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我々はROCA’66。

2019-12-11 20:22:42 | Weblog
U2がこないだまで来日していたせいで、

YOUTUBEに客が撮ったであろう来日公演のライヴ映像がいくつもアップされていて嬉しい。

こないだちょっとだけ言及した「ウィズオアウィズアウトユー」の映像もあった。

やはり(当然というか)、「君と一緒でも一緒じゃなくても僕は生きられない」という意味のことを言っている。

全体として論旨がわかりにくいが、歌詞はそのほうがいいのだ。謎めいている方が深いし、飽きない。

それにしてもそれにしてもU2のみなさん、見事に老けた。

もちろん老けてもかっこいいのだが、年輪はしっかりと感じさせる。

僕なんかは1980年代から洋楽を聴き齧ってたクチなので、青臭い、若い、ボノの姿やなんかを鮮明に覚えている。

ステージで白旗を振っていた。ライヴエイドなんかも、リアルタイムに近い形で映像を見た記憶がある。

しかしU2は、とてつもなくエライと思うのだ僕は。

いや、ボノが、がっつりと政治的活動をしていて、

貧困国救済(大国からの借金帳消し)などでしっかりと成果を挙げている・・・からではない。

それはそれで驚嘆すべきすごいことなのだが、

U2のとてつもなくエライところは、彼らが高校の同級生で組んだバンドで、

いまだにそのメンバーでやっている・・・・というところ。

そんなバンド、他にないハズ。ストーンズなんか今や、ミックとキースとチャーリーしか

元のメンバーはいないし。他は?・・・いや、ないってば。

そういうのって、本当にうらやましい。

ボノはインタヴューとかでいつも、他のメンバーに対する尊敬の念を語る。まあ、特にエッジに対してなのだが。

そういうリスペクトし合える状況があるのだ。そうでないと関係性は長続きしない。

メンバーが年相応な風貌になって、見た目だけなら「親父バンド」にも見えなくはないU2.。

だがその音楽とメッセージは全然有効だ。日本公演の次は、韓国公演。

韓国には初上陸だったそうだが、ライヴの最後に名曲、「ワン」をやったみたいだ。

朝鮮半島の人たちにとっては、特別な響きを持ったであろう「ワン」。

まあ、本当に南北統一したら、湧き上がってくる「問題」で、てんやわんや・・・あろうが、それでも

叶えられていない「悲願」というのは美しい。


バンドのメンバー、ということに関して自分のことを振り返れば、

俺の場合、バンドはいくつも解散し、幾人もの幾人ものバンドマンと、「メンバー」と言う関係を築いてきた。

一回、数えたことがあるのだが・・・・・40人以上の人たちと「バンドメンバー」という関係になったことになる。

ひぃ。学校の、ひとクラスの人数以上だわ。

でも考えようによっては、それはそれで楽しかったのだから、それでいいのだ俺は。

全員が全員、愛すべき人だったからね。


そして もちろんだが、今の俺は、今現在のメンバーを最も愛している。

ギター赤井と、ベース伊藤と、ドラムズ飛澤。

ROCA’66は今の4人で固定して、けっこう長い。とてもとてもとても、嬉しいことだ。

確固としたグルーヴ、みたいなものが感じられる。

願わくばこのままのメンバーで、もっともっと、U2くらい年をとるまで、

いや、ストーンズみたいにお爺ちゃんになるまで、続けられたらいいな、と思う。


近々のライヴは、12月14日、京都・「ANNIE’S CAFE」。

我々は「ROCA’66」。






写真は今年11月のMELEでのライヴ。大瀧くん撮影。
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撥弦楽器、打楽器、木管楽器、肉声、ダンス!(12月14日は京都でライヴ!)

