みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

お雛さま

2014-02-26 18:51:43 | 文化

朝は霜白で寒かったけれど、すぐに気温が上がって、もう春!という陽気です。周りの木立でシジュウカラたちが、ツピー ツツピー と賑やかに囀っていました。

Dscn0371防寒ジャンパーは止めて、会津木綿の作務衣を羽織り、愛車で10分弱の中央公民館へ行きました。ロビーに飾ってあるお雛様に暫し見とれました。

Dscn0370伝統的な雛飾りの外、創作雛もありました。こんなに素敵なお雛様を作ってくださったのは、どんな方かしら? きっとお雛様と同様に、とても素敵な方なんだろうなぁ・・ 不器用な私は、そんな方に憧れます。


星状点

2014-02-24 19:21:34 | 健康・病気

毎週1回、柔道整復師の施術を受けています。腰痛が本当に治るのか、半信半疑ながら思い切って愛車で20分ほどの整復院へ初めて行ったのが1月14日。今日は7回目。

財布は大泣きだけれど、かなり軽快してきました。頭蓋骨から仙骨に至るまでの骨格を徐々に矯正することにより、神経への圧迫(=痛み)を緩和していく、という施術方針が、私の場合には適しているようです。

今日は、耳の後ろの方を横から圧す施術も受けました。頭頂骨と側頭骨と後頭骨とが交わる箇所で、アステリオン という部位だそうです。先生がおっしゃるには、頭蓋骨の一番大事なところ、と。そして私の頭蓋骨は、あっちもこっちも歪んでいる、と。何だか可笑しくて苦笑してしまった私でした。「だから人生を間違ってしまったんですね・・」と呟いても、先生は知らん顔です。

帰庵してからネット情報を覗いたら、アステリオンは別名が 星状点 。野ざらしの部位にしては、なかなか美しい名称ですね!


野焼日和

2014-02-23 19:51:03 | 暮らし

今日は日曜日。午前10時前からの野焼が始まりました。3週間前の日曜日も野焼でしたが、湿気が多くて燃えにくく、途中で雨も降りだして、焼き残したところがあったのです。2週間前も1週間前も週末は雪や雨で、2回目の野焼の日程は延期続きでした。

男性陣が火を点けると順調に燃え広がり、かといって燃え過ぎることもなく、風も無くて、まさに野焼日和です。

Dscn0362八十路の篤農の御夫婦も、都会から応援に来られた御子息と共に、棚田の土手状の畔を丁寧に焼いていらっしゃいました。焼き方にも人それぞれの個性が顕れるようです。

女性陣の三人は、のメイン通り沿いのゴミ拾い。人家から離れているところ、特に両側が藪のところのゴミの酷さにはうんざりします。男性陣も少し手伝ってくれました。

棄てられているのは、空缶、空ビン、ペットボトルや弁当容器等々。ゴミ入りのビニール袋や、吸殻を詰め込んだビン等には、もう怒りを覚えます。でも作業を終えて綺麗になった道を戻るときは気持良かったですよ。


初雲雀

2014-02-19 17:50:54 | 八郷の自然と風景

この冬は毎朝4時半頃に起きて、早めの朝食の後の1時間ほど読書。防寒野良着に着替えてからユキの散歩を30分ほど。そしてユキと鶏たちに給餌するのが8時頃というのが日課です。ちなみに夜は、とてもとても早く寝てしまいます。

今朝、ユキの散歩を終えて帰庵したら、頭上から賑やかなお喋りの声が降ってきました。雲雀(ヒバリ)でした。今季の初雲雀です。

Dscn0355_4

みつばやまの藪椿は例年より開花が遅れていますが、それでも少しずつ蕾の色を濃くしています。

Dscn0357裏庭のクリスマスローズも、株元の蕾が膨らんできました。

Dscn0358紫陽花は枯骨のようですが、先端の蕾には生命が漲って見えます。

Dscn0347_2右の写真は、ユキの散歩道から望む風景です。寒さの底を過ぎて、大気がほのかに春めいてきたように思います。


雪と嵐のあと

2014-02-15 18:50:56 | 暮らし

昨日の雪は積もらなかったので助かった!と思ったら、今日は未明から激しい雨風。気弱な私は庵内に籠っていました。ユキの散歩だけは頑張りましたが、怖かったです。

Dscn0341雨風が止むと、ジョウビタキが行動開始。私も出掛けることにしました。

愛車で郵便ポストまで。先日の俳句の会の欠席者数名へ、句会報を送付しました。

ポストのそばに無人の小さな精米所があり、雀が10羽ほど群がって周りの地表面を啄んでいました。米ヌカがこぼれ落ちているからでしょう。

なーんだ、雀かー と以前の私は馬鹿にしていましたが、素直に見れば濃茶のベレー帽は粋だし、胸の真白な羽毛はとても綺麗です。鳴き声もそれなりに可愛いし、何より群れの連帯感が素晴らしい。

