みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

沢山の元気

2010-01-29 20:11:08 | 暮らし

岩間の友人kYさんが来庵してくれた。いつも、はち切れそうな笑顔で語り掛けてくれる。そんなkYさんから、今日も沢山の元気を貰った。

Dscn1311_sh01 数年前、作務衣の仕立てをお願いしたのが縁の始まりだった。ビジネスの縁が、たちまちプライベートな仲になった。kYさんの笑顔に出会ったら誰でも、旧友に出会ったように感じるだろう。

kYさんは京都で3年間修業された和裁のプロで、笠間の芸者衆の着物を専門に扱っていたこともあるそうだ。しかし着物の需要が激減したこともあり、今は食品工場のパート勤めだ。その忙しい狭間で私の着物の仕立て直しなどを引き受けて下さる。

kYさんは、茹でたばかりのキヌカツギを沢山持ってきて下さった。これは食べ出したら止まらない それから、お母様が作られたという切干大根も。その形が一般的な紐状でも銀杏型でもなく、幅広の極薄状で、おぼろ昆布型とでも言うべきか・・実にユニークで、触るとフワフワした感じで優しく楽しい感じがする。お母様のお人柄の反映なのかも。


ウーロン茶で乾杯!

2010-01-27 17:43:07 | 暮らし

お昼どき、「読書会」の新年会に着物で参加した。黒地の小紋の長着は近所の篤農婦kOさんから、帯は岩間の友人のkYさんから、羽織は近所のhKさんから戴いたものだ。

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会場は愛車で10分弱の「団らん」という店。10数名が集まり、温かいウーロン茶で乾杯して皆にっこり。全員女性で50~60代が中心の同好会だ。誰もが元気に良く喋る。

右隣席のyWさんは、自家用菜園を耕したり、琴の演奏を楽しんだりしている方だ。向かい右寄席のkTさんは、オカリナ演奏が趣味で、最近は中国語講座にも通っているそうだ。向かい左寄席のySさんは、ピアノ教室を開き、趣味の植物画はプロ級、児童への「読み聞かせ」のボランティアも長年続けていらっしゃる。

お喋りの話題は、読んだ本の感想や紹介のほか、色々な分野を弾むように展開していく。「女性はお喋りを楽しむことが出来るような脳構造になっているらしい」という話題も出た。「男性は淋しがり屋で、お喋りもなかなか出来ない人が多い」という点で意見一致。

食後のコーヒーが出た時、kTさんが「砂糖はあるけれど、ミルクが無いわね・・」とおっしゃったので、「私のオッパイを絞ってもミルクは出ないしねぇ」と言ったら大受けしてしまった


鉄瓶の手入れ

2010-01-26 19:06:43 | 暮らし

Dscn1307 気の置けない友人が来庵してくれた時などは、厨で立ったままの「イイカゲン点前」で薄茶を出すことが多い。少し時間にゆとりがある時は、鉄瓶で湯を沸かして「盆略点前」にすると、簡略だけれど一応茶道らしくなる。

手元の鉄瓶は茶道には不向きな型だけれど、手頃な価格だった。使用後の速やかな乾燥を怠ったためか、内部に赤錆が出てきた。

ネット検索したら、「火鉢屋」というサイトに錆対策の指南があったので、早速、実行することにした。

Dscn1304 パックの中に緑茶を入れてから閉じる。鉄瓶に水を八分目ほど入れ、緑茶入りパックを入れて火に掛け、沸騰させて2分目ほどまで煮詰めたら、パックを取り出し中の湯を捨てる。パックも湯も赤錆色になっていた。今度は水だけを沸騰させ煮詰めてから空ける。湯の色は薄~くなっていた。

乾燥させて中を覗いたら、錆は淡くはなっていたが、まだまだ。「火鉢屋」さんの指南では、3回繰り返すように、となっている。煮詰めるのに結構時間が掛かるから、2・3回目は後日に回すことにした。

