みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

デモとNHK

2012-07-30 11:25:09 | 原発

Dscn2505国会議事堂を包囲して脱原発を訴える抗議活動が、昨日(7/29)ありました。毎金曜夕の首相官邸前抗議を呼び掛けてきた「首都圏反原発連合」の主催です。

昨夕、参加した友人からメールが来ました。凄い人の数!と。主催者発表で20万人、マスコミは数万人と報道しています。

NHKは26日、クローズアップ現代「デモは社会を変えるか~声をあげはじめた市民たち」を放映しました。脱原発、再稼働反対を訴える動きを殆んど報道しなかったNHKテレビですが、6.29首相官邸周辺での抗議や7.16代々木公園の「さようなら原発10万人集会」で示された圧倒的な数の人々の声を、さすがに無視することは出来なくなったのでしょう。そういう意味では、この放映は抗議活動の成果の一つと言えます。

しかし、この番組内容には心に引っ掛かる点が幾つかありました。

脱原発デモに多くの人々が参加している理由の基本は、3.11以後も原発推進を止めようとしない国への憤りでしょう。しかしNHKは、この「原発推進の国家」対「脱原発を望む市民」という政治現象としての構図については、前置き程度に触れただけで、「組織や団体のデモではないから」とか、「平和的なデモなので参加しやすいから」などという社会現象としての捉え方を強調していました。

60年安保から70年安保に至る時代のデモは、労働組合や全学連のような組織や団体や政党が来ていて危険だった、と番組は言っていましたが、聞き捨てならないことだと思います。60年安保反対デモでの樺美智子さんの死は忘れられないものですが、この犠牲者を出した危険な状況は、国民の声を無視した国の外交施策が招いたものですし、直接的には機動隊の弾圧・暴力に責任があります。

60年安保反対デモには、組織に属さない多くの市民も参加していました。鳥越俊太郎氏は報道ステーションの中で、6.29官邸前デモについて、60年安保のときの市民デモが52年ぶりに復活した、非常に感慨深いものがある、と語っています。

26日の「クローズアップ現代」の中で森達也は、脱原発デモにはイデオロギーが無い、それがいい、と持論を述べました。はたして、イデオロギーとはそんなに悪いものでしょうか? 

手元の岩波の辞典には、イデオロギー=人間の行動を左右する根本的な物の考え方の体系。俗に政治思想。社会思想。等と説明されています。

体系的な思想を有しない人間。脱原発は望んでも、原発が政治や経済等々とどう関係しているのか体系的に考えようとしない人々ばかりだとしたら、国家権力の中枢を握る者にとって、何と御し易い国民でしょうか。そんな国民だったら、何度サイカドウハンタイを叫んでも、国家権力にとって痛くも痒くもないことになるでしょう。

大規模なデモになっても、怪我人や逮捕者が出ない方が良いのはもちろんです。しかしだからと言って、警察の過剰な警備、規制に唯々諾々と従うというのも、如何なものかと思います。

イデオロギーを持たず、組織化もされずバラバラのままの人々が「脱原発」「再稼働反対」のみを叫び、よもや「野田政権打倒」など一切口にせず、警察の規制に協力する平和なデモ・・・これが、NHKが推奨し公認できるデモ、ということのようです。さすがは国営テレビです。

Dscn2508東京新聞の記事によれば、昨夜の抗議行動では、参加者の一部が抗議場所を歩道上に限定しようとする警視庁のバリケードを破って国会正面の車道にあふれ、一時騒然とした。管轄する麹町署は午後7時半ごろ、国会前で警備していた警視庁機動隊員に暴行したとして、公務執行妨害の疑いで、40代と60代の男二人を現行犯逮捕した。とのことです。

主催者側は「今夜だけの抗議では原発は止まらない。今後も抗議を続けられるようにするため、歩道に上がって事故を防いでほしい」と繰り返し呼び掛けていた。のだそうです。しかし、少なくとも数万人規模となった人々を歩道に閉じ込めようとすることの方に無理があり過ぎるのではないでしょうか? 

