みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

小掃除

2014-12-30 16:47:35 | 暮らし
無精な私だけれど、年末ともなればさすがに掃除しなければ・・という気分になる。と言っても小さな当庵に「大掃除」の掛け声は似合わない。気力も体力もそんな大がかりな掃除は無理だと、ハナから諦めている。「小掃除」がそれなりに出来ればいいことにする。

今朝は霧が深かった。もともと弱い冬の日差しが霧で遮られてボンヤリ。なかなか気温が上がらない午前中は、庵内側から窓を拭き掃除。寒さが緩んだ午後は屋外から窓枠や窓桟や網戸などを拭いた。綺麗になるとやはり気持がいいですねぇ。

掃除の合間に村の世話役の方のお屋敷へ行って、年末の挨拶。この1年を大過なく暮らせたのも村の人々の支えがあってこそ、だから。

昼下がりに畏友が来庵、蝋梅の小枝を下さった。当庭の馬酔木と水仙を添えて花入れへ。庵内に芳香が広がり、正月を迎える気分になれました。


菜園の年越し

2014-12-26 09:31:12 | 菜園
まだ年内なのに朝夕冷え込む日が多い。冷え症の私も大変だけれど菜園の野菜たちも大変。

なかでも一番ハラハラさせられるのは玉葱。晩秋に植え付けた玉葱の苗には、申し訳程度の髭根が附いていて、「鼻毛ぐらいね!」と的確に表現する人もいる。しかも玉葱は深植えしてはいけない。霜柱で根土が持ち上がると、髭根も浮いて活着できずに枯れてしまう恐れがある。

だから農家では必ずマルチで畝土を温めて霜柱を防ぐ。でも当菜園は小さな畝でマルチは似合わないし、ビニール類は出来るだけ使いたくない。植え付けた後、根元を足で踏んで土を固めて霜柱の被害を抑えるのだけれど、心配で毎朝様子を覗く。

大根は霜に当たると凍って痛むので土寄せする。ところが元気よく成長した大根は首を高く伸ばしていて、土を寄せても寄せても被せきれない。やっと肩?まで被せたと思っても、空っ風で土を飛ばされて、また首を長~く出してしまう。


白菜は紐で縛り、上から新聞紙などを被せる。強風で紙を飛ばされないように土を載せた。


ターサイは寒さにめっぽう強くて、美味とは言い難いけれども冬季の貴重な青菜。霜が降りても雪を被っても、地面にへばり付いて頑張ってくれる。


キャベツの葉はとても美味しいから、餌に不自由な野鳥たちの恰好の的になる。大食漢の雉に喰いつかれたらひとたまりもないので、幼いキャベツはネットで守っている。


そのほか、エンドウとソラマメの芽、苺株、ニンニク、長ネギ、そしてヤーコンや人参たちも菜園で年を越します。みんな頑張ってね!





笑止千万

2014-12-26 06:42:02 | 社会
ES細胞が混入していた、という理研の発表にマスコミが騒いでいる。心底呆れる。まともな科学者たちからとっくに指摘されていたことではないか!  

混入させた犯人を理研は追及すべきだ、などと息巻いている輩さえいる。状況証拠からしても、その人格からも、犯人は実験者本人に決まっているではないか! だのに、その本人が混入の被害者であるかのごとく、庇護されるべきであるかのごとく。

もう笑止千万! この国のマスコミ界はここまで愚かになり果てたのかと思う。

 

オバチャン

2014-12-23 18:25:49 | 暮らし
当庵へつながる道は狭い。対向車が来たら人様の所有地へ車を避ける。そんな「人様」の1人とは、日頃お付き合いの機会が少ない。この人へ、今日は卵を届けに行った。ウコッケイとチャボのハーフとクォーターが続けて産卵してくれたので、余った3ケを、日頃の失礼のお詫びの印にするつもりで。

卵を受取ったその人は、ちょっと私を眺めてから「オバチャン、キューイは好きかい?」と言った。私はもちろん好き。

育てたキューイが大量の実を付けるようになったのだそうだ。「小さな胃袋が一つしかないので」と恐縮する私の目の前でビニール袋にキューイを沢山入れて、一抱えほどになったのを呉れた。「リンゴと一緒に袋に入れて密閉すると、2~3日で熟れてくるからね。」と、懇ろな講釈も有難かった。

当地へ移住して不思議に思ったことの一つは、人々が「オジサン」とか「オバサン」とか呼び掛ける相手が、どう見ても叔父や叔母ではないことだった。親の兄弟でも姉妹でもない人に、どうして?・・・と。

この地の人々は高齢の男性や女性に対して、「おじいさん」「おばあさん」ではなく、「オジサン」「オバサン」と言うのだ、と分かるまで数年間を要した。親しみを込めるときは「オジチャン」「オバチャン」となる。

「オバチャン」と呼ばれたのは初めて。何だか嬉しかった。一人前の住人になれたような気分。

冬田晴

2014-12-21 22:02:05 | 俳句
俳句の会で瓦会の雲照寺を吟行しました。もう10回ぐらいは吟行したお寺だけれど、そのたびに感ずるものが微妙に違う気がします。

雲照寺は瓦会のの小高い一角にあって、周りはもちろん田畑が広がり、その向こうに筑波の穏やかな山々が連なっています。境内はいつも綺麗に掃かれていて、庭木の剪定も行き届いています。

     実南天こぼれて池の笑窪かな

昨夜の雨も上がって風もほとんど無く、寒気も緩んで、皆、大喜びでした。卒寿を超えた俳友3人も矍鑠としています。静かな青空へ杉や檜の大樹が伸びやかでした。カメラの持参を忘れたのが残念!

