みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

悲劇の外交官 ハーバート・ノーマンの生涯

2017-08-30 08:16:40 | 
雑誌「世界」1989年1月号~1991年5月号連載の「ハーバート・ノーマンの生涯」をまとめて、1991年8月に発行されたもの。県立図書館から公民館へ取り寄せてもらって読みました。膨大な資料の調査分析を踏まえた労作。冷静で淡々とした筆致ながら、読後、ノーマンへの親愛の情が染みわたってくるのを覚えた。



ハーバート・ノーマンが赴任先のカイロで、投身自殺をしたのは、1957年4月4日のことだった。
駐エジプト大使であったカナダ人の自殺は、世界を驚愕させた。

なぜ自らの生を断ったのか・・この謎は、今でもまだ解けていない。

ある者は、ノーマンがソ連のスパイだったと断定し、ある者は、ノーマンの潔白を証明しようとする。

ノーマンの47年と7か月の生涯を、ただ彼の自殺にだけ照準を合わせ、類推に類推を重ねたストーリーを構築するのは、しかし、ひどく空しい作業のような気がする。

彼の死よりは、彼の生に照準を合せて、その人生をたどってみる方が、むしろ自然に、あの不可解な時空へと導かれるような気もする。そして、なにより、彼の生が私たちに与えてくれたものの方が、彼の死が私たちに残した謎よりも、はるかに貴重であるということを、あらためて知らされるだろう。


日本生まれのカナダ人、ノーマンは、日本と日本人についての学識の深さと誠実な人柄で、敗戦国日本の民主化・非軍事化を志向したGHQから厚い信任を受けた貴重な存在だった。ところが、何年も経たないうちに、GHQは、日本を反共の砦化・軍事化する志向を強めた。折から、マッカーシー旋風と言われる「赤狩り」が始まる。

時代の急変に翻弄されるノーマンの誠実さ、繊細さが痛々しい。

ノーマンは眼鏡、時計、そしてカフス・ボタンを外した。~眼鏡を取ることで、彼の視覚は失われ、すなわち空間が消失する。時計を取ることで、時間と別れを告げる。そしてカフス・ボタンは、彼を規制して、その手を縛っていたものの象徴だったのかもしれない。時間と空間とは、すなわち自分が身を置く現実に他ならない。そこからの逃避は死以外にはなかった。



松風草

2017-08-27 22:32:51 | 俳句
俳句の会で、国民宿舎「つくばね」の周辺を吟行しました。暑いけれど、空気がカラッとして爽やかです。

「つくばね」の脇の緩い山道を、背腰脚痛を庇いながら少し歩きました。せせらぎの音が軽やかに響き、ツクツクボウシたちが鳴き交わしています。道端には、草たちがそれぞれの花を咲かせています。コバギボウシ イノコヅチ ミズヒキ 等々。名前を知らない草花も色々。ヤブランの花には蜻蛉が止まっていて、カメラを近づけるのを赦してくれました。秋風の音に聞き入っているのかな・・・



松風草に出会ったのは20年ぶりぐらいでしょうか。一つ見つけて喜んでいたら、群落にも出会って感激!

     

          いと小さき風の囁き松風草



谷底の真っ赤な実の正体

2017-08-24 08:22:09 | 俳句
来る日も来る日も雨模様の今月でしたが、今日は降らないかも。

俳句の会で、久しぶりに鳴滝へ行きました。小さな山の中の小さな滝だけれど、近づくと涼しい風が迎えてくれました。

          風連れて楚々と秘滝の流れかな

流れが下ってゆく谷底を覗くと、藪の中に、真っ赤な実の集合体が見えました。シダ類が多い暗めの緑の中で、とても目立っています。何の実だろう?  皆で首をひねっていたら、仲間の好漢が、急な崖を這うように降りていって、その実が付いている植物の葉茎を一つ、採ってきてくれました。見ると、マムシグサです。蝮草の赤い実は、図鑑などでは見たことがあったけれど、実物に出会ったのは初めてでした。あまりにも鮮やかな赤で、まるで谷底全体を支配する女王のようだと思いました。この実には強い毒があるので絶対に食べてはいけません、念の為。サトイモ科だけれど、根茎の毒も強烈だそうです。