緑茶のタンニンが酸化鉄と化合して錆を止める効果があるそうだ。こんな手入れを繰り返すことによって、昔の人は道具への愛着を深めたのだろう。


冬麗の日の木登り

2010-01-22 19:01:54 | 暮らし

午前5時過ぎに起床、戸を開けて外縁に出たら、満天の星たちが煌めいていた。深夜の強風で空中の埃が払われたからか、いつも以上の素晴らしい星座に寒さを忘れて暫し見とれた。

Dscn1296 「冬麗」という季語そのままのような青空の一日だった。飼犬のジュンが飛び切り甘い声で鳴き出したのは、近所のkSさんがやってくるのを見つけた証拠だ。

いつもジュンを可愛がって下さるkSさんが来ると、ジュンは飛び付いて抱き付こうとする。美味しいオヤツを貰って夢中で食べたジュンは、kSさんの手や顔を舐めまくる。

Dscn1303 kSさんが飼っていた犬は、昨年、天寿を全うした。kSさんは大の犬好きだけれど、別の犬を飼うつもりは無いそうだ。七十路だし、もう飼犬をその寿命の最後まで世話することが出来ないだろうから、と。

午後は百日紅の枝をだいぶ切った。先日、南隣のyIさんから「剪定した方がいいですよ」とアドバイスしてもらったのがキッカケだ。前年に伸びた枝は切り取って太枝の先を瘤のようにすると、次の夏に花が沢山咲くらしい。

瘤作り?をめざしながらも自然な枝の伸びも大切にしよう、という考えで剪定に取り掛かった。長~い柄の付いた剪定用鋸で切ったが、枝によっては長柄が使えないところもある。止むを得ず、太枝の股に足を掛けながら攀じ登り、普通の剪定用鋸で切った。

若い頃も子供の頃も、木登りなどしたことが無かった私、たかが地上2mほどでも、木登り自己最高記録なのだ。

疲れた身体で無理するのは怪我の元だから、残りの剪定は次回に託した。それでも結構スッキリした樹形を見上げて、心もスッキリ。


バックアップ

2010-01-19 19:17:46 | ブログ

このブログを見て下さっているhSさんから、「バックアップしておいた方がいいですよ、パソコンはいつか必ず壊れますから。」とアドバイスされたのは昨秋のことだった。

私はインターネットが嫌いだったが、近所のK子さんが発症した化学物質過敏症のことを少しでも世間に伝えたいという思いから、ブログを始めた。すると、ネットの世界が身近になって色々な情報を検索するようになった。

魑魅魍魎が跋扈するネットだが、お気に入りのサイトを幾つか見付けることが出来た。身近な話題のサイトは楽しかったり、しみじみとしたり。政治に係るサイトも興味深い。マスコミが振りまく報道内容が、実は陰謀家の連中に操作されたものであることを、お気に入りサイトによって知ったり。

Dscn1295_2 当ブログの記事も、次第に気楽に書き込むようになった。そして1年有余が過ぎた。hSさんにバックアップを促された時、ブログの記事も、エクセルもワードも、その他のデータも、私の暮らしにとって大切なものに化していたのに気づいた。すぐに外付けハードディスクを買った。「つやスリム」なんて気恥ずかしい機種名だが、店員さんにお任せで選んでもらったものだ。

買ってはみたものの、パソコンが元々苦手な私は、操作が面倒に違いないと思って、先延ばしにした。でも農閑期のこの季節にやらなければ!と意を決して?今日、取り組んだ。思いのほか簡単にバックアップが終了して、とりあえず安堵


仏教のこころ

2010-01-18 19:11:20 | 仏教

Dscn1294_2 著者、真継伸彦は1932年生まれ。20代半ば頃から仏教研究を生涯の仕事にした、という。

著者が言うように「人生は1回かぎりであって、死は私および私にとっての世界の、完全な無化である」という確信は、私koreiにとっても「まことに恐ろしいもの」だ。

仏教は輪廻からの解脱による安心を目的としているのに、輪廻そのものに安心を見出す人が身の回りに多い。「一般的な日本人にとっては、仏教もキリスト教も神道も借着のようなもので、その内側には、人間は人間に生まれ変わるという永劫回帰(=輪廻)の信念が保持されている」のだ。

