菜園に茄子・胡瓜・シシトウ・ピーマン等の苗を植え付けていた昨昼、南隣の栗畑で草刈中だったnIさんが両手に何かを抱えて来られた。10個ほどの雉の卵だった。茂った草むらの中の雉の巣に、nIさんの草刈機がぶつかってしまった、とのこと。
当庵周辺では雉の高く大きな声が毎日聞かれるし、雄雉の雄姿や地味な雌雉もよく見かける。繁殖地になっているのだ。今回は雉にとっては不運だったが、抱卵には不適当な場所だから止むを得ない。
一般の鶏卵より一回り小さく、淡い青灰色を帯びている。一つ戴いて今朝、目玉焼にして筍スープに浮かべた。黄身の味が濃厚だった。筍は先日、近所の竹林の持主から掘り立てを頂戴して、すぐにアク抜きしたもの。香りの高さを味わった。
朝6時。近所のtSさんと共に、当周辺の田んぼへ用水を送るポンプ機場(門柱には「恋瀬川上流地区第8揚水機場」と書いてある)へ行く。本格稼動の初日だ。
水がはるばるやってくる元の霞ヶ浦の方のポンプが故障というハプニングで、代掻き用の水を待っている農家の方々をヤキモキさせたが、やがて復旧。ポンプ運転を開始出来た。
田んぼのバルブが開かれると、勢いよく水が飛び出す。霞ヶ浦の水質は以前よりマシらしいが、山清水や湧水には敵わない。しかし水管理が楽だから、70~80歳台が担い手の兼業農家にとっては止むを得ない選択だろう。
ポンプ機場の運転管理も、地元農家には引き受け手がいないらしく、私のような新参者の細腕にもやらせて下さる。おかげで私はささやかながらも張り合いがある日々を過ごせる。
昨日は eTさんと愛車で20分弱の骨董市へ行った。過疎の地だが、毎月1回の市にはそれなりの人出がある。主宰の「栗の家」の御主人の人徳で、信用できる骨董商の方々が店を出すから、と仄聞している。
径2尺ほどの織部の器が目を引いたが、細腕の私には手に余る。鑑賞だけ楽しませてもらった。この骨董商は粋な眼鏡を掛けて、まだ青年と言えそうな若さだった。
eTさんは漆塗のお椀を入手された。私は手頃な小紋(着物)をeTさんに見立ててもらった。裏地に少しシミがあるが、新品だったら桁違いの価格・・・有難く購入した。
骨董品の数々を鑑賞し、買物にも満足してから、近くの店「山路」で蕎麦を戴いた。店主は、前業を辞めてから蕎麦打ちの修行を経て、10数年前に是の店を開いたそうだ。喉越しの良いお蕎麦だった。胡桃入りの麺つゆも珍しかった。
ティータイムには古民家を修復した店「栗の家」で、由緒のある家具調度品を鑑賞しながら、抹茶セットを戴いた。東京からeTさんがはるばる来て下さったおかげで充実の一日となりました。
友人のK子さんは、不安定だった心身の調子を服薬で整えながら、会社勤めの合間に田植え前の作業にいそしむ御主人に従って精を出したそうです。頑張り過ぎたのか、?歳肩を発症してひどく痛かったけれど、それも整形外科で注射してもらって、軽快したそうです。
服薬も注射も、化学物質過敏症(CS)が重篤だったときのK子さんには受け入れられないものでした。CSはもう治った、と言ってもいいのかも。心身の不調も、きっと治ってゆかれることと思います。今日のK子さんの電話は、静かで落着いた、いいお声でした。
当菜園のエンドウも春菊・ジャガイモの芽も静かな春雨に濡れていました。
裏山のコナラもしっとりと濡れていました。淡緑の慎ましい花序を、簪のように微かに揺らしながら・・(写真上でクリックして見て下さいませ)
朝8時、用水ポンプ機場に当周辺から10名程が集まった。大きなスコップを手にした方々が、取水口からポンプ吸水槽までの泥浚いに取り組んだ。
泥水排出用の重たい揚水ポンプを、1人がヒョイと持ち上げたのには驚いた。皆さんそれぞれの得意技?に応じた役割を自然体で担って、作業は順調に進んだ。私は用水ポンプの試運転などを担当した。
4/21から8月末まで本格稼動の用水ポンプ運転を、今年も私はtSさんと共に担当する。水は霞ヶ浦からはるばると導水される。
「溝浚へ」「堰浚へ」は夏の季語だ。歳時記には「田植え前に田に十分に水を入れるために用水などの溝を浚って水の流れを良くする」と解説。かっての農村の田植えは梅雨時だから、代掻きも今より1ヶ月位先だった・・