Dscn0342愛車の中から撮ったのですが、撮った瞬間、パッと一斉に飛び去りました。カメラのシャッター音は小さく、かつフロントガラス越しだったのに。さすがに野鳥は敏感です。


懺悔道としての哲学 第六章 (田辺元哲学選 Ⅱ その8)

2014-02-15 07:54:15 | 仏教

第六章 親鸞の三願転入説と懺悔道の絶対還相観

 著者はまず、パスカルへの深い敬意を表白しています。信仰の超理性的性格を明瞭にし、人間理性の限界における慈悲恩寵の転換が、始めて人間を神の信仰に導くものなることを闡明した と。そして、懺悔は祈祷と共に彼の宗教的生活の基調をなした と。

しかしまた パスカルが清浄で高邁であったからこそ、懺悔道にまで進む必要がなく機縁がなかったのである といいます。

 ・・パスカルが人間存在の最高段階としたいわゆる慈悲恩寵の秩序(階域)なるものも、実は摂理の観念に属する思想的規定であって、・・それは・・自力念仏に相当する矛盾概念であると思う。何となれば・・自己の自力否定が直接に自力に由来するという矛盾に陥るからである。

パスカルが完全には脱しなかった自力思想の問題に触れるものとして、田辺元は、親鸞の「教行信証」にいう 三願転入 の教説を取り上げます。

この説は、親鸞自身の自力思想との苦闘を経て達した他力信心の立場からの時代批判であると同時に自督懺悔である、と著者は言います。

三願とは、阿弥陀如来の衆生救済の誓願四十八のうち、他力信心による往生を説く第十八願、自力修善による臨終往生を説く第十九願、自力念仏による往生を説く第二十願をいい、このうち第十八願が本願とされています。

第二十願は・・第十九願から第十八願に至る中間に立ち、すでに前者の自力修善に依る往生の矛盾を超えながら、しかも後者の念仏往生の他力行的媒介に達せず、単に観念的に思想の転換に止まるものとして、なお中間性を脱却しない。

しかもこの第二十願(自力念仏という思想)・・むしろ実際においては、かえって・・逆の方向たる疎外態として、・・前者(第十八願)から後者(第十九願の自力修善の契機)へ顚落する状態を意味するものというべきである。

これから救われる途は、不断の懺悔における他力行的転換媒介あるのみである。・・三願転入は全体として懺悔道に成立するといっても過言ではない。

15年ほど前、私は首都圏で働きながら通信教育で仏教を学んだりしていましたが、疑問と不安は一向に晴れませんでした。ある日、通りがかった寺の門前に「教行信証の勉強会」という掲示があるのに気付いて、躊躇心を払い、その無縁だったお寺の勉強会へ通い始めました。講師役の住職は、見識豊かで性格は柔軟、現代の寺としては異例なほど寺としての活動を幅広く活発に繰り広げている方でした。私の不躾けな質問にも正面から応えてくださいました。おかげで近寄り難かった教行信証の世界が、ほんの少しながら見えてきた感じがしました。

今回、田辺元のおかげで、親鸞聖人の三願転入の教説を、立体的かつ動的に再認識できたように思います。だからといって、私の生死に関わる疑問や不安が払拭できるわけでもないのですが。


炭焼小屋の吟行

2014-02-13 19:33:40 | 俳句

青空が広がった今日は俳句の会。8日の大雪による積雪は、ようやくながら大半が融けて、ところどころに白い斑模様を残す野を、乗合タクシーで吟行先へ向いました。

JAやさと の温泉施設 ゆりの郷 のすぐ脇の、破れかぶれのような掘立小屋、それが、現在は八郷でただ1箇所の炭焼小屋です。かっての八郷には百を超える炭焼小屋があり、茨城県内では最大の炭生産地だった、と会の長老が教えて下さいました。その頃の長老は、馬に炭俵を幾つか背負わせ、自分も背中に一つ背負って、山路を日に数回往復して日銭を稼いでいたそうです。

炭焼竃は土状のもので分厚くくるまれていて、触ると仄かな温もりがあります。通りがかった御婦人から、「昨日だったら焼いて煙を出していたから、いい俳句が出来ただろうけど。」と声を掛けられました。

Dscn0335小屋の真中ほどに裸電球が吊り下げられていました。夜も作業を続けなければならないときがあるのでしょう。

外周りには炭材となる榾が幾山も積まれ、小屋内には種々雑多な道具が置かれています。

     炭焼の小屋の物みな炭の色

Dscn0337午後の句会を終えて帰庵したら、裏山の小枝に野鳥が一羽、やや長めの尾を ピクン ピクン と強く振っています。鵙(モズ)でした。小さい野鳥だけれど動物食のためか、とても厳しい風貌をしていて、私には憧れの君のような存在です。


愛車を出す

2014-02-10 18:22:26 | 健康・病気

Dscn0333今日もせっせと雪掻き。整復院の予約日ということもあり、どうしても愛車を出せるようにせねば、と懸命です。

昼過ぎに愛車で出発。積雪や凍結がひどいところは雪掻き済みですが、まだ危なそうなところも多く、ローで恐るおそる進みました。何とか表通りに出ることが出来て、良かった!