2019-12-09 21:41:25 | Weblog

今週末である12月14日 土曜日は

京都・深草の「ANNIE’S CAFE」で、ライヴなのだ。

我々ROCA’66にとっては、2019年締めくくりのライヴ。

2020年(トゥエンティトゥエンティ???)にはもう、

何本かライヴが入っている。賑やかで、忙しいのはいいこどだ。

来年のライヴの告知は、14日が終わってからにするね。

とりあえずは精神を、14日に集中する。


ところで、僕はギターという楽器がとても好きで、

「ギタリスト」として活動していた時期も長かった。

技術的には大したことない・・・っていうか、アイディア勝負、というか「非・音楽的」というか。それは、まあいいや。

今は「ギターヴォーカル」として、弾きながら歌う。ギターの大事なところは赤井にまかせる。


ギターの、見た目も大好きだし、もちろん音も大好きだ。

ギターというのは「撥弦楽器」である。弦をはじいて音を出す。

アコギの音色もとてもいいし、

エレキギターの歪んだ音や、エフェクトされた様々な音もスバラシイ。

気付いたのだが、14日の出演者の中に、「鍵盤楽器」で出演する者がひとりもいない。

この日の出演者が奏でるのは、

「撥弦楽器」であるギター、ベースギター、「打楽器」であるドラムス、パーカッション、

「木管楽器」であるサックス(木製のリードで音を出すから「金管楽器」ではないのだ)。

あと、一応僕が、ハーモニカもちょっと吹く。あれは・・・・何楽器なんだっけ。

金属製のリードだから「木管」ではないし・・・「リード楽器」かな?

あと、楽器ではないけど、肉声の歌、そしてダンス!


