みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

八木誠一著「イエスと現代」 その1

2015-02-28 08:50:28 | 
「カラマーゾフの兄弟」を読んで、その情熱と苦悩と混沌に満ちた小説世界に心を絡め取られながら、一方では、折に触れて親しんできた「歎異抄」を改めて開き見ることとなった。またキリスト教にはどうしてもなじめず敬遠しっ放しだった私だが、少しばかり知りたいという心が動いてきた。そして思い出したのが、20年ぐらい前に読んで「良書」の印象が消えないまま(本でも何でも廃棄癖のある私が)本棚の隅に残していた「イエスと現代」(NHKブックス)だった。改めて読み始めて、「良書」の印象が鮮やかに拡大してきた。



イエスはもはや存在しないし、歴史家の提供するイエス像も不確かさを免れない。しかし、私達は、今日直接に、イエスをあのようにあらしめた超越者の働きかけに触れることができるのだ。

私達はそれをイエスとは区別して(切り離すのではない)、キリスト教会の内外を問わずあらゆる人間に及んでいる超越者の働きと考える。それは現代人があまりにも容易く見失ってしまいがちなものであるが、それにもかかわらずあらゆる人に働きかけている現実なのだ。
(P24)

このように語る八木誠一には、キリスト教になじめない私であっても、それなりに付いていくことが出来そう・・

曽野綾子のコラム

2015-02-25 17:13:47 | 社会
曽野綾子が産経新聞の2月11日付コラムに「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい」と書いたことに対して批判や抗議が起きていることが、身近な或る会合で話題になった。

よりによって、ネルソン・マンデラ釈放25周年の日にこんな無神経なことを書くなんて! 南アフリカ共和国駐日大使をはじめ関係団体等から抗議が相次いだのは当然、と私は受け止めていた。ところが・・

今日の会合で同席した複数の方々が、「曽野綾子さんが差別を肯定したりする筈はない。住み分けた方がいいと言ったのは、限定的な状況についてのみという趣旨だったのではないか」云々と、曽野綾子に共感的な発言を続けたのである。意外だった。発言したのは知的レベルが高そうな方々なのだ。

腑に落ちない私は、帰庵してから問題のコラムの全文をネット検索して読んでみた。読んでいて目を疑うような箇所が幾つもあった。愕然とした。

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。
一方で、若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めねばならないという立場に追い込まれている。
特に、高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと、資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かなければならない。
つまり、高齢者の面倒を見るのに、或る程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。
どこの国にも、孫が祖母の面倒を見るという家族の構図はよくある。
孫には、衛生上の専門的な知識もない。
「おばあちゃん、これ食べるか?」
という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。


介護という仕事の大切さと大変さを、曽野綾子は一顧だにしていないらしい。介護労働を軽んじ、同時に高齢者をあまりにも軽んじている。そもそも介護者の労働条件の問題=低賃金と苛酷な勤務体制等が介護者不足の主な原因だ。福祉へ十分な予算を振り向けない政策の問題こそ言及すべきところなのに。

日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ。
しかし同時に、移民としての法的身分は、厳重に守るように制度を作らねばならない。
条件を納得の上で、日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。


来てもらった労働移民の法的権利は「厳重に」制限する・・これが「非人道的なことではない」とは、よく言えるものだ。「近隣国の若い女性たち」を、何と軽んじ、愚弄し、差別していることか!

もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
黒人は、基本的に大家族主義だ。
だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
しかし、マンションの水は、一戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
爾来、私は言っている。
「人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。しかし、居住だけは別にした方がいい」


このマンションの話が本当に事実なのか、曽野綾子は果たして確認したのだろうか? ただの伝聞に過ぎないのではないか? たとえ事実だとしても、この話(書き方)自体が黒人への蔑視と嘲笑で成り立っていることを、曽野綾子は自覚していないのだろうか? 長いアパルトヘイトによって低所得の暮らしを余儀なくされた人々は、その家族に相応しい住まいを確保することが困難だったかも知れない。そうした困難な状況に置かれた人々を思いやる心情が、曽野綾子には全く欠如している。

