みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

花の雨

2014-03-30 20:23:06 | 俳句

Dscn0474_2 俳句の会で雨引観音(雨引山楽法寺)へ行きました。雨乞い祈願が名前の由来ですが、現在では安産祈願で知られているようです。私は初訪問。

アプローチの長い山道=参道には満開の河津桜が続き、到着した本堂の前にも河津桜。山内にはソメイヨシノも多くて三分咲き。いずれも八郷より少し早いようです。まだ蕾のシダレザクラも風情ゆたかな姿で、咲けばさぞかし!

怪しげな空模様で、時折小雨がぱらつき、強めの風がサッと吹いて花びらが散らされたり。でも若いお母さんたちが、華やかな着物で包まれた赤ちゃんを抱いて、夫や家族と共に次々とやってきては、記念写真を撮ったり、堂内で子育て祈願の読経を受けたり。ほどよく賑わっています。

    笑み交はす御宮参りや花の昼

Dscn0457 放し飼いされている孔雀に、仲間の俳友は出会ったそうですが、私は会えず、残念。 代わりに?金網囲いの中の孔雀を撮りました。

孔雀の外に、見たことのない美しい鳥たちも数種が飼われていました。

池には金鯉や銀鯉、そして色鮮やかな鴨たちも私たちの目を楽しませてくれました。

江戸時代末期に建てられたという多宝塔は均整がとれた姿で、心魅かれました。(写真が下手でごめんなさい。実際の姿の方がずっと素敵です。)

Dscn0473スダジイの老大樹も迫力満点。重なり合っている藪椿も見事です。
Dscn0465

帰ろうというときになって気付いたのは・・

    寺隅の水子地蔵や花の雨


寡黙だった同級生

2014-03-29 09:36:28 | 八郷の自然と風景

朝霞が晴れるとともに陽気が満ちて、揚雲雀がひとしきり囀りました。裏山のウグイスカグラは、俯いた小さな花を増やし、菜園では菜の花が次々に咲き、裏庭では蕗の薹が顔を出しました。

Dscn0455かっての同級生が昨年末に亡くなっていたことを先日知った。数年間を同じ教室で学んだのに、口を利いた覚えはほとんど無い。

いつも教室の窓側の隅の席にいた寡黙な姿を思い出す。存在感があった。一種の近寄りがたい風格があったようにも思う。そのことを私は心のどこかで感じながら、その心の襞をどうしてよいか分からずに放置したまま、卒業して数十年、その人の噂を聞くこともなかった。

訃報と共に、その人が某社の支社長を長らく務めていたことを知った。同僚・部下からも社外の関係者からも確かな信頼を得ていたに違いない。それだけにストレスも深かったのだろうか。見るからに丈夫そうな、立派な体格をしておられたのに。

口を利いたことさえほとんど無いのに、もうこの世で会うことが出来ないのだ、と思うと、無性にその人を慕わしく感じてしまう・・春愁の季節だからだろうか。


施術で寝入って

2014-03-24 20:13:53 | 健康・病気

暖かな陽気で、裏山の鶯の囀りが上手になり、門前の緋寒桜は花見頃となりました。
Dscn0448早めに昼食を済ませて、愛車で20分、柔道整復師の施術を受けました。

横向きや俯せになって、頭蓋骨・腰椎・仙骨の数ヵ所を、整復師考案の器具で9分間ずつ圧されます。

9分間の最初の1~2分は、圧されてるなぁと感じますが、すぐ何ともなくなり、そのうちいつの間にか眠ってしまうことが多いのです。私は睡眠不足状態ではありませんし、旅先では寝入ることが出来なくて困る体質でもあるのですが、この施術のときには僅か9分以内でスンナリ寝入ってしまう・・我ながら興味深く思います。

ふぁぁ・・と眠ったかなぁという頃に9分間経っているらしく、整復師が器具の位置を別の個所に移動させます。

1時間余りの施術が終わったときの身体は、雲の上にでも乗っているような、ふわふわした感じがします。

毎週通うようになって今日で11回目です。腰痛は徐々に軽快しています。最近は痛みを忘れて速足で歩くことも。以前は辛かった坐ったり立ったりの動作も楽になってきました。耕したり元肥を入れたり種蒔きしたり、春の野良仕事もマイペースで進めることが出来ています。おかげさまで!


