みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

金曜日の首相官邸前

2012-06-29 16:32:13 | 原発

毎週金曜日の夕方、首相官邸前で原発再稼働反対のデモが繰り広げられています。ツィッターで始まり急速に広がって、先週の22日には4万5千人の規模となりました。マスコミはほとんど取り上げていませんが、ネット上で見ると大変な熱気で、若い人の参加も大変多いようです。アラブの春を想起します。

今夕のデモは、大飯原発再稼働を明後日に控えて怒りの声を上げる人々の参加が空前の規模になるのではないでしょうか。あの広瀬隆もネット上でエネルギッシュに参加を呼び掛けています。

議会制民主主義に希望を見ることが難しくなった今、各人が直接に声を上げるデモは本当に重要な意思表示の方法だと思います。このデモは金曜日の夕方、情報伝達はツィッター、ということで、非常に幅広い階層の人々が参加しやすく、参加者の意思表示の様子も多彩で、訴える力を強く感じます。

私は参加出来なくて残念です。でも、ささやかながらカンパしました。マスコミが報道しないのなら自分たちでヘリをチャーターして、このデモを空撮してネットで広めようという広瀬隆の呼びかけを知ったからです。チャーター代百万円が募金目標です。余ったら福島の被災者のために使うそうです。振込先は、城南信用金庫(脱原発を鮮明にした経営方針が素晴らしい!)営業部本店 普通預金口座 822068 正しい報道ヘリの会(タダシイホウドウヘリノカイ) よろしかったら、貴方もどうぞ!


梅雨晴間の剪定

2012-06-27 14:46:40 | 暮らし

Dscn2426_2裏庭に咲いている紫陽花は、10年前の当庵新築の際に首都圏の友人達がお祝いに鉢植えで贈ってくださったものです。地植えにしたら、私の背丈をかなり超えるまで生長しました。台所仕事をしながら窓越しに眺めるのが楽しみです。

梅雨期になると、この紫陽花も左側のヤツデも、その脇の南天も右側のアオキも大変な勢いで伸びます。鬱蒼と茂り過ぎるので、今朝は剪定鋏を駆使して刈りこみました。紫陽花たちは風通しが良くなって、すっきりした姿Dscn2432_2
になりました。足元の半夏生の花への木漏れ日もほどよくなりました。

紫陽花は剪定の時期や位置を間違えると翌年に花が咲かなくなりますが、私は毎年かなりイイカゲンに剪定してしまっています。花が咲いてすぐに花の少し下で切るといいらしいのですが、切り花ではなくて、地植えのままで楽しみたいので、花枝は花が萎れた後で切る予定です。その枝には来年は花が咲かないのですが、仕方がありません。

当庵西側に並び立つコナラたちも大いに茂って、西日を防いでくれるのですが、枝葉が込んだところに蜂たちが巣を作ることがあります。真夏から秋の季節になると蜂は凶暴になるので、心配な場所の枝葉は特に念入りに剪定しました。Dscn2430_4

篠竹や冬苺等々も刈り取りました。足元が鬱蒼としていると、蛇がよく来るようになってしまうし、冬苺の蔓に足を引っ掛けて転ばないように。

昨日は消費税増税法案が衆議院で可決され、マスコミは消費税の問題の本質を棚上げして政局問題にすり替えてばかり。嘆かわしい世の中です。気晴らしを兼ねて、茶庭の剪定に奮闘しました。体力の乏しい私はグッタリしてしまいます。でも心地よい疲労で、食が進み、夜は気持ちよく眠れます。


朝の仕事

2012-06-24 14:17:45 | 暮らし

この季節は、朝4時過ぎに起床します。着替えて雨戸を開けてから漢方の煎じ薬(美味しいです)を服用し、それから犬と鶏への給餌、犬の散歩を済ませます。

今朝は6時に、田んぼ用水の揚水機場へ行きました。田んぼ用の膝まである長靴に履き替えて用水路内に下り、取水口付近に引っ掛かっている大量のゴミ(刈り草が流されてきたものなど)を取り払ってから、ゲートを下ろしました。このゲートは数年前から調子が悪くて、操作を何度もやり直さねばなりません。電気回路のどこかがおかしいようですが、専門業者に見てもらっても直らないのです。老朽化している(30年近いらしいです)からなのかも知れません。

ゲート内に用水が満たされるまで30分ぐらい掛かります。その間に、ゲート側への出入り用扉に蜂たちが作った巣を退治することにしました。数匹の蜂が巣の増築?と子育てに勤しんでいる様子です。スズメバチとかではなくて小さな普通の蜂なのですが、なにしろ頻繁に開閉する扉なので、放置するわけにはいきません。

