みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

苦の根源

2021-07-30 14:16:17 | 生死
人生が長かろうが短かろうが、生と死について考え抜いたあげく、安らかな死などどこにもないという深い諦念の中で最期を迎える。これが人間らしい唯一の死に方ではないか。

重いテーマなのに文章のリズムが軽いのは、長谷川櫂が俳人だからか。

     

人間にとって生まれないのが最大の幸福であるという考え方は人類が誕生したときからあった。仏教は人間の苦しみを生老病死の四苦に分類する。そのうち老、病、死はわかるとしても、なぜ生、生まれることが苦しみなのか、しかも四苦の筆頭に置かれるのか。それは生こそ人間のあらゆる苦しみの根源であるという遠大な思想に基づいている。

南アフリカの哲学者デイヴィッド・ベネター(1966~)は、人間は害悪そのものであるという。苦痛、失望、不安、悲嘆、死は存在する人間にだけ起こる。存在しない、生まれなかった人間には起きない。だから子ども自身のことを考えるなら子どもは産むべきでない。さらに人間という害悪の総計である人口について理想的な人口はゼロであり、人類絶滅へ向かってまず段階的絶滅を提唱する(『生まれてこないほうが良かった』2006年)。

岡林信康の新曲「復活の朝」をも連想する。

私が産んだ第1子は、よく飲みよく寝た。母乳を一心に飲む赤ん坊を抱いているとき、母となった喜びが胸の中に広がった。しかしある時、スヤスヤと寝ている赤ん坊を見ていた私に深い悲しみが襲ってきた。あぁ・・この子も、いつかは死ななければならない運命なのだ・・・と。暗く悲しい思いに囚われた私を、傍らにいた男は睨みつけて癇癪を起こした。

ただ(ベネターの主張は)理路整然としていて、それゆえに人間(そしてその社会)を見誤っているのではないか。というのは人間自体が論理的にできておらず、矛盾や破綻や飛躍だらけの愚かな存在だからである。



生身の金剛力士

2021-07-20 08:56:28 | 社会
大相撲名古屋場所の千秋楽、全勝対決は凄まじかった。2日経った今もなお興奮が冷めやらない。まさに「死闘」の名に値するものだった。

死闘を制した瞬間の白鵬関は、阿形の仁王像にそっくりだった。塑像ではない、汗を吹き出している生身の金剛力士だった。映像で見たに過ぎない私だが、心が震えた。

桝席の佐代子夫人は、お子様たちと共に泣いていらした。「嬉しかったとか、良かったとかではない、ただ涙が出て止まらなかったのです。」と言う。そうだろうと思う。

横審とやらが「見苦しい」だのなんだの、偉そうに言っているらしいが、料簡の狭い井戸端会議レベルの発言だ。白鵬関は意にも介さないだろう。

「相撲の美学」だの、「日本文化の歴史」だのを盾に借りてヘイトスピーチしている輩は、東大寺南大門等々に仁王像を安置し、金剛力士を崇敬してきたこの国の文化と歴史を都合よく忘れているらしい。

白鵬関にあのような相撲を取らしめた照ノ富士も素晴らしかった。吽形の仁王像に相応しい力士だ。白鵬関の凄さを最も知っているのは照ノ富士だろう。荒磯親方=元稀勢の里が、白鵬関へ深い敬意を抱いているように。


夏野菜たち

2021-07-17 14:34:18 | 菜園
春蒔き人参の収穫を終えた。

春蒔き人参は、夏蒔き人参(夏に蒔いて翌早春に収穫する)に較べると、いつも細身なのだけれど、今季はいつになくしっかり育って、質量ともに大豊作。春~初夏の気温が例年より高かったのが好影響だったのだろうか?

収穫した人参は、葉を落とし、泥を落とし、ヒゲ根や瘤などを整理し、葉が付いていた首のところを少し深めに掘り取る。仕上げに洗ってから、水分を良く拭き取っておく。これをビニール袋に入れて、冷蔵庫の野菜ケースに納めれば、かなり長期間、保存が出来る。



小さな胃袋一つっきりでは到底食べ切れない量で、手元に囲っていても折角採れた人参の多くを無駄にしてしまうので、幾人かに差し上げた。御近所で菜園が無い家はほとんど見当たらないのだが、春蒔き人参を作っている人は意外に少ない。保存できるように仕上げた人参をお届けすると、大変喜ばれて、私も嬉しかった。

キュウリは、毎年のことだが、一定期間成り過ぎる。大半は当鶏舎の烏骨鶏たちに提供する。鶏たちは大喜びで食べてくれる。
ナスも、毎年のことだが、一定期間成り過ぎる。ナスは冷蔵できないし、鶏たちはあまり食べてくれない。私は塩分制限しているから漬物は不向きだ。傷まないうちに刻んで油炒めしてから冷蔵保存し、いろいろな料理に加えて使う。

カボチャ(白爵という品種)は不作だ。例年より早めに苗を植え付けたのだが、開花時期が長梅雨と重なってしまった。受粉してくれる虫たちが活躍出来なかった上に、私が怠慢で人工授粉をしなかったからだ。反省!

