みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

内山節著(創造的であるということ~上)「農の営みから」

2015-07-30 14:47:13 | 
内山節(うちやまたかし 1950~)の本を初めて読んだ。社団法人農山漁村文化協会 2006発行   心静かにさせられる良書だと私が思うのは、八郷での農的暮らしの実感と照応するから。



ヨーロッパの庶民がキリスト教徒化していくのは、宗教改革が始まった頃から、といっても言い過ぎではないのです。つまりそれは(農村的な)循環系のなかで暮らしていた人々が(貨幣を軸にして展開する生活のなかで)個人になっていく過程と重なっており、この生活の変化、精神の習慣の変化を受けて、神の前に立つ個人というキリスト教的な人間観が力をもつようになっていったのです。

<個人主義は上品な利己主義であり、利己主義は下品な個人主義である>(トクヴィル)

ヨーロッパの思想史は一面では近代的個人の誕生を祝福しながら、他方では個人の現実の前で挫折感を表明してもきたのです。

日本の人々にとって一番幸せな労働は、修業と貢献という一連のプロセスが成立していて、しかもこの過程のなかで生活も成り立ち、一定の富も得ることができる、というものではないでしょうか。
 
私にはこの精神の習慣は、基本的には農村社会が育んだように思えます。なぜなら農民の営みは、とりわけ地域の自然体系を上手に利用して地域の協同性に支えられながら暮らしていた間は、農地を含む自然に対しても、地域の営みを維持していくためにも、実に多様な能力が要求されたのであり、その能力を身に付けることが一人前になることである以上、労働をとおして「修業」していくことはどうしても不可欠だったからです。それとともに、その「修業」を支えてくれた自然と人間の風土に貢献していく人がいなければ、農村を維持させる様々な要素を継承させていくことは出来なかったからです。

家族のなかで、友人のなかで、地域や社会のなかで、自然と人間で、私たちは日々関係を創造しながら何かを作り続けている、こういう(広義の)労働の世界が見えなくなってしまったために、たとえば定年後の労働が分からなくなり、それが恐ろしいものに感じられたりする、いつの間にか私たちはそんな精神の習慣をもつようになってしまいました。

知性というかたちや論理というかたちで現われてくる思想を人間が頼りにする時代は、不幸な時代だと私には思えます。「場所」を喪失しているか、人間たちが技や知恵や判断力を失っているか、どちらにしても自分の存在する「場所」における日々の営みのなかで自然に思想を表現していくことが出来なくなっているから、人間は「場所」のない知性や論理に頼る、私にはそう思えるのです。

私たちの営みの深いところに思想がある。その思想はもっともっと深めていってもよい。そしてその思想が表面にあらわれてくるとき、思想は技や知恵や判断力といったものと結ばれている。

心の底が波打って

2015-07-22 22:02:35 | 仏教
明圓寺で「歎異抄」の勉強会がありました。前回は序章、今回は第1章です。歎異抄、とりわけ第1章は読むたびに心の底が波打ってくるような思いがします。どうして?と言われても上手く説明できそうにない、不思議な感慨です。

 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益(りやく)にあずけしめたまうなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重・煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆえに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々

某寺の住職である講師の、誠実なお人柄がにじみ出るようなお話には、ヘソマガリの私も素直に耳を傾けています。用意して下さった資料も真心がこもっている感じがします。幾つかの詩も引用されていました。

                回心
                                浅田正作

          自分が可愛い
          ただそれだけのことで
          生きてきた
          それが 深い悲しみとなったとき
          ちがった世界がひらけて来た


阿弥陀とは、無量光や無量寿の徳を持った如来さまがいらっしゃるということではなく、すべてのものに無量光、無量寿の徳を成就しようという誓いの名である、という。 いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、心もおよばれず、ことばもたえたり。 と親鸞聖人はおっしゃっている。禅宗などでいうところの「無」とか「空」とかの概念に近いようにも思う。ただ、「無量光」や「無量寿」(寿=いのち)と言われたときの印象は、「無」や「空」と言われたときのとりつくしまもないような困惑とは一線を画しているようにも思う。
                                     

秘密

2015-07-19 19:52:32 | 自分史
ほとんど誰にもあることだと思うが、自分の経験や思考や感覚などの内、人に話すことが出来ない部分が私にもあって、それは齢を重ねると共に増えていき、或いは自覚化する。もちろんブログにもその内容は書けない。要するに「秘密」ということだが、甘ったるいような遊戯的な語感のある「秘密」では表現しきれない場合が多いが、他に適当な語が思い浮かばないので、取り敢えず「秘密」と言っておく。

そうした「秘密」が最近になってまた一つ生じた。全く予期していなかったことだ。毎日、幾度もその「秘密」のことを考える。考える、と言っても、その考えはほとんど発展しない。同じことを幾度も幾度も考えている。繰り返し繰り返し感じている。必然的に他のことを考えたり感じたりすることが少なくなっている。ブログの更新も進まなくなった。