     碧天へ檜の楚々と冬田晴


呆れたこと

2014-12-19 13:20:24 | 社会
STAP細胞が再現出来なかっただなんて、初めから分かり切ったことではないか。

小保方春子の退職願いを理研が受け入れるという報道に呆れた。公金を不正使用し、国民と世界の人々を欺き、理研と日本の科学界の信用を失墜させたのだから、とっくに懲戒免職されていて当然だろう。

この国では、道理の骨格が崩れているのではないか。

若い♂ルリビタキ

2014-12-15 08:33:12 | 野鳥
東の空が茜色に暁けるころ、早くもルリビタキの囀りが始まった。場所は地鳴きしていた昨日と同じ、カクレミノの葉陰だ。やはり若い雄だったのだ。

明るくなってから写真を撮った。明るいといっても北庭の葉陰で窓ガラス越し。撮る術も拙いので、ご覧のようなボケ写真になってしまった。仄かに青い尾羽がルリビタキ(瑠璃鶲)ならでは。やがて背中から頭部まで鮮やかな瑠璃色に染まる立派な雄になったら、また来てね。

ルリビタキの雌雄

2014-12-14 21:58:10 | 野鳥
投票を済ませて早めの昼食を準備していたら、裏庭から チッ チッ という可愛い声が聞こえてきた。窓のすぐそばのカクレミノの葉陰に雀サイズの小鳥がいる。見慣れない鳥だ。

どうやら窓ガラスに写っている自分の姿をライバルと思って警戒している様子だ。目の縁が白っぽく見えるがメジロではない。腹部の両側が淡いオレンジ色だけれど前面は白く、紋も無いからジョウビタキでもない。

図鑑で調べて、ルリビタキの雌と判断した。背側は地味な茶系で、雄の鮮やかな瑠璃色とは違い過ぎる。

ルリビタキに初めて出会ったのは、12年余り前に当地へ移住して最初の冬だったと思う。裏山の獣道に入り込んだとき、美しい雄のルリビタキが藪の中からチラッと出てきて、すぐにまた藪へ隠れた。忘れられない出会いだった。

昼食の後、茶道の稽古へ行くため着物に着替えようとしているとき、近くの梢付近から キョキョロキョロロリ と柔らかい声が幾度も聞こえてきた。ヒョヒョヒョロリ とも聞こえる。ルリビタキの囀りだ。冬でもたまには囀るらしい。姿は見つけられない。先程の雌のお相手の雄だろうかと最初は思ったが、冬期のルリビタキは一羽ずつ縄張りをもっている(ジョウビタキと同様なんですね)こと、雄でも若い個体の羽色は地味で雌と見分けがつきにくいことから、同一個体と判断した。

12年ぶりのルリビタキとの再会は嬉しかった。茶道の稽古は、私の都合で1時間しか出来なかったが、そんな私のために先生は続き薄茶を指導して下さった。恩師の両先生は闘病中のため、社中の先輩の方(年齢は私よりずっとお若い!)が代稽古を引き受けられている。茶道を教える立場というのは大変なことだと思う。本当に有難い。


84歳のプリンス

2014-12-14 18:57:10 | 社会
絶望を深めるばかりの今回の選挙だけれど、思いがけない出来事があった。84歳のプリンスが9年ぶりに街頭演説をしたのだ。

若くして政界に登場し、優れた知性と容貌に恵まれていたことからプリンスの呼称が与えられた。しかしその演説は箇条書きを読み上げるような感じがあって、私は馴染めなかった。ところが今回は違う。

UTubeで視聴したのだが、最初の言葉の一つ一つから胸に響くものがある。具体的な現実が語られ、確固とした理論が語られる。演説のその場で現実が理論を築き、理論が現実を解明する。聴衆と関係者への配慮も尽くす。そして怯まぬ精神が、私達を絶望させる者の罪状を見事に暴いた。

絶望の中にありながら、希望を感じることが出来る演説だった。84歳のプリンスへ有難うと言いたい。

海辺の星空

2014-12-10 09:34:03 | 自分史
古い話ですが、反戦平和と民主主義を掲げる青年団体の催しに初めて参加した時のことを思い出した。その催しでは、政治や社会について多くのことが語られた筈だが、その内容は殆んど覚えていない。

会場は海辺で、真夏だった。若者たちは砂浜に寝転がって一夜を過した。私も若かった。天蓋の夜空に隙間が無いほど無数の星たちが煌めき、まさに降り注ぐようだった。その星空は、私にとって掛け替えのない青春の記憶となった。

若い私は、唯物論と進化論に疑いを持たなかった。自分の人生にも、この国の未来にも、明るい希望を持っていた。何とまあ、世間知らずだったことか!

やがて仕事や人間関係の渦に巻き込まれ、夢中で苦楽を過した半世紀の間に、世の中は大きく様変わりした。まさかこの国が、オーウェルの1984年のようになるとは!