みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

赤い実&JAそば処

2013-05-30 20:19:07 | 暮らし

まだ5月なのに昨日から梅雨に入ったそうですね。鬱陶しい天気ですが、霧雨に煙る野山の緑はしみじみと目にも心にも沁みるようです。

昨日も今日も、雨合羽を着て草取りに精出しました。気温が上がらないので、野良仕事の体が楽なのも梅雨空のおかげ。

Dscn3438庭のユスラ梅の実が熟してきました。草取りの合間に一つ二つと摘んで口に放り込みます。甘酸っぱいけれどサッパリした味です。

Dscn3440裏庭のウグイスカグラの実は、いつもは数えるほどしか生らないのですが、今季は枝ごとに幾つか、ルビーの滴りのような姿(写真がボケていてごめんなさい)を見せてくれています。小さいけれど味はしっかり自己主張している感じですよ。

Dscn3435菜園の苺は、今季は大豊作! 連日たくさんの収穫で嬉しい悲鳴 一人ではもちろん食べ切れませんから、貰い手を探すのが大変なのです。

収獲した苺の大半はジャムにしています。苺と砂糖だけで作っています。煮詰めるときのアク取りを怠けなければ、綺麗な色に仕上がります。

ジャムも次々に出来過ぎるので、友人・知人に貰ってもらい、喜ばれると、私もほんとに嬉しくなります。

Dscn3446今日の昼食は珍しく外食しました。JAやさと園部直売所の2階にある そば処 里のめぐみ に友人2人を誘って行ったのです。1年ほど前に直売所の改築に伴い新設されたお店で、私は初入店です。

広い窓から眺められる田園風景に惚れぼれ お蕎麦の美味しさに思わず感嘆の声を上げた3人 春野菜天そば850円です。お喋りも弾みました。人生を率直に語り合って頷きあった3人でした。


懺悔道としての哲学 第一章 (田辺元哲学選 Ⅱ その3)

2013-05-26 10:05:03 | 仏教

第一章 懺悔道の哲学的意義

田辺元にとっての懺悔は、反省や後悔に止まらない「自己の突破」です。

・・自己を立てて置いて懺悔を行ずるということはできぬ。何となれば、懺悔は自己の行でありながら、自己を突破し自己を放棄する行だからである。

自己の知を恃む実存に対して真摯な言葉の矢を放ち、真の「自由」に言及しています。

実存が自己の存在を自己自身から自発的に決断することに根拠附けられたものと規定せられる限り、それは絶対者の自由と媒介的なる自由を享有すると同時に、自己の相対性を忘れて自ら絶対者そのものたらんと僭する傾向をも蔵する。

・・自己を放棄し自己に死する実存のみ、真に実存として自由に生きることができるのである。

「自己に死する」という表現は、精神のみならず肉体の死をも想起させて、私には違和感があります。しかし著者にとっては、懺悔を「死」に匹敵するほどに徹底的な行として読者に伝えるために選ばれた言葉なのでしょう。

 しかし何という不可思議であろう。私をかかる自己放棄へと促す力は、同時に私を回復し、一度否定せられた私の存在性を再び肯定に返す力なのである。

自己の放棄・否定から肯定への不可思議な転換を、著者は感動を以て語っています。私が長年憧れ(と言ってもイイ加減な憧れですが)ながら為し得ない転換です。

そして田辺は、愚者凡夫の哲学は懺悔道としてのみ路を通ずる・・と言うのです。

すでに古代において哲学者の典型なるソクラテスは、その無知の知の反語を以て懺悔の途を歩んだのである。

 哲学は・・理性に対する信頼、知の自信、に伴って発達したものである。しかし・懐疑は哲学の始終を通してこれに伴う。それが・・理性そのものの本性に根ざす限界に由来するものなることを明にしたのが、カントの理性批判における先験弁証論である・

