みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

野上彌生子著 「森」

2016-01-17 05:59:49 | 
視力も体力も気力も劣化するばかりで、読書欲も益々低下しているけれど、野上彌生子(1885~1985)の著書は別格。少なくともその代表作ぐらいは読まなければ! 読みたい! 

という訳で、図書館から『森』を借りたのだけれど、その分厚さに若干たじろぐ。順調に読み切れるだろうか・・少々不安を覚えながら読み始めた。この小説は、著者自身を投影したと思われる主人公が、女学校へ入学するところから始まるのだが、降りた駅から延々と歩いた末に、ようやく女学校に辿り着くくだりになると、いつの間にか読者も共に明治の女学校の世界へ誘われているのだ。

読み進んで、やがて残りの頁が少なくなってくると、この物語が終わってしまうことに不安さえ覚えた。読み終わってしまうのが勿体なかったのだ。 





明治女学校は、1885(明治18年)にプロテスタントの木村熊二とその妻の鐙子が開校し、1909年(明治42年)に閉校した。北村透谷、島崎藤村、津田梅子、若松賤子(2代目校長の巌本善治の妻)、内村鑑三などが教壇に立っている。学んだ生徒のうち「明治女学校の三羽烏」と呼ばれているのが、羽仁もと子(1873~1957 日本女性初のジャーナリスト 自由学園の創設者)と相馬国光(1876~1955 新宿中村屋の創業者)、そして野上彌生子である。

巻末の「作者の言葉」にあるように、『森』は、真実よりはむしろ虚構 であり、写楽の描線の妖しい歪曲が他の浮世絵師の似顔絵より当の役者たちの真髄をよりよく捉えているとされるような効果が、もしかわずかでも得られたらと念じられ た物語である。明治女学校とその時代と人々の真実と虚構とが、組んずほぐれつしながら迫力と魅力を醸し出してゆく。

この迫力と魅力に満ちた大作の執筆が、作者87歳から開始され、百歳を目前にした作者の死去の直前まで書き継がれた、というから、驚異的というほかはない。

『女性である前にまず人間であれ』というのが、野上彌生子の信条だったという。軽井沢に有していた山荘は「鬼女山房」と名付けられていた。余計なものは一切削ぎ落したような老年期の容姿、そして強靭な精神が際立つ生涯は、まさに「鬼」の名に相応しい。その野上彌生子の こころの揺籠 が明治女学校だったのだ。


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