みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

笠間の菊まつり

2011-10-30 18:31:41 | 俳句

Dscn2094_2 た。華道家の假屋崎省吾氏の作だそうです。

早めの七五三の御家族も見掛けました。着物姿がとても可愛くて、本 人も嬉しそうです。

広い境内に沢山の葭簀囲いが続き、その中に大輪も中菊も小菊も盆栽も、そして様々の色彩の菊花が所狭しとばかりに飾られていました。

本殿の向こう側には菊人形館があって、NHK大河ドラマ「江」を題材とした華やかな展示でした。入場料八百円を超える値打ちがあると思いましたよ。

   懸崖の端まで凛と小菊たち       小零

   着せ替えの菊こぼれけり菊人形     〃

   背飾りの紐弾み揺れ七五三        〃


涙と怒り再び~児玉龍彦氏

2011-10-28 15:13:50 | 原発

「福島の放射能被害を考える有志議員」による放射能除染についての勉強会が、10/25、議員会館内で開かれ、あの児玉龍彦氏(7/27衆議院での参考人としての意見陳述が感動的でした)が、再び涙と怒りの・・7/27よりも抑え込まれ、それだけにより深い精神が切々と伝わる・・発言をして下さいました。

児玉龍彦氏については、反原発の姿勢を明確にされてないことなどに疑問を感じている私ですが、今回の動画を視聴して、被災者のために科学者として全力を尽くしている氏の生き方に改めて心からの敬意と感動を覚えました。

勉強会のテーマは「除染」ですが、児玉龍彦氏は除染にとどまらない根源的なテーマにも踏み込んで訴えています。

氏はまず、東京での議論は現実の福島を見ていない、福島の現実に正面から向かい合う事を抜きに、日本の未来の礎を作ることは出来ない と述べています。

原子力委員会についても言及し、事故勃発前の原子炉の危険性評価に失敗し、事故後の初動調査に失敗し、SPEEDI開示に失敗した。直ちに差し替えて、復興と除染に責任を持ち、住民のために働く専門委員会を作ってほしい と訴えています。

涙で声を詰まらせながらの結びの言葉にも私は胸が一杯になりました。 これからかなりの町の住民は、やはり(住んでいた町へ)復帰しないという、復帰できないという決断をしなくてはならないと思います。その時に、(被災者の)家庭と地域と社会を、全ての日本の皆さんで支えるという事が新しい日本の出発に絶対に必要だと思います。よろしくお願いしたいと思います。

動画の音声は 01:02 頃から始まります。


秋麗の日

2011-10-27 14:13:26 | 八郷の自然と風景

Dscn2085 ひとかけらの雲もない久しぶりの晴天です。野には千草の花々が満ちあふれ、山並みはうっすDscn2089 らと色付いてきました。梢の鵙が啼き、尉鶲(ジョウビタキ)がオレンジ色の羽を輝かせながら庭先にやってきます。まさに秋麗の日です。

紫式部の実はその名の通りに染まりました。当庵の柿の実は残りわずかになりました。人間の口に入ったのが2割、鴉の口に入ったのが8割ぐらいでしょうか。

薩摩芋、落花生、大豆、小豆などの収穫がほぼ終わり、これから来春まで葱や人参などを少しずつ収穫していきます。大根も急成長してDscn2078 きました。もうすぐ白い首根が覗いてくるでしょう。

種蒔き3回目のターサイも無事に発芽しました。野菜の種は数回に分けて、出来るだけ時期を変えて蒔くようにしています。リスク分散と収穫期Dscn2079 間を長くするためです。

Dscn2083_2 菊の花ももうすぐ咲きそうです。一番早く咲くのはモッテノホカのようです。食用菊の中でも特に美味しく、しかも鑑賞用としてもピンクの優しい色Dscn2086 が素敵な花です。

茶庭の山茶花も静かに咲き始めました。


チェルノブイリの真相~ある科学者の告白

2011-10-21 20:23:47 | 原発

チェルノブイリ原発事故調査委員会の中心メンバーだったワレリー・レガソフ氏は、危機の中で事故収束へ尽力した科学者ですが、2年後に自殺しました。

”チェルノブイリの真相~ある科学者の告白”は、イギリスBBCがレガソフ氏の遺した回想録をもとに制作したドキュメンタリードラマ(2006年)です。

チェルノブイリの事故のことを私は知っているつもりでしたが、この映画は衝撃的でした。特に、原子炉の下の大量の水を抜くために決死隊が潜ってバルブを開かなかったら、水蒸気爆発が起きて世界中が深刻な放射能汚染に見舞われたであろう、ということを私は知りませんでした。福島原発事故について、小出裕章氏が当初から水蒸気爆発の危険性を再三警告されている意味を、あらためて考えさせられました。