Dscn2413棒の先に古新聞紙を括り付け、灯油を十分に滲み込ませてから火を付けました。着火して炎が立ち上がった棒の先を蜂の巣の直下へ! 一瞬にして蜂たちは落下。羽を焼かれると、さすがの蜂もひとたまりもありません。

Dscn2423残った巣を手に取ってみたら、意外に小さく感じました。写真には写っていない側の幾つかの孔の中には幼虫の遺骸が・・ごめんなさいね・・

蜂退治を済ませてから、機場まわりの草を刈りました。体力に乏しい私には、一挙に!というわけにはいかないので、毎回少しずつ、持参の鎌で刈るようにしています。

溢れる水音が聞こえてきたら、ゲート内の満水を確認して、ポンプ運転開始の操作をします。取水口からポンプ側へ水が円滑に流れているのを確認してから、7時過ぎに帰庵し、朝食を支度しました。料理は下手な私ですが、一仕事のあとの食事はとても美味しいです。


台風一過

2012-06-20 15:21:41 | 健康・病気

Dscn2407当庵そばに街灯が設置されました。街灯というよりも「山の灯」とか「林灯」という感じです。過日、の区長さんが皆様の賛同を得て此処への設置を市役所へ申請してくださった、と聞いていました(私自身はへ正式には入っていません)が、おかげで予算が廻ってきたらしく、一週間ほど前に工事していただいたのです。

18日夕方は、地元の俳友の関係者の御通夜が営まれて、帰りはとっぷりと日が暮れていました。今までだったら真っ暗な中での帰庵になるのですが、LEDの明るい灯のおかげで留守番のユキともスムーズに挨拶出来ました。

数日前から夏バテで足が異様にだるくてたまりません。でも休んでいるばかりでは憂鬱になるので、出来ることを少しずつ無理のない範囲でやろうと努めています。昨日の午前中は漢方薬を受け取りに行って、先生に愚痴を聞いてもらい、午後は近所の方と一緒に市主催の「シルバーリハビリ体操」に参加しました。この体操は、動きはゆっくりなのですが、結構効く感じで、心身ともに快くなりました。

先日、御近所から真竹の筍を戴いたので、味噌汁の実にしたり、炒めものに混ぜたり、筍御飯にしたり、満喫しています。また別の方から戴いた新じゃがはキタアカリという品種で、噂に違わぬ美味しさです。縁ある方々からの贈りものは、夏バテ対策の最良の滋養になりますね。

昨夜は、関東の西方を通過した台風による風雨が凄まじい勢いでした。夜が明けて外に出たら、案の定、菜園の野菜たちは倒れたり、葉がちぎれたり。自然の為したことですから仕方がありませんが、農家は大変だろうと思います。

Dscn2395台風一過の暑い日です。ユキが最近少し元気が足りないのは暑さのためもあるのかも・・ 犬小屋付近に木影を作ってあげようと、ヤマボウシを過日植えてもらったのですが、まだ若い木で、十分な影が作れません。裏山側へ昼間だけ避暑させることにしました。Dscn2403
若く優しい友人が先日、ユキのために電柱周りを草刈りして下さったところです。ユキは大喜びやがてのんびりお昼寝です。

Dscn2384_2野山の緑が鮮やかです。(写真の中央奥に筑波嶺が覗いています) 田んぼの稲たちも逞しく分けつが進んで、立派な株に育っています。

用水路の様子を確認に行きました。水嵩がかなり上がった痕がありました。前日からゲートを上げておいたので、溢水の心配をせずに済みました。

Dscn2389ゲートへ出入りする扉に、数日前から蜂が巣を作っています。(写真上でクリックして見てくださいませ。) 大きな巣になる前に退治しなければ、と思い、竹棒に新聞紙を巻いて灯油を滲ませたものに、マッチで火を付けようとしたのですが、台風の名残の風のため、何本もマッチを無駄にしてしまい、蜂焼却作戦は日を改めることにしました。