整復院では1時間半余り施術してもらいました。雪掻きを頑張れたのも、この先生のおかげで腰痛が軽くなったからです。

「頭蓋骨と仙骨とを同時に圧すのは、どういう意味があるんですか?」と聞いたら、先生いわく「雑巾を絞るとき、どうしてますか? それと同じ。曲がってるのを治すんだから。」 更に続けて「(身体は)元々は一つの細胞だったんだから。頭とお尻も一緒だったんだから。」等々。先生の話は単刀直入かつ飛躍が縦横無尽というか奇想天外というか。実に面白く感じられるのだけれど、患者の立場上、私は笑わずに真面目な?顔のままで頷くことにしています。

帰路、スタンドに寄り道して灯油を買いました。当庵の暖房は灯油ストーブに頼っているのですが、在庫が僅かで心細かったのです。愛車を出すことが出来て、本当に良かった!

Dscn0330帰りの山路は、ようやく融雪が進んでいました。アオジに何度も出会いました。警戒心が強い野鳥で、人が近付くとすぐに藪へ逃げ込むのですが、今日はかなり近くに来るまで逃げません。雪が消えた地表附近で採餌している様子です。積雪が続いて採餌が困難だったのだろうと思います。

Dscn0332屋根の雪はずり落ち半ば。庭も菜園も未だ真白です。日常生活が戻るにはあと数日かかりそうです。雪国の人々の苦労は如何ほどか・・・


雪掻き

2014-02-09 17:38:37 | 八郷の自然と風景

Dscn0321昨日は大変な雪でした。そんな雪の中でもめげずに飛んできたのはヒヨドリ。鳴き声がうるさくて嫌われがちな野鳥ですが、こんな日に頑張っているのを見ると、偉い! と見直します。

今日は、雲間から日差しも届きましたが、足元の一尺ほどの積雪はなかなか融けそうにありません。

小型のスコップで雪掻き三昧の一日でした。細腕で腰痛を庇いながらの孤軍奮闘ですので、休憩を何度も挟みながらマイペースです。少し汗ばんできたのを快く感じました。

整復院の施術のおかげか、それとも作業に夢中になったためか、腰痛はあまり感じずに目標の範囲の雪掻きを終えることが出来て、ホッ。

Dscn0324_2枝々に降り積もった雪は、融け落ちやすいようです。そんな枝にツグミが飛んできました。野鳥の眼差しの真実に心惹かれます。それにひきかえ、都知事選で勝つらしいゾエ候補のギラギラした野心の塊りのような目玉にウンザリ。


死者と生者

2014-02-08 12:07:54 | 仏教

Dscn0315_2細かな雪が未明から、音もなく降り続いています。朝の犬の散歩を短めに終えてからは、外出の予定をキャンセルし、庵内に閉じ込もっています。蕾の色を深めている馬酔木にも、降り積もる雪の重さが増しています。昼前から風が出てきて、吹雪いてきました。雪景色は本当に美しいけれど、雪国や雪に慣れない都市等での被害が懸念されます。

東京新聞掲載の「浄土という問題系」(末木文美士 すえき・ふみひこ 1949~)、今日は3回目で「下」となっているので、最終回です。先週の「中」は、当ブログでの紹介は省きました。

哲学者の田辺元は、晩年「死の哲学」を説いたが、それは具体的には死者とどう関わるかという問題であった。

田辺は、死者との「実存協同」を説いています。

・・死者の生者に対する愛が、生者の死者に対する愛を媒介として働きかけ、そこに相互的な愛が同時に働き、死復活が実現するというのである。

死者の生者に対する働きかけを、私も実感するようになりましたが、「死復活」とまで言われると、ん?

・・死者の行き場としての浄土はどうなるのであろうか。今日、誰も浄土で蓮の花の上に坐って、歌舞音曲を楽しむことを、来世の希望などとはしないであろう。その点で注目されるのは、親鸞の浄土観である。

(浄土に往った人は)悟りの世界で安穏としているわけではない。死者はそこからこの世界に戻って、人々を救わなければならない。・・ (これを)還相廻向と呼ぶ。

それならば、死んで浄土に行かなければ、還相廻向は始まらないのであろうか。近代の真宗教学はそう考え、生者はひたすら阿弥陀仏の他力(=仏の力)にすがるだけだと説き、社会的活動を否定した。しかし、他力を受けることは、死者の還相廻向の力を受けることであり、それによって生者の社会活動も成り立つと考えられる。

還相廻向とは何かを分かりやすく書いて下さいました。でも最後の一文は・・

生者も死者も一体となり、仏の力を受けながら、菩薩としてこの世界を浄める働きに参加すること、それが本当の浄土ではないだろうか。

ちょっと粗っぽい文脈ですね。生者がいきなり菩薩になれそうな話になってしまって。それにしても、「本当の浄土」と隔たるどころか、地獄へ自ら突進しているような昨今のこの国・・・・・