「死は今の肉体の消滅にすぎず、魂はまた新たな肉体に再生するということが確実であれば、死は何ら恐ろしいものではない」ことになる。仏教は日本では、「どこかの別世界に今も生きている祖先を崇拝する葬式仏教にスリカエられる。」 そして日本人は「まことにウスボンヤリと生きて死んでゆくのだ。」と。

私も霊魂の不滅と永劫回帰を信じることが出来たら、どんなにか楽になるだろうと思う。人はどうしてそんなことを信じることが出来るのだろう・・

自己は、他者との関係によってのみ存立しており、他者の方もその他者にとっての他者との関係によってのみ存立しているのだから、存在の総ては関係性(=縁起)によってのみ成り立っている、という仏教的存在観は、近代科学の観点からも真理だと私も思う。

だから私という自己中心性は「束の間の暫定的な幻影にすぎない」と言われれば、確かに頭では納得できる。しかし「こういう自己理解は、何よりも死の恐怖を和らげてくれる」「死とは暫定=泡がはじけるような無化にすぎない」のだから・・という著者の心境に附いていくことは到底出来そうもない。

リルケが「ドゥイノの悲歌」で歌っているという「生と死の肯定」、あるいはハイデッガーが「存在と時間」で語っているという「死への自由」、これこそ私にとって相変わらぬままのテーマなのだ。


冬芽

2010-01-14 19:01:35 | 俳句

Dscn1289犬の水もウコッケイの水もカチンカチンに凍った寒い朝でした。今日は月1回の 「笹鳴会」吟行句会です。俳句に必携の歳時記には、首都圏の句友yYさんが贈って下さった江戸模様のブックカバーを付けました。

Dscn1280 手作り弁当もバッグに入れて愛車で公民館の集合場所へ。そこから乗合いタクシーで目的地の「鳴滝」へ向かいました。

滝の下から見上げると、「鳴滝不動尊」の御堂は小さな祠Dscn1281_3 本格的な造りでした。堂内には1尺ほどの不動様が祀られています。

Dscn1282 軒裏に、創建当時の献句が20余り掲示されているのを仲間が教えてくれました。滝不動堂から見下ろす林の底は日差しが届かず、写真よりもDscn1283_2 暗い中を滝の水が疾走していきます。

      凍りてはならじと滝の迸る     小零

見上げれば空は冬晴れです。                                    

      寒林や両掌に受けし日のかけら   小零

Dscn1287 滝から少し離れると視界が開けて、向こうの筑波嶺は穏やかに傾いでいます。

冬木たちは枯れ切っているように見えて、無数の冬芽をひそかに立てていました。

お昼は公民館で、それぞれ持参の弁当を食べていたら、仲間のkNさんが秋田の「いぶりがっこ」という珍しい漬物を皆に分けてくれました。燻製の香りがして美味! 

午後は投句や選句をして、お喋りして、仲間のsさんから沢山の干し芋や柚子を戴いたりで、拙句の出来はともかく?満足して帰庵しました。

 


心置きなく

2010-01-11 18:33:03 | 着物

Dscn1270_sh01_2 付け下げの着物に松や梅の模様の帯を締めて、朝7時過ぎに愛車で出発、裏千家淡交会茨城支部の初茶会へ行った。

Dscn1265 岩間街道と50号線水戸バイパスを経由。バイパスを走るのは初体験で緊張した。水戸駅近くの会場へ8時過ぎに無事到着して、ホッ。開会は8時半からだが、もう沢山の方が参集されていた。

Dscn1264 まず濃茶席へ。受付順に待って第2席目に入室出来た。お点前はいつも御指導を頂いているE師(大先生)だった。お御足の具合を庇われながらも、流れるような美しい所作を拝見できた。

掛軸は「松無古今色」。禅語で「竹有上下節」と対句らしい。松は常に等しく緑ながら古今の別があり、竹は節の上下に別がありながら一本の竹として等しくもある、ということから、前句は時間的、後句は空間的な存在の理を示している、ということか。

