みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

ちりめん

2009-01-28 19:40:21 | 八郷の自然と風景

Dscn0390 首都圏の友人eTさんが来庵、御手製の巾着袋をプレゼントして下さった。

表地は、古い縮緬(ちりめん)の風呂敷の、まだ生地が弱っていない部分を再利用されたもの。茶道具が幾つか描かれている。裏地は古い着物の裏に使われていたものの再利用。紐も再利用とのこと。

縮緬の豊かな触感、古い時代のものならではの深い色合い・・ そして再利用のものの組合せの妙味・・ 

Dscn0387_sh01 巾着袋にカメラ等を入れて、eTさんと共に峰寺へ行った。一望の風景の向うに霞ヶ浦の水面が淡く光っていた。さらに向うの水平線らしきものは、もしかして太平洋・・・?

峰寺には、一木造の十一面観音菩薩も祀られている。素朴で深い表情に思わず手を合わせたくなる。平安時代の作、という。


気功&新年会

2009-01-24 18:36:31 | 八郷の自然と風景

公民館でmM師の御指導のもと、皆で気功。掌にビリビリした感覚が何度か生じた。気功が一通り済んだときには、頭がドンヨリとし、目の前が靄でも掛かったようになって眠気が来た。

眠気は、Dscn0385_2 気功で副交感神経が優勢になったからだそうだ。暫く横になって休んだ。mM師によれば、ビリビリ感も眠気も気功の効果として良い兆候なのだそうだ。

Dscn0382 外は雪の花、お座敷の中はお喋りの花が咲いた。

「筑波園」の御主人夫妻が、鶏の唐揚・果物・天麩羅そして手打蕎麦等でもてなして下さった。

雪の筑波山を後にバスで公民館前に戻ったら、雲間からお天道様の光が差し始めた。


腰部脊柱管狭窄症

2009-01-22 16:46:17 | 老病

hKさんの病院行きに付き添った。腰痛と下肢の痛み・痺れ・脱力が続き、自宅内での歩行も困難になっている。「変形性腰椎症」という診断は既に出ているが、今日のMRI検査で「腰部脊柱管狭窄症」も判明した。加齢に伴って脊髄骨が変形し、中を通る脊髄(脳と共に中枢神経を成す)を圧迫しているのだ。

消炎鎮痛剤に加えて、血行改善薬が処方された。hKさんの腰部脊柱管狭窄は、程度が重い。「薬が効かなければ、骨を削って脊髄圧迫を解く手術を考えることになる・・」と、医師は口籠るように呟いた。事は中枢神経に関わる。治療法の選択も難しそうだ。

夕方、hKさんから電話があった。服薬後に痛みが緩和したので、台所に立って煮物を作ったのよ、美味しく食べれたわよ、と明るい声だった。対症療法も大切な治療であることを再認識した。


気功の「型」

2009-01-19 20:12:14 | 八郷の自然と風景

Dscn0375 枯木立から小鳥たちの声が響いてきます。メジロ・シジュウカラ・エナガ・ヒヨドリ・ツグミ・コゲラ、そしてウグイスの笹鳴。皆、必死で生きているのだと思います。

K子さん宅へ行って、mM師に習った気功の型の一つを復習しました。化学物質過敏症(CS)軽快の過程で「気」を感知出来るようになったK子さんは、気功の型を完全に記憶していなくても、気の流れに合わせることによって型を再現出来るのです。

見よう見まねの私ですが、その私から「気が出てる!」とK子さんが言いました。確かに掌がヒリヒリする感じがします。気功の「型」の効果ですね。

K子さん宅の台所に、水戸で買ってきたという新しい圧力釜がありました。これで玄米を炊いているそうです。CSが重篤だった時のK子さんは、電車に乗れず、車の運転も出来ず、買物も出来ず、食べものアレルギーの深刻化で玄米を食べることも出来ませんでした。

「あの頃を思うと・・」とK子さんの声が詰まります。CSの過程は、K子さんにとって残酷なほどの「修行」だった、と私は思います。

「3年以内に完治する」という目標を、K子さんは力強く語ってくれました。


杖と車椅子

2009-01-15 19:52:49 | 暮らし

Dscn0365水仙が咲き始めた。当地の友人Nさんから株分けしてもらったのが一昨年。移植疲れが完治した証しだ。首都圏のeTさんから戴いた水仙も毎年咲いてくれている。

近所のhKさんが総合病院の整形外科へ行かれるのに付き添った。昨年末に「変形性腰椎症」を発症されて、通院していた整骨院からの紹介状を持参された。高齢者に多い病気で、脚に痛みや痺れが出る。

痛いから身体を動かさなくなる。すると食欲が減退し、栄養不足で筋力が衰える・・ hKさんは杖を使うようになり、その杖が直ぐ2本に・・そして本格的な歩行器に頼るようになった。今日の病院では車椅子を利用した。

