meaning of life

2019-12-17 20:49:52 | Weblog
三面記事的なニュースに心動かされて日記を書くことなど、

普段は全然ないのだが、最近あった「事務次官だか何だかの超エリートのおじいさんが44歳の息子を刺殺した事件」

には心が痛んだ。

ラジオでは誰かが「こうなってしまうと彼の人生は何だったのかわからない」と

同情的に言っていた。

彼ではなくても、人生とは一体何なのか。

その問いに答えるのはムツカシイ。


人・・・・・・・・・・・・・いや、生物はすべて、この「世界」に、何の説明もなく放り込まれて、

その後も何のエクスキューズもない。

説明?エクスキューズ?何の説明(を欲する)か?というともちろん、「人生の意味」について、だ。


誰も皆、何のために、何故、生きるのか・・・生きねばらないのかわからないままに、

ただ「生命」というエネルギーと、「生存本能」を与えられて誰も彼も、

オケラもミミズもアメンボも、そんな風に「闇雲に生きている」のだ。

そーゆーのって控えめに言っても、本当に不思議。


思うのだけれど誰だって程度の差こそあれ、「流されながら」生きている、という側面がある。

でもそれが過ぎて・・・「嫌々」みたいに生きてると、本当に嫌なことばかり起こるのだ。



子供の頃の僕がそうだった。


人付き合いが苦手、コミュニケーションが苦手、算数が苦手、球技が苦手、食べることが苦手・・ETC。

今になってわかるのは、何かを「苦手」と思い込んでしまったら最後、

それは本当に「苦手」になってしまう。要は自分の捉え方次第なのだ。

「苦手」を多く作ってしまうのは自分で自分の首を絞めるのと同じことだ。

あああ、それを子供の頃の自分に教えてやりたい。

・・・・・・・・・それはともかく。



でも僕はある時、気付いたのだ、「自発性」こそがほとんどすべてのカギなのだ、と。


つまり、やりたいからやるのだ、どんなことでも。


喰いたくて喰うし、眠りたくて眠るし、朝、起きたくて起きるし、好きな人に恋するし、歌いたくて歌をつくる。


それを突き詰めると結局、我々は流されて生きているのではなくて、


「生きたくて生きている」のだ。




生きていると、面倒くさいことも、多い。


「乗り越えなければならない」ことも多いし、


誰かと戦って、勝たなければならないこともある。


そして、それなのに、どうしても勝てないこともある・・・・っていうか、多い。



でも、そーゆー、面倒臭いことも全部ひっくるめて、

「やりたいこと」をやってるのだ、我々は。



オケラもミミズもアメンボも、「生きたくて生きて」いて、日々、「やりたいこと」をやっている・・・・のだ、きっと。









人生は確かに、ムツカシイ。


でも、もし簡単であれば、こんなにも楽しめないであろう。



人生の意味がわからないからって、勘単に絶望なんかするべきではないのだ。




そういえば・・・・・・・ジョン・レノンの、生前最後のインタヴューで彼は


「僕には人生の意味さえわからない」と言っている。




何というか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



それで良いのかも知れない。





コメント
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