人間のありかた、そして国家のありかたを真摯に問う必見の映画だと思います。(動画は1/4~4/4のPARTになっています。)


自己実現 その2

2011-10-19 17:35:53 | 

自己実現という言葉の意味を、自分の希望や理想を実現する、とか、自分の可能性や能力を十分に発揮する、というイメージで私は捉えていました。前回の記事で紹介した渡辺京二氏の 自己実現?それは出世主義のことでしょう という発言の中のその言葉も、同様の趣旨で使われていると思います。

ところが、あのユング(1875~1961)が規定する「自己実現」の意味は、これとは様相を異にしているのを知りました。河合隼雄(1928~2007)著「ユング心理学入門」(1967初出)には、次のように述べられています。

Dscn2069 個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめる努力の過程を、ユングは個性化の過程、あるいは自己実現の過程と呼び、人生の究極の目的と考えた。

われわれの意識の状態が一つの安定したものであっても、それを突き破り、そして結局は高次の統合性へと導く過程が、われわれの心のなかに生じてくる。

その意識を超えた働きの中心として、ユングは自己なるものを考えたのである。 自我が意識の中心であるのに対して、自己は意識と無意識とを含んだ心の全体性の中心である と考えた。

自己実現の過程において自我と自己との対決の問題に直面するときは、その人にとって最も危険なときであるとさえいえるだろう、と著者は警告しています。

(心理療法にたずさわるものとして)人間の成長の可能性への信頼をもつことは非常に大切であるが、自己実現に伴う危険性と苦しみをよく知っていることも必要なことであると思われる。

自己は意識と無意識の統合の機能の中心であり、そのほか、人間の心に存在する対立的な要素、男性的なののと女性的なもの、思考と感情などを統合する中心とも考えられる。

河合隼雄は 嘘は常備薬、真実は劇薬 という言葉を残しているそうです。嘘が嫌いな私としては素直に受け入れ難いのですが、一理あるとは思います。そしてこの本によって、今まで敬遠していた心理学へ、大いに関心を高めることができたのも事実です。


自己実現 その1

2011-10-18 15:37:37 | 文化

10/18付東京新聞文化欄に、三砂ちづる氏(1958生 津田塾大教授)が渡辺京二氏(1930生)との対話について書いています。そこに引用された渡辺氏の言葉に私の目が止まりました。

「自己実現?それは出世主義のことでしょう。

現役時代の職場研修でよく聞かされ、私もまた後輩たちに語っていた「自己実現」。それこそが仕事への意欲の源泉であるとされていました。その言葉の欺瞞性が、渡辺氏によっていとも簡単に喝破されています。

Dscn2067_2 続いて三砂氏の言葉です。

グローバルに活躍せよ、社会に貢献できるような人間になれ。それはもはや<自己実現イデオロギー>といってもよいのではないか。そういうことを人生の理想としていると、就職活動に失敗したら、世の中は終わりのような気がしてくる。自分は社会から求められていない、と思ってしまう。

再び渡辺氏の言葉。

「社会とはそんなものではない。社会がどうであろうと、自分は生きたいし生きてみせる。」

「社会は正義の権化ではなく、もっとでたらめでいいかげんなものだ。社会が立派なものでないからこそ就職難も出てくる。人類としての問題も出てくる。人間がどうやって生きていけばよいのか、問いが出てくる。」

生きよ、とこの宇宙、この自然がいっている。との渡辺氏の言葉には十分に納得できます。しかし、社会がどうであれ、まず自分がしっかり生きることだ、という氏の言葉は、若者への貴重な示唆である一方、社会の現実に苦しむ若者の心に本当に届くだろうか、という疑問も感じました。社会がどうであろうと、とは、結果的に社会の側の責任を匿す恐れがあると思うのです。