良寛さん   その13《老いと死》

2021-07-03 14:32:56 | 仏教
『法華讃』を執筆された五合庵を、良寛さんは六十歳のとき出られて、山麓の乙子神社の草庵に移られた。
当時とすれば老境で、国上山の山上での生活は何かと不自由だったのではないか、と水上勉は著書「良寛」に書いている。

六十九歳になられたとき、島崎村の木村元右衛門家の裏小屋へ入られて、木村家の世話を受けることになった。

          首を回らせば七十有余年
          人間の是非を飽くまで看破す
          往来跡幽かなり、深夜の雪
          一炷(いっしゅ)の線香 古窗(こそう)の前     良寛

木村家が真宗門徒であったところから、良寛が禅宗から真宗へ、つまり、自力から他力宗の道へ変ってきているのではないか、という人がある。

が、良寛にはもはや、そういう自他力の区分けは存在しない。老いの身に親切な人が現れ、お世話しようといってくれたのである。ただ有難い。

いいかえれば、嘗て詩に、若い気魄をにじませて、教団や僧のありようを批判した力はもうなかった。

          草の庵に寝てもさめても申すこと南無阿弥陀仏ナムアミダブツ     良寛

                                          
                                                    (水上勉著「良寛」より)

七十四歳になられた良寛さんは、木村家の人々と貞心尼に看取られた。

          生き死にの界(さかい)はなれて住む身にも避らぬ別れのあるぞかなしき     貞心尼

年が改まり天保二年正月四日、大雪の中、弟の由之が到着して間もなく良寛さんは息をひきとった、という。



良寛さん  その12《閣筆》

2021-07-02 11:17:18 | 仏教
臨済禅では「仏に逢うては仏を殺し 祖に逢うては祖を殺せ」(『臨済録』より)と言われている。良寛さんが修行されたのは曹洞禅だけれども、同じ禅宗だ。良寛さんが『法華経』を足蹴にしたり弄んだりされたのは、むしろ当然だったのではないか、と私は思う。



私は、『法華讃』を作った。全部で百二首ある。すべてここに並べておいた。これを折につけよく味わってほしい。その際、安易に受け止めてはならぬ。というのも、それぞれの句に、深い意味があるからだ。その深い意味に、一念でも合致すれば、その場で仏となるであろう。(竹村牧男氏の現代語訳)


上記の「閣筆」を以て、良寛さんは『法華讃』を閉じている。
法華経をよく味わってほしい、と言っているのではない。御自身が著わした『法華讃』をよく味わってほしい、と言っている。
そして、この『法華讃』の一箇所でも体得できれば、読者のあなたは即座に仏の境地に達するだろう、と言うのだ。

こんなにも不遜で傲慢な著者を、私は知らない。






良寛さん   その11《雪野の白鷺》 

2021-07-01 18:20:26 | 仏教
観世音菩薩ほど多くの人々に親しまれている菩薩は他にないであろう。

なにしろ、どんな苦悩であっても、どんな災難であっても、「南無観世音菩薩」と称えれば、観音さまは直ちにその音声を観じて、苦悩も災難も免れさせてくれるし、どんな希望も叶えさせてくれる、というのだから。

実に有難いと思われる観世音菩薩だが、この菩薩について良寛さんは『法華讃』で、何と言っているのか。
「無観」こそが最も好観なのだ、と。
観世音菩薩の観を「真観、清浄観、広大智慧観、悲観及慈観」と讃えている法華経「観世音菩薩普門品」を真っ向から否定しているのだ。

災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるゝ妙法にて候。

文政十一年、三条の大地震(記録では、死者千六百七名、倒壊家屋一万三千人余)が起きた際の良寛さんの言葉だ。

『法華讃』の「観世音菩薩普門品」についての章には、良寛さんの美しい歌が記されている。

          久方の雪野に立てる白鷺はおのが姿に身を隠しつつ

「白鷺」は「法華」の象徴だろう。
この美しい風景の中では、観世音菩薩が有難いことなど関係ない! と言いたいのか、なんと

          観音妙智力  咄(とつ)

という舌打ちで、「観世音菩薩普門品」の讃を締めくくっていらっしゃるのだ。