ドアーズやジョンケイルやベンフォールズファイヴを例に出すまでもなく、鍵盤ももちろん極上に素晴らしいのだが

そういうの(鍵盤)抜きって何か「非・音楽教育的」でワイルドって気もする。

ちょっと「片寄ってる」かもしれない。

でもそれはそれで、とても面白いハズ。


2019年の12月14日 土曜日は

京都の、京阪線なら「深草」地下鉄なら「くいな橋」が最寄のライヴハウス

「ANNIE’S CAFE」に来て欲しい。

一番手は、ダンスとロックの融合ユニット「蛇香」。

一番手は19:00スタート。そして二番手が、アコースティック弾き語りの「正垣祐樹」

その次がトリオのロックバンド「LIFE METHOD」。

我々「ROCA’66」の出番は最後、四番手。




楽しい夜にしたい。











写真は、「ROCA’66」のギタリスト、赤井の

フェンダー・ジャズマスター・インデイゴ・ブルー。言わずもがなの、撥弦楽器。

2019年の年の瀬も押し迫った12月14日に「ANNIE’S CAFE」に、本邦初登場予定。

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真珠湾の忌念日に。

2019-12-08 19:58:47 | Weblog

今日、12月8日は真珠湾攻撃によって日米が開戦した日。

それは1941年だから、ちょうど78年前。

78年前って、はるか昔のような気がしてしまうけど、

それって僕が生まれた1966年には、たった25年前の出来事だった・・・・ってことになる。

25年前なんて今の僕からしたら28歳だった頃のことで、

それは「ばるぼら」やってた頃で、全然昔のような気がしない。

ついこないだ・・・・のような気さえ、する。

そういう風に考えると、戦争やってた頃なんて、そんな昔ではないのだ。

今の僕には・・・戦争自体が、すごく非現実的な気さえするけど、

世界には今現在だって、兵器は売るほど存在するし、

各地で紛争は絶えない。

戦争は「非現実」ではないのだ。

ちゃんと、「自分のこと」として捉えなければいけない、と僕は自戒する。

気を抜いていると、戦争で利益を得る人々に先導されて、

気がついたら戦時だった・・・・というようなことになりかねない。

先導する人達は、何があっても、絶対に、自分は前線で戦ったりはしない。

絶対安全なところを離れないのだ。

捨て駒にされて殺されるのは俺達のような貧乏で無学で従順な「一般市民」だ。

だから人権を軽視するような政党・政治家を信用してはいけない。

自民党の「改憲案」は見事に人権を軽んじているものだ。

改憲、なんてものに乗せられてはいけない。

憲法は弱者を守るもので、それを強者、つまり権力者が変えようとしているのだ。

僕は、民主主義は尊い、と思う。

民主主義の世の中に生まれてきて良かった、と思う。

江戸時代・・とかが文化的・情緒的にけっこう、好きなのだが

あんな 封建制度なんて本気で吐き気がする。

とてもとても差別的な世界だ。しかも、その中でえばりちらし、

特権を与えられていた「武士」なんていうエリート階級は全体の、ほんのわずかな数の人々だった。

でも、今だってその名残の、皇族とか華族とかがのさばっていて、もちろん、腹は、立つ。

そして、二世議員とかにも、とてもとても腹が立つ。

アベなんて典型的なそういう、エリート政治家系の出身だ。

俺はとにかく、「世襲」って大っ嫌いなのだ。

お坊ちゃまが嫌い。金持ちが嫌い。そして、傲慢な奴等が嫌い。

それはともかく・・・・・・・・・・

「人権」ってものを、もっとマトモに、シリアスに、現実的に考えたい。

俺達「一般市民」は人権がなければ

牛や豚や野良犬みたいに、虐殺されちまう。

銃や兵器を持っているのはもちろん、権力側だからだ。

街を行く呑気そうな警官の腰にはニュー・ナンブと言う名のリヴォルバーが刺さっている。

そして我々庶民にはもちろん、拳銃も実弾もない。

そういう我々に、終戦直前に権力側は「竹槍」で、侵入してくる米兵を殺せ、と言ったのだ。

戦中には、一般市民に「人権」は、なかった。

赤紙一枚で「死」を命じられた。

ぞっとする。




・・・・長々書いたけど、

真珠湾の日にこういうことを考えるのも・・・・・

無為なことではない、と思う。








思いたい。

















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英語の、聞き取りミスによる衝撃2選。

2019-12-06 20:49:39 | Weblog

今日はインターFMの「レディ・ステディ・ジョージ」に

プロディジーのマキシムがゲストで出ていた。

彼への、ジョージのインタヴューの中でマキシムが

「トゥエンティトゥエンテイ」と言っているのが聞き取れて、

トゥエンティトゥエンテイって何?と思ったのだ。

「フィフティフィフティ」って言うよね?「五分五分」の意味で。

そういうのかな?と。20/20みたいな。

それでその後、ジョージが日本語で、さっき言ってたことを説明し始めて、

それによると、トゥエンティトゥエンティは何と、「2020年」のことだった。

しょ、衝撃。ただの来年じゃん。俺はアホなのか。

確かに・・・・今がトゥエンティナインティーンだから

来年はトゥエンティトゥエンティなのだろう。

うーん。

しかしだぜ?

もしも人類が西暦5050年まで存続していたとしたら、その年(5050年)は

フィフティフィフティだ。

それでいいのか??????

いや・・・・・・・・・・・・きっといいのだろう。



もうひとつ、衝撃。



今現在、あのU2が来日中で、今日も埼玉でライヴだったから

レディステディジョージでU2の「ウィズオアウィズアウトユー」がかかった。

すっごくいい曲。僕はこの曲がリアルタイムでヒットしてた頃から大好きだった。

問題は、歌詞。

「アイキャンリヴ、ウィズオアウィズアウトユー」と言っているのだが

僕は訳詞も読まずに勝手に、

「君と一緒でも、君がいなくても、僕は生きていける(生きていくしかない)」

という意味にとっていたのだ。ずっと昔から、この歌はそういう歌なのだろうと思っていた。

ハードで、ストイックな感じ。

どちらにしても、生きていくしかないのだ。と。

ところが

今日ラジオでこの曲聞いていて、初めて・・・これ「アイキャントリヴ」って言ってる?

と思った。もしそれだと、意味が正反対になる。

「キャン」と「キャント」って、聞き取りにくいのだ。

家に帰って「U2訳詞」で調べたら、やはり、悪い予感どおり・・・「キャント」だった。

つまり「僕」は、君が一緒でも、一緒じゃなくても、生きていけないのだ。

はあ?

そ、そうなんだ。どちらにしても、生きていけないんだ?