 彼(カント)は古き形而上学の二律背反を免れるために、認識を被制約的相対界としての現象界に限り、・・絶対者の認識を意図する形而上学は、これを学的認識として承認しないことにした。これがいわゆる学としての形而上学の否定である。しかしそれと同時に、我々の理性が・・無制約者を思惟し、・・対象概念として定立することを避けることができないとした。それがいわゆる「自然素質としての形而上学」に外ならない。

形而上学を認識批判に依って(「自然素質としての形而上学」として)主観化したカントの考えたように、主観を客観の先験的根拠としてこれに対立せしめ、一方的に前者の形式的自立性を以て後者を確立することはできぬ。・・それぞれ自らを他によって媒介せしめることを通じ自らを媒介するという弁証法的関係を保つのである。これは・・行的現実の構造であり、また歴史の構造に外ならない。

・・ただに科学批判としての理論理性の批判のみならず、実践理性の批判もまた・・二律背反に陥ることを暴露し、理性批判は全面的崩壊の危機に瀕する・・。これが私の絶対批判と呼ぶものに外ならない。

哲学は・・理性に対する信頼、知の自信、に伴って発達したものである にも拘らず、理性は絶対批判に曝されなければならない、という著者の論理の徹底的な弁証法に、息を呑む思いが致します。

 科学が宗教に通じ、知が信に転ぜられて、かえって「知るために信ずる(アンセルムス 10331-109 の言葉)」立場が展開せられるのは、正に哲学の復興に外ならない。

田辺元にとって科学と宗教との垣根なぞは、有って無きが如しのようです。

 


緑と鷹とコヒルガオと

2013-05-25 19:46:17 | 八郷の自然と風景

Dscn3430野山の緑が日ごとに濃くなっています。当庵の窓からの風景も、緑、緑、緑。その緑の梢に鷹が睨みをきかせていました。

野鳥の写真を撮るときだけは、望遠機能の付いたカメラが欲しくなります。

今日の午前中は公民館の同好会で気功でしたが、往路を遠回りして田んぼ用水ポンプ機場へ寄り、用水路を流れてきたゴミ(刈られた草や篠竹など)が取水口に引っ掛かっているのを除きました。

Dscn3432_2機場の周りの田んぼの緑も濃くなってきました。分げつ(根元から新しい茎が増えて、株が大きくなること。)が進み始めています。

Dscn3434畔にコヒルガオが咲いていました。、この蔓は細いのに切れにくくて、退治するのは難しい厄介な草ですが、花の淡い色と簡潔な形は清々しいですね。(写真上でクリックしてご覧ください)


60周年

2013-05-20 19:50:50 | 俳句

当地の俳句の会は、発足してから今年で60周年になるのだそうです。俳句が好きで俳句が生甲斐という方々に接していると、俳句がまさに風土に根付いているのを感じます。

60周年を記念して合同句集が発行される予定で、その原稿をパソコン入力する作業を私が担当しています。不器用でパソコン操作が苦手な私ですが、50周年のときの合同句集が「お手本」としてあるので、なんとか入力を進めることが出来ました。

Dscn337950周年のときパソコン入力を担当された方は、残念なことに既にお亡くなりになられていますが、「お手本」を逐一辿りながら入力しているうちに、その方の存在感が私の心の中で次第に大きくなってきました。

その方の遺された奥様に先日お会いすることが出来ました。句集の話が出来て感無量でした。

明日、プリントアウトした原稿を持って、役員の皆様と共に印刷会社へ持ち込む予定です。出来上がったら、もちろん、あの奥様にもお届けする約束です。


動かなくっちゃ

2013-05-19 19:58:36 | 八郷の自然と風景

Dscn3427村の田んぼの幼苗たちは、もうしっかり根付いて葉に張りが出てきています。写真は黄昏が近い風景です。

Dscn3429_2噴き出す用水の勢いで植えられた苗が傷まないように緩衝材の役割を果たしているのですね。

Dscn3419夕闇が迫り出したころ、まだ代田のままの田んぼの畔に苗箱を並べ始めた方は七十路です。明日の田植えの準備とのこと。苗も自前で育てたそうです。本業は花卉栽培。いつも黙々と働いていらっしゃいます。