憂い

2014-03-22 19:45:58 | 八郷の自然と風景

幾日ぶりかの霜が、うっすらと菜園に降りた朝でした。庭の一隅に春蘭が咲いていました。蘭の一種とはいえ、あまりに目立たない花は、憂いに包まれているかのようです。
Dscn0442朝からずっと何度も、昨夜の夢を想起しています。

仲間と共に毎月数回は必ずお会いする機会があった或る方・・私の敬愛するその方が、前触れもなく私たちの前から姿を消され、数か月が経っています。

夢の中で、その方と久しぶりにお会いすることが出来て、皆でとても喜んだのです。夢の中のその方は、優しく微笑んでいるものの、憂いに包まれた表情に見えました。

夢の中のその方の表情を想起するごとに、不安が掻き立てられます。でも、夢の内容は、久しぶりに会えた、という嬉しい出来事だったんですもの、再会が近付いている証しかも知れない、と思いたいです。


懺悔道としての哲学 第八章 (田辺元哲学選 Ⅱ その10)

2014-03-20 08:47:57 | 仏教

第八章(最終章) 懺悔道の展望としての宗教的社会観

親鸞の信仰思想は・・内面的に懺悔道的であり、・・人の腸を掻き挘るような悲痛の懺悔が、いわゆる悲嘆述懐の自督としてそこに点綴せられる・・私は懺悔道を措いて教行信証を開く鍵はないと信ずる。

親鸞聖人の、腸を掻き挘るような悲嘆述懐、それは、学徒出陣を目の当たりにした田辺自身の悲嘆にも通ずるものだったようです。

・・生死離脱の個人的解脱を目的とする理知的人間存在学に過ぎなかった仏教は、・・大乗仏教の菩薩思想が発達して自利即利他の即自的社会性を教義中に含有するに至り、遂にその極浄土真宗に至って対自的に還相の社会性を発揮することになった。・・懺悔道は親鸞の全面的懺悔の立場を指導とし先達とすることによって、西洋哲学の指導のみからは得ることのできぬ社会性を展開することが可能になる。

菩薩思想=還相の社会性。私には意外な論旨展開だったけれど、言われてみれば、その通り。

相対者たる衆生の救済に降下することなくして、如来はその絶対性を発揮することはできぬ。これ絶対還相が如来の本質であるとせられる所以である。

・・単に自己の解脱のみを問題とするのはそれ自身悪であって、実は自己の我性離脱は単にその離脱の願望に依ってのみ達成せられるものでなく、相対は相対を媒介とすることによってのみ絶対に帰入することができるという関係上、他の相対のために自己を捧げる行を通じて、始めて自己の我性を離脱することができるのである・・

まさに自己の解脱のみを狙っているのが、この私。恥ずかしい限り、汚らわしい限りながら、それが自分の正体。人のために自己を捧げるなんて、到底できそうにない。

懺悔道は歴史の転換期たる現代の哲学として必然の意味を有する。諸国民がその立場において懺悔を行じ、それを通じて兄弟性の社会建設に進むことが歴史の要求であろう。 

兄弟性の社会建設。そんな希望の欠片が、この現代に未だ残されているのかどうか。


骨董市と「山路」

2014-03-16 20:17:50 | 暮らし

久しぶりに 栗の家 の骨董市へ行きたくなり、友人二人を誘って愛車で15分ほどの岩間の会場へ出掛けました。

暖かな陽気の中、骨董市は大賑わい。何の用途に使うのか見ただけでは判らないものも含めて、ありとあらゆる品々が並べられています。古い道具を見ていると、当時の作り主たちの知恵と工夫と個性ゆたかな感性に、つくづく感嘆させられます。

冷やかし客の私たちに対しても、骨董商の方々は楽しそうに応対してくださいます。

Dscn0437_2骨董市に来ているお客さんたちも、なかなか個性的な感じのする人が多いようです。経済的な階層はピンからキリまでのようで、駐車場の中には高級そうな車も!