主催者の首都圏反原発連合は、二人を逮捕した警視庁に対し、厳重抗議してほしいと思います。


お婿さん

2012-07-27 14:27:31 | 

今朝、お婿さんを貰ってきました。鶏の話ですが。

先週の18日、シロウが亡くなりました。7年ほど前に当庵へ初めてやってきた烏骨鶏の雄で、雌のピィと一緒でした。真っ白な羽と紅の鶏冠が見事なスタイリストでしたが、ピィに先立たれてからはめっきり弱っていました。両足が萎えてからも懸命に生きていたのですが・・ 

朝早く私が屍に気が付いたときは、未だ硬直もしておらず、透き通りそうな肌色の瞼を閉じて眠っているように見えました。庭の合歓の木の下に埋葬しました。当鶏舎は2区画にしていて、シロウがいた区画には、雌の烏骨鶏のヒロとギン、そして矮鶏のウララが残されました。

過日、当地の友人から或る相談を受けていました。後から生まれた雄の烏骨鶏が兄貴分の烏骨鶏から虐待を受けて傷付き、摂餌も雌との恋もままならず可哀想なので、誰か貰ってくれるところがないか、と。鶏は小さな鶏舎の中で雄が複数になると、死闘になってしまうのです。

Dscn2499シロウの初七日も過ぎたので友人に縁談を申し込み、早速婿入りが実現したのです。

当鶏舎に入れられて最初は警戒心露わな目でキョロキョロ。迎える側のヒロ、ギン、ウララも距離を置いて見守っていました。

Dscn2502両者の警戒心は徐々に融けて、お婿さんは餌を突いたり舎内をゆっくり歩いてみたり。ヒロとギンがお婿さんに近づいたり。もう大丈夫です。1時間ほど経ってから再び覗いてみたら、ギンと愛の契りを結んでいました。とても美しい形で

このお婿さんは黒い烏骨鶏の血を少し引いているらしく、赤黒い顏をしています。羽は真っ白ですが、背中付近にうっすらと金色の羽が混じっているので、金太郎(キンタロウ)と名付けました。

兄貴分に苛められていたときは、時の声も満足に上げることが出来なかったそうですが、当鶏舎に来て、恋の炎を燃やすことが出来て、時の声ももう何度も上げています。艶のある良く通るテノールです


紅シジミ蝶

2012-07-24 20:55:55 | 八郷の自然と風景

夕方6時前になると、村の田んぼ用水ポンプの運転を止めるために、愛車で5分ほどの機場へ行きます。私自身は残念ながら稲作をやっていないのですが、農家の皆様は大変お忙しいので、畏れ多くも新参者の私に担当させて下さっているのです。物好きな?私はこういう役が好きですし、ささやかながらお小遣いも頂けるのですよ。

Dscn2490田んぼの色がうっすらと黄味がかってきています。稲の花穂が出る日が近付いているのですね。機場の脇の畔にしゃがんで稲たちを眺めていたら、稲葉に紅シジミ蝶Dscn2485
が逆さまになって止まっていました。カメラを近付けても逃げません。飛び疲れて一休みかしら? このまま今夜はここで寝むのかしら? どんな夢を見るのでしょうか?

紅シジミ蝶さん、あなたはどうしてそんなに美しいの? そして私は、どうしてあなたを「美しい」と感じるのでしょうか? 美は不可思議な感情ですね。

「真」「善」「美」のうち、若い頃の私は「真」を崇拝していました。「善」は平凡なことで、「美」はまやかしのように思っていました。

齢を重ねた私は、「善」は虚しく、「真」は不可知、そして不可思議な「美」こそ、最も信ずべき何かを人間に開示しているのかも知れない、などと夢想しています。

Dscn2488ちっちゃな雨蛙が稲葉の影から周りの世界を睨んでいましたよ。カメラを近付けると、慌てて跳んでゆきました。ごめん、ごめん。


八郷暮らし満10年の夏

2012-07-23 14:29:56 | 俳句

地元の小さな俳句の会の仲間から手紙が届きました。体も心も大きくて優しい方ですが、句会には暫く欠席が続いていました。欠席者には、事務担当の私が簡単な句会報を送っているのですが・・・