そして何らの条件限定もなく、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいいと書いている。まさにアパルトヘイトそのものだ。

曽野綾子は、人種差別のみならず、介護者を差別し、高齢者を差別し、「外国人の若い女性たち」を差別する感覚の持主であることを私は確認した。そうした差別感覚を毫も恥じずに得々として披瀝する人間であることを確認した。私は、傲慢を恥じない人間が一番嫌いだ。

こんな人間に、どうしてあの賢そうな人たちが共感的になれるのだろうか? 曽野綾子は有名作家だから、そんな差別的なことを考えている筈がない、という先入観があるのだろうか?

いしおか雛巡り

2015-02-22 17:02:49 | 俳句
俳句の会で、「いしおか雛巡り」を開催中の石岡市中心市街地商店街へ行きました。先ず正岡子規の句碑が昨秋建てられた金毘羅神社へ。拝殿の前に大勢のお雛様が乗った舟が飾ってありました。

傍らには、真白の神馬像が鞘堂に納められていました。等身大ほどの見事な像です。

        鞘堂の春闇払ひ神馬像

子規は明治22年4月3日に東京の本郷を出発。2日目に石岡の「萬屋」という旅館に宿泊し「二日路は筑波にそうて日ぞ長き」という句を残して水戸へ向かったそうです。


雛巡りは、まちかど情報センターで小野小町を題材とした大がかりな創作雛の群像を鑑賞した後、「マスヤ本店」に伺いました。飾られていたのは八郷地区の東成井の旧家蔵だった古雛で、明治14年製だそうです。和紙製の精巧な衣装に感嘆しきり。


次に伺ったのは「小松屋金物店」。此処には3年ほど前だったか一度伺ったことがあり、古雛の素晴らしさと店主の楽しくて充実した御説明が記憶に鮮やかです。今回の御説明は前回にも増して名調子で、一緒の仲間と共に感心したり大笑いしたり、時間の経つのを忘れそうでした。一昔前の「小松屋」には番頭さんが30人ほどもいたそうで、大変に羽振りが良かったんですね。

最上段のお雛様は明治20年代の「古今雛」と言われるものだそうです。冠も衣装も屏風も見事です。2段目に飾られた翁雛は江戸末期とのこと。なかなか深い表情をしていますよね。

        百年を越え来る雛の視線かな
   




私達をとても楽しませてくれた小松屋の御主人の羽鳥勝男さんは、実は上述の子規の句碑の「建碑」すなわち寄贈をした方でもあったのです。感謝を込めた握手を交わして辞しました。

               





殺風景に見えますが

2015-02-17 18:48:32 | 俳句
俳句の会で八郷フラワーパークへ行きました。この季節は目立った花がないので、さすがのフラワーパークも殺風景に見えます。その代り(12月から3月までの)入園料は半額の370円です。

閑散とした園内をゆっくり歩いて、花芽がほんのり色付いているのを見つける喜びはこの季節ならではですね。

蝋梅がまだ咲いていて芳香を漂わせていました。そばの紅梅が唯一輪だけ咲いているのを仲間が見つけて教えてくれました。なんとも尊く見えた一輪でした。

福寿草は三分咲きといったところでしょうか。曇り空のためもあってか、花びらをあまり開いていないのが、かえって福寿草らしいような感じもしました。

 
       天よりの光しずくや福寿草

「カラマーゾフの兄弟」 その5

2015-02-15 11:36:51 | 
この小説に係る拙ブログの一連の記事の最後に、「ゾシマ長老」を取り上げない訳にはいかないでしょう。

アリョーシャにとってゾシマ長老は「聖者」にほかならなかった。民衆の目に映じた神の真理の守護者(上巻P70)だった。
 労働と悲しみと、そして何よりも、常日頃の不公正と、自分自身の罪ばかりか全世界の罪によって常に苦しめられているロシア民衆の穏やかな魂にとって、聖物なり聖者なりを見出して、その前にひれ伏し、礼拝する以上の、慰めや欲求など存在しない~(上巻P69)