Dscn3420_2用水ポンプを止める操作を終えた私が、「体のあちこちが痛くて」と(情けないことに、このところ肩やら背中やら腰やらが痛いのです・・)言ったら、「動かなくっちゃダメだよ。人間、動かなくなったら最後だ。お互いに頑張ろうね。」と優しい微笑で応えられました。よく働く人の言葉は身と心に沁みます。


ホトトギスが鳴く季節

2013-05-16 19:46:32 | 八郷の自然と風景

ホトトギスが数日前から鳴き始めました。明るいような哀しいようなこの声を聞くと、夏が来たのだと思わせられます。

Dscn3408当菜園ではジャガイモの生長が目立ってきて、昨日は追肥を施してから土寄せしました。今季は初めてキタアカリという品種にしました。ジャガイモの幼葉は霜に弱くて、今月初旬の1回目の遅霜で葉先が少し焦げたようになりましたが、2回目のときは前宵に新聞紙で覆っておいたので、被害を免れました。

Dscn3413晩秋に苗を植え付ける玉葱は冬季の霜柱に弱くて、マルチをしない当菜園では、例年、風前の灯のような姿になってしまうのですが、今季は回復が順調で、茎元の玉の生育が進んでいるため、土が割れ出しています。

Dscn3417苺も赤く熟れ始めました。目下のところは熟れた実の半数以上を蟻などに先食いされてしまっていますが

小松菜、チンゲン菜、長ネギ、インゲン、エンドウ、人参、パセリ、等々も育ってくれています。茄子、シシトウ、ピーマン、マクワウリ、南瓜(エビス)、胡瓜などは、今月初旬に苗を植え付けました。これらの苗には、寒さ除けのアンドン(ビニールで囲む)を設えています。

Dscn3405昨春、庭師さんに植えてもらったヤマボウシは、昨季は2花ほどしか咲きませんでしたが、今季は20~30ぐらい咲いています。地味な白色で目立たない花ですが、晴れた日は明るく、曇りの日は淋しげに、そして雨の日は・・・少し艶やかに見えるように思います。なんだか心が寄せられる花です。


超能力?

2013-05-12 20:31:50 | 家族

宅配が届きました。母の日のプレゼントをお嫁ちゃんが贈ってくれたのです。郵便局の赤い車から品物を出して私に渡してくださった配達の方も、何だか嬉しそうな微笑を浮かべていました。受取る私はちょっと照れくさい微笑・・

Dscn3402品物を選んだのも、送る手配をしたのもお嫁ちゃんに違いないし、手紙を書いて添えてくれたのもお嫁ちゃんなのですが、送り主の欄には息子の名前が書かれています。お嫁ちゃんの気遣いです。

贈り物の中身は私の好きなものばかり 離れて住んでいて、めったに会えないのに、私がひそかに欲しいと思っているもの、そして好きなものをいつも贈ってくれるお嫁ちゃんは、まるで超能力?を持っているみたいです。

息子たちが営んでいる事務所は、地域の人々に支えられて繁盛し、とても忙しいようですが、二人仲良く元気よくやっている様子に心温められます。


スペアキーで大音響!

2013-05-12 20:05:56 | 

愛車のキーを先日失くしそうになって慌てたので、スペアの必要性を実感しました。

Dscn3400金物店で合鍵を作ってもらいました。待っている間、店の奥庭に繋がれていたワンちゃんとお話しました。当庵の吠えすぎるユキとは異なり、静かなワンちゃんです。合鍵は10分足らずで出来上がりました。代金は550円。

出来たスペアで愛車のロックを解錠。安堵して乗り込もうとしたら、いきなり大音響の警報が鳴り始めてビックリ! スペアキーを怪しい者の仕業と感受したのですね。本来のキーで施錠、解錠をやり直したら、警報は止まりました。