実はこの数日、当庵門前に植えているヒサカキに大量発生した毛虫の焼却作戦を続けています。椿や桜と違って、ヒサカキには毛虫は付かない、と思い込んで油断していました。気が付いたときは、もう大変! まさに「沸く」という感じで、数え切れぬ数の毛虫でした。ホタルガの幼虫のようです。最初の朝は、被害を受けた枝葉を切って集めて・・大量の枝葉になりました!・・灯油を掛けながら、火事にならぬよう少しずつ焼却しました。その夕方、ヒサカキを見ると、また毛虫たちがあちこちの葉に上がってきています。また枝葉切り、焼却。次の朝、ヒサカキを見ると、また毛虫たちが! でも初日に比べれば百分の一ぐらいに減っています。今度は枝葉は切らずに、松明状のもので直接焼却。今朝、ヒサカキを見たら、また毛虫が・・でもかなり減って、ようやく数えられるぐらいになりました。

私が焦熱地獄に合わせている毛虫たちを見ていると、かわいそうな感じがしないわけではありませんが、心は平気です。私は根っから残酷な生き物なのです。こんな私にもし来生があるとしたら、毛虫になるのかも・・

昼下がり、急に曇ってきたので洗濯物を取り込んでいたら、縁側に一羽の小鳥が動けなくなっているのに気付きました。雀に似ているけれど腰羽根の先が黄Dscn2400色だから、カワラヒワだと思います。そっと近づいて撮ったのですが、やはり危険を感じたのでしょう、必死になって少しの距離を飛び去りました。片方の羽根が不自由なようです。この小鳥にどんな運命が待っているのか・・野鳥の世界は厳しいですが、人間には助けることが出来ません。

半月ほどまえは巣から落ちたらしい子鴉が、やはり不自由そうな体で付近の野を彷徨っていました。私が近付くと、親らしい鴉が至近距離に飛んできて激しい鳴き方で私やユキを威嚇していました。でも結局、野犬か、鷹かにやられたのでしょう、ダメでした・・・ 

長閑に見える野山でも熾烈な生死の闘いが繰り広げられています。考えてみれば、人間世界も同じようなものかも。


高木仁三郎の警告

2012-06-12 13:43:23 | 原発

若葉・青葉の季節となり、杜鵑が盛んに鳴いています。テッペンカケタカ とか、トッキョキョカキョク とも聞きなされるその声は、血を吐くように烈しいとも言われますが、何かを天地人に訴えているような哀切さが胸に響きます。

梅雨模様の日、友人が譲ってくれた本を読みました。著者の高木仁三郎(1938~2000)は、”反原発のカリスマ”とも言われた市民科学者で、大地震と津波が福島等の原発を襲ったら、メルトダウン・放射能大量放出に至るだろう、と警告していた方です。

Dscn23821986年12月初版のこの本は、”原発大国”日本に生きる人間としてチェルノブイリ原発事故(1986.4.26)をどう受け止め、そこからどんな教訓を引き出すべきなのかという問題意識から纏められたものです。

今度(チェルノブイリ)の事故は、安全審査、いや原発の安全性の一番根本の前提をひっくり返してしまった。原子力開発のすべての出発の前提ーメルトダウンや核暴走は起こらないーが崩れたのです。(中略)推進側もそれが分かるから、根拠もないのに、「日本では起こらない」と連呼して、とにかくメルトダウンや核暴走を日本の原発から切り離そうとするんです。

私も当時、日本の技術レベルは高いから事故は起こらないだろう、とタカを括っていました。なんと無知だったことでしょう。

2千何年に廃棄物を処分するとか、もっと乱暴に低レベル廃棄物は下北半島に持っていって埋めるみたいなことが言われております。つまり負担を全部後の世代に押し付けていくことで原発は成り立っている。こういうことを考え直さなくてはいけない。事故ということも恐ろしいけれども、やはり子供たち、孫たちの命のことをきちんと考えるような技術であり、生き方でなくてはいけないのではないか。

原発の本当に間近に住む人でない限り、どこに原発があり、その稼働状況はどうなっているかすら知らないし、知ろうとしない。新聞もほとんど書かない。そういう状況に対する最大の、そしておそらく最後の天からの警告、それがこの事故の意味だろうと思います。このメッセージを受け取りそこなえば、次は日本の番でしょう。

2011.3.11.まさに日本の番となってしまいました。それでも原子力ムラは懲りずに、再稼働に躍起になっています。怖ろしいことです。

原発をなくすためには(中略)運動の側のかなりの転換が必要だと思う。例えば集会をやる時の講師でも、反対派の先頭で旗を振っているような人だけではなくて、このような原発事故の状況を各層の人がどう受け止めているのかということが、もっとよく分かるような人を選ぶというように、今度の事故を心底から深刻に受け止めるならば、その深刻さに見合った広がりを志向していかないとダメではないか。運動する人が、日常的に世界を広げる努力をしていかないといけない。

