みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

日照不足

2009-07-31 20:36:31 | 八郷の自然と風景

Dscn0707 昨夕は激しい雷雨だった。用水路が溢れないようにゲートを上げておいて良かった。今朝5時、愛車で機場へ行ってゲートを閉め、6時半過ぎに再び行って用水ポンプを稼動させた。

戻り梅雨で日照不足、冷害が心配されている。機場のそばのKさんの田んぼは、7/19のKさんの予言?通り穂が出ていた。

Dscn0700 当内のsOさんの田んぼは早稲で、穂が垂れ始めている。種籾として出荷予定だから、一般の米作り以上に神経を使うらしい。稲の開花は午前中の2時間程度。その間の天候などが米の出来を左右する、という。

農薬(=農毒)撒布の時以外は、田んぼに人影を見ることが稀な時代だが、七十路のKさんもsOさんもマメに見回る。特に、水管理には厳しさを感じる。

Dscn0706_2 Dscn0713_4 犬散歩コースの山路に山百合が咲いた。例年より遅い。香りが烈しい山百合だが、咲き始めはまだほんのりと匂う。

日が暮れてから空が晴れたようだ。軒端の向うにお月様が久しぶりに耀き出た。半月だ。


昨秋の落花生と不穏な雲

2009-07-29 20:37:45 | 八郷の自然と風景

Dscn0694 当菜園で昨秋採れた落花生を、サヤごと乾燥保存していた。少しずつ食べて、今日は最後に残っていた分をサヤから出して、空炒りした。

ちょっと焦げ目が付くころ出来上がり。早速摘まんで食した。炒り立ては実に芳しい!

このところ空に不穏な雲が行き交うことが多い。でも八郷名物?の雷が少ないのは有難い。避雷針など付近に無いし、裏山には高い樹木が多いし、鍬や鎌で野良仕事をしていると、雷が本当に怖い弱虫の私です・・

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検見(けみ)

2009-07-25 21:00:38 | 八郷の自然と風景

Dscn0693 有機無農薬栽培のT田の会主催の検見に参加した。といっても、もちろん本来の検見(江戸時代の役人が、年貢の高を決めるために稲田の出来具合を検査したこと)ではない。見学、と云ったところか。

T田の田植えは1株1~2本の疎植で無施肥だが、分糵(ぶんけつ=株の茎数が殖えること)が進んで、立派な青田になっていた。ただ、用水バルブ全開でも吐水が不十分なのは気がかりだ。

Dscn0691 ORGANICFARM暮らしの実験室やさと農場の棚田(左写真手前の緑が濃い方)を見せてもらった。出来はT田と同様か・・ 機械で田植えしたところは畝間が狭くて、稲たちが窮屈そうだ。

Dscn0686_3  同農場の豚たち(豚肉となる運命・・)は人懐っこく鼻をすり寄せてくる。

Hさんの棚田も見せてもらった。山清水が利用できるのは好条件、と思ったが、冷たい水を直接田んぼへ入れているためか、或いは森の影で日照不足のためか、分糵が不十分な株が目立つ。

米作りの充実感を再認識した検見会だった。そして有機無農薬農業を担う若者の存在が頼もしかった。


戻り梅雨の菜園とリトアニア 

2009-07-23 20:33:54 | 家族

Dscn0668_2 発芽時に鴉の悪戯の災難に会った落花生も、葉茎を沢山広げてきた。

Dscn0663_2 ミニトマトの成長の激しさは、まるで怪獣のようだ。

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ヤーコンは、手間を掛けなくても育つ。 夕風を受けて、大きな葉が、ざわざわと鳴った。

Dscn0667 7/6蒔きの大豆(1株2本立て)は、3枚目の本葉が出てきた。2回目の土寄せを鍬で実施した。

Dscn0664_2 7/17蒔きの小豆が、戻り梅雨のお湿りのおかげで発芽した。夜行性動物(タヌキかハクビシンか・・)に踏まれたらしいところは発芽を断念。

Dscn0674 野良仕事を終えて郵便受けを覗いたら、リトアニアからの絵(写真)葉書。息子夫婦がバルト3国を旅したのだった。リトアニアは「雨の国」という意味だそうだ。普段は慎ましく暮している二人が良い旅をしたらしいことに、何故かしみじみ嬉しい私です。


葡萄の袋掛

2009-07-20 13:59:30 | 暮らし

Dscn0660 南隣の葡萄園の葡萄が色付き始めた。巨峰系だから、収穫期には黒に近い色になる。

袋掛の作業に参加した。園主のnIさんを含めて5人。皆、農家の生まれではない。2人は西日本出身だ。そんな5人が縁あって、共に美味しい葡萄を育てたいという思いを一つにする。

袋掛をすると葡萄園の風景が一新する。でも作業としては、要領さえ会得すれば大変ではない。「球すぐり」(当ブログ6/22記事参照)の方が何十倍も神経を使うし、時間も掛かる。

「球すぐり」のおかげで健やかに育った房を、そっと袋に包んでいく。冗談を飛ばし合いながら、そして互いの作業の遅速を補い合いながら。

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稲の葉茎

2009-07-19 20:26:13 | 八郷の自然と風景

菜園の草取りで汗みどろのまま犬の散歩と給餌、そしてウコッケイたち7羽への給餌と採卵(3個、今日は多い!)を終えてから、老痩躯にシャワーを浴び、着替えて爽やかな気分で午後6時半、用水ポンプ運転を止めるため愛車で機場へ行った。