大音響の警報が鳴ってしまうのでは、スペアキーは利用できないということかしら?と疑いましたが、後刻調べて分かったのは、スペアで解錠後に警報が鳴っても、エンジンを掛けるところにスペアを差し込めば警報は止まるということです。世間では周知のことだったかも・・お恥ずかしい次第です。


ファシズムは楽しそうにやってくる

2013-05-12 19:45:32 | 社会

首都圏の友人夫婦が、昨日来庵してくれました。この友人とはいろいろな話題で意気投合出来るので、会えばひっきりなしに話したくなる私です。

Dscn3404「アベノミクスなんて言葉は聞くのもイヤ!」とか、「原発を海外へ輸出するなんて、正気の沙汰ではないわ!」とか、本音で話せます。ただ私は有言不実行になりがちですが、この友人は行動力も素晴らしくて、例の金曜日の反原発デモにも多忙な時間を割いて出掛けたり、被災者支援の事業にも協力したり。そういう場で入手された資料を、出不精の私のために持参して下さったり。

この友人とは沢山のことを話せるけれど、世の中は話したいことが話しにくくなってきたように思います。無意識の自粛であっても、それはファシズムの兆しではないでしょうか。

東京スカイツリーにまつわるお祭り騒ぎに対して、批判の声がまるで聞かれないこと、これもまさしくファシズムの現象の一つであることを辺見庸が指摘していることを知りました。

国民を戦争に駆り立てて死地へ赴かせるファシズムは、優しそうに、親切そうに、そして楽しそうにやってきます。ファシズムの手法は3Sと言われてきました。スクリーン、スポーツ、セックスの3Sです。スクリーンはかっては映画でしたが、今はテレビ等です。3つとも楽しそうなのですが・・

東京スカイツリーも、意味もなく楽しそうです。スカイツリーのことになると、人々はみな、思考回路を遮断したかのように楽しそうです。怖ろしいことです。


茶名

2013-05-08 18:38:29 | 茶道

今朝は薄霜が降りるほど冷え込みましたが、日が上るにつれて暖かな光が満ちてきました。

一張羅の紋付に2重太鼓の帯を締めて、茶道の先生宅へ愛車を走らせました。冬の間お世話になった炉は閉じられて、今日は初風炉です。

Dscn3391常の稽古とは異なり、若先生が自ら濃茶を点てて下さいました。弟子仲間2人と私の3人が「茶名」の許状を授与されたので、祝意を表してくださったのです。茶入れやお茶碗、そして水指や風炉も初使いのものを出してくださり、有難いやら、恐縮するやら。

Dscn3389新たに「茶名」となった3人のうちでは私が最高齢だからという理由?で、正客を務めることになりました。同座の弟子7人のうち3人は「準教」(茶名より上級)、若先生は「教授」、大先生は「正教授」! こんな錚々たる方々の前で正客を務めるなど、本来ならあり得ないことですが、今日はあくまでも稽古なので、正客を務めるのも稽古の一環という訳です。稽古とはいえ、緊張してアタフタ、キョロキョロ、何度も所作に迷って皆様の御指導に頼りながらの正客でした。でも、やってみなければ分からないことが次々で、いい勉強でした。

Dscn3393還暦の年にゼロから出発した茶道です。その魅力にたちまち引き込まれた私ですが、既に老化した頭と体での習得は遅々としていました。今回の「茶名」は、いわば努力賞だと、自分としては受け止めています。

Dscn3396許状の申請料は、私の財布にとっては正直なところ少なからぬ負担でした。世間では、許状なんて金で買うようなものだ、というような揶揄の声も聞かれます。先生へも申請料と同額の御礼を差し上げます。でも先生からは素敵なお返しを戴きました。太玄和尚筆の掛軸です。 白雲自ラ去来ス  この軸を私のために選んでくださった両先生のお気持を思うと、やはり感謝せずにはいられません。

稽古終了後、両先生は新「茶名」の3人を小料理屋へ案内して下さり、予約席で昼食を御馳走して下さいました。稽古の席とはまた違った寛いだ懇談のひととき・・何よりの記念の日となりました。