意味性が、混迷を増す。

うーん・・・・・・「キャント」って言ってたのかぁ・・・・・・・・。



衝撃だった。
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「フラニーとズーイー」を時代考証的に。

2019-12-05 21:16:38 | Weblog

何年か前に出た、新訳の

サリンジャー著「フラニーとズーイー」を久しぶりに読み返していた。

こないだの「ボニー&クライド」を時代考証的に読んだ癖が残っていて、

こちらもどうしてもそんな風に読んでしまう・・・っていうか、

そういう細部が気になってしまう。

こちらの物語の中の時代は、1955年だ。


例えば電話。

もちろん固定電話しかないのは当然で、それはいいのだが

「電話帳」に、(長兄の)シーモアの名前が載るのが感傷的に嬉しい、みたいなことを

次男のバディが言っていて、そうだ、昔は「電話帳」に名前が載ったりしたなあ・・と思った。

現代はそうではない。「電話帳」も、あるにはあるが、名前は載せないことのほうが多い。

(後日付記・いや、「職業別」以外の電話帳は、すでに絶滅したかもしれない。)

だって、固定電話が鳴ったって、昔みたいに「はい、カタヤマです」なんて言って出ないものね。

現代は、名乗らないで出るのが普通だ、

不審者からの電話が飛躍的に多くなったから。これは嘆くべきことであろう。

「オレオレ詐欺」とかってもう、最低最悪。


そそて、煙草。

大体がサリンジャーの小説の登場人物っていつも煙草を吸ってるのだけれど、

あの可愛い(であろう)フラニーや、

グラス家のお母さんであるベッシーが、ひっきりなしに煙草を吸ってるのは

この嫌煙の現代から見たらちょっと異様である。

レストランで堂々と、フラニーは煙草を吸っているのだ。

でもそういえば昔は、レストランはもちろん、電車でも吸えたし、飛行機の機内でも吸えた。

古着屋で働いていた頃は、服屋の店内で店員である僕が煙草を吸ってもオッケイだったのだ。

何というか・・・隔世の感がある。



そうそう、これは「時代考証」とかじゃないのかもしれないけど、

すごーく気になったことがあって、

フラニーが彼氏とレストランで食事をするのだが、

彼氏が注文して食うのが「カタツムリと蛙の足」なのだ。

「カタツムリ」はまあ、いい。エスカルゴのことであろう。今や「サイゼリヤ」でも注文できる。

引っ掛かるのは「蛙の足」だ。1955年のニューヨークでは普通だったのだろうか?

蛙?「食用ガエル」か?

第二次大戦終了から10年も経ったニューヨークで食用ガエル????

それともここは「ゲテモノレストラン」で、

カタツムリやカエルのほかにはヘビとか、コウモリとか、ミミズとか・・・・・・。

イナゴとかザザムシとか。

サソリの丸焼きとか。






ああ、やだやだ。





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12月14日は京都「ANNIE’S CAFE 」でライヴだよ。

2019-12-04 21:38:12 | Weblog

バンドを、まだ続けていられることの奇跡。

俺、一体、今・・何歳なんだっけ?

