今朝7時頃、ヨタヨタしながら野良仕事をしていたら、裏山の木立から鶯が初音を聞かせてくれた。 オケキョ ケッ ケッ ケッキョ キョケッ たどたどしいが、まぎれもない囀りだ。でも暫くしてから今度は藪の中で ジャッ ジャッ と地鳴き。鶯も私も、冬と春を行ったり来たりの気分だ。
戦争やら環境破壊やらで人類は遠からず自滅するだろうけれど、野鳥たちにとって最悪の天敵である人間どもがいなくなったら、まさにこの世の春で、囀りも一段と美しく高らかに賑やかになることだろう。恐竜から進化したという野鳥たちは、多少の環境変化にも対応出来る生命力が備わっているのかも知れない。それでもいつか太陽系が滅びるときまでには、野鳥たちも他のあらゆる生物種も亡びる宿命ではあろう。
それにしても不思議に思うのは、恐竜の姿として想像されている絵などを見て「美しい」とは感じないのに、恐竜から進化したという野鳥たちの姿を見ると何故「美しい!」と感じるのだろうか? 美しいという感情の由来が不思議だ。
戦争やら環境破壊やらで人類は遠からず自滅するだろうけれど、野鳥たちにとって最悪の天敵である人間どもがいなくなったら、まさにこの世の春で、囀りも一段と美しく高らかに賑やかになることだろう。恐竜から進化したという野鳥たちは、多少の環境変化にも対応出来る生命力が備わっているのかも知れない。それでもいつか太陽系が滅びるときまでには、野鳥たちも他のあらゆる生物種も亡びる宿命ではあろう。
それにしても不思議に思うのは、恐竜の姿として想像されている絵などを見て「美しい」とは感じないのに、恐竜から進化したという野鳥たちの姿を見ると何故「美しい!」と感じるのだろうか? 美しいという感情の由来が不思議だ。