ゾシマ長老について語られていることがらは・・とりわけその「伝記的資料」(中巻P126~)の内容は、物語全体との間で照らし合い投影し合っている感がある。「カラマーゾフの兄弟」の物語の、いわば母胎となっているのがゾシマ長老であり、それはまた物語が還っていくところであるのかも知れない。

ゾシマ長老の精神、それはまた作者ドストエフスキイがめざした精神でもあるでしょう。その偉大な精神について、世俗に流されて生きている私なぞが一体何を語ることができるのだろう。ただ途方に暮れてしまいそうになるけれど、それでも手探りで何かを探し出したいと思う。

キリスト教に疎い私がゾシマ長老の言葉のかなり多くの部分に素直に首肯できたのは、意外なほどでした。例えば「すべては大洋にひとしい」という言葉。

~すべては大洋のようなもので、たえず流れながら触れ合っているのであり、一箇所に触れれば、世界の他の端にまで響くからである。(中巻P143)
        
訳者の貢献もあるのだろうけれど、キリスト教特有?の言葉ではない、普遍性のある言葉で語られている。これが当時のロシアのキリスト教界において普遍的であったかどうかは私には分からないが、仏教でいう「縁起」とも共通の思想だろう。

そして「すべては大洋にひとしい」という考えから、「罪」の意識が導き出されている。         
自己を抑えて、人々のいっさいの罪の責任者と見なすことだ。(中巻P133)
この「罪」意識にも私はほとんど同意したのだけれど、そのとき胸中に微かなシコリのようなものを感じた。

「罪」に対してゾシマ長老は寛容ではある。
心底から後悔している者を神さまがお赦しにならぬほど、大きな罪はこの地上にないし、あるはずもないのだ。それに、限りない神の愛をすっかり使いはたしてしまうぐらい大きな罪など、人間が犯せるはずもないのだしね。 (上巻P122)
 
罪あるがままの人間を愛するがよい、~神のあらゆる創造物を、全体たるとその一粒一粒たるを問わず、愛するがよい。木の葉の一枚一枚、神の光の一条一条を愛することだ。~あらゆる物を愛すれば、それらの物にひそむ神の秘密を理解できるだろう。(中巻P141)

しかしゾシマ長老の神の手は「罪」を裁く。神秘的な客ミハイルは『生ける神のみ手のうちに落ちるのは、恐ろしいことである』という福音書(『ヘブル人への手紙』第十章三十一節)の言葉に 全身をふるわせてさえいた。(中巻P118)

仏教でも罪という言葉は使われるし、罰としての地獄の存在などが方便として語られることはあるが、キリスト教ほど根幹的な観念ではないだろう。親鸞聖人は「悪」については多くを語られたし、特に御自身の「悪性」について赤裸々に血の滲むような語られ方をしている。「悪」と「罪」との異同について、浅薄な私は今まで特に考えたこともなかったけれど、両者はかなり重なり合いながらも、重なり切れない何かがあるようだ。それは何だろう? やはり「裁く」存在としての「神」がいるかいないかの違いだろうか・・・だからこそ、「神」がいなければ「すべては許される」という訳だ。そうした「神」は、一人ひとりの人間にとって絶対的な「他者」だ。

親鸞聖人は「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」(歎異抄第三章)と言われた。聖人にとっての阿弥陀仏は専ら衆生を救済するのであって、罪を裁いたり許したり許さなかったりはしない。そして他者性を有するどころか、阿弥陀仏とは「方便」に過ぎない、という。

無上仏と申すは、かたちもなくまします。かたちもましまさぬゆえに自然 (じねん) とは申すなり。かたちましますときは、無上涅槃とは申さず。かたちもましまさぬやうをしらせんとて、はじめに弥陀仏とぞききならひて候ふ。弥陀仏は自然のやうをしらせんれう (方便)なり。(正像末和讃 自然法爾章)

私の胸中のシコリ=違和感の由来は、神の「他者性」にあるようだ。

長老とは、すなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人にほかならない。~あなた方は自己の意志を放棄し、~ついには一生の服従を通じて完全な自由、つまり自分自身からの自由を獲得し~ (上巻P63)

