みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

新田一郎著「相撲のひみつ」

2019-05-27 14:35:47 | 
同じ著者の「相撲の歴史」(1994年発行)が、学術書的であるのに比べると、本書は絵図や写真を多用して啓蒙書的な体裁になっている。県立図書館から公民館に取り寄せてもらって借りた。相撲の中身を知らないままに相撲ファンになった私には、楽しく気軽に読めた一冊だった。

2010年3月 朝日出版社 初版第1刷


相撲はそもそも「観客に見せる」ために成立しました。はじめは天皇や貴族のために、ついで神仏のために、そしてやがて広く人々のために。

現代スポーツの多くがアマチュアのプレーから始まったのとちがい、観客の存在を前提として生まれ、「見せる」ために行われるプロの技芸として育ったこと。そこに、相撲の歴史をつらぬく「秘密」があります。

確かに、単なる格闘技だったら、私はあまり興味を持てなかっただろうと思います。歌舞伎のような様式美と分かち難い魅力がありますよね。

相撲の場合、土俵ができたことによって「押し」が基本的な「わざ」となり、仕切り線ができたことによって立合いの当たりが勝敗を左右する重要な要素になりました。こうした改革によって、体重を乗せてぶちかますのが相撲、「大きくて強いやつ」が強い、という構図がいっそう明確になったのです。

大相撲は、体重別制がないというよりは、事実上、最重量級だけの競技なのであり、小さい力士が小さいなりに頑張れるような条件を用意してやろう、などという配慮は、いっさい払われていないのです。

もちろん、それに逆らって工夫を重ねる異端の存在が、大相撲をより面白くしてくれるのですが。


99キロの炎鵬! 人気急沸騰ですね! 新入幕の夏場所、特に千秋楽の取組には、私の心臓は止まりそうだった。「心が震えた」人や「涙が出た」という人も!  負け越してしまったけれど、名古屋場所での活躍を期待しています。大怪我しないよう、気を付けてね!

過去の名力士たちは、いずれも素晴らしい資質の持ち主でしたが、なかなか「完璧」とはいきません。大鵬はひざに欠陥があり、貴乃花は実は足腰がやや硬かった。千代の富士には軽量の難があり、北の湖は反り腰の粘りに欠けるところがあった、という具合に、あえて難点を見つけることは可能です。

現在の大相撲界に君臨する横綱白鵬は、巨体に加えて柔らかく強靭な足腰を備え、過去の名力士たちに勝るとも劣らぬ素晴らしい素質の持ち主です。そうした偉材が厳しい鍛錬を積んでこそ、頂点を極める強豪力士が生まれるのです。


だれがなんと言ったって、白鵬関は最強横綱! その上、炎鵬を内弟子として自らスカウトし、出世させた指導者でもある。少年相撲の振興や被災地支援にも並々ならぬ力を注いでいる。ヘイトグループのナントカ委員会とやらが何と言おうと、品格充分! 怪我を治して、またその雄姿を土俵で披露してください。

蹂躙

2019-05-26 22:02:59 | 社会
長い歴史に培われた伝統文化たる大相撲の場所が蹂躙されているというのに、宗主国のトラと属国のネコ?へ歓呼の人々・・・

スマホを高く掲げる人々の姿に、あの「ハイルヒトラー!」の映像が重なって見えた。

ファシズムの渦中では、ファシズムが見えない。

小野越の観音堂

2019-05-22 22:35:52 | 俳句
昨日のどしゃぶりの雨が上がって、朝からからりと五月晴れです。俳句の会で小野越(小野小町が峠を越えてきたところ、というのが地名の由来です。)の北向観音堂へ行きました。老いた小町の眼病を治して下さったという観音様が祀られています。



          老鶯や観音堂を守るかに



格子の間から覗くと、薄暗い奥に厨子があり、半開きの扉の陰に観音様のお姿が垣間見えました。この厨子は、かっては極彩色だっただろうことが、僅かに残った痕跡から偲ばれました。

          極彩を秘めし御堂や五月闇

観音堂の脇の小舎に、地味な仏様が座っていらっしゃいました。壺のような模様が描かれているので、薬師如来様かしら? この仏様が、小町の眼病を治す薬を提供してくれたのかも。




北向山の前は谷津田です。山の縁を勢いよく清水が流れ、どの田んぼにも育ち始めた苗がそよぎ、オタマジャクシたちが水面下を走りまわり、イトトンボが訪れて美しい羽根を輝かせています。村人が一人、田んぼを見回っていました。

          夏鷹をゆったり廻し谷津田村





大好きな風景

2019-05-12 15:11:04 | 田んぼ
村の田んぼの大半は連休期間中に田植えを終えて、平らかな水面に幼い苗が小紋模様のように並んでいます。この風景が私は大好き!