あちこちキョロキョロ見回っていた私に、声を掛けて下さった方がいました。振り向いてビックリ。たまにしかお会い出来ない知人のチャーミングで知的な笑顔が其処に! 私の腰痛を心配してくださったり、いつもながらの優しさを有難く戴きました。

Dscn0439骨董市を1時間半ほど楽しんだ後、友人二人と、近くの「山路」で昼食。友人一人は 山路せいろ もう一人と私は にしん蕎麦 を注文。いずれも各1100円。

初めて注文した にしん蕎麦 は、小桶のような器が蕎麦と盛り沢山の海藻で満たされていて、その中に結構大きな鰊の切身が半ば沈められていました。その鰊の身をほぐしながら蕎麦を戴きました。

少し甘い味付けの鰊は、サッパリした蕎麦と意外に相性がいいんですね。海藻の多さには驚きました。汁も結構な味でした。

店主が私たちの席に立ち寄って言うには、「この にしん蕎麦 は、私のお勧めメニューですよ。」  そして飴玉を数個ずつおひねりしたのを、楽しげに配ってくれました。お腹も心も豊かにしてくれる 「山路」です。


老教師の思い出

2014-03-15 20:02:31 | 自分史

早朝の林の中を、飼犬ユキと散歩していたら、笛のように高く澄んだ声を何度か聞きました。トラツグミです。別称:鵺(ヌエ) 久しぶりの出会いでした。

Dscn0427昨夜は霙の音を聞きながら寝みましたが、今日の日差しは春本番並み。馬酔木と山茱萸(サンシュユ)は満開。木瓜(ボケ)も咲き始めました。

Dscn0426_2今週は卒業式シーズンだったようです。この季節に思い出すのは、50余年前のこと。中学校の卒業式に私は出ませんでした。

卒業生を代表して答辞を読むように言われていました。小学校時代は劣等生だったのに、中学生になったら何故か成績が急上昇し、勉学が遅れがちな同級生に教えることが出来るのを、何よりの楽しみとしていた3年間でした。

卒業式が近付いた或る日、主任の老教師が私に言いました。「制服はクリーニングしてきなさいよ」と。私のセーラー服は着たきり雀だったのです。

私の母なるヒトには、子の服をクリーニングに出すような心がけは全くありませんでした。老教師から言われたことを、もし告げたら、母なるヒトが逆上するだろうことは目に見えていました。かといって私自身も、自分で上手に洗濯するような知恵もありませんでした。

老教師に言われた途端、この学校での私なりに充実感があった3年間が一挙に暗転した思いでした。自分は薄汚い制服を着たみっともない生徒だったのだ・・・ 涙が溢れないよう必死で堪えて俯いている私に、老教師は慌てたようでした。「そんな、泣くようなことは言ってないだろ?」と。私は言葉を発することが出来ないままでした。

卒業式の前夜、風呂上りの私は、下着姿のままで寒気を身に染ませていました。翌朝、期待通りに発熱。風邪を引いたから、という理由で、卒業式を休むことが出来ました。

Dscn0425今思えば老教師は、答辞を読むという、いわば晴れ姿の私に恥ずかしい思いをさせたくないからこそ、クリーニングを、と言ったのでしょう。頑固一徹だけれど、教育熱心な教師でした。そして意外な優しさが垣間見えるような方だ、ということが私に分かるまで、年数を要しました。亡くなってからもう数十年を経ていますが、忘れられない先生です。


