滝上の御堂には一尺ほどの御不動様が祀られています。堂庇に千羽鶴が吊り下げられていました。色褪せて年数を経ている様子。何年もずっと祈り続けている姿に見えました。
鳴滝の霧に濡れしや千羽鶴
当ブログはOCNブログ人に拠っていますが、OCNブログ人が11/30で終了します(先般、この終了の通告をいきなり受けたときは仰天しました・・)ので、gooブログへ引越しすることにしました。みつばやま小零庵だより のタイトル等はそのままですので、引き続きお見守りいただければ嬉しいです。よろしくお願いします。
これから引越し操作を始めますが、無事に引越し出来るかどうか、ちょっぴり不安です。でも何とかなりますよね・・
久しぶりに茶道の世界を楽しみました。市の文化祭の一環として、石岡茶道会が市民会館の会場に席を設けて下さったのです。私は初参加。当地の某茶人が誘って下さり、御一緒して下さいました。
裏千家の薄茶席では、亭主役がお二人で、同時進行の御点前でした。お一人は逆勝手で、所作が対称的な形。正客もお二人で、両側にそれぞれです。こういうお点前を拝見するのは私は初めてで、目を見張ってしまいました。お二人が互に相手の動きに合わせながらの所作は、並大抵のことでは出来ないのではないでしょうか。素晴らしかったです。
一方の御点前の道具は和物(日本のもの)。他方の道具は外国の物という説明がありました。日本と外国。ややもすれば険悪な対外関係のこの頃、和物での御点前と外国物での御点前とが互いの動きを尊重し調整しながら進められる様子を拝見していて、何だか感無量の思いがしました。
床の間の御軸は、「心」の一字でした。互に心を通い合わせることについて、さりげなく触れられた高松宗枝先生に、深い敬意を覚えました。
台風19号が近付いていて、無事に開催されるか危ぶんでいた茶会でしたが、帰り道でもほとんど雨に会わずに済んで、良き日となりました。
台風19号が来る前の、静かな日曜日。愛車を駆って八豊祭(やっほうまつり)に初めて行きました。会場は朝日里山学校です。
一人で出掛けたのですが、会場で悪友?達と一緒になりました。冗談を応酬し合いながら会場を巡りました。
藁の縄や俵ぽっち(蓋)作り、陶芸や箸作りなどの体験コーナーでは、皆さん、オッカナビックリのような、楽しくてしょうがないような様子です。
お喋りで喉が渇いてしまって、「やっほうカフェ」のテントで悪友?たちはコーヒー、私はホットジンジャー250円を戴きました。生姜の風味が効いて満足!
教室を改造した仮設舞台では、素敵な演奏も繰り広げられています。午後には「移住女子の子育てトーク」なども予定されています。
搗きたてお餅の販売テントでは、威勢のいい男の子が大活躍。「若旦那!写真を撮っていいですか!?」と聞いたら、すぐさまOKマークを作ってくれました。小学4年生だそうです。
顔馴染みのスタッフがいるテントで手打蕎麦を戴きました。広場の真中には、青竹で仮設のジャングルジムが出来ていました。会場は予想以上に賑わっています。
主催の実行委員会は、若手の農業者が中心になっているようです。そんな若い世代のテントで、新米の塩むすびと玄米ポップコンをお土産に買いました。
そのテントから声を掛けてくれたお二人とは、数年ぶりの再会です。祭のスタッフとして、清らかな若さが輝いていました。若妻と可愛い幼な子たちも一緒でした。
庭の草花を投げ入れて床の間モドキに飾ったら、久しぶりに茶道の稽古をしたくなった。爽やかな空気のためか、気持よく独り稽古が出来ました。
かっての私は、人様から物を貰うのが苦手だった。物を呉れる人の気持が分からなかった。義理で仕方なく呉れたのか、そうでなければ何か下心でもあって呉れたのだろうか、などと疑った。人に物をあげるのも苦手だった。あげたり貰ったりするのは無駄なことのように思っていた。