老いの身で痛いのは辛い。処方された痛み止めの薬が効きますように・・


初霰

2009-01-12 17:38:38 | 俳句

暁近し女草履出せば初霰

Dscn0360_2 真白な霰粒に浄めてもらって、裏千家茨城支部の初釜へ出掛けました。大先生は昨夜から泊り込みで御尽力です。水戸のホテルの貸切で数百人が集う、厳粛かつ華やかな大茶会でした。

Dscn0359縁側に簾を展げてギッシリ並べていた当菜園産大根の銀杏切りです。初釜を了えて帰庵した時には、乾燥収縮が進んで隙間が広がっていました。

Dscn0358 私の太腿といい勝負?の太大根ですが、数日で本当に小さくなります。

寒気に当たった切干の味は格別


初稽古

2009-01-09 19:08:31 | 茶道

茶道の初稽古は1/7だった。皆、居ずまいを正して大先生へ御挨拶を申し上げた。点心(軽食)は若先生の御手製。濃茶御点前の若先生の凛としたお姿に息を呑んだ。

掛軸は淡々斎(先々代家元)筆の「五雲繞蓬莱」で祝賀の気分。炉縁は摺漆に慎ましい桐蒔絵。木地は秀吉御手植えの朝鮮唐松、という。

秀吉の命令で朝鮮へ出兵した誰かが、苗木を秀吉に献じたのだろうか・・ 老木となって処分されるとき、その材から5組の炉縁が作られた。その内の一つ、と大先生が明かして下さった。淡々斎の箱書(証明)が待合に置かれていた。 

連行されてきた朝鮮陶工の多くは、各地の陶芸興隆の師となり、茶道そして日本の伝統文化の発展に大きく寄与することとなった。歴史の複雑性を思わずにはいられない。

濃茶を戴いた後、「員茶(かずちゃ)」(ゲーム感覚の「花月」の一種)で薄茶を、皆が替わるがわる戴き、かつ点てた。私は「札元」の隣の「目付」役。いつもながらの無作法を連発しながらも、快い緊張感が楽しかった。


板敷山

2009-01-08 17:53:03 | 仏教

俳句の会の吟行で大覚寺へ行った。八郷の北境に近い板敷山に位置する。かって親鸞聖人が山伏の弁円に襲われた法難の地である。聖人と対面した弁円は、たちまち改心して自ら聖人の直弟子になった、という。

Dscn0357_sh01 坊守を長く務めていたH子さんが、寺の大きな囲炉裏に炭火を起こして下さった。皆で餅を焼きながらの炉話が続いた。

縁ある人々の消息の話、先の戦争で寺の梵鐘も供出した話、そして「歎異抄」の話も。

           門徒ならぬ吾も加はり寺大炉


峰寺

2009-01-04 20:11:40 | 仏教

Dscn0351_5常陸七福神の毘沙門天が配されている峰寺へ、tMさんと共に行った。筑波山中腹の岩肌に丈高い柱を組んだ本堂の構造は圧巻で、小寺ながら「関東の清水寺」との異名も頷かれる。

大岩の表情を観音様と見立てて本尊とし、その過半を本堂の胎内に取り込んだ造形には度肝を抜かれる。開祖の信仰心の烈しさが為せる技か・・ 回廊は眼下の風景へ張り出している。

Dscn0350_3 一望の八郷は冬日を受けて穏やかなたたずまいを見せていた。運が良ければ(そして視力も良ければ・・)太平洋が見えることもある、という。

「気功」同好会のmM師によると、この峰寺付近の「気」は素晴らしく良いものらしい。「気」を直接感知する能力が無い私にも、さもありなん・・と思わせる地である。


御餅

2009-01-01 19:36:04 | 八郷の自然と風景

Dscn0331 庭先の実南天と裏山の杉(冬芽付き)の小枝を剪って、元日の当庵の花としました。

Dscn0335_2 田んぼが広がる中の神木を訪ねました。足下のミニチュアの社に、1寸余の鏡餅が供えられています。持参のお米を少々、左右に供えました。これで初詣を済ませたつもり・・・

Dscn0336_3

初筑波と初御空を仰ぎつつ帰庵しました。

Dscn0344_sh01 K子さんが、帰省中のお嬢さんと共に立ち寄ってくれました。年末の御自宅の庭先で御家族が杵と臼で搗かれた御餅の御裾分けを戴きました。

1年前の今頃は、K子さんの化学物質過敏症が急速に重篤化したときです。御自身の懸命の努力と御家族の日々の支え、そして気のコントロールによって奇跡的とも云える軽快を果たしたK子さん・・お嬢さんと共に晴れ晴れとした表情を見せてくれました。