働く水車

2014-03-11 19:54:28 | 俳句

晴天が続いていますが、今朝は風の冷たさが殊に厳しく感じられました。

     青空を暗しとも見ゆ東北忌

Dscn0420俳句の会で駒村清明堂へ行きました。水車小屋で杉の葉を搗いて、粉にしたのを材料に線香を作っています。水車へ向って、筑波の山水が引樋を勢いよく走っていきます。大きな水車が ガッタン ゴットン 大きな音を繰り返しながら廻る姿は、なかなかの迫力です。

    春光を撥ねて散らして大水車

Dscn0414飄々とした御主人が、「杉の葉は、若いのはダメで、皆さんぐらいの齢になると、いいお線香になります」とか、冗句を交えながら、水車小屋の中も案内して下さいました。10本ほどの搗き柱が、交互に上下動を繰り返していました。

全国各地に観光用の水車はあると思いますが、本格的に働いている水車は珍しいと思います。


ミヤマホオジロ

2014-03-09 20:22:44 | 暮らし

友人夫婦がJA直売所のお弁当を買ってきてくれて、当庵で昼食を御一緒してくれました。八郷産のお米の御飯がぎっしり詰められた上に、白身魚のフライと竹輪・野菜の天麩羅がはみ出しそうに載っています。お喋りしながらの食事は本当に美味しい!

体調のこと、菜園のこと、家族のこと等々の話題に混じって、自分たちのお墓をどうするか、という話も・・ お互いに少し遠い眼差しになって、散骨が良さそうね・・と。

庭先に飛んできた数羽の野鳥を三人一緒に観ました。ホオジロの群れでしたが、そのうちの一羽が何だか見慣れない感じです。見詰め直したら、髪が逆立っているような頭形が目立つので、なあんだ、カシラダカ だったのか、と思ったのですが・・

逆光で羽色が定かには見えなかったのですが、白っぽい腹部と胸に黒い逆三角形があるのは確かでした。はて、カシラダカに、あんな逆三角形があったかしら? 不審に思って図鑑等を調べたら、カシラダカではなくて、どうやら、ミヤマホオジロ のようです。眉部と喉が黄色の特徴は視認できませんでしたが、逆光のためだったと思います。

八郷で出会った野鳥は、これで59種となりました。


医院の待合室のことなど

2014-03-07 18:07:43 | 健康・病気

歯科医院へ行きました。1週間おきに虫歯を1本ずつ治療してもらて、3本目の今日でひとまず終了です。歯医者さんて、ほんとに器用だなぁと思います。治療後の歯を鏡で見ると、治療の痕は全く無くて、健全そのものの歯に見えます。「有難うございました」と、心から御礼を申し上げました。

医院の待合室で一緒になった御婦人は知らない方ですが、お互いに軽く挨拶して、天気はいいけれど未だ寒いですねぇ だとか、少しお喋り。後から来られた殿方と御婦人も知らない同士のようですが、お喋りされていました。聞くともなしに聞いていると、殿方は学徒出陣の経歴があることを、御婦人は亡き兄上が学徒出陣したことを、語り合っていました。「酷い目に会いましたねぇ」と頷き合いながら。再びそんな時代になりませんように・・私は思わず胸の内で祈る気持ちになりました。

Dscn0394午後、春の日差しが明るい菜園を見回ると、草たちの急成長が始まっています。

オオイヌノフグリ ハコベ ホトケノザ 等々。小さな草たちは、すぐに花をつけて子孫を残そうと生一杯頑張っています。

Dscn0398それぞれ綺麗な花たちだけれど、菜園では容赦できません。小鎌を手に、根元から刈っていきました。

隣の畑では隣人がジャガイモの畝作りを始められました。心身ともに逞しく、かつきめ細かな心遣いをして下さる、この同年輩の御婦人と、お喋りしながらの野良仕事になりました。お喋りしながらだと、腰痛もあまり苦にならなくなり、作業が捗りました。

夕方、飼犬ユキの散歩をしていると、麦の芽が伸び出した広い畑に今日もセキレイが来ていました。ハクセキレイかと思っていたのですが、撮った写真をよく見たら、セグロセキレイでした。小高い地勢だからでしょうか。

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