本は、私は原則として買わない。第1の理由は、読書欲がそれほどないこと。第2の理由は、本を置くスペースが限られている小庵暮らしであること。第3の理由は、慎ましい家計上、出費を抑えたいから。第4の理由は、図書館を利用できること。
ブログ「世に倦む日々」の記事に触発されて、柄谷行人著「世界史の構造」を読みたくなったとき、近くの公民館図書室で借本を申し込んだ。翌日、市立図書館本館から取り寄せた旨の連絡を受けて、借りることが出来た。この方法で県立図書館の蔵書も借りることが出来る。有難いことである。
分厚いこの本を前に少々たじろぎを覚えながらも頁を開いていった。柄谷行人の著書の中では読みやすい方だ、との世評だが、凡人の私には難解な用語や不知の固有名詞が多い。理解不能の部分は、取りあえず飛ばしながら読んだが、にも拘わらず気持ち良く読める不思議な本だ。
この本は買うべきだと思った。繰り返し読みたい、線を引いたり書き込みをしたい、という衝動があった。地元の小さな書店へ行って注文した。ところが、出版元では在庫切れで、増刷中だという。3週間ほど待って届いた本は、第7刷だった。第1刷は昨年の6月だから、硬い内容の本としては異例の連続増刷だ。
そのうち読後感が纏まったら、このブログに数回に分けて覚書的に書こう、と思っていた。しかし、読めば読むほどに私の心は様々に揺さぶられ動いてゆく。纏まった読後感が手軽に得られるような本ではないのだ。深さと大きさが桁外れの本なのだ。
それでも私は、この本に向かって何らかの言葉を発したいと思う。その方法として、Twitter的に つぶやいてみる ことにした。