「秘密」に囚われてしまったような心身を、無理にでも整えなければ・・みたいな気持で、今日は茶道の稽古に出掛けた。代稽古の先生は「卯の花点前」(茶箱点前の一種)と「茶碗荘(かざり)」を指導して下さった。御指導の内容は厳格なのだが、先生の雰囲気は優しくて根気強い。尊敬の念を私は深めている。このほど水屋周りなどの改修工事も実現され、稽古をするのに便利で快適な環境を整えて下さった。

いつものことながら、茶道の世界に入っているひとときは別世界だ。例の「秘密」のことも暫し忘れることが出来た。

裏山

2015-07-11 07:53:06 | 俳句
ささやかな裏山ですが、小鳥たちの声を聞きながら犬の散歩をしたり、菜園の支柱用に篠竹を刈ったり、私の暮らしにとって大切な場です。

              
              群れぬてふ狐や夜を遠く啼く

              うさぎ出て小尻撥ねゆく薄明り

              狸追ふ狸ころころ土筆原

              仰向けの出羽順禮碑あけび咲く

              尾を曳きて老狐とぼとぼ春の山
 
              古草へ総身埋め狐果つ

              裏山を越え来て賜ぶや初胡瓜

梅雨狭間

2015-07-07 22:20:08 | 俳句
来る日も来る日も雨、雨、雨・・ ところが今日は梅雨狭間というか、ほとんど降らない。俳句の会の私たちを、お天気が見守ってくださっているかのよう。皆ニコニコ顔で乗合タクシーに乗って吟行先へ向かいました。

吟行先は、数年前まで「恋瀬ほしのみや幼稚園」があったところです。地名は「大増」ですが、「大塚」との境付近ですね。筑波山系の丸山の中腹に位置して自然ゆたかな環境ですが、自然災害の危険性や通園の便宜の問題などがあったからなのでしょうか、平地の「宇治会」(うじえ)に移転しています。園舎はそのまま残っていました。



園舎の裏側(上側?)の、一見すると別荘のように見える施設は「恋瀬ほしのみや幼稚園」の林間学校「ことりの森」で、これは移転せず現役です。



傍らには沢があり、澄んだ水が勢いよく奔り、岩にぶつかり、もつれ合い、響きを高鳴らせています。

   

沢岸近くの地面のあちこちに茸が出ていました。それぞれの茸たちの独特の姿に魅入られてしまいました。

      

ここかしこに小さな白い花が咲いていました。葉は玉竜に似ているけれど、違う種類のようです。



       地の花は星屑めくや木下闇

   

息子もお嫁ちゃんも

2015-07-06 17:45:17 | 家族
毎日毎日しとしとしとしと雨が降り続いて、庭も菜園も家も野山も何もかも濡れ尽しています。



そんな雨を潜り抜けるようにして息子夫婦が久しぶりに立ち寄ってくれました。息子もお嫁ちゃんも元気な様子だったので安堵しました。仕事が忙し過ぎてバテているのではないかと少々心配だったので。

日頃私がお世話になっている御近所等へ一緒に挨拶まわりしました。私の身に何かあって息子夫婦が来るというような場合に、先ず頼りになる方々ですから。これも私の「死ぬ準備」の一種かな?


死ぬ準備

2015-07-03 09:45:17 | 生死
身も心もシトシトと濡れていくような梅雨らしい日が続いている。当庵の門前には、黒塗り鉄製の郵便受が雨を被りながら立っている。

昨日、郵便受に「・・・さんを偲ぶ会」の案内状が届いていた。・・・さん(当記事では仮にX氏としよう)は、首都圏で現役時代の私が仕事上大変お世話になった方だ。現役時代のネットワークからは私はもうとっくに足を洗っていて、ごく一部の方々と年賀状を交換しているぐらいだが、X氏はその一人。今年の年賀状には「ほどほどに元気です」と書いてあったのに・・



久しぶりに現役時代を回想した。それなりに仕事を楽しんでいた私。柔軟な頭脳と明るい人柄のX氏に相談しながら、新しい仕事の方法を試み、実現していた時代。今思えば、浅薄非才の自分を曝していたような気もするけれど、捨て難い人生の一角の思い出ではあるのだ。

一人きりでX氏を偲ぶには限界があり過ぎる。今朝、思い切ってY氏に電話した。X氏と同様にお世話になった方だ。X氏の死因が分かった。スポーツ中の事故だった。

Y氏もX氏と同年齢。加齢と共に病気も増えてきたし、公職のほぼ全てから退いて身の回りの整理に努めているという。要するに死ぬ準備だ。Y氏は名家の家系でもあり、歴史的に貴重な品々の公的機関への寄贈を検討しているとのことだった。家系などとは無縁で根なし草のような私は、死ぬ準備をするのも気楽と言うべきか?