今朝の深かった霧もずいぶん晴れてきました。滝へ近づく道からは、木々の狭間から瓦谷の村が望めます。仲間の一人が風景の中の一軒を指して、ご自宅を教えてくれました。見知らぬ若い青年もやってきて、いい景色ですねえ・・と声を掛けてくれました。







敗戦忌に読む言葉

2017-08-15 06:27:20 | 生死
柳澤桂子さん(1938~)の、静かな、優しくも確かな言葉(岩波書店「図書」8月号 P.7)に出会いました。

 私は戦争の悲惨さをこの目で見ました。いま、生命科学を学んできたからこそ、長い時間を病と共に過ごしてきたからこそ、一人ひとりが奇跡的ないのちであることを実感しています。
 だから、若い人たちに伝えたいのです。
 いのちを大切に。戦争ほどばからしいことはありません。

12歳の天才

2017-08-13 10:09:36 | 学問
昨日のラジオ番組「久米宏ラジオなんですけど」に、「12歳の少年が書いた量子力学の教科書」の著者、近藤龍一さんがゲスト出演していた。現在は高校一年生。話しっぷりも、容貌(ネット上の画像)も、爽やか!の一語に尽きるような少年である。

この著書を、私はまだ読んでいない。内容についての評価は様々だろうけれど、彼には「天才」という呼称を献上してもいいのだろうと思う。年間3千冊もの読書歴、というから、努力家でもある。母親との相性が良いらしく、家庭では日常的に量子力学等の話をしている、というから、ほほえましい感じもする。

久米宏から「恋愛」について問われたとき、「恋愛には関心がないんです」と応えた彼。「どうして関心がないの?」という問いには、「あれは精神の病いだと思いますので」と応えた彼。

世間一般でも「恋の病い」と言われる。確かに恋愛するものの心情はバランスを欠いていて、「精神の病い」という指摘は的を得ているようにも思う。逆に、病いでもないような恋愛は、似非恋愛と言えるかも知れない。

人は、好むと好まざるに拘わらず、病む者である。病いには病いの真実があるだろう。身体の病いにも、精神の病いにも。病いだから関心がない、という彼の論理?には、強い違和感を覚える。

天才だからといって、幸福とは限らないし、人々を幸福にしてあげられるとも限らない。そもそも、「幸福」の定義は難しい。これからどんな人生を、彼は歩んでいくのだろう・・・

氷菓

2017-08-03 08:44:02 | 俳句
私がまだ小さい子供の頃、氷菓と言えば「かき氷」だった。炎天下を、頑迷な母に引っ張られるように歩いているとき、紺地に白の「氷」の字と波しぶきの絵の幟がはためいているのを見掛けると、喉が叫びそうなほど「かき氷」が欲しかったものだ。しかし、その願いは、めったに叶えられなかった。

やがて街角に「ソフトクリーム」の洒落た幟も見られる時代になったが、私は、進学、学生運動、上京、就職、結婚、育児等々・・・身辺が慌ただしくなり、家庭の内外で軋轢も多く、あのとろける舌触りを堪能する機会は稀だった。

猛暑だった先日の夕方、用水ポンプの機場で操作を済ませていたら、村人が来て、無造作にソフトクリームを差し出してくれた。田んぼの脇にしゃがんで戴いた。

          ソフトクリーム残り一口噛み締める

ばね指

2017-08-02 09:42:48 | 老病
1週間ほど前から、右手中指の付根付近に強ばったような感じがするようになった。最初は朝の起床時だけ気になったが、1日経つごとに気になる時間が長くなり、1日中気になるようになり、強ばった感じも強く広くなってきた。

脊柱管狭窄症などで通っている八郷整形外科内科病院の整形外科で、昨日、診てもらった。院長でもある医師は、私の訴えを聞くと、患部を触診して、即座に「(腱が)肥厚している。ばね指だね。」と診断された。ばね指? 首を傾げる私に、医師は、イラスト入りの説明チラシを渡してくれながら、簡潔に説明してくれた。