手紙には、御病気の奥様を自宅介護なさっていて、外出がままならない旨が書かれていました。その大変な日々の中にあって、俳句は唯一つの心の癒しになっていることに気付いた とのくだりを目にして、私は胸にこみ上げるものを感じました。

この夏は、八郷に移住してから満10年になります。穏やかで豊かな自然と、良く手入れされた田畑の広がりと、大寺のように立派な瓦屋根の農屋敷が多い風景、そして穏やかな笑みを交わす人々・・・村の人々の多くが幸せそうに見えました。

満10年経っても新参者であることに変わりはありません。でも少しずつ村の暮らしの内情を見聞きする機会が増えてきました。私が新参者だからこそ話しやすい相手、という面もあるようです。そして家々の一軒ごとにそれぞれの悩みがあることを知ってきました。

嫁姑の諍い、夫婦の亀裂、婿や嫁の出奔、農業経営の辛苦、副業の苛酷な労働条件、結婚しない若者、親子の対立、村内の不協和、老々介護、等々・・

そんな苦しみや憤りや哀しみがありながら、それでも黙々と農作業に勤しみ、穏やかな笑みで挨拶を交わし、ときには俳句に親しむ人々の姿が、私にはますます尊いものに感じられるようになりました。


90歳の言葉

2012-07-18 20:21:33 | 原発

7・16さようなら原発10万人集会では、大江健三郎さんを始め素晴らしい方々がスピーチされました。なかでも瀬戸内寂聴さんが語られた言葉は、ひときわ胸に熱く沁み込むものだったことを、「世に倦む日日」と「みんな楽しくHAPPY?がいい」の二つのブログで知りました。以下はその抜粋です。

もうこの齢になりますと、死ぬことしか考えておりません。(この集会に来るのを引き止める人もいたが、)しかし私は、冥土の土産に皆さんがこんなに沢山集まった姿を見たかったのです。

百年前にやはり日本が大変人間の自由を奪われた時代がありました。そして、自分のためじゃなくて、人類のために、人のために、国民のために、何か新しい政治をしようとしたら全部捕まって、何も出来ない時代がありました。それを冬の時代と申します。

その冬の時代を経て現在があるのです。

しかしいくらこういう風に集まってもですね。私は90年生きてきたから非常に懐疑的なんですが、これがたちまちですね、原発を止めるとか、政府の方向を変えるとか、そういうことになるかどうか分からないという、非常に疑り深い気持を持っております。それでも私たちは集まらなければならないんです。

力を合わせて、たとえむなしいと思う時があっても、それにめげないで頑張っていきましょう。

人間が生きるということは、自分以外の人のために少しでも役に立つか、自分以外の人間を或いは生きものを幸せにするか、そのために命を戴いているんだと思います。

ですから、これは私たちだけの問題じゃなくて、もうみんなの問題であり、国中の問題であり、それは世界につながる問題です。

だから「悪いことは止めてくれ」と、たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう! 言い続けましょう!


さようなら原発10万人集会

2012-07-16 20:46:05 | 原発

代々木公園で、さようなら原発10万人集会がありました。私は参加できなかったけれど、インターネット上の情報を視聴して、胸をドキドキさせました。大江健三郎・鎌田慧・内橋克人の各氏のほか、瀬戸内寂聴さんや坂本龍一氏もステージ上にいらっしゃいました。空撮映像を見ると、本当に凄い人数です。参加者は、主催者発表で17万人、警察発表で7万5千人、これまでで最大規模の反原発行動です。

八郷や首都圏の友人たちも参加しました。参加された全ての方々に感謝!

