みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

柄谷行人著「世界史の構造」へのつぶやき①

2011-02-27 18:13:32 | 

本は、私は原則として買わない。第1の理由は、読書欲がそれほどないこと。第2の理由は、本を置くスペースが限られている小庵暮らしであること。第3の理由は、慎ましい家計上、出費を抑えたいから。第4の理由は、図書館を利用できること。

ブログ「世に倦む日々」の記事に触発されて、柄谷行人著「世界史の構造」を読みたくなったとき、近くの公民館図書室で借本を申し込んだ。翌日、市立図書館本館から取り寄せた旨の連絡を受けて、借りることが出来た。この方法で県立図書館の蔵書も借りることが出来る。有難いことである。

分厚いこの本を前に少々たじろぎを覚えながらも頁を開いていった。柄谷行人の著書の中では読みやすい方だ、との世評だが、凡人の私には難解な用語や不知の固有名詞が多い。理解不能の部分は、取りあえず飛ばしながら読んだが、にも拘わらず気持ち良く読める不思議な本だ。

この本は買うべきだと思った。繰り返し読みたい、線を引いたり書き込みをしたい、という衝動があった。地元の小さな書店へ行って注文した。ところが、出版元では在庫切れで、増刷中だという。3週間ほど待って届いた本は、第7刷だった。第1刷は昨年の6月だから、硬い内容の本としては異例の連続増刷だ。

そのうち読後感が纏まったら、このブログに数回に分けて覚書的に書こう、と思っていた。しかし、読めば読むほどに私の心は様々に揺さぶられ動いてゆく。纏まった読後感が手軽に得られるような本ではないのだ。深さと大きさが桁外れの本なのだ。

それでも私は、この本に向かって何らかの言葉を発したいと思う。その方法として、Twitter的に つぶやいてみる ことにした。


地区の雛祭

2011-02-26 19:44:21 | 八郷の自然と風景

朝の犬の散歩のとき、裏山から ケッチョ、ケチョケチョ、ホッ、ケケチョ 下手ながら鶯の囀りだ。二月のうちに初音を聞いたのは数年ぶり。少し離れた藪の中では ジャッ、ジャッ と冬季のままの地鳴きを続けている別の鶯がいた。

Dscn1873_sh01 午前中は公民館で気功。午後も再び公民館へ友人と共に行き、 地区住民主催の雛祭に参加。5段飾りのお雛様や吊るし雛のほか、園児たちが描いた天真爛漫な目鼻立ちの紙雛も賑やかに並んでいた。

中でも目を惹いたのは、プリザードフラワー(生花を加工したもの)のお内裏様。洋風の素材で日本の伝統行事の人形が大胆にデザインされている。

Dscn1874_sh01_2 祭の総合司会は和服を爽やかに着こなして、容姿もお声も美しい方だった。お雛様たちに囲まれた仮設舞台で、ショパンのノクターンがピアノ演奏された。廃園の幼稚園から地区住民へ寄贈されたピアノだそうだ。鍵盤がセピア色がかっていた。

続いてオカリナのサークルが、懐かしい唱歌などを演奏してくれた。オカリナの音色も良かったが、進行役の熟年女性の底抜けに明るくパワフルな個性が、祭の雰囲気を大いに盛り上げて、しばしば楽しい笑いの渦を巻き起こした。


鳥たちの春

2011-02-24 13:22:31 | 俳句

雲雀が鳴き始めた。昨朝が今年初めての声だった。

      青空の一点弾け初雲雀

今朝も鳴いた。命が迸るような激しい鳴き方だ。このごろ老や死について思うことの多い私は、雲雀の声に叱り飛ばされたような気がした。

近くの山路脇にアオジも現れた。警戒心が非常に強く、地味な色の目立たない小鳥だ。チッ という微かな声を聴くことは多いが、視力の衰えた私がその姿を見ることが出来たのは久しぶりだ。

先日は裏山の枯木立から コツ コツ と啄木鳥が木肌を突いているらしい音がした。よく見かけるコゲラより音が大きい。見上げて音の主を探したら、脇腹が赤いアカゲラだった。