高木仁三郎の風貌は爽やかな理性の人、という感じがしますが、その精神には、きめ細かさと大きさとが共存調和してしていたのですね。

それから、もう一つ気になることは、事故があったから原発はいけないという発想である。(中略)事故が起こるのは、ある意味では原子力技術の必然であるが、事故はなくても、原発というのはいろいろな歪んだ構造をもたらしていくわけで、廃棄物問題や核の軍事利用の問題はもちろん、社会的な差別の問題や管理の問題、地域の自立の問題、人間の自由と尊厳の問題、自然と人間の関係の問題などがある。

一方で私たちは自然の征服者として、鋭いメスで自然を切り刻み、その同じ人間が、一方であたかもその補償行為として、さながら自然の美を称えるような文化を発展させてきた。しかし、もはやしだいに多くの人々が、このような二元論の使い分けが成り立たなくなりつつあることを、感じ始めたのではないだろうか。私たちが直面する深刻な自然と社会の危機は、この二元的に私たちの精神の内部で引き裂かれた自然観を、より新しい観点で統一的に把握し直すような根源的な作業なしには、克服されないのではないだろうか。

杜鵑は梅雨空の下でも、また夜であっても、時として鳴くことがあります。烈しく、そして哀切に訴えるその声は、高木仁三郎からの警告の声のようにも感じられます。


北向観音堂

2012-06-08 20:13:34 | 俳句

俳句の会で北向観音堂へ行きました。八郷の南端近く、小野越というところです。老いて病んだ小野小町が、筑波連山の峠を越えてきて、観音様に祈願したら平癒した、という話が伝えられています。

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正面の石段は急勾配で、私は脇の女坂を上りました。朱塗りの可愛らしい御堂です。綺麗な千羽鶴が数連掛けられていました。周りの草刈りも行き届いていて、地元の人々の、この御堂に寄せる思いの深さが感じられます。

   小町碑や刈り残されし夏薊   小零

堂の眼下から緩やかな棚田が続いています。筑波連山からの湧水を引いているらしく、綺麗で豊かな水が順々に田を潤しています。合鴨農法の一角もあり、一群の子鴨たちが無心に田草を啄んでいました。畔際のところどころには、余り苗が置かれたままでした。

   塊まりて黄ばみて余り苗背伸び   小零

 


もう大丈夫

2012-06-03 13:56:04 | 暮らし

この10日間ほど、よくないことが重なって参っていました。でももう大丈夫です。

5/24、飼犬のユキが喉脇に重傷。私が外出しているとき、野犬に咬みつかれたらしいのです。太い首輪をしていたので喉笛の急所は外れていましたが、赤膚が露出し、出血。しかしこの日は、動物病院の定休日。元気はあるので自然治癒を期待したのですが、26日になって元気がなくなり、ドッグフードはおろか、大好物のヨーグルトさえ受け付けません。たかが犬、されど犬、です。私は自分の顔が青ざめたのを感じました。慌てて動物病院へ。抗生物質の注射をしてもらいました。夕方から食欲回復。その後は服薬で順調に元気回復。傷口の瘡蓋も取れました。ユキの猛烈パワーが戻りました。

ユキが重傷を負った24日頃から、私の体調もおかしくなりました。咳と鼻水とだるさ・・・軽い風邪です。ルル3錠とイソジンで誤魔化していたのですが、一向に回復せず、29日からは下痢症状も。気力、体力ともに落ちてしまいました。

31日には、担当している農業用水ポンプ機場の設備が故障。田んぼの命というべき水が送れなくなったら一大事ですから、関係者に連絡を取ったり、機場へ何度も行ったり。応急措置で稼働に漕ぎ着けた今朝まであたふたしました。

下痢症状のため31日夕から6/1朝まで絶食。31日の夜は不調感であまり眠れず、こんな調子ではあと何年生きられるだろうか、などと暗いことばかり脳裏をよぎっていました。1日午前、漢方の先生のところへ赴いて症状を訴えましたら、「麻黄附子細辛湯」を処方されました。服薬して暫くしたら、気力が回復しだしたのを実感しました。

昨日は、私の体調を心配した近所の友人が、特製スープを作って持ってきてくれました。有難くて、涙がこみ上げそうでした。

今朝はほぼ回復し、の行事の「草刈り・空き缶拾い」に参加し、道路沿いに棄てられた空き缶やゴミを沢山拾いました。皆様と挨拶を交わしたり、少しお喋りも出来て、無事に作業が終わり、道路が綺麗になって嬉しかったです。