反原発の国民の行動を、NHKは報道しようとしません。今回はニュースの中でほんの少し取り上げましたが、その悪意で捻じ曲げた内容に驚くとともに、背筋が冷たくなるのを感じました。この国の言論統制がこうまでひどいとは! 怖ろしいことです。


梅雨末期の菜園

2012-07-15 21:11:41 | 菜園

梅雨晴(曇)間の今日、自家用菜園のジャガイモを収穫しました。既に一株分は新ジャガとして採りましたが、その後、地上部の茎葉が枯れましたので、貯蔵分も収穫期と判断しました。新ジャガは皮が剥けやすくて傷みやすいから、貯蔵には向かないのです。

品種はマチルダ。ジャガイモらしからぬ(?)素敵な名前です。3年ほど前に知人から分けてもらい、その後は前年収穫のイモの一部を種イモとして用いていDscn2462
ます。マチルダはやや小粒なのが普通ですが、今回は豊作で、粒も大型がかなり混じりました。

収穫済のジャガイモは、貯蔵する前に、湿気を飛ばすため日影
干しします。今回も玄関土間に並べました。たった15坪の小さDscn2458_2
な庵ですが、玄関土間は広めです。車椅子を利用するようになっても、玄関での昇降や回転がしやすいように、と考えたからですが、土間は作業スペースとしても、簡単な接客スペースとしても、大変重宝しています。

Dscn2479Dscn2480Dscn2478茄子も胡瓜も次々に実ってきました。シシトウも鈴生りです。

Dscn2465Dscn2470_2Dscn2471パセリは一株だけですが、とても元気よく育ちました。毎日少しずつ戴いています。カボチャは二株ですが、蔓葉が勢いよく伸び広がって、一面の緑の湖のようです。品種は白爵。カボチャらしからぬ紳士的な名前です。葉影に生った実は順調に育っています。貯蔵可能期間が長いので、独り暮らしの私には最適です。

Dscn24777/9に蒔いた大豆は無事に発芽しました。ところどころキジバトに啄まれたようですが・・ 人参も、今回は順調に発芽しました。雨がほどよく降ったからでしょうか。いつもうまくゆかず、蒔き直しすることが多いのです。

梅雨末期は天候不順で体調も不順になりやすく、また、いつ雷や豪雨が来るかも知れないのでポンプ機場の管理も油断出来ません。草取りをはじめ菜園の管理も今頃が一番大変です。体が非常にだるくて参っていた私ですが、今日は私なりに頑張ることが出来ました。漢方効果もあるのでしょうか?


風を切る音

2012-07-09 20:11:13 | 八郷の自然と風景

梅雨期の草の勢いは、真夏以上の凄まじさです。ちょっと油断すると、菜園の野菜たちが草に埋もれそうになってしまいます。カヤツリグサ、オヒシバ、ザクロソウ、スベリヒユ等々、多種多様の草たちです。梅雨晴間の今日、鎌を手にして草取りに没頭していたら頭上をサーッと風を切る音が過ぎました。

見上げると大鷹でした。低空から高速で上昇して、向こうの林の梢まで一気に飛んでいきました。両足も見えたけれど、獲物は掴んでいません。鷹はどうして私の頭のすぐ上を飛んだのでしょうか。隣の麦畑の落穂を啄んでいたキジバトを捕り損なったのかしら? でもキジバトが逃げるときの声や羽音は聞こえなかったし・・ もしかして鷹は、この私を狙ったのかも知れない。屈んで俯いている私を、弱って動けない生き物と見て急降下したけれども、まだそれなりに生きていたので諦めて飛び去ったのかも知れません。

「鳥葬」という言葉を想起しました。インドの風習として知られていますが、かっての日本でも最底辺の人々の遺骸は河原などに棄てられて、猛禽類や獣たちの餌食とされていたのですよね。

福島では、地震動や津波で亡くなった方々の遺体が、高い放射線量の地域のために捜索や引取りが困難で、放置されているケースがあるそうです。宗教行事の一環としての鳥葬ならば納得できますが、本人や遺族の魂を蹂躙する鳥獣葬が現代日本の一角で進行していると思うと、居たたまれない気持です。