続いて薄茶席へ。赤味を帯びた土風呂が目を引いた。「彩雲風炉」との説明があった。ネット検索したら、秀吉時代以来の伝統がある蒲池焼(かまちやき)らしい。秀吉没後は九州の柳川藩の御用窯だったそうだが、その窯は三潴郡(みずまぐん)蒲池村にあった、という記事に驚いた。私が生れた大溝村も三潴郡だから。それはともかく、明治維新で廃窯になったのを、昭和48年に伊藤征隆という方が再興したとのこと。

次に立礼席(椅子式)へ。入室の成り行きで正客と同じテーブルになった。正客席に着かれたのは茨城支部長のNさん。私の背に緊張が走ったが、意外なことに?Nさんは大変気さくなお人柄で、たちまち和気を醸し出されると共に、お茶を深く味わうお姿を示して下さった。

最後に点心席で正月らしいお料理を戴いた。初茶会を心置きなく楽しめたのは、先輩のmHさんと会場で御一緒できて先導してもらったから。

Dscn1276 帰路の岩間街道で前を走る車のナンバーが 9 9 9  窮 窮 窮 ? ウーン・・・そうだ、クッ クッ クッ と読めば、忍び笑いで運転も快調。午後1時過ぎに帰庵。初茶会記念に配られた品を開いたら、虎の縞模様の小扇子(納屋真美子様のデザイン)でした。


筑波山を見ながら「気功」

2010-01-09 19:33:45 | 八郷の自然と風景

Dscn1259 同好会「気功」へ行きました。正月休みがあったから久しぶりです。10時からですが早々と来る人が多く、「今年もよろしく!」と挨拶を交わした後は、いつもの通りお喋りの花が咲きます。

Dscn1258 身体の具合のことや家族のことの他、コンサートの予定とか、お店の評判とか、レシピとか、様々な情報が飛び交います。会場は公民館の2階。窓から筑波山が見えます。

Dscn1257 床にめいめい持参のマットを敷きます。私はキッチンマット(滑り止め付き)を代用。

Dscn1260 mM師は、色々な型の気功を優しく分かりやすく楽しく教えて下さいます。私は最近教えてもらった型が特に気に入っています。両手に「気」が充満する感じがします。そして体じゅうが心地よくなるのです。


あまりの美しさに

2010-01-06 20:32:28 | 着物

Dscn1254 茶道の初稽古へ行きました。身に付けた訪問着と袋帯は近所のhKさんが、防寒コートは近所の農家のkOさんが譲って下さったものです。有難いことです。

Dscn1256 大先生が炭手前をして下さいました。御説明を入れながら、海のようにゆったりと。炉縁の鮮やかな朱がお正月らしく華やかです。金蒔絵が施された輪島塗で、一后一兆の作だそうです。

若先生の手作りの点心を戴きました。大根おろし入りの葛湯にポッカリ浮かべられたシンジョの美味しかったこと 雲丹が載せられたホタテと、金粉がトッピングされた栗きんとんも味わい深かったです。

主菓子は花びら餅。笠間の松島製はやっぱり最高!

Dscn1255 真台子(しんだいす)が設えられていました。若先生の濃茶点前は、澄み切った空のように爽やかです。

茶入の仕服が脱がされた時は、皆、息を呑みました。顕れた茶入のあまりの美しさに、です。形は中次(小さな茶筒のような形)で、白梅と浅葱色の籬の絵模様。背景は濃紫です。永楽即全作の交趾(コーチ)焼写し、とのことでした。

交趾とは、ネット検索してみたら、現在のベトナムの中南部の旧名で、交趾船は鎖国の日本にも南方の品々を齎していたそうです。交趾焼(写しではない本来の品、本歌と呼ばれる)自体は交趾産ではなくて、中国の福建省あたりの産のようです。

薄茶は隣室の立礼席(椅子式)で、弟子の私達が順番に点てたり喫茶したり。床の間の花入の渋い緑青色に心引かれました。秦蔵六(はたぞうろく)作の唐銅製「立鼓」だそうです。水仙だけがひっそりと挿されていました。