みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

薄暮

2014-05-29 19:51:52 | 八郷の自然と風景

田植えのときはかよわい早苗だったのが、この数日の暑さでしっかりした株に生長し、緑が一挙に濃くなりました。

畔草の繁茂も著しいので、村の篤農家は草刈機を丹念に掛けています。蒸し暑い中での長時間の作業は大変だと思います。

畔の除草は、田んぼへの雑草や害虫の侵入を抑制するのが主目的ですが、丁寧に刈られた畔と田の風景はひときわ綺麗です。田園風景の美は、自然と人手との歴史を重ねたバランスが醸し出しているもののようです。

Dscn0628薄暮のころ、田んぼ用水ポンプを止めるために愛車を駆りました。機場の空は、夕焼雲が刻々と色を変えていました。

Dscn0626 傍らの田んぼは、夕焼雲を映していました。

帰庵した頃には日はとっぷりと暮れて、ホトトギスが一羽、哀切な声で鳴きながら飛んでゆきました。


神の空

2014-05-25 21:06:41 | 俳句

今日の俳句の会は大洗方面へ。石岡市外へ出掛けるのは久しぶりとあって、朝から少々はしゃいだ気分です。バスの窓外には、早苗田や熟れ始めた麦畑や花を付け始めた馬鈴薯畑などが広がります。

     老童の遠足めくや薯の花

吟行先は大洗磯前神社。私は初訪問。鬱蒼と茂った椎の花の香に包まれています。創建は856年で、水戸藩主の徳川光圀・綱條(つなえだ)が再興。眼下に太平洋を見下ろす高台という抜群の立地です。

Dscn0613拝殿裏の本殿の茅葺屋根に見とれたりしていたら、突然、頭上に爆音。近くの百里基地の戦闘機のようです。

     神の空裂きし軍機や椎落葉

Dscn0610_2 拝殿の手前に、軍艦那珂忠魂碑 が建っていました。軽巡洋艦の那珂は1944年2月17日、米軍のトラック島空襲で撃沈。乗員240人が戦死しています。

    黒南風や軍艦那珂碑の礎の亀裂

       黒南風(くろはえ):
       陰鬱な空模様の時の湿った南風

米軍がトラック島空襲を準備しているのを知った日本海軍は、2月4日、トラック島に集結させていた連合艦隊の主力艦を退避させました。後には、事情を知らされないままの(軽巡洋艦那珂を含む)補助艦や民間輸送船が残り、10日余後に戦死者7千人規模の大惨事へ。

空襲時には生き残れた人々も、補給路を断たれた島で飢餓に襲われることに。

軍艦那珂にまつわる人々の運命を思うと、戦争の現実の凄まじい醜さと恐ろしさに絶句する外ありません。


植田雨

2014-05-21 15:11:17 | 八郷の自然と風景

未明からの雨が、一面緑となった野山や田畑を潤しています。

Dscn0608Dscn0605 ユキの散歩に雨合羽を着ました。これまでは男性用Sサイズを利用していたのですが、どうにも着心地が悪かったのです。最寄りのカインズで先日、女性用の雨合羽を見つけたときは嬉しくて、真っ赤な色に躊躇はありましたが、思い切って買いました。この齢になると、赤色系を身に付けた方が精神的にも良いようです。

午前10時前、小紋の着物に雨コートを羽織って、茶道の稽古へと愛車を駆りました。

担当している田んぼ用水ポンプの運転は、降雨のためお休み。機場のゲートは昨夕の内に開けておいたので、万一大雨になっても用水路が溢れる心配はありません。心置きなく茶道の世界に没入できます。どしゃぶりの往路は、車にとっては少々酷でしたが。

稽古は、久しぶりの風炉の唐物。茶室の程よい緊張感が私は好きです。同じ時間帯の弟子仲間は10人ほど。教える先生は大変な筈ですが、いつも悠然として、時折ジョークも飛ばす先生です。

緑雨の中の帰途、前方の植田にいる白鷺の傍らに、黒っぽい半纏の両腕を左右に広げたような一羽が目に止まりました。オヤ?と愛車を道端に停車。アオサギにしては黒っぽ過ぎるし、首が短い。第一、鷺だったら半纏のような恰好を保ったりはしない。カワウ(川鵜)です。

降雨で水量を増した用水路に潜り、小魚を捕っていたのでしょうか。八郷でカワウに出会ったのは初めて。八郷で私が出会った野鳥は、これで60種。以下の通りです。

スズメ ホオジロ カシラダカ ミヤマホオジロ ヒバリ アオジ クロジ ノゴマ ルリビタキ ジョウビタキ サンコウチョウ カワラヒワ ウソ イカル ムクドリ エナガ シジュウカラ ヤマガラ メジロ ツグミ シロハラ アカハラ トラツグミ ウグイス センダイムシクイ エゾムシクイ セッカ キクイタダキ モズ ヒヨドリ イソヒヨドリ ハクセキレイ セグロセキレイ ツバメ コゲラ アカゲラ アオゲラ カワセミ ツツドリ ホトトギス カッコウ キジバト カケス ハシボソガラス ハシブトガラス タシギ ヒクイナ ケリ カルガモ ハシボソミズナギドリ コサギ アマサギ アオサギ ゴイサギ カワウ コジュケイ キジ フクロウ サシバ オオタカ