機場のそばの田んぼで、Kさんが畦際の田草を手早く取っていた。七十路の筈だが逞しい腕のところどころに血が滲んでいるのは切り傷か・・ 「肥料のバランスが取れて炭素分が程よいと、稲は竹色(真緑よりやや黄色がかっている)になり、葉が芒のように硬く育つ」とKさんが語ってくれた。その葉の縁は鋭くて、人の皮膚を切ってしまうのだ。

「穂が出るのはもうすぐですか?」と聞いたら、「今月末頃だろうね」と言う。「ほら、これを御覧」と、特に太くなった稲の茎を摑んで見せてくれた。その太い茎のところは既に穂を孕んでいる、と。

自転車で帰るKさんを見送り、用水ポンプを止めて愛車で帰庵したら、空は淡い夕焼色に染まり始めていた。

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出穂(しゅっすい)期

2009-07-17 13:45:53 | 八郷の自然と風景

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Dscn0651 昨夜から今朝にかけて断続的な雨。潤った青田の道を愛車で機場へ行き、堰を浚い、水が満ちてから用水ポンプを稼動させました。帰路、村の田んぼのバルブから勢いよく水が噴き出ているのを確かめて、安堵。

ほとんどの田は連休中に田植えしているから、そろそろ稲の穂が出るだろう。開花期も近い。稲の一生で一番、水を必要とする時期、と聞く。でも、先月からの「中干し」のまま、用水バルブを閉めたままにしている田んぼが少なくないのは何故だろう・・ 水管理する手間を掛けられないのだろうか?

昔ながらの有機的な米と野菜作りを当地で実施中の8318(やさいや)さんは、梅雨期に田植えして、梅雨明けの今が中干し(3日間)だ。天地自然の理に適った農暦である。


茶通箱

2009-07-15 19:17:22 | 着物

今日は月に3回の茶道の稽古日。愛車で約30分のE師宅へ行った。着物はhKさんから譲ってもらった「絽」という薄物。帯はkSさんから譲ってもらった一重物。絽の長襦袢はibakasumiさんから戴いたものだ。本当に有難い!

Dscn0650 紙小茶巾(濃茶を喫んだ後の茶碗の口縁を拭く柔らかい紙)を二つ用意した。いつもの稽古なら濃茶1種、薄茶1種だが、今日は「茶通箱(さつうばこ)」という点前で、濃茶2種を喫むから。

2種目の濃茶の容器である棗(なつめ)は、「大津袋」に包まれている。千利休の妻の宗恩が、大津港で使われていた米袋の形を取り入れて考案した、という。紫ちりめんの色と手触りが、黒漆塗りの棗としっくり合って、見た目に美しく、使っていて快い。

E師と諸先輩の、優しくも厳しい御指導を受けて、稽古に没入。茶室の中の緊張感が、私は大好き。


買物デー

2009-07-14 18:47:42 | 暮らし

近所のhKさん、kSさんと一緒に買物に行った。週1回約束の「買物デー」である。愛車で約10分のところに、大(中?)規模小売店舗が並んでいて、広い駐車場がある。

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道路向こうには、市役所の支所(石岡市との合併前は八郷町役場だった)もあるから、日常の用件は大体この辺で済ませられる。近くには古くからの商店街もあり、時々そちらにも回るが、だんだん寂れてきているようだ。

hKさんもkSさんも、病気などの悩みを抱えて愚痴をこぼすこともあるが、それを自ら茶化して笑い飛ばすことが出来る精神の持主だ。行き返りの車内で、私も大いに笑ってしまう。私の精神にとっても大事な「買物デー」である。


対話

2009-07-12 20:28:14 | 仏教

対話(ネット上を含む)について考えさせられることが続いた。手元にある「歎異抄のこころ」(高史明:コサミョン)を開いた。

Dscn0641 第9章に親鸞聖人と唯円との対話が記されている。唯円は、己れの信心に張り付く不安を次のように訴える。「念仏申しそうらえども、踊躍歓喜の心おろそかにそうろうこと、また急ぎ浄土へ参りたき心のそうらわぬは、如何にとそうろうべきことにてそうろうやらん」

高史明が書いているように、「唯円房は、その身の事実をさらして、親鸞さまに尋ねている」。

並みの師だったら、「そんなことは○○経典の△△章にちゃんと書いてある」とか、「おまえの信心が中途半端だからだ。信心には疑問のカケラもあってはならない」などと答えそうな場面だ。

親鸞聖人はどう答えたか。「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房同じ心にてありけり。」

高史明が書いているように、「親鸞さまは、唯円房の問いを、まずその身のありのままを以って受け止め、そのままそっと唯円房の方へと、身を寄せていかれている」。「あなたの問いは、私の問いでもあった」と。

「他力(他人まかせという意味ではない、仏に拠って救われること)の悲願は、かくのごとき(煩悩具足)の吾等が為なりけり」と親鸞聖人は言う。この対話によって唯円の心は温かい涙で潤ったのではないか、と私は思う。

更に親鸞聖人は言う、「踊躍歓喜の心もあり、急ぎ浄土へも参りたくそうらわんには、煩悩の無きやらんと、怪しくそうらいなまし」と。信心が完璧で煩悩も無いかに見える人は、却って怪しく思われるだろう、というのである。

世間では、偉そうに振舞う人は偉いと思われ、断定的にものを言う人には信頼を寄せがちだが・・ 不安、不審、動揺、それらこそ私達の心の真実だ、と歎異抄は語りかけてくれる。