ケヤキの姿が美しい。この方向で見ると、ソメイヨシノは脇役だ。
駐車場はいつも通りのがら空き。花見で密集というコロナ感染の不安はない。
それでも、もちろんマスクを着用し、飲食はしないという約束での花見だ。






垣間見える筑波連山の一角がぼんやりとしているのは、霞に加えて黄砂の影響もあるのだろう。
友人はソメイヨシノが大好きだと言う。
友人のみならず、世間の大多数の人々がソメイヨシノを愛でているようだ。
確かに、一斉に咲き一斉に散るソメイヨシノの風景は綺麗だと私も思う。

しかし・・・
ソメイヨシノの樹肌は、若木のうちは艶があるが、それほど年数を経ないうちに煤けたような黒ずんだ色になってしまう。
寿命が短くて、大樹になることが出来ない。
幹の分れ方や枝ぶりに伸び伸びした感じが乏しく、いじけたような不自然さを感じる。
花の色は綺麗だけれども、その白っぽさに陰りがあって、大げさに言えば世紀末的だ。
花が終わった後に葉が出てくるが、満開のこの季節に、根元に近い幹から不規則に出ている小枝には、花が無くて若葉が出ている。奇異な印象を受ける。
まとめて言えば、ソメイヨシノの美は病的な美だと言えるのではないかと思う。

衆知の通り、ソメイヨシノはクローンで、子孫を残せない品種だ。
また、クローンゆえに個体差が無く、一斉に咲き一斉に散ることから、「お国のために潔く散ろう」という軍国主義の風潮下で、全国的な植樹が推進されたという歴史がある。

そんな歴史を、たとえ振り返らないとしても、ソメイヨシノの美は病的な美、手放しで賞賛できる美だとは、私はどうしても感じられない。
それに引き換え山桜は、空に向かって伸び伸びと枝を伸ばし、その生き生きとした姿に豊かな生命力を感じる。

八郷運動公園の駐車場の脇裏に、白い花をいっぱいに咲かせた桜があった。何という品種なのだろうか?


良寛さん  その2《自力と他力》

2021-03-21 14:56:50 | 仏教
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をば遂ぐるなりと信じて念仏申さんんと思い立つ心の起こるとき、すなわち摂取不捨の利益(りやく)に預けしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪の人を選ばず。ただ信心を要とすと知るべし。その故は、罪悪深重・煩悩熾盛(しじょう)の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をも恐るべからず、弥陀の本願を妨ぐるほどの悪なきがゆえにと云々。


大好きな歎異抄第1章です。親鸞聖人の肉声を唯円が伝えてくださいました。読むたびに胸にしみいるような文章です。

善行を積む必要もない、煩悩を抑えて修行する必要もない、悪人でも、煩悩の渦中にあっても、信心して念仏しようと思い立ちさえすれば、阿弥陀仏に救ってもらえる、というのです。しかも、信心して念仏しようという心そのものさえ、阿弥陀仏からたすけられて思い立つのだ、というのです。

いわゆる「他力本願」の真髄が語られている、と思います。他力とは、他人の力ではありません。阿弥陀仏の力です。そしてこの阿弥陀仏とは、「色もなく、形もましまさず」「自然(じねん)の様(やう)を知らせん料なり」(末灯抄)と、親鸞聖人は語っています。「自然(じねん)」とは、この世界存在の真実、と言えましょうか。

人が仏教によってめざす目標は何か? 色々な言い方がある。曰く、・成仏すること ・浄土へ往生すること ・悟ること ・絶対の境地を得ること 等々。
厳しい修行によって煩悩を克服し「悟る」ことを目指すのは、「自力」によるものと言われる。「達磨大師」に代表されるような、厳しい禅僧の表情が連想される。

自力と他力。文字通り正反対の態様で、水と油のように相容れないもの、と私は思っていた。 ところが・・・

     

「良寛『法華讃』」(全国良寛会監修・竹村牧男著)を少しずつ読み進めながら、並行して水上勉著「良寛」(1986年 中央公論社発行)を読み返しているうちに、良寛さんにおいては他力と自力が融合しているような印象を受けるようになった。これは、私にとっては非常に意外なことだった。

良寛さんは越後の名主の家に出生されたが、出家して玉島円通寺(曹洞宗)で12年間を過ごされ、印可を受けられたから「禅僧」だ。円通寺を出てからは、乞食しながらの諸国行脚をされている。天災と飢饉が相次ぐ時代に、まさに生死の境をさまようような時もあったであろう。それは「自力」の修行だったようにも見える。

ところが良寛さんは39歳のころ、越後へ戻られた。生家からは距離を置きながらも、程遠くはないところで過ごされ、74歳という当時としては長寿を全うされている。

良寛さんは何故、後半生の住処を故郷の越後に求め、庵を移りながらも永住されたのか? 水上勉が丹念に探究している。

温床

2021-03-16 06:53:43 | 社会
国家の基盤は暴力装置(警察、軍隊等)だ。
これに、近代国家は情報装置を伴う。
今や、情報を制するものは国家を制する、といってもいい時代だ。

郵便・放送・通信という情報装置についての、許認可という権限と助成金等の振興策の権限を、両方とも総務省=国家が握っている。
これこそ、接待の温床であり、行政の歪みと情報の歪みの温床だ。

この弊害への対策として、許認可の権限を、国家から独立した委員会等の第三者機関へ委ねるのが、いわゆる先進国の通例だということを、私は今まで知らなかった。

日本でも、敗戦後は第三者機関に委ねていたが、サンフランシスコ講和条約による独立後、当時の吉田茂首相が国家直接の権限にした。
民主党政権がこの問題に取り組もうとしたときは、直ぐに潰されたという。

こうした経緯を、私は今回、初めて知った。

丁子桜

2021-03-06 21:16:15 | 俳句
お隣りの庭の丁子桜の樹冠がほんのり白っぽくなっているので、近寄ってみたら小さな花たちをひっそりと咲かせていた。野生種で、ソメイヨシノのような華やかさには程遠いが、心惹かれる風情がある。





          消ゆる方(かた)索(もと)めむ丁子桜かな


オバマ元大統領と上皇后様の孤独

2021-03-06 06:59:24 | 
アメリカのオバマ元大統領の回顧録「約束の地」が、日本でも集英社から先月発売された。
昨日のTBSラジオで本書が激賞され、その内容のごく一部が紹介されていた。

オバマ(当時)大統領が来日して両(当時)陛下に会われた時についての記述の中に、次のような一節があるそうだ。

年老いてはいるが、上品で美しい皇后陛下(現・上皇后様)は、「どんなに孤独でいるときも、音楽と詩が私を慰めてくれました。」と、驚くほどの率直さで語られた。

上皇后様の孤独も深かったのだ。偉大な人ほど、その孤独は深いのだろう。
おそらく、オバマ元大統領の孤独も深かったのだろう。その孤独に接してこそ、上皇后様は率直になられたのだろう。

上皇様の孤独も深かった。その孤独を、上皇后様の深い孤独が支えてこられたのだ。