そんな私の偏屈は、齢と共に多少の修正は経てきたが、大転換したのは当地への移住後だ。畑のものや手作りのものを戴いたり、着なくなった着物を戴いたり、旅の土産を戴いたり。戴くのが嬉しくてならなくなった。人に物を差し上げるのは、まだまだ苦手意識を抜け切れていないが、それでも、穫れ過ぎた野菜や烏骨鶏の卵を差し上げたり、戴き物をお裾分けしたり。
非常に御恩のある某婦人へ感謝の気持をどうしても表したいと思い立ち、先日、贈り物を送った。私なりに考えた上で選定した物だったけれど、お気に召していただけるかどうか、若干の不安もあって落ち着かなかった。
今日、その方から電話があった。いきなり「有難う!」と明るい声が受話器の向こうから飛んできた。そして贈り物が大変に嬉しかった理由を語って下さった。ドギマギした私がいつも以上に口籠ってしまったからか、「私が喜んでいる度合いは、たぶん korei さんが想像しているよりもずっとずっと大きいわよ。」と言われて korei の方こそ嬉しくて舞い上がりそうだった。
電話の後、ちょっとばかり涙ぐんでしまった。もちろん嬉し涙です。
今夜は皆既月蝕。お月様がまるで血豆のようになってしまった。地球人の罪を被っているかのように。
台風はまだ遠いのに、早くも降りだした雨の朝、白髪うっすらの好漢が運転する車に仲間と共に乗り、府中地区公民館へ。
恒例の俳句大会(主催:市文化協会&いしおか俳句同好会)です。開会は11時だというのに、10時前には百名ほどの参加者で会場が賑わっています。皆、俳句が好きでしょうがないんですねぇ。
初参加の私はキョロキョロ。自分を含めてほとんどが高齢者で、50歳代ぐらいの人が若々しく見えます。若い世代の俳句離れが進んでいるのは淋しいですが、若い人々が生き辛い世の中にしてしまったのは私たち高齢者の責任ですから、文句は言えません。
事前投句と当日句(席題「石」)の選句結果の発表と成績優秀者の表彰などが恙なく進みました。拙句の
どくだみの花や昔の夢灯す
自転車の父は吾を乗せ遠花野
石蹴の石ぽつねんと秋の暮
成績はサッパリ。読み直してみると、句に迫力がないですねぇ。やはり句は人を表してしまうんですね。
木村小夜子 先生(俳誌「ポプラ」主宰)の記念講演には聞き惚れました。80歳ぐらいにお見受けしましたが、お優しくも凛とした風格を発していらっしゃいました。「茨城ゆかりの俳人」と題して、松澤鍬江&平本くらら について語ってくださいました。
天秤の水平に耐ゆ油照り 小夜子
歳月は雛のうしろに置いてある 〃
開かれぬ聖書うぐいす鳴きはじむ 〃
海は炎天しんじつを語り合ふ 鍬江
金輪際いっぽんきりの曼珠沙華 くらら
3時過ぎに閉会して会場を出たら、土砂降りの雨。4時近くに帰庵。留守番の孤独に耐えてくれたユキが、ずぶぬれの体で飛び跳ねて迎えてくれました。
近所の御婦人お二人と共に愛車で10分ほどのスーパーへ。木曜日は全商品1割引なので、まとめ買いの常連客が多いようです。
常連客の中に、不自由な足を引きずりながら杖に縋り、よろめくように体を揺らして歩く男性がいます。60歳ぐらいでしょうか。ご自宅からの往復には乗合タクシー(市の補助により、自己負担は片道三百円。障害者は百円。)を利用されている様子。
この方と、秋刀魚の売場で出会いました。「秋刀魚の売場がいつもの場所と違う・・」(いつもの場所から2mほど移動していたのです)と、独り言のようでもあり、私に話しかけたようでもあり。
杖に寄りかかるように立っているその方へ、備えてあるビニール袋を渡しながら「秋刀魚は美味しいですよねぇ」と私。「(秋刀魚をビニール袋へ)お入れしましょうか?」と尋ねたら、「いえ、大丈夫です」と微笑まれました。そのお声が、傲慢でもなく、卑屈でもなく、実に爽やかでした!
親切の押し売りを断るのは、言い方が難しくてお互いに気まずくなることもありますが、その声と微笑の爽やかさに、私の心も久しぶりに爽やかになりました。