市民自らの報道

2012-07-06 14:43:39 | 原発

毎週金曜日夕方の原発再稼働反対の官邸前デモ、マスメディアがほとんど無視してきたので、6・29のときは広瀬隆の呼びかけにより、市民自らの資金で空撮ヘリを飛ばしました。デモに行けない私も、ささやかながら「正しい報道ヘリの会」に募金を振り込みました。

6・29のデモが空前の規模になったのは確かですが、参加者の数については警察発表で2万人弱、主催者発表で20万人弱、マスコミは4~5万とも15万とも報道しています。空撮の写真を見ると、私の目には少なくとも10万人規模には見えます。

Dscn2451今朝の東京新聞によれば、6・27に城南信用金庫に開設された募金口座には、7・5時点で約860万円が振り込まれていたそうです。振り込んだ人々の沢山の名義を見て、あの広瀬隆が、涙が止まらなかったそうです。当日のへりに約105万円、残りのうち5百万円は福島原発告訴団(福島県民約1300万人が東電と国の幹部を刑事告訴)にカンパ、残りは7・16代々木公園での「さようなら原発10万人集会」の」空撮ヘリ費用に充てるそうです。

マスコミによる情報操作で、私も「原発安全神話」等々、騙され続けてきました。事実を伝え真実を知ることは、権力なき私たちが命と暮らしを守るための大きな第1歩だと思います。


結城紬の街

2012-07-05 13:36:32 | 文化

昨日、読書会(公民館同好会)主催の「文学散歩」に参加しました。バスに乗って先ずは結城市の「つむぎの館」へ。5棟の文化財登録建造物などを活用した陳列館・資料館・織場館・結の見世(売店)・壱の蔵(喫茶)などが並んでいて、私はてっきり市か或いは公益法人の施設だとばかり思っていましたが、「奥順」という本場結城紬製造卸問屋の株式会社の運営でした。

Dscn2433織場館で機織りを初体験することが出来ました。若い男Dscn2435
女のスタッフが上手に指導して下さって、オッカナビックリだった私もすんなり織りDscn2448始めることが出来ました。30分ほどでコースターが完成!

陳列館の2階では、漱石の「吾輩は猫である」などの小説中に結城紬を身に付けた人物が登場する場面が紹介され、その結城紬に相応した羽織などが展示されていました。結城を身に付けている=金持である、或いはお洒落である、ということだったんですね。

壱の蔵での昼食(要予約)後、近くの郷土館を覗きました。ここは株式会社小倉商店(本場結城紬織元)の運営です。若主人の話に拠れば、蚕にも沢山の種類があって、小倉商店では「朝日×東海」という蚕種を再興して、福島県伊達市保原の養蚕家に発注し、真綿になったものを仕入れているそうです。蚕種が違うと、紬の出来上がりが微妙に違ってくるとか・・ 

結城紬の場合、茹でた蚕から糸を紡ぎだすのではなくて、いったん真綿にしてから紡ぐので、空気を含んで軽く温かいのが特徴だそうです。蚕を育て、真綿にし、糸を紡ぎ、柄の設計に合わせて糸を染め、機織りし・・と、気の遠くなるような工程を経て出来上がる結城紬。値札に目が廻るほどの桁の数字が並んでいる理由が少し分かってきました。

結城紬は、作る人だけでなく、審美眼をはたらかせて買う人がいたからこそ続いてきたのでしょう。結城の街には蔵造りがあちこちに残っていて、豊かな土地だったこと、財産家が多かったことを証していると思いました。

Dscn2439郷土館の隣に醤油醸造の旧い看板が出ていまDscn2444
した。見上げると煉瓦造の煙突! 新しい設備が稼働していて、煙突は引退済みだそうですが、素晴らし存在感に声を上げて感動しました。

下館の板谷波山記念館なども見学し、夕方、無事に八郷へ戻りました。