長老に対する義務は~ごく普通の≪服従≫とはわけが違う。~長老に従う者すべての永遠の懺悔であり、結ぶ者と結ばれる者との間の断ち難い絆である。 (上巻P64)

ゾシマ長老のような偉大な存在であれば、このような「服従」による「自由」もあり得るのかも知れない。「長老」は「神」と言い換えてもいいだろう。しかし、「大審問官」への服従とすり替わってしまう恐れと裏腹ではないか。他者への服従による「自由」は、錯覚の「自由」ではないのか。

人間は最後には、今日のように美食とか、放蕩、傲慢、自慢、妬みに満ちた出世競争などといった冷酷な楽しみではなく、啓蒙と慈悲の偉業の内に喜びを見出すようになる、これがはたして夢であろうか? そんなはずはない。 (中巻P138) というゾシマ長老だが、一方では サタンとその傲慢な精神にすっかり共鳴した恐ろしい人々もいるのだ。~神が自分自身と自己のあらゆる創造物を絶滅することを、彼らは要求する。そして、己の怒りの炎で永遠に身を焼き、死と虚無とを渇望し続けるだろう。しかし、死は得られないだろう。(中巻P153) とも語っている。

飽食と飢餓、強欲と殺戮の時代の今、もしドストエフスキーの魂がどこかで生き続けているとしたら、どんな眼差で私たちを見詰めるのだろう・・・      
                 

神秘的な客ミハイルはせせら笑った(中巻P118)けれど、この小説の内扉に記された 『よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる』(ヨハネによる福音書。第十二章二十四節) という言葉が、しみじみと私の目に映じる。
                    

ありふれたレストランですが

2015-02-11 14:14:27 | 
愛車を20分ほど走らせて、茶道仲間の一人と昼食を共にしました。

当地方では外食の機会が至って少ない。だから今日はちょっとばかり非日常的な時間を過したことになる。外食産業も当然少ない。人口密度も薄いからレストランなどはごく疎らに点在するだけ。でも需給のバランスが程よいのか、どこも程よく利用されている感じだ。今日の昼食もそんなレストランの一つ。

メニューの最初に「当店自慢の≪おらが豚丼≫」とあるセットを注文した。メインの豚の甘味が窓ガラス越しの春めいた日差と相まって幸せ気分を齎してくれた。味噌汁の小椀に箸休めの小皿が4枚だったかな、添えられて、それなりに誠意が込められている。

一緒の友人は店長とも店員とも、そして出入りする他の客たちの幾人かとも顔見知り。私とのお喋りの合間に軽く挨拶を交わしていた。こういう人間関係があればこそ、料理への「誠意」とサービス精神も必然的に供されるのでしょうね。ありふれた外観ながら、なかなかどうして心穏やかに過ごせる良質の時空間のレストランです。


友人からは桜餅のお土産を戴きました。一足早い春の色って嬉しいものですね!

ノジコではない筈だけれど

2015-02-08 14:26:44 | 野鳥
立春が過ぎて、窓ガラス越しの日差がめっきり温かくなってきたけれど、今朝は曇り空。ユキとの散歩コースの山路が鬱蒼とした藪を潜り抜けるようなところで、いつものように野鳥のアオジと出会った。此処のアオジは人間や犬への警戒心が乏しくてアオジらしくない? 地面や低い下枝にいるのだが、私があと3~4歩ぐらいまで近付いてから、やっとチッという一声を発して飛び去る。それも遠くまでではなくすぐ先の枝までだ。

アオジにしては小柄だし、もしかしてノジコ!? でもそんな筈ないですよね。ノジコは夏鳥で、しかも数が少ないというし。眼の縁が白かったかどうか、今度会ったら注意して確かめてみよう。(白ければノジコ)

果樹園の外れの、やや丈の高い枯草が多いところにユキと私が差し掛かると、やはりいつものように10羽ほどの野鳥たちが一斉にチッと小さな声を発して飛び立ち、背ろの落葉樹にパラパラと止まる。黒っぽい影のような地味な鳥たちはカシラダカのようだ。

