みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

いしおか雛巡り

2016-02-28 20:07:14 | 俳句
第10回 いしおか雛巡り が、石岡市中心市街地商店街で2月3日から3月3日まで開催されています。日差しがほの温かく風も穏やかな雛日和の今日、俳句の会で吟行しました。

お雛様を展示している84箇所のうちの一つ、丁子屋は、江戸時代末に建てられた染物屋。先輩俳友の話では、かっては正月ともなると新しい「紺物」(モンペなどの野良着のことだそうです)を買うために八郷からも皆、この丁子屋へ来ていたのだそうです。

       

昭和4年の大火にも丁子屋は焼け残り、国の登録有形文化財に指定されています。現在は まち蔵 藍 と称して、市の観光施設となっています。店番は溌剌とした女性たちで、お役所臭い?感じは全くありません。彼女たちはもしかしたら地元のボランティアなのかも? 甘酒のサービスに誘われて店内に入りました。大正時代のお雛様も現代のお雛様も、様々のお雛様が趣き深く展示されています。

2階のお部屋にも心惹かれました。とても清楚なお顔立ちのお雛様が多かったですね。お部屋の隅に展示されているお雛様は、なんと、足踏ミシンの上に載っていました。



          雛のせて足踏ミシン畏り          




山崎豊子著 「華麗なる一族」

2016-02-24 10:14:39 | 
壮大で華やかで、重くて暗くて、ダイナミックで繊細で、山崎豊子(1924~2013)の筆は縦横無尽だ。本書は1973年の作。公民館図書室から新潮社の上中下巻を順次借りて読んだ。読んでいる時間は、自身の老病苦を忘れることが出来た。



山崎豊子は人間の現実を書く。現実の世界の扉を次から次へと開いてゆく。正しく善きものが勝つとは限らない、否、敗けることが多いのが現実だ。そうした現実を容赦なく暴き晒す物語だ。それでもなお、正しく善き人間が勝ってほしい、という願いを高めさせる物語であり、悪しき人間にも哀愁を感じさせる物語だ。山崎豊子は凄い!

奇跡の春

2016-02-21 13:34:59 | 暮らし
飼犬ユキの散歩をしていた朝、近くの林から オケッ ケキョケッ もしかしてあれは・・ 立ち止まり耳を澄ましていたら ケッキョ ケキョ オケキョ 間違いありません、鶯の初鳴きです! 不器用な覚束ない鳴きっぷりですが、日に日に上達することでしょう。 コジュケイは チョットコイ チョットコイ と昨日から賑やかです。ホオジロは数日前に梢で イッピツケイジョウ とのたまわっていました。囀りの一番手のシジュウカラは、立春の頃から ツピー ツピー と繰り返しています。



当庭の木瓜もふっくらと開き始めました。季節が巡り春が来るのは当然と思っていましたが、原発事故が起きたり、戦争の時代を実感したり、老年となって病気が増えてきたりすると、新しい春との出会いが奇跡のようにも感じられてきます。

昼過ぎ、図書室の本の貸借のため中央公民館へ行きました。ロビーにはたくさんのお雛さまが飾られていました。地元の幼稚園の園児たちの紙雛はあどけなく、人形作りの同好会による見事な作品には目を奪われました。傍らで着物姿のお茶人の皆さまがお菓子(黄身しぐれ)と抹茶(白寿)を出してくださいました。代金わずか百円! とても美味しかったです。

               





 

再会

2016-02-17 17:38:16 | 暮らし
お会いする機会が失くなってから30年ぐらい経つでしょうか、年賀状のやりとりだけの人でした。その人から突然、遠路はるばる私に会いに来てくださるという連絡を戴いたときは、信じられない思いでした。でも本当に来てくださいました。お迎えに行った駅の改札口で、かろうじてお互いの昔の面影を見出すことが出来て、それから5時間ほど、八郷の穏やかな風景の中で、昔と今を行ったり来たりするような会話を重ねました。

お会いしなかった間に、その人は大変な人生の波乱に見舞われていたことを知りました。私にもそれなりの波乱がありました。その人も私も、今が一番しあわせ! という点で一致しました。

瓦谷の雲照寺に立ち寄りました。手入れが行き届いた梅林の香りに酔いました。




ラウンジでの茶会

2016-02-14 13:48:47 | 茶道
猛烈な風が吹きすさび、木の枝が折れて山路に落下したり。怯む気持はありましたが、やはり予定通りに行きたくて愛車を1時間余り駆りました。強い横風でハンドルがふらつくのを初体験。緊張の連続でした。

雛祭に因んだ茶会が文化ホールのラウンジで催され、茶道の大先輩が席主を務められているのです。私は昨11月以来、ちょっとした体調不良が続いているため茶道から遠ざかりっぱなし。ラウンジでの気軽な茶会であれば、万全の体調ではなくても久しぶりに茶道の雰囲気を楽しめそうだと思ったので、どうしても行きたかったのです。

               

ラウンジには大先輩手作りのお内裏様や紅い和傘などが設えられて、ささやかながらも伝統文化の時空間を醸し出していました。きりっとした立礼のお点前(お点前中は撮影を控えました)を拝見し、香り高いお抹茶を戴き、茶道の友人たちとも再会出来て、何よりのひとときでした。行って良かった!