病み上がりですが

2011-10-16 14:35:02 | 健康・病気

昨朝いつものように犬の散歩へ出ましたが、体全体が重いのです。前夜からの腰痛も不愉快です。そのうち鼻水が頻りに出るようになりました。持病のアレルギー性鼻炎の症状とも違うので、ようやく「風邪」だ、と気付きました。

真昼間に数時間、蒲団にくるまって休みました。汗がびっしょり出て夕方近くに起き上がったら、憑き物が落ちたように身が軽くなったのを感じました。体力に乏しい方なので薬に頼りがちな私ですが、今回は自力で治るかも・・と思い、常備薬にも手を出さないまま、夜の睡眠時間もたっぷりとりました。

今朝は快く目が覚めました。腰痛も鼻水も止まりましたが、犬の散歩に出ると体が少しだるいのに気付きました。まだ無理は出来ないのだと思いました。犬の散歩は健康診断の効果がありますね。犬のジュンは、遅れがちな私の歩みに合わせてくれました。

少し迷いましたが、予定通り愛車で15分位の 栗の家骨董市 www.kurinoiekottouichi.com/ へ行きました。大勢の骨董商が店を出していらっしゃいます。私のお目当ては、何度か着物類を選んだことがある若い女性骨董商の店だったのですが、見当たりません。経営が行き詰まったのかしら? それとも風邪でも引いたのかしら? もしかしたら大震災で被害でも・・・ 心配です。

やむをえず別の店に入りました。良い品物が揃っているのですが、ここの女主人はいつも冷たそうな眼差を向けるので敬遠しがちだったのです。恐る恐る?声を掛けたら、なかなか親切丁寧にアドバイスしてくれましたので、意外やら、有難いやら。人間性の判断・評価はこの齢になっても難しいものですね。帯揚と帯を買いました。とても気に入った色模様です。新品で買ったら10倍以上の価格だと思います。

骨董市の広場の一角でギターの演奏会が始まりました。椅子が並べられていたので、病み上がりの体を休めがてら暫く聴かせていただきました。本格的な力演で素晴らしかったです。


美味しいけれど

2011-10-11 09:57:44 | 原発

Dscn2063 いも堀りの季節です。当菜園の今季のサツマイモは、お店で普通に販売されているものの数倍の太さで、ちょっと辟易するほどです。暑い夏でしたし、雨も多く、水はけも良く、元肥の自家製落葉堆肥もほどよく効いたのでしょう。掘り出したイモは天日に当てると甘味が増します。

根菜類、特にサツマイモは土壌中の放射性セシウムを吸収しやすいそうですが、私のような高齢者は被曝による発癌率が低いですし、大地の恵みを有難く戴くつもりです。同じく吸収率が高いブルーベリーについても、当庭の実を美味しく戴き終わりました。

でも、もし当地より放射能汚染がひどい地域、福島や近県のホットスポットで菜園を営んでいたとしたら・・ その作物を食するか否か、苦悩しているだろうと思います。まして、農業で生計を立てていたとしたら、どんなに辛いことか。

反原発の良心のひと小出裕章氏は、 子どもたちの被曝を減らすために私が提案したいのは「大人や高齢者が汚染された食品を積極的に引き受ける」ことです。(著書「原発のウソ」より) と言います。氏のこの提案を最初に見たとき、私は目を疑いました。原発の危険性を40年間訴え続けた方が、放射能汚染されたものを食べるように勧めるとは! と。

その後、小出氏の発言を見たり聞いたりしているうちに、氏の提案は、人の生き方の根本を問うテーマだと感ずるようになりました。だからといって、十分に納得できたわけではないのですが。

皆さんは「原子力のことなんて何も知らなかった」「自分には何の責任もない」「安全だと言ってきた政府と電力会社が悪い」と思うかもしれません。しかし、だまされた人にはだまされた人なりの責任があります。もちろん政府や電力会社の責任は重大ですが、今日まで原発を容認してきた責任というものが私たち大人にはある。

私たちはエネルギーを膨大に使える社会があたかも”豊か”であるかのように思い、地域の農業や漁業を崩壊させてきました。その象徴が原子力だと私は思います。その原子力が事故を起こした現在、さらに農業と漁業を崩壊に追いやってしまえば、事故から何の教訓も汲み取らないことになります。