雉の声もひときわ高くなってきた。山路を愛車で行くと、若い雄雉が向こうを行き来していることがある。艶やかな羽色のスマートな姿が素晴らしく、車を止めて暫く見入ってしまったりする。


交換様式

2011-02-19 15:28:02 | 八郷の自然と風景

Dscn1858 冷え込んだ朝だが、日差しは春。霜柱が輝きだした。このところ雪や雨がDscn1862_2 Dscn1860_2 多かったから、大地はたっぷり水分を含んでいたのだろう、真冬の間に耕しておいた畑土の霜柱の勢いは奔放だ。

Dscn1866 Dscn1867 裏庭のクリスマスローズの花もひっそりと咲いていた。洋花は苦手な私だが、この花の俯いた姿には魅かれる。名前の通りクリスマスの頃に咲くのかと思っていたが、ウィキペディアによれば、クリスマスローズという名は元々「ヘレボルス・ニゲル」という品種のみを指していたらしい。その他の「ヘレボルス」はほとんど春咲きなのだが、日本の園芸業界が「クリスマスローズ」の名を、「ヘレボルス」の総称にしてしまったらしい。確かに「ヘレボルス」という日本語では、人口に膾炙しにくかったろう。

Dscn1864_2 春光を浴びながら外縁に蒲団を干していたら、近所の方が来られて、先日お分けしたウコッケイの卵のお礼を言われ、その方の庭梅の剪枝を下さった。膨らんだ蕾が沢山付いていて、2輪が慎ましく咲いている白梅である。 

早速、床の間風のスペースに飾った。壷口に添えた水仙は数年前に友人から戴いた球根のもの。当庵内も一挙に早春らしくなった。

10時から公民館で気功の同好会。昨年クリスマスローズを株分け下さった方に、当庭での開花を報告。下さった方も大いに喜ばれた。

先回の気功同好会のときに、当菜園産の南瓜の余ったのを持ち込んで、お好きな方々に持ち帰ってもらったが、その方々から、「美味しかったですよ」との報告を受けた。なかなか嬉しい気分になれるものである。

人様から物を貰ったり、人様へ差し上げたりする習慣があまり無かった私、そんな風習をどこか胡散臭く感じがちだった私だが、当地へ移住してから、そんな拘りから解放されてきたようだ。貰う喜び、差し上げる喜び、そうした喜びを出来るだけ素直に享受したいと思う。

Dscn1870 柄谷行人の「世界史の構造」を読んでいる。読み慣れない分野だから読了まで日数が掛かりそうだけれど、読み進むにつれて目の前の帳が開かれていくような快感を味わう。表紙裏の推薦文には ・・本書は、世界史を交換様式の観点から根本的にとらえ直し・・ 云々と書かれている。

これまでの歴史上の交換様式を、著者は 「互酬(贈与と返礼)」 「略取と再分配(支配と保護)」 「商品交換(貨幣と商品)」 に分類する。(時系列順というわけではない、念の為)

貰う、差し上げる、という「互酬」が、当地では軽視できない交換様式として機能している。そこでは、「商品交換」では得られない人間関係の深みと暮らしの安定感が醸し出される可能性がある、と思う。


フィフィの呼び掛け

2011-02-17 19:36:34 | 国際・政治

エジプトの夜明けの意味を真摯に語るフィフィのブログ! 数多くの共感の反応が寄せられ、エジプトへの沢山の想いが届いて、フィフィは、感謝の気持で涙が流れるばかり、という。

年間3万人以上が自殺する日本、この日本の、特に若者たちへ、フィフィは呼び掛ける。17日の記事 読者の方へ から、以下に一部抜粋する(漢字表記などを一部変更しています)。

・信じて! これまでは動かせなかった大きなことが、1人の力でも、どれだけでも、広がりを見せて、国すら、いや国際社会すら、いや秩序ですら変えられることを。あなたのその手中から。