風は冷たいけれど

2016-02-09 18:43:43 | 俳句
俳句の会の吟行でフラワーパークへ行きました。風は冷たいけれど青空が広がり、日差しが温かく感じられます。乙女の像がある枯芝の広場の向こうに筑波山が見えます。この方角だと峰が一つで稜線の傾斜が急に見えます。



枝垂れの白梅が二分くらい開花していました。枯れ色が広がる風景の中で咲いている花は貴重ですね。



福寿草も、まだ開き始めたばかりのようでした。

   

                              福寿草 大地の勲章かと思ふ


村の芝焼

2016-02-07 17:03:26 | 田んぼ
今日は村の芝焼。田んぼの畦や土手などの枯草を燃やします。今年もいよいよ田畑が本格的に動き出す時季を迎えたことを実感します。



芝焼は、野焼とも畔焼とも草焼とも言われます。「野焼」と言うと勇壮なイメージがありますが、燃え広がってしまうと危険なため、少しずつ燃え移っていくように細かな気配りをしながらの作業です。



各戸から1人ずつの出動で、女性は空缶などのゴミ拾いを担当します。ところが今回出動した女性は私だけ・・・ やり切れるか心配していたら、男性陣から数名がゴミ拾いに参加して下さり、とても嬉しかったです。




エナガ&早梅

2016-02-06 13:26:52 | 野鳥
当庭の沙羅の木に、今日もエナガたちが10羽ほどの群れでやってきて、ジュク ジュク ジュリッ ジュリッ 早口でお喋りしながら枝をつつき、ひっきりなしに身を翻して枝から枝へ移っていきます。野鳥にとって餌が最も乏しい季節。懸命の採餌だと思います。庵内から窓越しに撮った写真は、逆光で黒っぽいですが、羽色は白が基調で、翼と長い尾羽は黒、と言っても真っ黒ではなくて、エンジ色っぽい黒です。白羽部分の一部がほのかなワインレッドに見える時、その美しさに思わずウットリ!



「ひょうそ」の痛みに苛まれていた時は、エナガたちに見とれる余裕がありませんでした。発症から3週間余り、お医者さまのおかげで軽快しています。昨日の受診では、患部を切開(と言っても表皮部ですが)して溜まった膿を出して下さいました。この指先の施術は麻酔が効きにくて大変痛い!と仄聞していたのですが、お医者さまは「あまり痛くないようにゆっくりやりますからね」と優しい言葉を掛けながら施術。途中で何度も「痛くないですか?」と私に確かめながら。麻酔もしなかったのに、痛みはほとんど感じませんでした。お医者さまの腕が良いからかしら? それとも私が鈍感だからかしら?



今日は愛車で10数分の友人宅を訪ねました。お庭の梅がもう七分咲きぐらい。折からの寒風に花たちは身を竦めながらも、春の香りを漂わせていました。

細菌と人間

2016-02-01 14:06:23 | 健康・病気
指の先のちょっとした腫れと痛みが、こんな面倒なことになるとは・・ このくらいの症状は自然治癒するだろうとタカを括っていたが数日を経ても一向に改善の兆しがない。もしかしたら噂に聞く「ひょう疽」かも知れない、と思い、愛車で20分ほどの皮膚科を受診した。

やはりひょう疽だった。「指の先で大したことない、なんて思っていたら大変なことになるんだから、直ぐ来なくちゃダメだぞ!」と厳しく怒られた。患者を思えばこそ、のお叱りだった。抗生物質を4日分、続いて3日分処方され、服薬した。7日目は土曜日。朝で薬は飲み切った。痛みは軽くなった感じだったので、月曜日に受診しようと思った。ところが、である。午後から夕方になり、だんだん痛みと腫れがぶり返してきた。夜は服薬前より更にひどくなって、痛みと不安で眠れなかった。これでは月曜まで待てない。日曜日、電車に乗って救急センターへ行き、今までと同じ抗生物質を処方してもらった。

救急センターを利用したのは初体験だった。インフルエンザらしい子供たちと保護者が多かった。救急車で来て担架で入ってきた人が1名。一見すると丈夫そうな体格の良い男性で、30代後半か40代に見える。目を閉じて、意識があるのか否か分からない。苦痛の表情は全く無い。直ぐに診察室に担架ごと入っていった。暫くしてから医師が出てきて、付き添いの母親らしき人に慌ただしく説明するのが耳に入った。心筋梗塞で、緊急手術をする、と。人間の命の危うさを思わざるをえない。私の命も、だ。

救急センターで処方された薬を飲んで、痛みが少し治まり、昨夜は熟睡出来た。ところが、である。朝起きたら、指の先だけでなく付け根の方まで腫れている。こんな次第で、今日は再び、いつもの皮膚科へ行った。待合室で待っている間にも腫れが広がり、片手全体が腫れてきた。順番が来て診察室に入ったときの私は、半ば泣きべそ状態。そんな私に対して、いつも怒ることが多い担当医師も、さすがに優しく、「細菌感染というのは大変なんだよなぁ。今、体が一所懸命闘っているんだ。大丈夫だよ。」と励ましてくれたので、私も気を取り直すことが出来た。炎症に対応する薬と抗生物質で荒れた胃腸のための薬を追加処方してくれた。

昼食後に服薬して、今は午後。手の腫れはほんの少し落ち着いてきた感じだ。目に見えない極小の細菌に脅かされる人間。そのことに平常心を失いそうになるダメ人間の私。