被災地の一次産業を守るべき、という気持は尊いけれど、高レベルに汚染された地域については、除染も困難ですし、やはり無理だろうと私は思います。しかし今後さらに原発事故が続発して、日本列島全体が高濃度に汚染されたとしたら・・小出氏の提案をそのまま受け入れることになるかもしれません。

小出氏は、食品の汚染度を表示したうえで、 自分の被曝を容認するかしないかは、自分で決める ことが出来るようにすべき、とも言っています。これは納得できますね。


中沢新一への疑問

2011-10-06 14:30:00 | 八郷の自然と風景

Dscn2054_2 久しぶりの雨でした。夜通しの雨音の中、軒下あたりで鈴虫が一匹だけ繰り返し鳴いていました。高音だけれど細くて、希望と絶望がないまぜになったような響きでした。

Dscn2058 返り咲いてくれました。

今日の東京新聞は、第1面のトップに中沢新一を大きく取り上げています。

 日本に「緑の党」のようなものをつくろうと思います。11月にも政治団体の届け出をするつもりです。綱領の柱に脱原発を掲げ、できるだけ速やかに地震列島の原発を廃炉にしていかなければならない。それとともに、一次産業に焦点を当てて、新しい生活様式について提案していきたいと思います。

反原発の良心のひと小出裕章氏は「政治は大嫌いです。」とおっしゃいます。そのお気持は分かるとしても、原発は政治が変わらなければ無くならないのも確かでしょう。この点で中沢新一の発言は時宜を得たもののように感じました。

Dscn2057 しかし中沢新一はかって、オウム真理教の浅原彰晃を擁護していた人です。そのことへの反省の弁もないままのようです。また脱原発について、これまで発言し行動してきた実績がある訳でもないようです。

過去がどうであれ、今、著名な方々が脱原発のために発言し行動してくださるのは、とても有難いことだと思います。だから中沢新一の今回の発言も、有難く受け止めたいと思う一方、脱原発の行動の実績を伴わず、過去への反省もない氏には、リーダーとして人々を牽引する資格を欠いているのではないか、とも思うのです。


漱石の服装

2011-10-03 19:00:55 | 仏教

亀井俊介氏(1932~ 比較文学)が岩波の「図書」10月号に寄せた 洋服の漱石、和服の漱石 を興味深く読みました。

松山での中学教師時代も、高浜虚子によると、そのきっちりした洋服姿は正岡子規のぞんざいな和服姿と好対照をなしていた。

そして母校の英文学講師になると、そういう洋服姿で白いハンケチやカフスをやたらと目立たせ、学生に「きざな誇学的偽紳士(ペダンティック・スノブ)」と悪口される有様だった。

だが、「吾輩は猫である」によって学者から作家への転身を果たすと、彼のイメージは和服が似合うようになる。

そして「猫」でも「坊ちゃん」でも、洋服は激しく罵倒される。

気張って着ていた洋服を脱ぎ、洒脱な和服姿になったことは、漱石にとっては自己解放を意味したかもしれない。しかしでは和服で自由になり切ったかというと、そうでもない。晩年になっても「美服は好きである」といって、彼は服装にこだわり続けるのである。

服装は自己を表現する主要な方法の一つとすれば、夏目漱石(1867~1916)が服装にこだわり続けたのは、自己に拘り続けた証しとも言えそうです。個人主義的近代人の先駆者として、漱石は強い自我意識を持ち、自我に執着し、自我に囚われた苦悩の人だったように思います。自己の苦悩を真摯に語ったからこそ、漱石の言葉は今に生きる私たちにも切々と伝わってくるのでしょう。

親鸞の他力の教えを説かれた清沢満之(1863~1903)は清貧のイメージが強いのですが、26歳で京都中学校の校長に就任したころはハイカラで香水を匂わせ、髪を真ん中から分けた当世風の男だったそうです。ところが2年後、校長を辞してハイカラな洋服は全て人に与え、粗末な黒袈裟の法衣を着て禁欲主義に徹したそうです。

漱石や満之が生きた明治の時代には、洋服対和服に象徴されるような異文化との衝撃的な出会いがあって、強い自我意識を持つ個性豊かな人格が生まれた原因にもなったように思います。

それに引き替え平成の今を生きる私たち・・少なくとも私の自我意識は何とも薄っぺらで浮わついていて、弱く虚しく感じられます。戦後60有余年が、まるで虚構の世界だったかのように。