・日本の若者はまだまだ熱い! そして無限の可能性を秘めています。若者がダメになったなんて誰が言ったの? 私は日本の未来に光を見た気がします。

年老いて心が干からびてきた私でさえ、このフィフィの言葉には胸を熱くした。


エジプトの夜明け

2011-02-13 15:19:36 | 国際・政治

私はフィフィのことを全く知らなかった。カイロ出身のエジプト人女性で、タレントとして日本で活動しながら、インターネット上でブログを綴っている。

エジプトは遠い。しかしその民衆革命はアメリカの覇権を挫く。それは即、日本の明日を左右することではないか、と理屈では考えても、今ひとつ、この革命を身近に感じることが出来なかった。フィフィのブログは、そんな私に大事なことを教えてくれた。

フィフィの「エジプトの夜明け」と題する一連の記事から、以下に少し抜粋する。(漢字表記等を若干変更しています)

2/3の記事より  ・ムバラクは確かに長期政権を握ってきた独裁政権です。しかしそれは、アメリカの作った親米政権による独裁であるわけで、国民はその親米による独裁に憤慨しているのです。

2/5の記事より ・(アメリカは)表向きには(エジプト)国民を応援しているように見せていますが、もしそれが真意なら、エジプトの政治に口を挟むべきでは無いはずです。エジプト国民はエジプト人のためのエジプトを作りたいのですから。 ・私は今日もブログに自分の思いを綴りましたが、今までならタレントという立場からもハッキリと明言することを躊躇っていたと思います。 ・でも今はもう迷わない! ・母国の為に、またアラブの為に、叫び続ける彼らの為にも、諦めないと決めました。彼らの起こす革命を世界中が注目しているんです。彼らのメッセージを私が日本で伝えていきたい、それが私に出来ること。

2/13の記事より ・大統領辞任のアナウンスを新聞が掲載したことで、我々エジプト人は革命の成功を確信した。今まで国民の側に立ち国民の求める政治記事が掲載されることなどなかったから。そして、人々は冷静だった。革命を祝う人々は、お祭ムードの中にも、これからのエジプトを考え行動しようという意思を忘れてはいなかった。 ・エジプトはエジプト国民によって歴史を変えることに成功した。我々はそれに至るまで3千人の負傷者、3百人にも及ぶ死者という犠牲を払ったことを決して忘れない。 ・革命の余波は、更にその勢いを弱めることなくアラブ全域に広がろうとしている。何よりガザの人々がエジプトの革命を祝福している映像を目にして止めどなく涙が溢れ出た。アラブの裏切り行為とも言われる平和条約の下で、私たちは同じアラブの民が虐殺している姿を目の当たりにしながらも、ムバラク政権下でそれに為す術が無かった。それはどれだけ私たちのプライドを傷つけてきたか。 ・実体無き和平の上に存在する大国のための平和条約など、誰が望んだろうか? エジプト人はパレスチナを見捨てていないことを、彼らは信じていてくれた。 ・本当の平和はそんな名ばかりのものなんかじゃない。パレスチナに明るい未来が来る日は容易ではないが、私たちは彼らの為に、その一歩を踏み出したんだ、待っていてほしい。

フィフィの勇気ある真摯な発言に心から感謝を捧げたい。


淡雪の日

2011-02-11 19:44:10 | 八郷の自然と風景

Dscn1840 シンシンとした夜が明けると、うっすらとした雪景色だった。しかし屋外の水栓も捻れば水が出る。凍り付いていた真冬の寒さとは違う。

友人夫婦が遠路を来庵してくれた11時過ぎごろから、大地を白く覆っていた雪が融けてきた。雪は小止みなく降り続いているけれども、地に吸い込まれるように次々に雪片が消えていく。

愛車で10分余の「しげふじ」で昼食にした。十割の胚芽蕎麦と、石臼挽き大豆で作られた豆腐、そして卯の花が何とも言えず美味しい。初めて試食した「揚げ蕎麦掻」のトロリとした舌触りも良かった。

祝日とはいえ雪の日。そして「しげふじ」は人家も稀な田園地帯に位置している。だが店内は結構賑わっていた。12時を過ぎて入店した私たちは、危うく「品切れ仕舞い」になる寸前だった。

窓外の淡雪を眺めながら、心あたたかな友人夫婦と共に過ごす時間の、何と有難いことだろう!