キャベツ

2014-05-20 19:32:29 | 菜園

野山は万緑となり、ホトトギスが盛んに鳴く季節となりました。

当菜園の野菜たちもグングン育ってきました。今季は特にキャベツが上等。大きな球がはち切れそうに巻いています。

Dscn0596キャベツは生のままでももちろん美味しいけれど、私は炒めるのが一番好き。旨味が濃く出るので、スープの具にするときも炒めてから入れます。

こんなに美味しいキャベツを、愛する人と共に育て、共に料理し、共に食することが出来たら素敵だろうなぁ・・なんて、年甲斐もない、柄にもないことをフッと想像した自分に苦笑。


急坂

2014-05-16 19:52:18 | 社会

アベに率いられて、この国は戦争への急坂を転がり落ち始めています。

Dscn0588 そんなことはない、国民の多くは戦争を望んでいないのだから・・ と思いたいのですが、はたして、私たち国民の心情の現実は戦争から遠い、と言えるでしょうか?

この国には、中国と韓国の人々に対する侮蔑の心情が蔓延しています。日頃は敬愛している知人でさえも、こと中国・韓国の話になると、侮蔑の表情を露わにされることが多く、胸の塞がる思いがします。

侮蔑の心情は、いったん事があれば、憎悪と排斥と攻撃の心情へ転化します。そうした国民の心情は、戦争をしたくて躍起になっている権力の意志と共鳴し、結びつき、一体化するでしょう。そこに、戦争を遮るものは何もありません。

誰しも、己が心に善悪の二面性を持っていると思います。私自身を含めて、自尊他蔑の心情を持たない人はいないでしょう。その他蔑の心情を、中国と韓国へ振り向け、焚き付けているのは、メディアです。

中国と韓国の人々へ、同じ人間としての思いを致す努力をしようとしても、もう時すでに遅し、でしょうか・・


逝きました

2014-05-12 19:19:35 | 生死

寝たきりの重態が続いていた矮鶏のウララが・・・逝きました。

可愛い雌鶏でした。産卵期になると鶏冠が真っ赤になって、色っぽさが際立ち、雄鶏に求愛されると素直に応えていました。母性も豊かで、抱卵期にはひたすら巣籠りし、ヒヨコが生れると懸命に護り育ててくれました。

亡骸となったウララを暫し胸に抱きしめました。それから、庭の合歓の木の根元に埋葬しました。私も、死んだらこの合歓の木の根元に骨灰を撒いてもらったらいいかなぁ・・と想ってしまった自分が不思議です。


母の日の古傷

2014-05-11 19:11:15 | 家族

真っ赤な郵便局の配達車が庵前に止まり、いつもとは違う配達人が、何だか嬉しそうにニコニコして届け物を私に渡してくれた。送り主欄に息子夫婦の名前がお嫁ちゃんの字で書いてある。今日は母の日。

母の日を素直に迎えられる人って、そんなに多くはないのでは?

息子と亡娘の母としても、母なるヒトの子としても、私にとって母の日は浅からぬ古傷が容赦なく疼く日でもある。

それでも、お嫁ちゃんの心遣いによって傷の痛みが少しずつ緩和してきているのを感じる。有難いことだと思う。


碧眼の上棟式

2014-05-09 19:33:05 | 暮らし

近所の上棟式に招ばれました。

Dscn0570施主は、まだ青年と言ってもよいほど若々しい碧眼 。奥様は黒瞳。

御夫婦と共に、集まった村の方々とのお喋りが盛り上がりました。

躯体工事は工務店が請負っているけれど、仕上工事は御主人とそのお父様の二人で作業予定とのこと。

大工さんだというお父様は、夏頃、海の向こうから初来日されるとか。お会いするのが楽しみです。


花籠の優しさ

2014-05-08 19:31:00 | 暮らし

Dscn0563Dscn0561 小さな花籠を友人から贈られました。可憐な花やハーブの彩の良さに見とれ、更に、手作りの籠の材料は荷紐、と聞いて感嘆しました。この花籠から、私が忘れがちな優しさを受け取りたいと思います。

Dscn0567 先日、キンタロウの攻撃からの避難のため、やむなく鶏舎から出したタロウは、鶏舎周辺での暮らしがそれなりに安定してきました。

Dscn0558 不器用な私が手作りした古い巣箱を再登場させました。夜はタロウの寝室になります。雨よけに瓦を2枚載せました。昼間でも雨風のときなどは、この巣箱に入っています。

矮鶏のウララは重態が続いています。何日も病魔に耐えているウララ・・ チャーミングでお洒落で母性ゆたかで活力あふれるウララにもう一度戻ってほしい・・