指を曲げ伸ばしする腱と腱の浮き上がりを抑える靱帯性腱鞘の間で炎症が起こっているのが原因。指の使いすぎで腱鞘が肥厚したり、腱が肥大すると、通過障害を起し、ばね現象が生じる。

私の場合、ばね現象はまだ起きていないから、初期症状らしい。患部の安静が必要で、医師は、「草取りが一番よくない」と言う。思わず「草取りをしないわけにはいかないし・・」と呟いてしまった私に、「(ステロイドの)注射をしなければならなくなるよ」と、やや強い調子で諭された。「やるなら左手で」とも。

右利きの私は一瞬、困った!と思ったけれど、気を取り直した。この際、右手の負担を軽減するような野良仕事・家事の仕方を工夫してみよう、と。チャレンジ精神でやるのだと思ったら、気持が明るくなった。








夏の野菜たち

2017-08-02 08:38:58 | 菜園
脊柱管狭窄症などのため、動くのは辛いのですが、ジッとしていると体も心も落ち込んでいくので、ノロノロ、休み休みしながらも、出来るだけ野良仕事に努めています。手入れをすると、野菜たちが喜ぶのを実感します。



旱にも豪雨にも耐えて熟れだした真桑瓜。別名、黄金瓜。爽やかな舌触りと、ほのかな甘みが最高の瓜です。



南瓜は、今期はひときわ勢いが良くて、大きな葉の海を広げています。葉の影のあちこちには白っぽい実を太らせています。「白爵」という品種、とっても美味しくて、貯蔵性も良いので、気に入っています。



夏は葉物が少ないのですが、ツルムラサキは、炎天下でも、緑鮮やかな葉柄をぐんぐん伸ばしてくれるので、重宝します。



オクラも次々に花を咲かせ、実を突き立てています。実はすぐに堅くなるので、毎朝見回って、採り頃を逸しないようにします。細かく刻んで粘っているのを、やはり粘っている納豆に混ぜると最高です。



人参は発芽が難しく、発芽してからも暫くは育ちが遅いので、こまめな草取りと間引きなど、デリケートな手入れが必要です。土寄せも、ピンセットを使って細めにやります。丈はまだ2~3センチですが、ようやく根がしっかりしてきたようです。

門前には夏水仙が咲きだしました。数年前に近所の方から球根を分けてもらって、根付いてくれました。花が少ない真夏に、涼し気な花を見せてくれて、感謝!








移住者としての姿勢

2017-08-01 10:29:36 | 暮らし
都会から八郷へ移住した人々(私もその一人だが)の具体的な人数は知らないけれど、多い!というのが実感です。移住の動機も多彩で、就農目的のほか、縁あって嫁入りしたからとか、自然が豊かな環境で我が子を育てたいからとか、陶芸などの創作活動に適しているからとか、風景に魅せられたからとか・・ そのほか、首都圏との距離がほどよいことも移住の動機を補完していることでしょう。

移住者の、地元との関係性も様々のようです。地元にどんどん入り込んでいく人が多いようだけれど、なかには、出来るだけ関係を避けようとする人もいないことはない。どちらがいいとか悪いとかではなくて、各人の人生観と具体的な条件次第ということでしょう。

八郷の人々は、総じて率直で開放的で、好奇心も旺盛で、新参者を受け入れる気持が豊かだから、移住者と地元との間で軋轢が生じた、という話はめったに聞かないけれど、稀に、残念な噂を耳にすることもあります。

当然のことながら地元には、八郷の風土のなかで培われてきた暮らしの智恵と作法があって、それは本当に貴重な文化です。私のような新参の移住者は、そうした貴重な文化を担っている地元の人々に対して敬意を払い、謙虚に学ぶ姿勢でいるように努めた方がいいと思うのです。

都会出身であることや、社会的地位や、自分の才能などに優越感を抱いて、人々に接するようなことがあったら、どんなに心が広い八郷の人々であっても、その心をひそかに閉じていくことでしょう。やがて移住者は、気が付けば独り・・となり、八郷の風土の豊かさを感受することも難しくなっていくでしょう。そんな様子を稀に見掛けると、残念でなりません。