夕方近く、友人夫婦が帰られる頃、大地は再び雪に覆われてきた。今夜は少し積もるのだろう。


民の竈

2011-02-06 09:32:11 | 文化

夕食の支度をしながら、ラジオの「古典講読」を聞くともなしに聞いていることがある。お恥ずかしいことに、私は古典の知識に乏しく、また特に関心が強いわけでもない。しかし、この番組での井伊春樹先生(逸翁美術館館長・大阪大学名誉教授)の声が、耳にも心にも大変快いのだ。こんなことを言うのはおこがましいけれど、先生の語りは明晰でありながら穏やかで慎ましく、今時のマスコミではめったに出会えない、最上の知性を感じる。

毎土曜日の17時から15分間(翌日曜日の6時からも)NHK第2で放送している。H21年度は「源氏物語千年記・選」、H22年度は「枕草子、清少納言の知的世界」、そして今年度は「耳で聴く、徒然草に学ぶ精神世界」がテーマだ。昨夕(今朝も)の番組で、井伊先生は仁徳天皇の歌に言及された。

   高き屋に上りて見れば煙立つ民の竈はにぎわひにけり

仁徳天皇は或る日、夕方になっても家々から竈(かまど)の煙が立っていないのに気付き、民は夕餉の支度にも事欠くほど貧窮していることを察して、以後3年間、税金(年貢や課役)を免除した。記紀に拠れば、その間、天皇自身は衣類を新調せず、住まいの修理もしないで倹約に努めた、という。そして3年後に民の竈の煙を確認したのが、上記の歌だとされている。

井伊先生も触れられたように、この話が事実に基づいているのかについては疑問もある。しかしこのような、民に優しく自己に厳しい仁徳天皇像を、為政者の理想像として後世に伝えてきた人々の心情を、今のこの国で思い返すことも大切ではないか。井伊先生がその機会を与えてくださったことを有難く思う。


太郎

2011-02-01 10:53:25 | 俳句

北大に宮本太郎という男がいる。名前の4文字中3文字は左右対称で、それに「太郎」とは、一昔前まで庶民の最も一般的な名前だった。福祉政策が専攻だというから、さぞかし公平平等な思想の持主で、庶民の暮らしを支える福祉の推進論者かと思いきや・・・菅内閣の「社会保障改革に関する集中検討会議」の有識者メンバーに名を連ねた。

この「社会保障改革~」は、羊頭狗肉もいいところだ。取り仕切るヨサノは、社会保障の切り捨てと消費税増税の推進論者。自民党税制調査会長だったヤナギサワも委員で、「消費税は15%に上げるべき」と言っている。一昨夏の政権交代を成し遂げさせた民意をどう心得ているのか、唖然とするばかりだ。

消費税は万人が負担する平等な税金、なんてとんでもない。日本の消費税は、人が生きるために必要な食べものなど、生活必需品にも「平等に」掛けられる。低所得者ほど重圧となる悪税だ。この消費税の増税を、宮本太郎も大いに推奨しているらしい。

宮本太郎の実父は宮本顕治だ。1945年の終戦まで12年間獄中にあって、反戦平和の志を貫いた。戦後は、ソ連や中国の共産党の圧力に抗して、日本共産党の「自主独立路線」を確立した。共産主義の功罪については議論百出となるが、日本共産党が庶民の暮らしを守る立場から、社会保障の充実と消費税反対を一貫して唱えてきたことには、一目置くべきだと思う。

宮本顕治は2007年夏、98歳で逝った。

        車前草を踏むや宮本顕治の訃

車前草(おおばこ)は、人や車が行き交う道などに生えて、踏み付けられることによって却って種子の発芽を促して繁殖する、強靭な雑草である。戦前戦後を通じて節を曲げなかった顕治の遺志は、踏み付けられても甦るだろうか?

寒風のもと、車前草さえ地に枯れ伏している道を、マスコミに煽られた増税世論の隊列が進む。その隊列の旗振り役を、あの宮本顕治の息子が務めるとは・・・