見ていると、やはりいつものように更に向こう側の落葉樹へ飛び移る。ところが今朝は一羽だけ移らずに手前の枝に止まったままでいる。他のカシラダカたちよりもすこし大き目で、羽色も影ではなく色らしく?見える。ホオジロだ。特に胸から腹部がオレンジというほどではないけれど、明るく優しい感じの淡い茶系で、冬曇りの空をバックにして何だか不思議なくらいしみじみと美しい。

茶道の稽古は逆勝手。老化した脳のトレーニングを楽しんで帰庵する頃には本降りの雨となった。小さな野鳥たちは静かになり、ヒヨドリだけが時々憚らない叫び声を上げている。


窓先のコナラも手前のブルーベリーの葉芽も濡れそぼっている。雨雫の一粒一粒が生命を宿しているかのように見えるのは何故だろう・・・


廻り炭

2015-02-03 19:25:06 | 茶道
大先輩の茶人の社中のお稽古に参加させて頂きました。愛車での往路は1時間10分ほど。バイパスでの車の流れに必死で就いていこうとしても時速80キロ以上は怖くて出せず、今回もまた数台に追い越されました。高速路ではないのに!


今日の稽古は先ず「廻り炭」という花月。私は初体験でワクワクするやらドキドキするやら。全員が順に炉の炭を上げては入れます。炭手前の修練が目的の花月だそうです。亭主は決められた形に炭を入れますが、連客はそれぞれ自由な形に入れます。

この「自由に」というのが意外に難しい。決められた形にしてはダメ。他の客が入れた形を真似してはダメ。与えられた「自由」が却って桎梏になってしまうかのようです。でも面白かった!



続いて「員茶」(かずちゃ)、更に「濃茶付き」。この二つの花月はもう何回も(何十回も?)経験している私ですが、ミスを連発。自ら笑うしかありません。でも久しぶりの花月で、しかも3種類も稽古できて、楽しかった!

稽古仲間には足腰が衰えて正座等が出来ない方もいらっしゃいましたが、小さな椅子や小さな台などで補助したり、大先輩や皆さんが手伝って皆一緒に稽古し楽しむ雰囲気が素敵だったなあ・・

復路はスムーズな流れで、1時間ほどで帰庵。大急ぎで着物から野良着へ替えて暮れ始めた山路をユキと散歩しました。雑木林の上に真ん丸の金色のお月さまが出ていました。

真逆の言葉

2015-02-01 13:33:23 | 社会
暗いニュースに気分が落ち込む。湯川遥菜氏に続き後藤健二氏も殺害された。アベの記者会見のセリフに耳を疑った。

政府は全力を尽くした、だの、日本はテロには屈しない、だの、自慢話だ。全力を尽くさなかったから殺されたのだ。結果責任をとるべきだ。日本国民を救出することが出来なかったことを、最高責任者として謝罪すべきだ。殺されたということは、テロに屈したという結果そのものだ。言葉が真逆だ。アベはいつもそうだが。積極的平和主義の意味は挑発的戦争主義、の如し。

協力してくれた国々の指導者たちに感謝する、だの、どういうつもりだ。救出出来たのならば「感謝」すべきだろう。まさか「殺害」されたことに感謝している訳でもないだろうに。

湯川遥菜は田母神と、後藤健二は国策メディアとの繋がりが太かったようだ。昨年二人が中東入りしたのは、何らかのミッションを受けたからではないか、という推測も成り立つ。真相が何ら追及されないまま、マスコミが後藤健二を持ち上げていることに疑念を持つ。生きて帰って、真相を語ってほしかった。

アベはこの事件を好機として、いよいよ日本を本格的な軍事国家にしようとしている。こうしている今も、辺野古では新たな軍事基地建設工事を強引に進めている。「イスラム国」が言う通り、日本人は世界の何処にいようとも命を狙われる時代となった。

天皇陛下と美智子皇后の憂慮は如何ばかりか・・・