いや、もう歳は数えまい。数えんの面倒くさいし。いくつでもいいじゃないか歳なんて。

30年前だったら本当に、

30歳超えたらバンドなんか続けられないと思っていた。

・・・・「趣味」?いや、どうかな。「趣味」って言うほど優雅じゃないな。

荒れ海で、船が沈んで、それで投げられたロープにしがみついてる感じ。

沈まないで呼吸してるのがやっとだ。でも楽しい。

俺がバンド続けてられるのも、メンバーと、

見に来てくれる「理解者」の皆さんのおかげデス。感謝してマス。本当にありがとう。

バンドが続いてるってことは、バンドが生きてるってこと。

生き物であるバンドは、その時その時の持ち曲で、ライヴは少しずつ変わっていく。

我々も、今年後半に投入された新曲2曲で、けっこうライヴの雰囲気が変わった。

いや、だいぶ変わったんじゃなかろうか。


「MOTOR BIKE DIARY」



赤井と俺とで共作した「エピファニー」の2曲。


どちらも、今までの我々には、なかったような曲。


気に入った新曲が立ち上がって、ライヴのメインになっていくのを見るのは楽しい。


12月はライヴ1本だけなんだけど、それはそれでいいと思う。

すっごくいい感じのセッテイングが出来たから。


場所は近所の、親密な感じすらする、京都「ANNIE’S CAFE」。

音が良い。素晴らしい。

最寄り駅は京阪「深草」もしくは地下鉄「くいな橋」。


出演は・・・・スーパードラマーの「チマキ」率いる「蛇香」。

これはダンスと、ロックの、融合ユニットだ。

今回の「蛇香」は、サックスに登敬三、パーカッションに牧瀬敏、という豪華布陣。

ダンサーはキュートなベリーダンス・クイーン、YUMA。


そして、

アコギ弾き語りで登場の、大阪のオルタナ・ビート詩人、「正垣祐樹」。

アコギ弾き語りは彼の本領発揮。



そして女性ヴォーカル三人組ロックバンド「LIFE METHOD」。期待大!!!



そして我々、男性四人組ロックバンド、「ROCA’66」。

ROCAは多分、ギター赤井の新しい、青いギターが登場予定。

インディゴ・ブルーのフェンダー・ジャズマスターがステージに。

あああ・・・・それ楽しみ過ぎてちびりそう。



俺がちびるのを・・・・ではなく、我々のライヴを、見に来てクラッサイ。ドゾ、ヨロシク。







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12月、雑感。2019年ヴァージョン。

2019-12-01 21:10:56 | Weblog

12月に突入してしまった。

毎度、というか毎年思うのだが12月に入った、と知る瞬間に来る

この「終わった」感は一体何なのだろう。

何も終わってないのに。

今年だってアナタ、まだ1ヵ月も残ってるのよ?

でも何か、「何もかも終わった」ような寂寥感がジワジワと湧く。


それは多分、「秋」を悼んでいるのだ私は。

一番好きな季節の終わりを、突然告げられたのだ。

そう考えると多少は、納得がいく。


それにしても私は、何度この「12月に突入」を経験してきたであろう?

いや、年齢的に言えば53回なんだろうけどさ、


物心・・というか「意識」を持ち出したのは何歳の頃なのか。

私は、他人と比べて特に、過去の・・・幼少の記憶がない。

言ってしまえば、子供の頃のこと、全然覚えていない。

だから・・・・小学生でも、「もう12月か」と思ってもおかしくないよね。覚えてないけど。


高校生の頃の記憶もあいまいだ。

たぶん、佐治とか岩佐とかと「もう12月やで、どないすんねん」みたいな

会話をしてる気がする。「いや、どないもせえへんわ」とか(関西っぽいなぁ)。

多分、してる。

でも全然思い出せない。


私は決して、「あの頃に戻りたい」などと思ったことはない。

ないのだが、「あの頃のことを思い出したい」とは思う。

綺麗さっぱり、忘れてしまっているからだ。

ろくでもない失敗や、恥かいたこととか、悔しかったこととかは覚えている。

でも「楽しかったこと」の大半を、忘れている。

いっぱい、いっぱい、あったのに。

そのことはとても、残念だ。


でもそう思うと、

12月が訪れる度に「何もかも終わった」と思ってしまうのは実は、

あながち、間違いではないのかもしれない。

多くのことが、あまりにも多くのことが既に「終わってしまっている」からだ。

それは、事実だ。ははは、事実なのだ。



でも「終わってない」ものごとも実に多く存在する。それも事実だ。

もしも、全部終わったら・・・・心の底からホッとすると思う。

でもその日はきっと、まだもうちょっと先だ。



とりあえず、「続いてること」・・・・のひとつ、ライヴ。


年内最後のライヴは12月14日 土曜日


京都、ANNIE’S  CAFEにて、トモダチを集めたパーティー的なライヴを。


出演は


ダンス&ロックユニット「蛇香」


弾き語り オルタナフォーク詩人「正垣祐樹」


3人組女性ヴォーカルロックバンド「LIFE METHOD」


4人組男性ヴーカルロックバンド「ROCA’66」(これはアタシたち)。



去り行く2019年、そして去り行く12月。



「何もかもが去り行く世界」で、我々は会いましょう。


そして会えた「感動」で少しでも


「世界」のエントロピー値を下げていきましょう。





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