国の政策により、最近は飼料用のお米を作る人が増えています。当地でも、ところどころ未だ代田のままの田んぼが目に付きます。飼料用の場合は田植えが遅いんですね。





田植えの直後の苗は、本当にたよりなげで、田水におぼれそうな姿でしたが、もう活着しているからでしょう、可愛らしく元気に見えます。

「相撲の歴史」

2019-05-06 11:13:53 | 
新田一郎(1960~ 日本法制史専攻 東京大学大学院教授)著。山川出版社1994年発行。スー女たち(の一部?)に人気の本らしいことを知って、図書館から借りた。歴史的事実の探求を軸とし、引用文献も豊富で、学術的色彩の濃い本だが、文体は読み易かった。

相撲の「伝統」「文化」「歴史」が強調される割には、相撲の歴史の研究は意外なほど進んでいない。
ひとことで言えば、相撲史研究は、一貫して、歴史学の流れの外にあった。

という問題意識から執筆されている。



そもそも「大相撲」の世界が確立されてからたかだか200有余年であるのに対し、相撲の歴史は、控えめに見積って『日本書紀』にのせる健児(こんでい)相撲の記事から数えても1300年以上になり、「大相撲以前」の「相撲の歴史」は、「大相撲」の世界が成立する前史として片づけてしまうにはあまりに長く、かつまた起伏に富んだ歴史なのである。

というわけで、本書は「大相撲以前の相撲」についての記述が大半を占めているが、少ない「大相撲」についてのページからも覚醒させられること多々だった。

相撲は平安朝廷の相撲節に淵源をもち、平安末期には主として武士たちによってになわれた。中世の武士たちも、組打の技術に相撲を応用することがあった。だが、中世にはじまり近世社会に定着した興行としての相撲は、かならずしもそれらと同質ではない。

相撲の「本質」を「相撲道」と表現し、肉体の鍛錬と精神の修練とによって自己完成をめざす「武道」であるとして、娯楽的要素を二の次とし、また目先の勝利に対してさえ禁欲的であることを要求する論調は、いわば「玄人」に近い年季の入った「好角家」のあいだではかなり支配的なものであるが、それは、興行としての相撲のあり方に否定的な見方であり、「相撲は見世物とは違う」として、他の興行技芸との差別化をはかることにつながる見方でもある。

もちろん、大相撲の力士たちに高い矜持を求めるのは悪いことではない。しかし、精神性を過度に強調したり、「見世物」をおとしめる必要が、どこにあろう。楽しむべき娯楽、鍛えあげられた肉体と技量を誇る「見世物」の最高峰としての矜持で、何が悪いというのだろうか。

相撲こそは、興行としての長い伝統をもち、高度に完成された技術と美しい様式を誇る、すばらしい「見世物」なのである。「見世物」を卑下し「武道」にすりよろうとするなどは、歴史を誤り、「相撲」そのものの価値をおとしめることにしかならない。

双葉山が求めた精神性は、法華経の信仰に帰依した青年=穐吉定次(あきよしさだじ 双葉山の本名)の個人的な内心の問題として評価すればよいのであって、それを「相撲道」として粉飾し、あまつさえ「相撲道は武士道」などとして、近世の吉田司家調製興行用「相撲故実」や、戦前の国家御用達の日本精神論を丸のみにしたような空論をふりかざすのは、益あることとは思われない。そんな怪しげな粉飾を凝らすまでもなく、双葉山は、史上に稀なすぐれた力量と技術をもって昭和初期の土俵に君臨した、偉大な力士なのである。

中世には相撲節に由緒を求めた奉納技芸として、江戸幕府のもとでは故実に荘厳された勧進興行として、また近代には「日本的」なるものを象徴する大衆娯楽として、相撲はその時々の社会情勢によって人々の支持を求めてさまざまに装飾を変えてきた。

敗戦後、GHQ の指令によって、柔道・剣道などの「武道」が戦闘技術に結び付くものとして禁止された際、相撲は禁止対象からはずれている。GHQ の側でも、観賞用の娯楽技芸として成立していた相撲については、柔道・剣道とは異なる性格を認めたようであるが、相撲協会側も、戦前・戦中の「武道」から一転して「相撲はスポーツ、競技である」と積極的に主張している。この融通無碍、これこそが相撲であった。

学生時代にはマワシを締めて蔵前国技館の土俵にも上り、その後も母校の相撲部や学生相撲連盟などと関わり続けているという著者は、本書の「あとがき」に以下のように記す。

たぶん、相撲ほど人により様々な違った見方、楽しみ方をされているスポーツ/芸能は、他にはないのだろう。

相撲ファンとしては、相撲のもつそうした懐の深さを喜び、それぞれの楽しみ方を見出し、また他人の楽しみ方をも容認する寛容さを持ち合わせておきさえすればよく、「これが正しい相撲だ」という類のしかつめらしい言説は、眉に唾して聞いておいたほうがよいのではないだろうか。

歴史の示す「相撲」の姿は、「相撲の本質」をめぐる議論をいったん相対化してしまう、融通無碍なものであった。


新田一郎氏は、日本相撲協会の「ガバナンスの整備に関する独立委員会」(日本相撲協会全般の改革を目的として2010年に発足)の委員を務めているそうだ。「融通無碍」とは程遠く偏向著しい横綱審議委員会を、先ずは改革してもらいたいと切に願う。